夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

[お題]Facebookは流行すると思いますか?その2 (BN)

2011年02月27日 11時14分19秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月27日掲載


さて、その2です。Facebookについて、Webでの評判や、数字を拾ってみます。

日経ビジネスON LINEには、フェイスブックって古くない? という記事がでていました。いやいや、日本ではまだ新しいですから。地域による格差、情報伝達時差が縮小したこんな時代にあっても日米の差を感じさせる記事であります。

さて。

前回の投稿でも書いたように、現在の日本のFacebookユーザ数(アカウント数?)は、255万人で人口普及率では約2%。登録ユーザ数2,265万人のmixi(mixi 2010年度第3四半期(2010年10月~12月)決算説明資料4ページより)と比べるとまだまだ比較にならないという感じですが、じゃあ他国はどうなのか。前回、紹介したsocial bankersによると全世界のユーザ数は、6億42百万人(2011年2月26日現在)。

オルタナティブ ブログ"In the looop"の斉藤徹氏によると、世界の100以上の国でFacebookはキャズムを越えているそうです。キャズム、すなわちハイテク製品普及の第一関門。それを超えると一般に普及すると言われる壁。その境界線は16%。ロジャー・ムーアの仮説です。

なぜ、Facebookだけが、キャズムを楽々と超えるのだろうか? ~In the looop 斉藤徹

斉藤氏は、Facebookの普及の理由を、その実名制による人物探索とメッセージ機能によるものと推測する。実名により、知り合いを探すことが可能になる。そしてメッセージが相手別に表示されるために、メールよりも見やすいのだと言う。

また、台湾、インド、オランダ、ブラジル、ベトナム、韓国、ロシアなど、普及が進んでいなかった国でもユーザが急拡大しているとも。

Facebookがついに6億人にリーチ、未制覇国も軒並み急増へ ~In the looop 斉藤徹



ふむふむ。世界でFacebookユーザが増えているのは確かだ。それは斉藤氏の言うように実名制のせいなのだろうか。上の未制覇国も急増の記事によると、ローカルSNSが先行していた国であってもFacebookは大きな勢いで拡大している。先行するSNSの存在は大きな障壁にはならないというのだ。

う~む。日本ではFacebookはあまり広がらないだろうという私の説は、根拠が危うくなってきだぞ。斉藤氏のブログをみると、ワールドワイドでのFacebook利用者は、ネットのヘビーユーザに限らない。

どうやらポイントはここら辺にありそうだ。ヘビーユーザ以外に広がるかどうか。

斉藤氏によると日本のTwitterユーザも1,000万人前後と言う(週刊ダイヤモンド2011年1月29日号P.38によると1,178万人)。ここら辺も、私の実感と差があるところではある。実感的にはTwitterって、まだまだマイナーなサービスという感じなのだが。自分のリアルな知り合いでTwitterユーザはほとんどいないし。斉藤氏もTwitterはキャズムを超えてはいないとしていて、マイナーと位置づけてはいるのだが。しかし、Google TrendsによるとTwitterのアクセス数は昨年から急拡大し、mixiにかなり肉薄している。

ここら辺はかなり微妙だ。国内のTwitter人口はまだ1割程度であり、キャズムを超えていない。ブームになり、検索数でmixiに肉薄するようにはなったが、それ程普及してはいない、というのが現在の状況ではないか。先程のGoogle Trendsに、Yahoo! Japanを加えてみるとこんな状況である。mixiですらこの国ではメジャーになりきれていないということか。ただし、これはGoogleの統計なので、それのバイアスはある。mixiはログインを要求するクローズドなサービスなので、そもそもGoogleに引っかからない。Twitterを検索する人はGoogleで検索するよりもTwitter内の検索機能を使うだろう。その意味ではこの統計も利用に関する公平な比較ではない。

急成長しているとはいえ、Facebook利用者数は国内ではまだTwitterの2割である。Twitterやmixiですらキャズムを超えていないというのに。

やっぱりキャズムを超えるのは難しいのではないかな。



実名匿名論については、過去に記事を書いたことがあって、実名でも匿名でもどっちでもいいじゃん、という考えを述べた。たとえ匿名でもブログやmixiなどで継続的に同じニックネームで書いているのであれば、発言者としての特定はされていて、その発言者の自己同一性が確認可能である。実名か匿名かということよりも、自己同一性がネットの上で確定できるかどうかの方が重要だ。

「肩書きのない実名には意味がない」論



この時の話のポイントは、ネットでの匿名での発言は、2チャンネルに代表されるようにとても無責任になりやすく、根拠のない誹謗中傷や風評、煽り、罵倒、更にはいじめを招く原因となっており、 マイナス要素が多いため、ネットでの匿名に対して規制をかけて実名でなければ利用できないようにするべきである、という考え方とそれに対する反論がポイントとなっている。

反論とは、もし実名以外NGとすると、様々な人間関係や仕事の関係上差しさわりがあるようなことについてネットで書くことができなくなり、ネット上での発言の自由度が損なわれるというもの。そして私の立場は余計な規制なんていらない、というものだ。

個人的な体験からいうと、私の場合はmixiの音楽コミュで知り合った友人とライブやセッションでリアルにあった際(いわゆるオフ会状態)、お互いにmixi上でのニックネームで呼びあったりしている。お互い、実名を知らない同士のリアルな人間関係が存在する。実名でない=無責任というのはあまりにも短絡的だ、と思う。

しかしながら、Facebookの場合は少し論点が違っていて、実名であることのメリットがFacebookにはあるかどうか、ということになる。先の斉藤氏の意見では、実名であることによって、現在はコンタクトしていないリアルな知り合いをFacebookで探すことができる点が大きなメリットだとされている。それが、匿名にはないメリットであることは間違いないであろうが、問題はそれが、実名を出すに値する程大きなメリットかどうかということ。そして、日本において実名を出すことについての抵抗感がどれ位強いのか、ということ。

私自身の経験として、過去の友人とコンタクトを取りたくてその人の実名をググったことがある。たまたまその友人は自営業をしていて事務所のホームページに名前があったのでコンタクトは実現した。Facebookが広がれば、そういうことが簡単にできるようになるだろう。だがそのニーズは頻繁にあるものではない。日常的に使うような機能でもないのではないか。

mixiには同級生を探すという機能がある。この機能はちょっと特殊で、通常、mixi内で公開しているプロフィールとは別に、同級生検索に特化したプロフィールを登録する。自分のリアルな出身校や実名を登録して同級生を検索する機能だ。ここに登録された情報は、裏プロフィールみたいなもんで、普段、mixiを使っているときにはみられない。同級生を探す時にのみ参照される裏記録。裏にすることで実名登録を促すような、複雑なしくみになっている訳だ。ところがこの機能で検索をかけてみても、実際にはほとんど実名登録はない。訳の分からないニックネームばかりである。これには、この機能が裏帳簿であることについてのmixi側の説明不測も起因しているだろうと思うが、それにつけても実名を出すことに対する抵抗感を裏付ける事実ではあるだろう。

