夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

コミュニケーションにはまだこの先がある (CJ)

2009年12月31日 16時20分50秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
今年はTwitterが話題になりました。

今ではブログもたくさん書かれています。ブログ人口はどんどん増えている。

毎日毎日たくさんのブログにたくさんの言葉が書き記されています。

mixi にも、Twitter にもたくさんの言葉が連ねられている。

ネットの中には本当にたくさんの言葉が日々流れている。

これまでは直接あって交わされていた会話が、今ではテキストデータとしてネットの中を流れている。

従来は話し言葉として発せられるとともに消えていった言葉たちが、今はテキストとして残ります。

消えないテキストは、後から何度でも確かめることができる。

そして、これまでは話し言葉として1対1で、或いはせいぜい1対数人の間で交わされていた言葉は、今ではネットを介してひとりの言葉がたくさんの人に届けられる。多対多の間にたくさんのコミュニケーションが交わされている。

今まで以上にたくさんの言葉が、たくさんの人の間で交わされることによって、言葉の進化のスピードが速まるだろう。

オープンな場でたくさんの言葉が飛び交うことによって、きっと、これまでとは違う変化が起こると思う。

人間の精神というものは、関係性の結束点として存在するものであるので、ネットによって関係の量が拡大することにより言葉と精神がこれまでより先に進むのかもしれない。



もしかすると、人類の進化は、まだ、始まったばかりなのかもしれない。

コンピュータは、人類を次のステージに連れて行くためのジャンピングボードなのかもしれない。

人間はもっとネットワーク化されていくのがいい。オレ達の先はまだまだ長い。

心してゆくぞどこまでも


ブログのアクセス数について考えること

2009年12月31日 13時06分12秒 | Weblog
昨日のブログではたとえアクセスが少なくても自分のために書くんだ!みたいなことを書きましたが、そんな内容だったのに、160人位の方に訪問していただいて、約300ページビュー見ていただきました。本当にありがとうございます。うれしいです。

ブログを書いていると、ホント、このページビューってやつが励みになりますね。なんか、自分はひとりではないんだと感じられる瞬間というか。

そして音楽について書いてるブログの方も、昨日は300ページビュー見ていただきました。ここも更新してない時には1日あたり70~80なんですよね。ただ、ここではバンド名とかアルバムタイトルとかの固有名詞をよくだすので、それらの言葉に対する検索から来てくれる人が毎日ちょっとずつですけれどいます。

去年の6月に始めたYahooで書いてる映画のブログは、1日の訪問客は1桁です。(涙)これまでに書いた記事の数が75本で、累計ページビューが約3,000。ページあたりのアクセスが40弱とすれば、まあそんなもんでしょうかね。

一番最近始めたはてなブログの方は、まあなんかカオスとか哲学っぽいこととか書いてて固有名詞がほとんどでてこないせいか37本の記事に対して累計アクセスが1,300弱。あら?でもページあたりでは40前後か。あんまり変わらないのか。ここのはでも完全に自分のために書いてるような気がします。ここのブログではあんまり読者を意識してない。そういう意味では割とブログも使い分けてるんですよね、自分。


CNET JAPANで書いてるブログの方は、読者ブログとしてメディアのコンテンツの一部として扱われていて専用のコーナーに掲載されることもあって、最新の記事のページビューが1,500になっていました。ここのブログも、書き手が増えたこともあって最近では内容によって300とか400ページビュー位のことも多かったので、たくさんみていただけるとうれしい。

そして読んでくれた人が面白いと思ってもらえるようなブログにしなきゃなって思うのです。ちょっとしたことでも何か、気づきや発見があるようなブログにしたい。ちょっと違った視点が提供できるといいなと願っています。

本来は人はそれぞれに異なる経験を膨大に積み重ねて生きてきているのだから、もの見方はそれぞれ違って当然。人の数だけ異なる視点があるはずなんだけれど。表面的なことだけを見ていると同じような感想になっちゃう。同じニュースに対して似たようなコメントが並ぶことになってしまう。

