夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

進むべき道 目指すべき未来 (CJ)

2008年05月31日 15時00分07秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
失われた未来。

今から10年と少し前、Windows95とISDNによるダイヤルアップでのインターネットが普及に向けて動き始めた頃、インターネットは世の中を変える新しい技術として一部の期待を集めていた。そうした動きを表す当時のはやり言葉は「マルチメディア」だった。

情報通信に関する流行語はそれから「IT」、「ブロードバンド」、「モバイルの時代」と移り変わり、今にいたる。

この間、アップルやマイクロソフト、インテルといった会社がパソコンの性能向上に力を注ぎ、パソコンは文書作成や年賀状印刷(笑)、計算のための機械から音楽や写真、映像を扱う能力を身につけ、インターネットを通じてコミュニケーションのためのツールへと進化してきた。

今、インターネットは当たり前のものとして普及し、私達は日々の生活の中で当たり前のようにその恩恵を受けつつ暮らしている。ネットやケータイのない生活は考えられないという人も多いことだろう。

そして今、私達はこれから先、向かうべき未来を見失っている。どこへ向かうべきか目標を失っている。

「ユビキタス」。いつでもどこでもネットにつながる環境。しかしそれは完全ではないにしても、ケータイによって既に半ば実現されている。

それは目指すべき未来ではなく、すでに姿を現しつつある現実である。

これから10年先を魅力ある未来として表現する言葉を私たちは持たない。

創り出すべきはこれから進むべき未来の見取り図。

共感できるような経営ビジョン (CJ)

2008年05月31日 05時40分45秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
経営者は自らのビジョンを社内に浸透させたいと考えます。組織の意識統一を図るために。組織を動かしていくうえで、共通の目標、共通のゴールを設定し、その浸透を図ることは、マネジメントの基本です。

しかし、今時の風潮は、経営理念のような抽象的な目標は、きれいごと過ぎてあまり受けない。ましてや経営哲学のような押しつけがましいものは時代的に好まれない。

今時の目標は、客観的に測定可能な数字目標であることが求められる。血の通わない、無味乾燥な数字目標に向かって皆が走らされている。(それがすべてカルロス・ゴーンのせいだとは思わないけれどね)

何のために走っているのか、走ることの意味が今、求められているのではないでしょうか。

共通の目標、未来図、というのはあるべき姿のイメージなんでしょうが、それが目標数字を達成してみんなで乾杯してる絵、なんていうんじゃ絵にならない。

数字に対しては共感なんて抱けません。

社員が共感できるような経営目標、経営ビジョンでなければ意味がない。共感できないビジョンなど、絵に描いた餅の典型でしょう。

あるべき姿のイメージとは、言い換えると「理想」、ということでしょうか。「理想」をきちんと描くことができていないことが多い、ということ?

みんなが目先のことばかり見ていて、理想が描けない世の中なのでしょうか。それは想像力の足りない世の中?

情報があふれていて、人々の関心が細分化されているこの時代(それはロングテール化が進んだ状態ともいえる)に、共感を生み出すことの難しさはこれまで以上にハードルが上がっているのかもしれません。

Facebook日本語版はmixiに勝てるか? (CJ)

2008年05月25日 22時10分43秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
Facebook日本語版はmixiに勝てるか
http://japan.cnet.com/panel/story/0,3800077799,20373472,00.htm

と、いうタイトルのパネルディスカッションがここCNET JAPANに載ってて、トラバしようと思ったんだけど、やり方がわからなかったんで、普通の記事として投稿します。

Facebook はやったことがないからわからないけど。SNSについては、もう日本ではmixi で十分なのではないかな。SNSってある意味、うっとうしい。なんかちょっと面倒くさい。時間食う。

mixi を楽しむためにはマメにアクセスして、マメに書き込みしてないと楽しくない。たまーにアクセスして、たまーに書き込みしてるんだったらブログで充分。 mixi はどっぷりはまって楽しむものだと思う。

その意味では、SNSにはまるようなマメな人はもう既にmixi に取り込まれているだろう。SNSの市場はそんなに大きくはないんじゃないかと思う。しゃべることと書くことと、両方が好きな人に限定された市場なんじゃないかな。誰かとコミュニケートしたいっていう欲望はきっとだれにでもあるんだと思うけど、ネットにこまめにアクセスして書き込みをするってのは、案外とハードルが高いんじゃないかと思う。