しかし、mixiにおいても若い世代においては、実名、或いは実名を想起させるような名前の登録が増えているようだ。ネットで実名を出すことに対する抵抗感については、明白なジェネレーション・ギャップが存在する。若者は抵抗感が薄い。じゃあ、Facebookは若者から広がるのかっていうと、それもまた微妙なのは、友人を実名で検索するニーズってのは、ある程度年齢のいった人の方がニーズはあるだろうってことだ。昔の友人を名前で検索できるってのは、若い人にはあまり響かない。

要するに、Facebookが実名制であるということのメリットは、日本ではあまり響かないのではないかと思う。 むしろ、アメリカやカナダ、イギリスといった国で人口の約半数が利用していることの理由の方が私にとっては謎である。なんでだろ?

mixiですら、現時点でネット全体の中ではマイナーなサービスであるとするならば、SNS自体のマーケットが小さいのではないかという私の推論にはそれなりの妥当性があることになる。総務省の調査では国内のSNS利用者は7千万人もいることになってるんだけどね。(平成21年7月総務省「ブログ・SNSの経済効果の推計 6ページより)

データと実感との乖離が非常に大きい。これは私がオールドタイプの世代だからかもしれない。デジタルネイティブ世代の実態については私は全く肌感覚がないのでわからないんだ。



ちなみに、上で引用した斉藤氏は、Facebookのビジネスモデルについて、こんな記事も書いています。

Facebook ビジネスモデルを徹底分析 ~ mixi,モバゲー,GREEと比較





それと国内のSNS会員数に関していろいろ調べてるこんなブログも

各種ソーシャルメディアサービスの会員数について  teshiLog by sumio teshi






[お題]facebookは流行すると思いますか?その3 (BN)

2011年02月27日 10時23分15秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月27日掲載


Facebookについて、3つの記事を書いてきましたが、どうにも歯切れが悪い。何を言いたいのかよくわからない文章になっている気が自分でもする。それは私自身の立ち位置が微妙に揺れているからだと思います。



ひとつにはFacebookというサービスに対する国内と海外との温度差。海外においては確かに勢いがある。しかし、海外で流行ったものが必ずしも日本で流行るとは限らないのは、これまでにもGoogleなどで経験済みであるし、逆に日本でのみ流行っているYahoo! Japanの例もある。国民性の他にも競合の状況や先行優位の状況、それは例えば2チャンの存在とかケータイの普及度合いとかいろいろな要素が複雑に絡み合っている結果なのだろう。その分析は私の手にあまる。シンプルに説明できそうもないので海外との比較分析はやめておこう。



もうひとつ、Facebookに対して私の立ち位置が微妙になる要因がソーシャルなサービスに対する期待感だ。ネット上での人のつながりは、これからも広がってゆくであろうし、これまでとは変ってゆくだろうという予感がある。それはこのブログのテーマでもあります。だがFacebookがその大きな変化をリードする存在であるかどうか。その点について、私はネガティブなんだな。

けれども可能性は感じている。Facebookのオープンなところに可能性を感じる。ブログやTwitterとリンクして様々な情報を一覧表示するそのオープン性。

ネットの様々なサービスを利用し、あちらこちらに拡散した私の書き込み。私の思念のかけら。それらの断片を、私という軸で統合できるなら。それは「私」に関する情報の統合として、これまでにないサービスでありうる。例えば、他人のブログに書き込んだ私のコメントのような。ネットの海に拡散した私の痕跡を再統合するようなサービスであれば。



そのことについては、過去にこんなことを書いている。

「私」の情報を統合する



私は自分の過去についてのこだわりが強いのだろうか。自分が過去に何を見聞きし、何を感じたのかについて、記録を残したいという願望が、私は強いのだろうか。

自分の情報を統合するサービスとなるのであれば、Facebookにはこれまでにない可能性があるようにも思うのだ。





関連記事

[お題]Facebookは流行すると思いますか?その1

[お題]Facebookは流行すると思いますか?その1.5

[お題]Facebookは流行すると思いますか?その2







[お題]Facebookは流行すると思いますか?その1.5 (BN)

2011年02月21日 00時02分05秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月21日掲載


Facebookその2の原稿を書いていたのですが、たった今みたNスペで放送された、チュニジアとエジプトの変革がFacebookをきっかけに起こったという内容の「独裁政権vs若者たち 中東ネット革命の真実・攻防の舞台裏」という番組が衝撃的だったので、その話題を。



チュニジアもエジプトも、根本的な原因は民衆の不満にある。若者に職がないという、経済的な失敗が大元ではないのか。食えないということは最大の不満だろう。それに追い討ちをかけたのが、役人や警官によるワイロということか。

確かにインターネットはデモの口火を切ることになった。情報共有のツールが人々の行動を促した。人々の背中を押した。行動に向けて押し出した。

全ての発端は、チュニジアで焼身自殺したひとりの若者。ストリートの屋台で果物を売っていた時に、ワイロを求める警官に、商売道具を没収されたことに始まる。

エジプトでの変革を引っ張った若者を突き動かしたのは、国営企業の車により自分の弟がひき殺された事件。それが闇に葬られたことへの怒り。これは変革の遠因だろう。

正義の通らない事件。それがきっかけ。いずれにしても、政府に対する民衆の不満が変革を引き起こした。それは間違いないだろう。

Facebookはその引き金となった。そういうことだと思う。ツールだ。圧政を敷く政府の元ではマスメディアは政府に統制されている。政府に都合の悪い情報はテレビにも新聞にものらない。チュニジアの焼身自殺も新聞にはのらなかった。

マスメディアという、従来の情報ルートとは全く別に、個人でも不特定多数に向けて情報発信ができる。それがインターネットの特徴だ。その点が、この変革に活かされたということだろう。それがポイントだ。