できるだけ深く考えてニュースや情報を受け止め、自分の経験と照らし合わせてそれを解釈し、自分の持っている別の情報を付け加えてアウトプットする。そういう風にしないと、なかなか独自の記事なんてものは書けない。深いところで受け止めないと。そしてその意味するところを、その本質が何かを考える癖をつけたい。

本質を考えるということはとても大切だと思っています。本質まで探ることによって、個人的な経験が咀嚼され、普遍的な教訓が導き出されてくるのだと。

まさしく、帰納法と演繹法という思考方法が日常の中においても本来は実践されているものなのだとわかります。

でもうっかりしていると日常においてはそんな深く考えずに言葉のキャッチボールだけで済ませてしまうことになりがち。

ものごとを他人事として受け止めずに、自分のこととして考えるようにしたいと思います。自分にとってそれがどんな意味を持つのか、しっかりと受け止めながら。日々を暮らしていくように。



ネットの片隅でアクセスを求めてつぶやく

2009年12月30日 10時54分00秒 | Weblog
ネットの中ではアクセスがなかったら存在しないも同然といわれている。

本当にその通りだとつくづく思う。

こんなブログ書いていたってそんなにアクセスがある訳でもない。

誰かに本当に読まれているのかどうかもわからない。まして、読んでくれた人が興味を持ってくれたのかどうか、ちょっとでも面白いと思ってくれたのかどうか、それもわからない。

つまり、アクセスの少ないブログだったら書いてる意味なんてないのかもしれない。

でも、だからやめようとは思わないんだ。なぜか。

あまりみられていないのはわかっていてもブログは続けようと思っている。

それはなぜなんだろう?

一体、なんのためにブログを書くのか?

それは自分でもよくわからないけれど。

たとえそれが成立しそこなっているコミュニケーションであっても。

それでも書いている。

たとえコミュニケーションとして成立していないんだとしても、少なくとも自分自身とのコミュニケーションにはなっている。未来の自分との。或いは過去の自分との。

それは記録媒体としてのネットの利用方法のひとつではあるんだろうと思う。

言葉のタイムカプセルとしての。


いや、だいたいそもそも、ブログを書くのに理由なんていらないや。おれ。なんかわからないけど、好きで書いてるんだからいいじゃない?

このブログを書くことについて、明確に到達目標なんか持ってる訳でもなんでもないし。ただ、自分の思いをこのオープンな場で伝えたいだけ。ただ、この世界の片隅で叫びたいだけなんだ。きっと。



それに、アクセスが少ないといっても、こんなブログを読んでくれている人がいるんだから。(ありがたいと思っています。ほんと。心から感謝を申し上げたいです。)そんな数少ないオーディエンスを支えに私はブログを続けよう。

 

2009年12月30日。未来について考える。

2009年12月30日 01時36分00秒 | Weblog
そうかそうか。明日はもう大晦日か。

なんだかんだいって時の流れは速いな。

つーか、もう今時は時代の流れが速いよね。全力で突っ走ってるような気がする。

人類は果たして正しく進化しているのだろうか。 (←SF的疑問)

それにしても。

来年は2010年だぜ?

確か、アーサー・C・クラークのSF 「2001年宇宙の旅」の続編で、「2010年宇宙の旅」という小説があったな。読んでないけど。「2001年」は読んだけど。うろ覚えだが、確か更にその後、「2030年宇宙の旅」ってのもあったはず。