テキストを書くってのは、結構、頭使うし気も使う。ネットで書くと後々まで残るからね。

SNSもブログも長く続けるユーザはそんなに多くないんじゃないかって気がしてる。自分自身、このブログ書くのにとっても勇気がいるしね。つか、ネタの選び方に気を使ってる。なかなかのプレッシャーなんだよね、これが。

パソコン通信の時代からROMって言葉があったくらいで、自分から発信するってのはなかなかに大変なことなのだよ、諸君。

そーゆー意味でブログもSNSも1000万人くらいがマックスなんじゃないかな。

mixi がすでに1400万人押さえてるSNSの市場に、後発で乗り込むのはパねえことだと思うよ、マジ。それがたとえ、ヤフーだったとしても、だ。

Facebook がどんなにいいサービスだったとしても、もう限界に達した市場の中で、 ユーザを獲得するのは容易ではないだろう。mixi からユーザを奪う困難は言うに及ばずだ。

私が言いたいことは、要するにFacebook 云々ではなくして、SNSのマーケットは思いのほか小さいんじゃないかな、っつーこと。






自分の過去を検索する (CJ)

2008年05月25日 04時20分00秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


人はなぜブログを書くのでしょうか。

リアルな世界での友人とのコミュニケーションとして書く。それはわかりやすい例ですね。

みんなそうなの?

人はなぜ日記を書くのか。他人には決して見せない日記を書く人もいますね。それは、セラピーにはなります。自分のことを客観視する上で役に立つのかもしれない。

私の場合は、その時その時の自分の気持ちや考え、読んだ本や聴いた音楽、おもしろかった映画のことを記録として残しておきたい、という気持ちがあります。ひとことコメントによる読書感想文みたいなものでしょうか。

過ぎ去って二度と帰らない時間の流れを、その瞬間を何かの形でとどめておきたい。旅先での写真をアルバムに閉じ込めるような感じでしょうか。

人はなぜ旅先で写真を撮りたがるのでしょうか。

後になって、時間がたった後で過去を振り返って懐かしむため?

自分が読んだ本、観た映画、聴いたCD、それらの履歴を遡ることができたら。

それは自分の過去の体験を検索することになるのではないでしょうか。

刺激も情報量も多い現在、ふと自分の本棚を見て、こんな本読んでたんだ!とかCDラックの中から意外な発見をすることもある。忘れっぽくなってるんですよね。心動かされたり、感動した本やCDや映画についても、結構、すぐ忘れてる。

そういうものを思い出すきっかけになるのではないでしょうか。自分の過去の履歴を検索するということは。



そして、本や音楽や映画を鑑賞する時というのは、作者をキーとして捜すことが多い。好きな作者、好きな歌手、好きな俳優、好きな監督、そういうものをキーにして新しい体験を探すことが多い。自分の好みは自分の過去の体験からわかります。それは新しい体験を求める時の羅針盤として役立てることができるのではないでしょうか。

過去を振り返り、未来を探求する。

しあわせの秘訣 (CJ)

2008年05月17日 12時50分38秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


しあわせの秘訣。

それは自分は独りぼっちではないと知ることなのではないだろうか。

たとえどんなに孤独を感じていたとしても、その同じ瞬間に同じくらい孤独を感じている人はこの世の中にきっといる。

ひとは、自分が独りぼっちではないことを知ることで、随分と救われるのではないだろうか。

変な例えだが、スティーブン・スピルバーグの昔の映画、「未知との遭遇」という映画もやはり、この果てしなく広い宇宙の中で、人類は決して独りぼっちではない、というぼくたちは孤独じゃないんだっていうメッセージだったような気がする。

そして、自分と同じように感じている人を探すうえで、ネットはとても便利な代物だ。

ぼくたちは独りぼっちではない。

ネットはそんな僕たちをつないで、結びつけてくれる。



それはポジティブな面ばかりではなく、ネガティブなつながりも生み出してしまうものなんだけれども。

技術そのものはポジティブでもネガティブでもない。それを使う人の使い方次第なのだ。