エジプトでは政府の秘密警察が反体制派を装い、Facebookに紛れ込んで、偽の情報を流したり、デモ扇動者のパスワードを盗んでそのアカウント消したりという反攻を試みたという。アカウントを消されたユーザはすぐに新たなアカウントを獲得したというが。業を煮やしたエジプト政府は、国内4社のISPに圧力をかけ、インターネット接続そのものを切断した。しかしそれでもデモは止まらず、さらにはアノニマスという名のインターナショナルなハッカー集団がエジプト政府のサーバーに対してシステムダウンと機密情報抜き取りの攻撃を受け、たまらず降参、インターネットへの接続を再開したんだそうな。アノニマスという集団の正体は知られていないと言う。それが果たして正義なのかどうかもわからない。なにしろその手段はテロと変わらない。正義か邪悪か、判別が難しい境界線上の存在だ。両義的と言ってもいいかもしれない。

とはいえ。民衆の民意が、政治の変革をもたらしたという点に、私は強い感銘を受けた。ただし無血革命ではない。デモをした民衆にはけが人も死者もいる。デモ制圧に当たった警官側にも犠牲者はいることだろう。しかしそれでも、これだけの変革にしては、犠牲者は最小限ですんだといえるだろう。いずれにしても変革は現実化したのだ。



しかし私はこれを「ネット革命」と呼ぶことに対しては、2つの点で違和感を覚える。ひとつは、この変革において、ネットは原因ではなく、トリガーでありツールであったということ。

もうひとつは、この動きが単純に政権打倒を目指したものであり、目指すべき理想を持っていなかったということ。政権を変えることは求めていたが、どんな社会を創りたいのか、ゴールが定まっていなかったということだ。極論すれば、不満だけがあったということだ。

結果として現在、両国は混乱の中にあり、今後の行方については予断を許さない。誰がどのように政権を握るのか。政権打倒の一点については一致した民衆は、現在、様々なグループに分裂している。様々な利害が対立し、民衆はバラバラになっている。エジプトのデモにはムスリム同胞団というイスラム原理主義の団体も参加していた。国を今一度ひとつにまとめることは大変なことだ。国をゼロから創り直すに等しい。

この混乱の先を定める方向性をあらかじめ持っていなかったことが、この動きを革命と呼ぶことをためらわせる。この混乱の中から、安定を見つけることは、壊すこと以上に大変なことだ。共通の敵を前に団結した民衆は、その敵を消した後で共通の目標を失った。ここから先はカオス。カオスは周辺諸国に広がっている。混沌は国境を越え拡大している。

だが、それでもこれはよい流れだと私は思う。この混乱の中から、国をまとめる共通目標を見つけ出す必要が彼らにはある。それは国を創るために必要なプロセスであろう。或いは国を再生するための。困難だが、それは必要なことなのだ。よい国を創ることは、簡単なことはないのだ。だが、それはやらねばならないこと。そしてそれはやる価値があることだ。



インターネットは情報の共有を促し、世の中をフラット化し、そして自由を目指す。そんなに単純な話ではないが、しかし、単純化するならばネットは自由の方向に向かう。それが、今、世界を動かしている力なのだ。



そして、その過程として、世界は混乱に向かう。人類はこの試練を乗り越えられるだろうか。叡智が試される。





その叡智は、マレーシアのマラッカにはある。ポルトガル、オランダ、イギリス、日本による占領支配を経て、様々な人種が入り混じり、様々な宗教が入り混じった小さな国際社会。インド系や中国系も含め、様々な人種が入り混じったハイブリッドな社会。異なる価値観が混在し、平和共存している社会。自分と信条の異なる者を尊重する社会。微妙な距離感を保ちながら、相互に普通に交流している社会。我らが目指すべきは、異なるものを受け入れる社会。そんな社会は、しかし、意外に身近なところに存在している。




[お題]Facebookは流行すると思いますか?その1 (BN)

2011年02月20日 08時05分01秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月20日掲載


[お題]Facebookは流行すると思いますか? ~Windowsラブなただの主婦~ by 加藤和江 より引用

*************************引用開始*************************

書籍発売、映画公開、「いいね!」ボタン、ファンページ、雑誌での特集など
Facebook の露出が増えています。
そこでブロガーズ・ネットワーク翼のブロガー様たちに[お題]です♪

「Facebook は流行すると思いますか?」

根拠のあるなしに関わらず、ネタやボケのあるなしに関わらず
興味深いエントリーをお待ちしております♪

via windows.bloggers-network283.com

*************************引用終了*************************

お題の出題からだいぶ遅くなってしまいましたが、Facebookについて考えてみます。

ほかの方も書いていらっしゃいますが、かなり話題にはなっていますね。私自身は、ここのブロガーズネットワーク翼のつながりで、去年の11月にFacebookのアカウントをとって、一応、使っています。でもまだちょっとは触っているという程度で、積極的に利用してる訳ではありません。まだあまりよくわかっていない状況です。

よくわからずに言うのも何ですが、結論から先に言うと、日本ではそんなに広がらないんじゃないかな?という気がしています。

なぜかと言うと、Facebookはネットのヘビーユーザ向けのサービスのような気がするから。Twitterもそうだけど、Facebookの面白さってリアルタイムなコミュニケーション感覚にあるんじゃないかと思う。どっぷりはまってる人には面白いんだけど、そうでもない人にとってはそれ程でもないんじゃないか。

四六時中ネットに浸かっている人は、いろんなネタ(情報)を持っているんで、情報発信の量も多い。その情報をリンクすることについては、Facebookは有効に機能すると思う。人を介して。まさに人を通じた情報のフィルタリングの仕組みとしては有効だろうと思う。同じような興味関心を持つ人同士の間で、面白い情報を共有するという点において。この辺の機能というか役割は、Twitterとの共通点があるように思う。人を介して面白い情報が抽出され広がっていくという意味で、まさしくソーシャルなサービスであると言えるだろう。

けれども、Facebookのインターフェースというかサイトデザインは、かなりTwitterと似ている気がして、リアルタイム性が強調されている。たくさんのネタ(トピックというか)が、ひとつの画面に一覧表示される。これに比べると、MySpaceやmixiなどの他のSNSの画面はスタティック(静的)な印象を受ける。

で、このFacebookの画面は、かなり情報量が多い。Facebook上の友人のネットでの発信が、コメントやらTwitterやらブログやら、いろんなサービスでの発信状況が表示されるため、その情報量はかなりのものになる。日常的にアクセスしていないと、吸収しきれないくらいの量になるのだ。この情報量の多さが、私が日本国内ではFacebookがそれ程には広がらないだろうと考える理由。ヘビーユーザにしか定着しないだろうと考える理由です。