21世紀も、もう10年たつんだ。実際、オレ達は21世紀を今、生きてるわけなんだよね。

子供の頃には、21世紀って『未来』のイメージだったんだけどな。

今、その『未来』を生きてる気がしない。

確かに、インターネットはオレ達の生活を変えたとは思うんだけど。それも、SFが予想しなかったような形で。

それはそうなんだけど、子供の頃にイメージしていた21世紀とは随分違う。

なんだろ。今のオレ達には、『未来』のイメージがないような気がするんだな。

もうなんだか、この先、ずっとこのまんまなような気がする。21世紀が経済不況でボロボロなんて、想像もしてなかったもんな。

オレ達は、今、次の世紀を想像することが必要なのかもしれない。22世紀を。

もっともっと想像力をつかって、自分たちの未来をどうしたいか、真剣に考えるべきなんじゃないかな。

SF的な想像力って、大事なことのような気がするんだけど。

科学技術だけじゃなくって、社会とか政治のあり方とか、モラルとか、価値観とか、そんなのも全部ひっくるめて、どうなりたいのか。

究極のユートピアって言うんじゃなくって、もう少しリアルに、どういう世の中にしたいのかっていう。

ただ、どうありたいかは別として、個人的にはログ(記録データ)ってもんが、この先はもっともっといろんな領域で蓄積されていくようになるんだと思う。国民総背番号とかって、言葉はよくないと思うけど、どっちみちそっちの方向に進んでいくんだと思うよ。コンピュータ化はどのみち進むんだからさ。

データ管理のためにはIDによる識別はどうしたって必要だし。

全てが記録され、データとして残っていくそんな社会の中で、人間が幸せになる方法って、一体何なんだろう?

パーソナライズ化による個人最適化と、全体最適化のバランスをどんな風にとっていくべきなんだろう?

いろんなものがデータ化され、統計処理されることによって、リソース配分は今よりも改善されていくんだとは思う。神の見えざる手は、コンピュータによるリソース配分調整によって実現するんだろうか。

それが人間の幸せの増大につながるんだといいんだけど。

でも、あれこれくちうるさい学校の先生のようなリコメンドをコンピュータから指示されるような未来はちょっといやかも。

意思決定の主導権は、自分自身で持っていたいものな。

データによって、意思決定のベストサポートをしてくれるような未来だったらいいんだけど。

チョコをデザインしたケータイ端末 大人気で即日完売

2009年12月27日 08時19分43秒 | Weblog
ハートをとろかす「チョコ携帯」の可能性―それゆけ!カナモリさん(GLOBIS.JP) - goo ニュース


お菓子をモチーフにした食べられそうなデザインのアクセサリーで人気のブランド「Q-pot.」とドコモのコラボ端末だそうだ。

NTTドコモ、板チョコをモチーフにしたお菓子ケータイ「SH-04B」を12月9日発売

12月9日発売で、全国で1万3千台の限定販売だそうだが、徹夜で並ぶ人もあって多くのお店で即日完売となったとか。価格は6万円後半から7万円台と高めにも関わらず購入者は気にならないという。「カワイイ」のパワーというべきか。

この商品は既に電話機としてとらえられているのではなく、アクセサリーとして「欲しい」対象になっているのではないか、というのが上記記事の分析。

確かに女性のケータイにはものすごいデコレーションされてるのをみかけることがあります。キラキラしたビーズやラインストーンをハート型とかに貼り付けてあるアレです。あのデコで確かに世界にふたつとないケータイになりますね。

ケータイは常に持ち歩くし、人に見られる機会も多いものなので、カワイイのがいいに決まっているし、ファッションの一部となるのもうなずけます。

となると、ファッションとしてケータイを考えるとまだまだバラエティが足りないことになるでしょう。バリエーションはかなり必要になると思います。

逆に、デコレーションの場合は完璧にふたつとないものができる訳で、ファッションとしてはかなり優れた解決策なのですね。

これまでにもありましたが、キャラクターものの可能性はかなり高いのではないでしょうか。メーカ側からすると、キャラものは使用料もかかるし数量も限られるのでコスト高にはなるんでしょうけどね。

それでも流れからすると、多品種少量生産の方に向かわざるをえないのかもしれません。利用者側からしても、機能で選ぶというよりはデザインで選ぶというのが普通になってる感じですしね。


そういえば、私自身も数年前に金色のケータイが欲しくてたまらない時期がありました。物欲に火がついた状態でしたが、実物をみてやめましたが。質感がチープだったからなぁ。「所作(しょさ)」というブランドのF702iDというケータイの金色のやつでした。

ガジェットはリアルとの接点

2009年12月23日 22時35分42秒 | Weblog
Windows7のパソコンに変えて、多少スペックにも余裕があるので、今、デスクトップにはCPUメーターや時計、カレンダーなどのガジェットを並べています。

