夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

次世代 (CJ)

2008年11月16日 19時55分10秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


先日、テレビでデジタル・ネイティブについての番組をやっていました。生まれた時から当たり前のようにネットがある環境で育った若者や子供たちのことです。インドの14歳の会社CEOの話とか、アフリカからワールドワイドにボランティア活動をしている若者とか。



誰に教わらなくても、勝手にネットから様々な情報を得て、それを自分の活動にうまく活かしている若者たちの姿。



番組ではそうした一部の突出した若者にフォーカスしていましたが、世代として捉えた時にはまた違う視点があるのではないでしょうか。授業中でもアルバイト中でもとにかく頻繁にメールをやり取りし、わからないことについてはネットで調べるよりもまず先にメールで友人に問いかけるようなライフスタイルを持つ新しい世代。



コミュニケーションのあり方が、私などとはまったく違っているように思います。



そんな彼らにとっては、でもやはり友人と共有するネタというものに対するニーズはかなり高いのではないでしょうか。私の場合は、あまり頻繁に更新しているわけでもないこのブログにしても、ネタにはかなり頭を悩ませている訳で。どんな形にせよ、情報発信を頻繁に行う人にとっては、共有、共感を呼ぶネタについては、かなりその需要が大きいように思います。



うまくネタとして彼らの話題に載せられるかどうか。くちコミのパワーがおそらくは今よりもはるかに大きくなるであろうこれからの時代に、ネタの提供はマーケティングにとっての大きなテーマになるのではないでしょうか。

もっとも、くちコミそのものはこれまでにもあったものだし、プロモーションの上ではいかにして話題づくりをするかということは従来からも重要なテーマではあった訳ですけれどね。



しかし、そのくちコミがネット経由で広がる中では、統計的データがこれまで以上に利用されることになるのでしょう。統計データに基づくマーケティングの設計が広まるのではないでしょうか。マーケティングの「見える化」 という訳です。



ウォーターフォール型の設計からプロトタイプ型へと、つまりはテストマーケティングとデータによるその検証、修正というスタイルに、マーケティングの設計もまた変わってゆくのではないかと思います。





Communication のむずかしさ (CJ)

2008年11月09日 03時48分33秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


今の経済危機に関して、様々なことが語られている。



政治家が悪いとか、

真面目に働いてる普通の人間が何でこんな目に会わなきゃいけないんだとか、

2兆円のばらまきには意味がないとか、

この先世の中どんどん悪くなるとか、

アメリカが悪いとか、

日本はだめだとか。



みんな勝手なことを言っている。

なんだか、てんでばらばらなんだ。ほんと、バラバラだ。

この危機は、本当にやばい危機だと思うが、人々の意見はまとまらない。本来は危機の時ほど、まとまらなければいけないのに。全然、真逆の状態だ。

まあ、誰が悪いのかはっきりしないからな。誰が悪いのか、何が悪いのか、はっきりしないからなのだろうと思う。

みんな、誰かのせいにしたいのだろう。

誰のせいなんだ?グリーンスパンか?小泉か?麻生のせいか?ブッシュか?

なんか、そんな感じ。まとまるはずがない。

共通の理解をつくるのは難しいなあ。共通理解の基盤を常識(コモンセンス)というのかもしれないが、 全く確立されていない。

わかりあうことって、できないのかな?

コミュニケーションの技術がいくら進化したって、共通の土台がなければつながったことにならない。

なんだかなあ。

まずは議論の前提条件からすり合わせないといけないと思うんだが。

いや、事態は深刻だと思うんだけど。それに対応できるような状況にはないよなあ。

わかりやすく伝えないと伝わらない。

コミュニケーションて難しい。

情報過多 『コミュニケーションをデザインするための本』を読んで←途中だけど (CJ)

2008年11月03日 03時02分21秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


今、電通の岸勇希という人が書いた「コミュニケーションを デザインするための本」という広告の本を読んでいる。結構、評判の良い本だ。まだ第一章を終えたばかりだが、気になったことをメモしておきたい。



第一章のテーマは広告の変化。情報の量が増えたという話だ。そらもう、べらぼうに増えた。全国レベルのメジャーなテレビが5局。新聞が4紙。雑誌はたくさん。種類は多いし、エリアは全国のものが多いが、規模は小さい。ラジオは、・・・何局あるのかしらない。けど、多分テレビと同様、メジャーは数局で、マイナーな地方局はたくさんあるのだろう。



これら4マス媒体に対して、インターネットは?と、いうと。これがまたべらぼうだ。インターネットについては、その情報流通に関しては、地方の限定性はないから、上のくくりで言うと全てがメジャーということになるが。媒体という意味では、全てのドメインが媒体に当たるので、その数、無限大。いや、無限というのは大げさにしても、テレビ、新聞、雑誌で全国をカバーするメディアが数局、つまりひと桁なのに対して、インターネットにはそれが無数にある。



情報量がこれまでと比べると桁違いに増えている。比較にならないような増え方だ。情報環境は激変しているという認識。情報量の爆発的増大は、同時に広告としての媒体価値の分散化、細分化、希釈化を意味している。その変化は過激。ブログやSNSの消費者発信型(CGM型)メディアの登場によって、情報量はまさに爆発。これまでの常識は根底からひっくり返された状態にある。



この過激な変化を可能にしたのは、検索という技術。いきなり膨大な量に増えた情報の量を、しかし、その中から求める情報を得られるように、つまり莫大な情報をそれでも使えるようにしている仕組みが検索だ。検索技術がなかったら、インターネットがここまでの影響を与えることはなかっただろう。



人々は、可能性としては膨大な選択肢を手にしたことになる。その規模はべらぼうだ。未だかつて経験したことのない程のボリュームがいきなり登場したのだ。しかし、その情報の価値は高い。従来の企業や媒体が発信してきたオフィシャルな情報とは異なり、消費者自らが、自らの意思により発信している情報であるからだ。利益追求の動機によらない、フラットな、ニュートラルな立場からの発信であるからだ。



情報発信のためのコストの劇的な低減。ていうか、ブログってタダだし。発行コストがタダのメディアなんて今まであったか?



広告としては、このような過激な環境の中で、人々の注目を集めなければいけない状況に置かれた訳だ。こりゃあ、てえへんだわな。一大事ってなもんだ。ところがその一方で、この変化はクチコミという新しいエフェクト(影響)も生み出した。これまた、どえれえ大変化だ。このエフェクトを味方につけられるかどうか。



クチコミを捕まえられなかったら、広告なんて意味のないものになる時代が到来しているのではないだろうか?