なにしろ、今は情報が多過ぎる。メールもあれば、ネットにもいろんな情報が溢れている。Facebookに、どっぷりはまるだけの時間はない。どっぷりはまらなければ、Facebookは面白くならない。

自分で情報を探しにいかずに、Facebookで友人が薦めてくれる情報のみに触れる、という受身な使い方もあるかもしれない。Read Only Member、いわゆるROMに徹するという使い方。しかし、情報受信のためのツールとしてでもやはり情報量が多過ぎるように感じられるのです。

極めてざっくりとした感覚で、日本の中でのネットのヘビーユーザは、多くても、1,000万人くらいだろうと私は推測しています。老舗のmixi、後発のモバゲー、GREE、といった国内SNSサービスの会員が、いずれも2,000万人程度であること。これを単純に足すと6,000万人になる訳ですが、実感としてはとてもそんなにいるはずがない。これは重複して会員登録しているに違いない。ネットのヘビーユーザは、あれこれいろんなサービスを試すだろうから、ほとんどが重複じゃないかと思っている。モバゲーとGREEはオンラインゲーム中心だから、重複登録によるユーザのデメリットはほとんどないだろう。

若い世代、いわゆるデジタルネイティブの動向については、個人的に想像しがたいところがあるんだけれど、それでもひとつのサービスに固執する理由は見当たらない。

mixiの会員数が、1,000万人を超えたあたりから増加するテンポがやや落ちたような印象があるので、ヘビーユーザ数1,000万人仮説は、そのあたりの感覚です。当然、登録はしていてもほとんどアクセスしていないような幽霊会員も相当数いるはずなので。



と、いう訳でFacebookは日本ではそれ程伸びないのではないかと考えている私ですが、国内でのSNSマーケットがそんなに大きくはないんじゃないかということを、Facebookが日本語化された2008年のブログでも書いていました。ここら辺の考え方については変わっていませんね、ワタクシ。進化がない(汗)

Facebook日本語版はmixiに勝てるか? 2008/05/25



2010年9月の話だが、モバゲーのユーザは98%が30代以下なのだそうだ。40から上の世代はほとんど利用していないことになる。mixiでも88%が30代以下だ(mixi 2010年度第3四半期(2010年10月~12月)決算説明資料28ページより)。人口構成的に大きなボリュームを占める中高年層がごっそり抜けている。Facebookがこの中高年層に食い込めたらかなり面白いことになるが、そんなことにはなりそうもないと思う。去年9月のSNSについて書いた下記ブログでもFacebookについて軽く触れているが、引用したオルタナティブ ブログからの言及であってそれ程重視はしていなかった。

2010年9月に書いたmixi、モバゲー、GREEのSNSサービスについての投稿↓

ビジネスとしてのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス) 2010/09/20



ちなみに、上記投稿の中で、去年9月頃の国内のFacebookユーザ数を450万人としているが、 週刊ダイヤモンド2011年1月29日号によると、日本のFacebookユーザは185万人らしい。減ってる???これは、去年の投稿で引用した、"In the looop"というオルタナティブ ブログの記事にあった国内Facebookユーザ数が、コムスコア社調査による月次ユニークユーザ数を参照したため。Facebookは利用にあたっては基本的にはログインが必要なのだが、簡易なユーザプロフィールやファンページのサイトはログインしなくても閲覧できる。登録会員以外の人も見るので、外部からのアクセス調査(今回はコムスコア)ではユーザ数が大きくでるのだと想像する。まあ、それにしても数字の乖離は大きいな。ネットのユーザ数に関する数字はあまり当てにならないというか、まあ、これくらいの精度だというか。

Facebookのユーザ数については、国別のユーザ数を紹介するsocial bakersというサイトがあって(毎日アップデートしてるらしい)、ここによると2011年2月20日現在の日本のユーザは、2,436,540人だそうだ。ユーザ数で世界で46番目。この一ヶ月で58万人増えている。約24%増である。週刊ダイヤモンド誌の記事とほぼ一致するな。もっともらしい数字ということかね。

Facebook Statistics by country  social bakers.com

List of countries on Facebook

ちなみに、2010年7月発表の総務省の調査「ブログ・SNSの経済効果の推計」によると、2009年1月末時点のブログ登録者数は、約2,695万人。SNS会員数は、約7,134万人だそうです(5、6ページ)。これはどう考えてもSNSの会員は重複してますよねぇ。問題はどれくらい重複しているか、だけど、ほとんどそうじゃないかというのが私の推論です。



ソフトバンクが1兆円の借金を借り換え (BN)

2011年02月19日 07時08分00秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月19日掲載


5年前にボーダフォンから携帯電話事業を買収した際に、1兆を越える多額の負債を抱えたソフトバンクが、金利負担の軽減等を目的として、この秋にも1兆円規模の借金の借り換えを計画しているそうです。



ブルームバーグのサイトに掲載されていたニュース↓

【クレジット市場】ソフバンク1兆円借り換えへ-信用力回復追い風に



iPhoneの好調によって、ソフトバンクの借金返済能力に対する信用が高まっているということが背景にあるようです。2010年3月時点で、ソフトバンクの営業キャッシュフローは6681億円にも上るそうです。

記事によると、やはりその要因はiPhone。

「ドコモやKDDIがすぐキャッチアップしたら財務改善も難しかったが、彼らは巨大企業ゆえ動きが鈍かった」と、書かれている。

親会社であるソフトバンクと、携帯事業を営むソフトバンクモバイルとの関係が借金についてよくわからないのですが。



日経トレンディの2011年3月号が、「アップルvsグーグル」特集記事の中で、スマートフォンの性能比較の一環で国内通信キャリアの通信速度比較がでていました。それによるとこんな感じ。



場所    ドコモ     au      ソフトバンク   iPhone

六本木  1.36Mbps   1.34Mbps   0.54Mbps   0.85Mbps

東京    1.55Mbps   0.90Mbps   0.35Mbps   1.07Mbps

新宿    1.42Mbps   0.95Mbps   0.31Mbps   0.85Mbps

なんば  1.60Mbps   1.09Mbps   0.68Mbps   0.24Mbps

梅田    0.93Mbps   1.60Mbps   1.09Mbps   0.18Mbps

新大阪   0.80Mbps   1.85Mbps   0.93Mbps   0.16Mbps



ソフトバンクモバイルは明確にしていないが、iPhoneとそれ以外の機種では通信速度について異なる制御を行っている可能性が高いとのことだ。このデータを見れば明らかだと思うが。大阪のアイポンユーザはかわいそうだねこれ。 都内とのこの差はなんだろ一体?