ここんとこ、休日はネットにつながってる時間がものすごく長くて、ネット廃人予備軍のような私ですが、これらのガジェットはかろうじて私に現実世界を思い起こさせてくれます。

曜日とか、時間とか、天気とか。

この今の天気の表示が意外とリアルを思い出させるのです。晴れなのか、曇りなのか、パソコンに向かってるとわからないし、気にしない。今の気温が表示されるのも、意外といい感じ。5℃とか出てると、ああ、今日はすげー寒いんだとか思ったり。

これらがジェットの存在によって、ああもうすぐリアルの世界に返らなければいけないんだと気づかされます。ある意味、我に返るというか。

ネットの中にいると、時間を忘れてしまいます。テレビのようにCMが入る訳でもなく時間で番組が切り替わるわけでもない。タイムレスな世界。

ネット中毒の症状が出ているのでしょうか。

ある意味、リアルな世界なんてどうでもよくなっている。その間は確かに逝っちゃってますね。(笑)

でもこの逝っちゃってる感覚ってもんは、わかる人にしかわからないんだろうなと思う。別世界で遊ぶ楽しさだよね。

 

未来に対する想像力 (CJ)

2009年12月23日 16時49分56秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
ちょうど1年ほど前、「希望という名の未来」というタイトルでブログを書きました。

私が子供の頃には、「未来」という言葉はピカピカの輝きをイメージさせていた。しかし、現在においては「未来」という言葉自体のイメージが変化し、言葉がピカピカさを失っている。今や「未来」は、不確かな、不安で曖昧な、不気味な感覚を含んだイメージになっている。 そんなことを書いたブログでした。



今日、Webで60年代のマンガ雑誌に描かれた未来予想図をのっけたブログを発見。

1960年代に描かれた「未来の戦争」や「未来の生活」の想像イラスト



いや痺れますな。実に面白い。軽くめまいを覚えるような感覚。ギャップというか、まるで時間を飛び越えるときに感じるようなめまいを感じます。当時の未来はこんなイメージだったかな?確かに具体性はなくまさにイメージだけだったんでしょう。 少年漫画誌掲載のものなので、その辺のテイストは表れていると思います。

科学はこのような未来を語ることはないので、これらイラストに科学的根拠はおそらくない。雑誌の編集者とイラストレータがざっくりとしたアイデアを打ち合わせて、イラストレータが自身のイメージで描いたのでしょう。

でもおそらくは当時の人々のイメージは大体こんなものだったのではないでしょうか。当時の日本人の未来のイメージにもっとも大きな影響を与えていたのは、たぶん、手塚治虫だったと思います。まだ「スターウォーズ」が登場する前の時代ですから。これらのイラストは、手塚治虫のイメージにイラストレータの色を加えて、絵としてのタッチを劇画調に、リアルに描いたものでしょうね。

科学的根拠はない代わりに、このようなイラストには将来こうなったらいいなという願望が表れます。こういうことが実現したらいいなという想像力がはたらきます。未来予想が時にあたるのは、その予想が願望に基づいているからでしょう。技術開発や商品開発は、長期的にはそのような願望実現の方向に向かいます。

科学技術というものに対する願望。期待。そういうものが、この当時は大きかったのかもしれません。

今の時代にはなぜか、未来に対する明るい期待というものが、すっかり色あせてしまっているような気がします。

なぜでしょう。それはやはり景気の動向との関係があるように思います。高度成長期の時代。経済成長率が長期的に高く続く時代にあっては、来年は今年よりももっとよくなるという期待が抱けます。ぼんやりとした期待という感じですね。不景気が続くと、来年はよくなるとは楽観できない。もっと悪くなるかもしれない。マスコミもその手の予想を流すし。まあ確かに社会共通の基調として未来への希望は持てないのかもしれません。

時代のトレンドとしてはそんな感じなのかもしれませんが、所詮は未来への期待なんてものに根拠はないので、根拠なく明るい未来を語る作品がでてくれば、イメージなんてものは変えられるのではないかと私は思います。

21世紀の手塚治虫が現れてくれれば。社会はこうあって欲しいという願望を表現してくれるマンガなりビジュアルの提供者・表現者が現れてくれれば。



ああ、なんか他力本願な結論になってしまいましたね。いや、私もこのブログに「ネットの未来記」なんて大仰なタイトルをつけた以上、言葉で明るい未来を描きたいと思っていますよ。世の中なんてロングスパンで見れば簡単に変わると思っているし。未来は今よりよくなると、根拠もなく私は楽観しています。楽観するにせよ悲観するにせよ、どっちでも大して根拠がないなら楽観したほうがおトクじゃん!