電波状況の改善には努力していると孫正義社長は言ってますけどどうよ。



ところで、先程テレビで、大学生協による今時の大学生の生活費調査の結果をやっていた。住居費を除く生活費は、6万3千円くらいで、実に30年前の大学生と同水準なのだそうだ。意外につつましい今時大学生の現実。まあ、親の収入も上がっていないし、その一方で大学進学率は4割超えてるし。平均値をとるとそうなるらしい。

バス代惜しんで歩いたり、お昼はご飯持参でおかずだけ食堂で買って210円ですませてたり、いろいろ大変そうだ。ニンテンドーDSで家計簿つけてる男子学生の映像とか流してた。なんか、健気だ。スマホに興味あるけどケータイは5年間同じの使っていると語っていた。

就職氷河期のこともあるし、世代間所得格差は思った以上に大きいかも。大学生にもっとアルバイトの機会を与えてあげりゃいいんじゃないかな。日本は人件費高いとか言ってるけどバイトは安いだろうに。いろいろアンバランスだな日本は。均質がよいという訳ぢゃないけど。

若いうちからおカネのやりくりして工夫して生活してる大学生は案外頼もしいかもしれないよ。テレビで紹介されてた学生君も、普段は節約して生活してるけど、彼女とのデート費用は別、とか言ってるし。



閑話休題。

そういえば、ソフトバンクは通信キャリアとして、ADSLや日本テレコム買収による固定通信サービスも提供している訳だがそっちの収支はどうなっているんでしょうね。孫正義社長自身が光の道に関するプレゼンで指摘していたように、通信設備の維持メンテコストもそれなりにかかっているのだと思いますが。


部分と全体

2011年02月16日 01時52分19秒 | Weblog
手塚治虫の「火の鳥」というマンガの中に、こんな描写がある。人の身体は、脳や内臓など、様々な臓器からできており、それらの臓器は、細胞からできており、細胞はタンパク質から、タンパク質は分子、分子は原子、原子は陽子と中性子などの素粒子からできており、更に素粒子は小さな要素に分解され・・・・

これがミクロな視点。そしてマクロに視点を移していくと・・・

人が動き回る大地。地球という名の惑星。そして地球を取り巻く太陽系というシステム。更に太陽系を取り囲む銀河系。銀河系を取り囲む局部銀河群、それを取り巻く銀河団、更にそれを包む大宇宙・・・・・


ミクロへそしてマクロへと連なる部分と全体の関係。多層的に折り重なる秩序。系。システム。相。つながり。相関関係。階層関係。


それと同じような概念が、士郎正宗の「攻殻機動隊」というマンガにでてくる。
超高機能なサイボーグである「草薙素子」と、プログラムとして創られ成長を続けるうち生命にも似たゴーストを獲得したと主張する、依り代を持たぬさまよえるプログラムもしくは人工知性である「人形使い」との会話シーンである。No.11 GHOST COAST より

01010101010101010101010101010引用開始01010101010101010101010101010


あるネットが破局を避け 安定した平衡状態を保つ為にはどうする?

二つの方法があるわ

一つは二種のコピーをとる事

一方・一種が何らかの要因で滅んだとしても他方が存続するわ

もう一つは 自己内部を分業 細分化し 様々なタイプの破局に対応できる様に多機能化すること・・・

生物が単機能単細胞から 多機能多細胞化した様にね・・・

コピーが更にコピーを生み 増えれば増える程 破局の可能性は低くなる・・・

やがてパラレルな多重宇宙像をつくる・・・

SGUTからボソンとフェルミオン・・・

重力や強い相互作用などが次々分かれ 部品は陽子を 原子核は原子をつくり・・・

生物固体における細胞や組織・・・
生態系における多様な種・・・

我々の知る宇宙は 2n! の内の1ツで
2m! 種の要素の組み合わせで構成されている・・・

n や m の値は 無限に続く様にも見えるが判らない・・・
宇宙の爆発的連鎖誕生とも関連がある様だが

我々を含むこの宇宙1ツに話を限定しよう



これは君を中心に考えた構造ピラミッド

系統の近い同じ9課の部員や友人 上司には 君の情報が極めて部分的ではあるが残される・・・

遺伝子(ジーン)や模倣子(ミーム)は君が消えた跡も成長を続ける・・・ドーナツ状にね

上へ行く程 レベルは巨視化し 決定論的にふるまう・・・

逆に下は微細構造に行く程 非決定論的になる・・・(個人というレベルはまだ非決定論的)

言い換えれば 下の階層のゆらぎが 上の階層の動脈硬化を防いでいるわけだ・・・

システムの硬化・・・

熱的死は 一見 安定の概念に近い様だが
『変化に乏しく一様でゆらがないシステム』は
破局の可能性が増大し
真には不安定といえる

(中略)

カバラの奥義
北欧神話
中国神話
エデンの知恵の木
生命樹 世界樹・・・
この場合は天御柱(あめのみはしら)という名が適している

時代 文化 人種を問わず多くのチャネラーが
アクセスし 語りついできた宇宙のシステムだよ


01010101010101010101010101010引用終了01010101010101010101010101010

 

この話題に関連する過去記事

全体を考える『ホロン革命』(CJ) 2009年01月02日

身体感覚 2010年5月30日

シングルタスク型の人間とマルチタスク型の人間 (BN) 2010年8月19日


このままでは国が滅びかねない アレックス社長辻野晃一郎

2011年02月15日 21時03分57秒 | Weblog
日本という国を、つくりなおさないとこのままでは危ない。元グーグル日本法人社長(昨春退社)で現アレックス社長の辻野晃一郎氏がインタビューでそのような主旨の発言をしている。既に何度も言われているような話しではあるが、その言葉にはやはり力がこもっている。その言葉を、雑誌記事より引用する。



日経トレンディ 2011年3月号 P.11 編集長インタビューvol.30 アレックス社長 辻野晃一郎氏
ネット時代の企業戦略 「新しい“系”を提示して日本復活を」
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――― ソニー、グーグルでの体験に基づいた著書『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』は、日本企業の問題点を指摘する刺激的な内容だ。執筆の原動力は?

辻野:一番大きいのは危機意識。06年にソニーを退社したとき、すでに日本の家電業界に対する危機意識はあった。その後グーグルで3年余り働くうちに、日本全体に対する危機意識が高まった。このままでは日本の国際的な競争力は低下し、存在感が薄れていくばかりだ。そこで自分の体験を通じて、この国を良くする方法を提言したいと思った。

――― 今、日本の企業が直面している危機的な状況とは?

辻野:日本はクルマでも家電でも、もの作りで世界をリードしてきた。しかし、今は従来の枠組みから脱皮して、全体の“系”を再定義する時代に入っている。すでにハード、ソフトと単純に分けられる時代ではないし、テレビ、パソコン、モバイルなどの連携も進んでいる。これからは、すべての情報をネットの向こうに側に預けておく、クラウドコンピューティングが主流になるのも明らかだ。そんな時代に適した新しいシステムを、もう一度つくり直さなければならないのだが、日本のメーカーは遅れを取っている。このまま放っておくと、国が滅びかねない。

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時代は歴史的スケールでの大きな転換点を迎えている。そうした認識に立った強烈な危機感であろうと思われる。インターネットのBeforeとAfterでは、状況が徹底的に違うのだ。2000年頃、日本では[インターネット革命」といった言葉がマスコミによってさんざんもてはやされた。その後のITバブル崩壊によって、そんなものは幻想であり、単なるマスコミの空騒ぎだったことにされてしまっているのか。それから10年あまりたって、世間ではそんな騒ぎはすっかり忘れ去ってしまっているのだろうか。さうして今、Twitterだ、Facebookだと騒いでいるのか?

それは違う。それは徹底的に間違っている。「インターネット革命」とは、まだ始まったばかりなのだ。そしてその力は今もこの世界を変え続けている。チュニジアやエジプトでその力が表われ始めている。情報のオープン化、共有化の流れは、その力を強めながら深く静かに進行している。未だ始まったばかりのその革命によって、世の中はこの先もまだまだ変わってゆくはずだ。

世の中の様々なデータが入力され、集められ、データベース化され、コンピュータ処理される。人と人との関係も、ケータイとネットによって、これから先もその姿を変えていくだろう。

何度でも言う。「革命」は、まだ始まったばかりなのだ。




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――― 新しい概念の提示に成功した例には、どのようなものがあるか。

辻野:「アップルTV」や、グーグルの携帯端末用OSアンドロイドを活用した「グーグルTV」が好例だ。これらは、テレビを「受像機」とする今までの概念をはるかに超えて、放送とクラウドが融合するなかで、自分の欲しい情報にアクセスするための装置として開発されている。ここ数年を振り返っても、テレビやモバイルの連携に挑戦して、ビジネスとして最初に成功させたのは、残念ながらソニーではなく、アップルだった。クルマの世界でも、電気自動車を開発している米国のテスラ・モーターズは、IT系の人たちが立ち上げた。グーグルも、GPSを活用した無人走行車を開発している。要は家電やクルマの再定義をしているのは、米国のIT系の人たちが中心。日本のメーカーは、ハードウエアを作るだけの下請けになってしまう。

――― 「再定義の時代」に日本の企業が勝つ方法は?

辻野:一にも二にも、意思決定と行動のスピードだ。今は走りながら考える時代。日本のメーカーの完璧主義は評価に値するものだが、完成度にこだわりすぎて開発が遅れては意味がない。製品によっては、あるレベルまで作ったら、なるべく早く世の中に出し、その後は、利用者の声を聞きながら品質を改善していくほうが効率的だ。インターネットの本質は、ウィズダム・オブ・クラウド(群衆の英知)。人の知恵を無尽蔵に集められるネットの威力を、商品開発でも使いこなす発想が重要だ。

――― その手法は、拙速な商品開発につながる恐れはないか。

辻野:その意味では、日本の優れた部分を残しながら、ネットの時代に追随していくことが課題と見ている。私自身、もともともの作りの人間なので、頑固一徹にいいものを作り出すことは素晴しいと思う。だが日本が世界でリーダーシップを発揮するためには、オンライン時代のビジネスで勝たなければいけない。

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日本の住民は、自らの考え方を改め、根本からつくり直さなければいけないだろうと私も思う。変化に対する考え方を改めなければ。「変わりたくない」なんて寝言いってるばわいヂャないのだ。変わらなければ、このままでは日本は三流どころか四流、五流に成り下がる。マスコミの煽り言葉ではすまされない、真の下流社会を引き招いてしまう。社会も、政治も、経済も、価値観も、この変化の時代に合わせていかなければ、世界から取り残される。世界のルールから。経済は、既に世界の動きとつながっているため、日本だけが独自の道を勝手に歩んでいくことなど不可能だ。今更、鎖国なんてできるはずがない。

世界がこんなにも速いスピードで変わっているのに、自分だけ変わらずにいることは許されない。適者生存。自然淘汰。
 
 
 
 
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――― 昨年、ご自身でも創業された。

辻野:こんな面白い時代に一つの生き方にしがみついているのはもったいない。今の会社では、コンテンツ、ガジェット、ファッションなど、日本のクールなものを、クラウドを活用して世界に売り込んでいく。2011年はまだ変革の入り口にすぎない。未知の領域を開拓する決意が、多くの日本人に求められている。

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だがそれにしても、「こんな面白い時代にひとつの生き方にしがみつくのはもったいない」とか、さらっと言えちゃうあたりがこの社長が時代に適応していることを示しているんだろうな。
 
 

[お題]「就職活動中の学生のみなさんへ」―通過点ととらえよ (BN)

2011年02月15日 10時36分54秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月15日掲載


このお題、いいテーマですね。他の皆さんの書かれているエントリーを読んで、なるほど、といろいろ考えさせられました。

このテーマは、様々な社会の矛盾や問題を内包している。年功序列や終身雇用による雇用の過剰、世代間格差、少子高齢化による人口構成のアンバランス、労働の流動性、ゆとり教育はじめ教育問題、競争原理、資本主義の原理、現存する学歴社会、情報の非対称性、マニュアル至上主義、ネットによる情報のコピーと拡散、小手先のテクニック、男女の平等不平等、ランキング至上主義的風潮、価値観の多様性喪失、横並び意識、評価基準の外在化=主体性の希薄化などなど。



で、以下、私小説風、私の就職体験記。時代ははるか昔。

A long time ago, in a galaxy far, far away.....