それにしてもどうしてイラストに描かれる未来人というのはみなさん、ぴちぴちとタイトなボディスーツを着ていらっしゃるのでしょうね???それも原色系の。体型を隠すという発想はどこにもないのかしら。未来は、食事管理のおかげで誰もかれもがスマートである。と、そんなことまで織り込み済みなのでしょうか?



探し物は何ですか?

2009年12月20日 11時12分30秒 | Weblog
その昔、パソコンのファイルは種類ごとに分類してフォルダにしまっていた。

そのフォルダの分け方にはそれぞれの人による個性が色濃く反映されていた。ものすごく個性が出ていた。

中には分類なんか一切しないで全てのファイルをデスクトップに並べる人とかもいたりした。

ものすごく細かく分ける人もいる。共有フォルダでこれをやられると、一体求めるファイルがどこにどう分類されているのかわからなくて困ったりする。

このフォルダの分類ってやつはきっと、その人の頭の中の構造を反映しているのだろうな。

とにかく、フォルダのタイトルとかファイルのタイトルとかは後から探す時にわかるようにつけて欲しいものだ。メールのタイトルもそうだけど。タイトルみて内容が類推できないとタイトルの意味ないじゃん。その辺、無頓着なやつが多すぎる。

タイトルがきちんとついていれば、フォルダの分類がわからなくても検索という手がある。

極端に言うと、検索がうまく機能すれば、情報の分類なんて必要なくなる。

だって、分類する時に迷うのは、複数のカテゴリーにまたがるファイルの扱いだ。人間の頭の中では情報は相互に結びつきあっている。決して1対1でつながっている訳ではない。その関係性はn対nだ。

タグによる分類や検索という方法はもしかしたら頭の中の情報の体系ととても似ているのかもしれない。ゆるくつながっている。多重的にいろいろなつながりかたをしている。思いも寄らないもの同士がつながっていたりもする。

その関係性は極めて複雑だ。

インターネットの中にある情報は、そんな脳内の記憶のあり方と近づきつつあるのかもしれない。

 

電脳網接続装置 ~Internet access devices~ そして世代間格差の拡大

2009年12月19日 20時48分57秒 | Weblog
インターネットに接続するための機器。

パソコン。
携帯電話。
iPod Touch。
PlayStation3。
wii。
Play Station Portable。
Nintendo DS Lite。

今だとテレビもネットつながる。

こんな時代だ。

一方にネット依存症。一方にはまだまだネットを知らない人たちも多分まだまだ大勢。

情報を浸透させるのが難しい時代だ。マスコミのリーチが届かない人たちがいる。もちろんネットがリーチしない人たちも。

情報手段の多様化によって、大衆は分散化している。分衆という言葉があるが、正しくその通りの状況だ。マスでリーチができない。

細分化されたセグメントにリーチするためには、クロスメディアというよりも、むしろメディアミックスが必要だ。

ジェネレーションギャップというものも、かつてないほど大きくなっているのではないだろうか。

ケータイべったりの今時のティーンエージャーの感覚なんて、私には想像すらできない。マウスイヤーなんだから仕方ないとも言えるが。

世代格差は想像以上に広がっている。



このブログのタイトルをかえてみた 旧称『電気仕掛けの網は俺達に自由の夢をみせるのか?』 (CJ)

2009年12月19日 06時51分27秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
これまでのタイトルは、『電気仕掛けの網は俺達に自由の夢をみせるのか?』でした。

ネットの将来について考えてみることがテーマだったのですが、ちょっと長かったし、いまいち意味不明っぽかったので、ちょっとかえてみた。 もともとは、アメリカのSF作家、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」をもじったものだったのですが。