私の場合は、就職活動、あんまり熱心にやった方ではありません。活動量的にも、質の点でもね。その頃の私は就職したくなかった。会社人にはなりたくなかった。仕事なんてしたくなかった。サラリーマンにはなりたくなかった。だから、熱心にはなれなかったんですよ。

だからといって、親のすねをこれ以上かじるわけにもいかず。いやいやというか、渋々というか、会社説明会とか行きました。そんな訳で、会社に入る前から、イヤになったらやめればいいやと思っていた。永久就職するわけじゃないから、と、自分に言い聞かせていた。

できればね、会社に就職なんてしないで、独立して食っていけたらいいなと思っていましたよ。当時は、小説家とか、文章書いて食っていけたら理想。そう思っていた。でもそのための準備なんて、何にもしてなかったからねぇ。コネもなければ、実績もない。雑誌に投稿したりもなかった。というか、それ以前にそもそも小説なんて書いたこともなかった。

詩は書いたことあったけど、当時ですら詩人として食ってくなんてことは全く考えなかったね。詩集で売れた本なんて聞いたこともなかったんで、それじゃあ食えないと思ってた。

で、小説なら当たれば食えると考えた訳だけど、さすがの能天気な私も、自分で実際に書いたこともない小説で食える訳がないくらいはわかってた。それにムチャクチャな卒論を書いてみて、自分の文章には構成力というもんがないことも薄々自覚してたし。

まだ、インターネットなんてもんは世間に影も形もない時代。卒論だって手書きだった。(遠い目) 当時、もしネットがあれば、ブログで小説書いてたかなぁ?←たらればの話しだ。当時には当時なりのやり方はあったのだ。それなのに何もしていなかったのが動かしがたい事実。

そんな訳で、ふらふら就活していた私だが、いくつか幸運もあって今の会社に入った。

入ってからは、自分なりに努力はした。と、思う。出世欲はなかったが、給料もらってる以上は人並みには仕事しなきゃと思っていた。自分なりにベストを尽くしたかどうか。それが自分の仕事に対する基準だった。上司も含め、人からの評価は気にならなかった。でもお客さんからの評価は気になったな。お客さんからダメ出し食らったら、自分なりの満足なんて何の意味もないと思ったから。

それから長い時間、働いてきた。反省はあるが、後悔はない。かなりの部分でその時その時のベストは尽くしてきたと思う。運もあったし不運もあった。仕事というのは自分の能力や実力が全てではない。周囲のメンバー次第のところもあるし、上司のアタリハズレだってある。お客さんによるアタリハズレもデカイよ実際。他社の動きに振り回されることもある。経済状況の影響も。いろいろひっくるめてタイミングってのが大きくものをいったりもする。つまりは仕事には自分のコントロール外の要素が多~っくさんあるってこと。努力じゃどうにもならないこともあるんだ。いいことも悪いことも。

だから、就職活動中の学生のみなさんへ伝えたいこと。それは、人生の一通過点に過ぎないってこと。就職がうまくいくか、いかないか、それは自分の努力以外の要素も一杯あるってことだ。そして、それはやってみなければわからない。やってみることだ。やってみて初めて自分の身体でわかることだ。

会社は学校とは全く違う。全然違う。営利組織だから。あ、学校もある意味では営利組織かな?でも学校にとって学生はお客さんだからね。お客さんの側から、お客に奉仕する側に、立場が逆転するって訳だ。アルバイトとは近いものがあると思うけど、でも働く時間ははるかに長いから。違いは感じると思う。だから、その変化への覚悟は必要。自立のためだから。自立のための従属という矛盾はある。それは誰もが抱えている。

そして世の中が変わるように、会社だって変わる。社長が変わるかもしれないし、上司が変わるかもしれないし、お客さんが変わるかもしれない。自分だって変わる。変わることを恐れちゃいけない。それに自分に変えられるものだってあるはずだ。会社って、組織だから。人の集合だから。人間同士の関係なんだから、変えようと思えば変えられるものはある。ちょっとずつね。信頼関係ができれば変わる。変えられる。

自分にとって、ベストな会社を選ぼうとかは思わないほうがいい。そんなの自分でわかる訳がないし。そもそもやってみないとわからないし。繰り返すけど、自分でコントロールできない要素が一杯あるし。

で、仕事を続けてると、仕事を通じて自分が成長してきたんだってことがわかる。キャパシティが広がるっていうかね。幅が広がるっていうか。一所懸命やったことってーのは何かしら自分の身につくもんだよ。肥やしになるんだよ確かに。努力は自分を裏切らないよ。

だから、会社選びの選択肢は広くとった方がいい。大企業に限定しちゃダメだよ。このタイミングで社会人になり損ねるのはリスクがでかいと思うよ。どんな仕事でも、しないよりはマシだと思うよ。じゃないと、後が余計大変になると思う。会社に入るということは、確かに可能性を限定することではあるけれど。でもそれは人生の通過点だ。可能性が閉じるわけじゃない。限定したその先にも、さらにさらに可能性は枝分かれしていくものだ。どんな選択をしたとしても、その先にはチャンスはある。どんな選択をしたとしてもその先にはリスクがある。どう転ぶかは、その時その時の選択次第なんだ。

そう、人生は選択の連続で、就活とはその通過点に過ぎないんだ。その選択を生かすも殺すも自分次第なんだよ。





なんだか、えらく「上から目線」な文章で、自分でもこっ恥ずかしいな、コレ。




消費は善か悪か? (BN)

2011年02月14日 21時08分25秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月14日掲載


強欲なのか、資本主義の論理 ~それでも開発は続くよ by 草木生 より引用

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電通の戦略十訓

1970年代に電通PRセンターが提唱していた「戦略十訓」らしい
もっと使わせろ
捨てさせろ
無駄使いさせろ
季節を忘れさせろ
贈り物をさせろ
組み合わせで買わせろ
きっかけを投じろ
流行遅れにさせろ
気安く買わせろ
混乱をつくり出せ

いやぁ、どこの会社もそのままでっせ

あ、これが経済政策の基本かw

via soumokushow.bloggers-network283.com

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理屈はよくわかんないけど、経済ってもんは転がり続けてないとうまくいかないもんだと思う。

経済の不況が続くとたいてい戦争につながる。国民の不満が溜まるとそのはけ口を戦争にもっていくってのが過去からの経験則。国の外に悪者をつくって、悪いのは全部そいつのせいにして感情エネルギーを憎悪に振り向けて、殺すか殺されるかという緊急事態をつくりだし、経済的には更にどん底を経験した上で、勝ったらそれなりの高揚感があってかつての不満はどこかに消えている。

戦争にならなかったとしても、国民の不満は政治体制の交代を呼び寄せる。国民の不満の団結は時に軍による制圧を上回ることがある。これも経験則。それも現在進行形の。まさに今、チュニジアやエジプトで我々が目撃している、革命という名の体制崩壊。

その結果は、変化であり、不安定な政治経済状況だ。よしあしは別にして安定していた体制を壊せばその結果は不安定な状態を生む。下手すりゃ内戦だ。ドロ沼の破壊と殺し合い。我々はイラクでそれも目撃した。そうならないように、崩壊後の不安定なカオス状態から再び安定をつくりだすのは、ある意味、国をもう一度つくるようなものだ。大変な努力とエネルギーとリーダーシップが必要な大仕事だ。体制打倒で一致し、それが実現した後はバラバラになった民意を、今度はポジティブなビジョンで統一しなければいけないからだ。ひるむべきではないが、結果の見えない大仕事である。



経済がうまくまわっていれば、そこまで不満が蓄積することはない。貧富の差の存在は、程度の差はあれどんな国にも存在する。ある程度の許容量はあるはずだ。金持ちの数が極わずかで、自分達とは関係のない世界だと感じているうちは。だがしかし。金持ちの数がある程度増えて、「知り合いの知り合いが金持ちだ」なんてことになってくると、嫉妬と羨望のルサンチマンの鎌首がもたげてくる。「どうしてあいつだけうまい思いをしてるんだ?」

不況を避けるためには消費が増えなければならないだろう。その意味では消費は善であろうと私なんかは思うのだ。金は天下のまわりもの。まわってる限りは世の中は安定するはず。まわらなくなると不安定化する。

無駄遣いはあっていいものだと思うのだ。生活必需品以外の支出を無駄と呼ぶならば。誰もが必需品しか買わなくなれば、そりゃ経済はまわらないよな。とか思う。無駄な消費はあっていい。ヲタク文化なんてその最たるものぢゃないか?

思うのだが、江戸時代の日本は長期にわたり、政治経済的には安定していて、様々な大衆文化が花開いた時期だと思う。浮世絵だとか赤本、芝居、歌舞伎、狂言、能、相撲、唄、茶道に華道、様々な芸能、文化が多様に発展した時期であったと。

そう、今現在の日本に残っている歴史伝統、風習、祭り、伝統料理などなどで、その歴史を辿ると江戸時代に行き着くというものが結構、多いはず。それより昔には辿れない。日本には確かに2千年の歴史があるけれども、それら歴史伝統の中で、現代日本の実際の根っこにあるのは江戸時代に生まれたものが多いのではないか。学者ではないので実証はできないが。単に一個人の感覚論である。

そして、現代日本がアニメやゲームで世界的にも支持されているコンテンツ産業の根っこにあるのは、これらの江戸時代の多様な文化ではないだろうかと夢想するのである。友情。義。信。忠。そういった価値観や感情の機微といったもの、そして映画マトリックスが模倣したクロサワ映画の美意識。そういったものの根っこが、江戸時代に大衆化した文化、芸能の多様性にあるんじゃないだろうか。

文化や芸術が大衆化していたという点で、江戸時代の日本というものは、相当に特異な都市だったのではないか。少なくとも当時は、蘭学などの一部を除いては、外国を真似するということが一切なかった。なにしろ鎖国だから。全てが日本独自だったわけだ。かなり特殊な300年だったのではないかな。

で、そういう生活必需品以外のところに一般ピーポーがカネを使っていたというところがすごいところではないかと思うわけですよ。国民の美意識が高かったということではないのかな。



美意識、大事にしようよ。ね?





岸田秀の公式サイトなるもの発見!

2011年02月10日 08時11分45秒 | Weblog
唯幻論の精神分析学者、岸田秀の公式サイトをみつけた。

http://www.kishidashu.com/

和光大学岸田研究室OB/OGの有志が運営してるとのこと。2010年10月開設らしく、まだあまりコンテンツなさそうだけど。最新のエントリーが2010年11月だったりもするけど。

掲示板とかあるけど、書き込みほとんどなかったりするけど。

でもな。唯幻論には共感してるワタクシ。人間は生物が本来もっているはずの生存のためのルールブックとしての本能が壊れている。そのため、本能に変わるルールブックとして文化という名のルールをつくり出し、それに従っている。そしてそのルールブックには根拠がない。それは恣意的なもの。幻想。根拠なきルール。しばり。妄想。その恣意性の考えは、ソシュールの言語論とも接点を持つ。

根拠なきルールブックは、限度なき欲望のもととなり、人間の暴走の原因。

つまりは人間のつくり出した文化や何かには根拠なんて何もないってこと。それはどこまでも限りなく自由であるってことでもある。

ロボット工学 石黒浩の思い (BN)

2011年02月04日 02時53分56秒 | ブロガーズネットワーク翼■ネットの未来記
ネットの未来記@ブロガーズネットワーク翼 2011年2月4日掲載



大阪大学工学研究科教授 石黒浩氏。

自分にそっくりなロボット「ジェミノイド」を創った研究者。

Robot Looks Like Inventor YouTubeより

研究者自身のコピーロボット「ジェミノイド」公開



有名な研究者のようです。どこか、マッドサイエンティストな雰囲気。でも、この人の言葉は重い。

Tech総研のサイトのインタビュー「自分そっくりのコピーロボットで世界を仰天させたアンドロイド開発者・石黒浩」から引用します。



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世の中で不思議なことは主に2つだと僕は思っています。ひとつは、物事の起源は何か。電子や分子の世界ですね。そしてもうひとつが、人間とは何か、です。こちらは人文系や認知科学の分野です。僕が興味をもったのは、後者。


大事なことは根本的な問題です。世の中の不思議のひとつ「人間とは何か」です。


人間とはいかに複雑なものか。


研究なんて狙ってできるものじゃないんです。それこそノイローゼになるくらいに考えて、アイデアはようやく出る。僕は1年半、何のアイデアも出ませんでした。ところが、ある日突然、こんなふうに考えればいいんだとパッと浮かんで。苦しかった。いろいろ情報を集めて、必死で考え抜いて。でも、だから人と違ったことができるわけです。普通の努力で出てくるわけがない。努力がなければもちろんダメだけど、ただ単純に努力してもダメです。世の中の商品を作るのも、同じじゃないですか。こうすれば結果が出る、努力すれば報われる、というのは、すでに誰かが答えを知っている話を指示どおりにやっている場合に限ってのこと。そうじゃない挑戦をするからこそ、成功すれば大きな果実があるわけです。



新しい分野を生み出していくには、基本問題、根本問題に立ち返って考えることが大事になる。そのひとつが「人間とは何か」なんです。



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人間とは何かを知るためにロボットをつくる。



そう。人間とは、案外と複雑なモノである。