新名称はシンプルに、『ネットの未来記』としてみました。

インターネット。ケータイ。コンピュータ。ユビキタス・ネットワーク。ライフログ。パーソナライズ。そしてコミュニケーション。

その変化。進化。その行く先について考えてみたいと思います。

どこに向かうのか。

どうあるべきなのか。

どうあって欲しいのか。

今この時代が人類にとって大きなターニング・ポイントにあることは間違いありません。

それはコミュニケーションの変化がもたらすもの。



<註>
このエントリーはもともとはCNET Japanというサイトの読者ブログ『電気仕掛けの網は俺達に自由の夢をみせるのか?』→『ネットの未来記』(http://japan.cnet.com/blog/denkiami/)として書かれたものです。CNET Japanの読者ブログサービス終了によって、2010年5月に、ここ『夢みるアンドロイド』のブログの方に追加するカタチで統合しました。

PKディックはグーグル携帯に何を思うか

2009年12月18日 13時57分31秒 | Weblog
「ブレードランナー」とは、ごちゃごちゃしていて、人間とロボット、ハイテクと有機体が入り混じったキッチュでガジェットに満ちた薄汚れた未来を描いたカルト映画。主演はハリソン・フォード。

その「ブレードランナー」の原作が、アメリカのこれまたカルト的SF作家フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか? Do androids dream of electric sheep? 」。

Googleが電気羊に手をだした???



Googleの『Nexus One』は『ブレードランナー』著作権侵害?(WIRED VISION)

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20091217/1021544/





■2012年6月24日追記

上記のリンク先は、現在、削除されているため、類似の記事へのリンクを新たに載せておきます。

「GoogleのNexus Oneは知財権侵害」(ディックの遺族談) engadget日本版

グーグルがリアルタイムな情報の検索サービスを始める

2009年12月13日 15時42分16秒 | Weblog
Twitter。最近結構、話題に出てきていますね。私も登録はしてみていますが、いまいちよく面白さがわからない。フォローする相手が100人くらいを越えないと面白さがわからないよと研究系の人から言われて、今ちょうどそれ位になったところです。

まあ、そんなに頻繁にアクセスしないしなあ。ちょくちょくアクセスしてないと意味がないサービスなんだろうなーとは思います。

今、ジョエル・コムという人の「ツィッターでビジネスが変わる」という本を読んでるところ。でもまあ、ふぅ~ん?って感じだけど。

で、Googleが、そのTwitterも含めてリアルタイムに更新されていくWeb情報のリアルタイム検索を提供するんだそうだ。

グーグル、リアルタイム検索を提供開始へ--TwitterやFacebookもカバー

グーグルのリアルタイム検索--大量に生成されるデータをいかに整理するか

これまたふぅ~ん?って感じなんだけど。

FacebookやMyspaceの書き込みがリアルタイムに検索できてもそんなにうれしくはないような気がする。Facebookは知らないが、Myspaceの日記はオープンになっててログインしなくても見られるので、ブログと一緒で、今でも検索の対象にはなっている。ただ、現在では検索結果に表示されるまでに多分数日かかっている状況なのだと思う。これは自分の体験に基づく推測だけど。新たな書き込みがクローリングされるまでの更新頻度によるディレイなのだと思う。

そのクローリングの間隔をリアルタイムまで近づけようというのだ。でもそれでどれ位それがありがたいことなのだろうか。

Twitterは、まだ自分自身がその情報価値を体感してないからなー。そのリアルタイム検索がどれくらいうれしいものなのか、想像ができない。日本ではTwitterユーザってまだまだ少ない感じだし。ある程度のボリュームがでてこないと影響が感じられないんじゃないかな。

自分自身でいうと、ま、こうして休日なんかは確かにほとんどネットつなぎっぱなしだ。パソコンに張り付いている時間はとても長いのだが、Twitter画面をずっとながめてる訳では全然ない。ほかのTwitterユーザと絡んでいないせいかもしれないけれど。

まして平日なんかはTwitterみるのは1日に1回だ。これじゃああんまりTwitter使ってることにならないかもしれないな。ただ、私にとってはTwitterってあまりにも脈絡がなさ過ぎる。情報が断片過ぎて、まとまりがなさ過ぎるように感じる。ニュースなんかをウォッチするにはいいのかもしれないが。

例えば先日は、GoogleのChromeブラウザのMac版が初めて出たことをTwitterで知った。え~っ!いままでMac版なかったの???

Twitterで触れる情報の選択がなさ過ぎるのかもしれない。いいかえるとフォローするユーザの属性がバラバラすぎるのが問題なのかもしれない。相手を絞れば入ってくる情報も絞られてくるだろう。

まあ、今はまだ私がTwitterについて何かコメントするのは早すぎるのかもしれないな。まだわかってないんだし。

考えてみると、何か大きな事件なんかが起こった時にそれに対する世の中の反応を知るためには今回のようなリアルタイム検索の意味はあるかもしれないが。

私は細切れの情報よりは、もう少しまとまった、全体の中での位置づけも含めて説明してくれるような情報がありがたいと思う。ものの見方とか、視座を提供してくれるような。

「おはよう」とか「おやすみ」とかのつぶやきじゃなく。

前に読んだ「ウェブはバカと暇人のもの」には、ウェブには情報価値の低い情報が多すぎるという愚痴が書いてあったけれど。それに近いものを感じるんだよな。

あー。だから、まだ評価を下すには早すぎるっていってんだろ、オレ!


グランズウェル Groundswell ふたたび (CJ)

2009年12月13日 08時17分23秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
先月、シャーリーン・リーとジョシュ・バーノフによる「グランズウェル ~ソーシャルテクノロジーによる企業戦略」という本についてブログを書きました。

あの時はまだ読んでる途中だったのですが、読了しました。

で、感想を書こうと思ったのですが。「グランズウェル」で検索するとたくさんのサイトがひっかかります。いろんな人がブログに書いている訳ですが。

これがなかなか面白いです。このテーマで書いている人はテクノロジースノッブが多い。この言葉はそんな人をあぶりだすフィルターの役割も果たす言葉のようです。

例えばこんな感じ。

Heartlogic デジタルとのハッピーなつきあいかた 小林祐一郎オフィシャルサイト ~マーケティング担当者を(たぶん)勇気付ける本「グランズウェル」



知と経験のオープンエンド(ブーレの書棚)ブーレが読んだ書籍の紹介と感想 ~グランズウェル



情報考学 Passion For The Future 書評、ソフトウェア評、日々雑感 橋本大也 ~グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略

smashmedia ~グランズウェル



なんか、感想、どうでもよくなってきた。要するにネットを使って 「顧客のことをもっとよく知ろう! 」 って話。

あ、もっと顧客と会話しようとかも。

読んでる時に思ったのは、 1998年にアメリカでヒットしたパトリシア・シーボールド著の「Customers.com」 (邦題は「ネットビジネス戦略入門 すべてのビジネスは顧客指向型になる」)の主張と似ているな、と。まあインターネットの本質がそのオープン性にあり、誰でも自由に情報発信できるようになることによって、ビジネスにおけるパワーが企業サイドからユーザサイドにシフトするって話なんで。

そういう考え方自体は、アルビン・トフラーあたりが「第3の波」で既に語っていたことのようにも思う。本質的な部分ではみな、核心をついていて、それが今、ようやく現実化し始めているのだと私は解釈している。

その意味では大きな時代の変化のうねりが押し寄せてきているという意味で、グランズウェルというタイトルはタイミングをいい当てているのかもしれない。




基本は大事

2009年12月12日 19時42分19秒 | Weblog
そう。

何事も基本が大事です。本質をつかむことは商売においても基本中の基本。

それは人間の本質をつかむことと同義。

広告業界の古株、仲畑貴志の著書、「みんなに好かれようとしてみんなに嫌われる」についてのブログ。これ、なかなか面白い。

知と経験のオープンエンド(ブーレの書棚)
ブーレが読んだ書籍の紹介と感想


http://bourree.cocolog-nifty.com/book/2009/10/post-79ba.html