夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

ハイパーリンクの話 (CJ)

2009年02月28日 17時00分49秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


考えたり、感じるということ。

ある言葉をみたり、ある写真を見たりした時に、それから連想すること。

芋づる式にそこからつながる連想の広がり。

考えたり、感じたりするとは、そのような連想をすることだと私は考えている。



感じるということは、知覚した刺激に対して受動的であるのに対して、考えるということはもう少し主体的、能動的であるだろうか。



私の場合は、そうした連想は言葉のつながりであることが多い。視覚的な、ビジュアルな連想をすることはほとんどないような気がする。そういう意味できっと私は言語的な人間なのだろうと思う。



でも考えるよりは感じたままに行動したり発言したりすることが多いようには思う。あまり頭で考えるタイプではなく、分析的ではないのだろう。思考型 vs感情型と右脳型vs左脳型の2軸で分けると、私は感情型+左脳型ということになるのかもしれない。



さて、連想の話に戻ると、連想そのものは無意識の分野で働く。比喩的に表現するなら、受け取った知覚刺激をキーワードとして、無意識の領域でタグ検索が行われ、単なる言葉の完全一致ではない、タグに基づくあいまい検索が行われて、検索結果が意識の表層に連想として浮かんでくる。そんな感じ。



ある言葉にひもづけられるタグは、人間の場合かなり複雑で、個人の体験に基づいており、人によって千差万別。同じ説明を聞いても人によって異なる受け止め方をするのも、本を読んだ感想が人によってことなるのも、刺激を受けて感じること=連想する時に利用されるタグが、個人個人で異なるからだ。







リンゴ





例えば、私の場合、「リンゴ」という言葉を目にした時に、ビートルズのリンゴ・スターを連想したりする。もちろん果物のリンゴも連想するが、Mac のアップルコンピュータを連想したりもするし、そこから更にニュートンのリンゴとか、アダムとイブのリンゴとかを連想したりもする。これはアップルコンピュータの3つ目のリンゴのエピソードからの連想だ。他にも現象学で対象認識の説明に例示される客体を連想したりもする。



考えるとか感じるということは、このような言葉のつながり、言葉の結びつき関係、連想の働きによっているのだと思う。



そして、このような言葉のつながり関係は、インターネットのサイト間の相互リンクの関係とよく似ているのではないかと思うのだ。



私の脳内にある全ての言葉を私自身が自分の言葉として定義してサイトに記述し、かつそこに出てくる言葉に相互リンクを張ったとしたら、私の思考パターンをかなりの精度でシミュレーションできるのではないだろうか。私の人格のコピーができるのではないだろうか。



私というパーソナリティは、言葉同士の相関関係の記述として定義できるのではないか。



私の脳内は、そのようなハイパーリンクが張り巡らされているのではないだろうか。



イメージがスタティックに過ぎるかもしれない。実際の私はもう少しダイナミックな連想が働いているのかもしれないが。この言葉とこの言葉が並んだ時には、普段とは違う言葉に連想が飛ぶとか。「赤い」という言葉と「彗星」という言葉が並ぶとガンダムワールドにリンクするとか。(笑)いわゆる文脈、コンテクストというやつだ。



まあ、その人が脳内に持つ言葉の辞書の体系によって、その人らしさがつくられているのではないか、という仮定の話である。







ああ、でも考えるということには様々な個々の情報を構造化するというはたらきもある。これは連想とは違う働きかもしれないな。私は苦手だが。

ブログマーケティングに対するGoogleのお仕置き? (CJ)

2009年02月18日 17時48分19秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記

Google米国本社は、2月12日、Googleジャパンのサイトのページランキングを9から5に下げたそうです。

GoogleがGoogleジャパンのサイトの重要度評価指数を下げるとは、どういうことなのか。

その訳はGoogleジャパンが、そのプロモーション施策において、米国本社のガイドラインに違反したことに対するペナルティだということです。

Google本社は、PPP(Pay Per Post)はGoogleの品質ガイドラインに違反する、という立場をとっています。

PPPとは、ブロガーに対して特定の商品やサービスに関する記事を書くように呼びかけ、それに対していくばくかの報酬を払うしくみのこと。ブログの記事を投稿することをポストする、というのですね。

商品の記事を書くことによって、お金をもらうので、サクラというか、ちょうちん記事とみなされることもあります。お金を払う側(PPP業者側)は、一般的には記事を書くことは頼むけれど、誉める記事を書くように強制はしていない、というのが多いようです。

Google本社は、PPPによるブログ記事が増えると、そこからリンクされる商品のサイトのGoogle検索エンジンにおける評価があがり、索結果の上位にくることになる。これは結果的に、Googleの検索上位をお金で買っていることになるため、このような行為をガイドライン違反としています。

もし、やるならサイトのタグに、nofollow というタグをいれて、検索エンジンがPPP記事だと識別できるようにしろ、とGoogle本社はってる。

で、Googleジャパンはこのポリシーに違反してPPPによるプロモーションを行ったために、本社からペナルティを食らったという次第。

Google本社は、PPPに対して結構厳しい姿勢で臨んでいるといえると思います。

サクラとかやらせとか、そういうのはやっぱりちょっとね。実際の利用者の声としてネット上のクチコミが大きな影響力を持つようになった今の時代に、そのクチコミの信頼性を損なうようなやり方のように思います。

しかし、広告やプロモーションをする側の立場の人にとっては、クチコミを意識せざるを得ない状況であることも事実でしょう。

ブログマーケティングとは記事の掲載に対してお金を払うものばかりではありません。キャンペーンそのものの仕掛けとして例えば面白いブログパーツを配布するなどの方法もあります。ブログに書いたり、人に教えたくなるようなネタを提供すること。そんなプロモーションもブログマーケティングのひとつといえるでしょう。商品やサービスをいかにクチコミにのせてもらえるようにしかけるか?今後、クチコミはマーケティングやプロモーションの世界では、ますます重要なテーマになっていくことでしょう。

ただしそれは、個々のキャンペーンの企画次第ということかもしれず、サービスとして定型化することが難しいテーマなのかもれませんが。

ぼちぼちテレビも変わらなきゃね? (CJ)

2009年02月01日 17時23分55秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


先週の週刊経済誌東洋経済が「テレビ・新聞陥落」という特集を掲載していた。
世界的な経済不況のあおりを受けて、テレビや新聞の広告収入が落ちているという。

電通の調べによると日本のテレビの広告売上はトータルで約2兆円。過去10年くらいの推移では多少の浮き沈みはあるものの、それほど大きな変動はしていない。上下幅は数パーセントというところだろう。

他の業界、例えば百貨店などが10年前と比べると数十パーセント売上が落ちていることを考えると微々たるものだ。不況になると広告費が削られる、という我々の感覚からすると意外なほど、テレビはその影響を受けていない。安定していたのだ。従来の広告が減った時には、例えば消費者金融やパチンコ等、新しい広告主がそれまでとは違う産業から現れてその穴を埋めてきたのだろう。

その状況が変わった。らしい。今回は急激に悪化しているようだ。これまでの安定していた中でのでこぼこではない。その落ち幅は急降下だ。しかし、目を転じて他の産業に眼をやると、数十パーセントの減収に見舞われているところは多数ある。自動車メーカーや電機メーカーの激しい業績悪化は、近頃よくニュースで目にするではないか。それこそテレビニュースとかで。

現在の経済状況を考えると売上の急減はそんなに特別なことではなく、多くの企業が直面していることだ。しかし、テレビ業界については、今回の景気後退は変化の引き金を引いたに過ぎないのかもしれない。根本的な原因は他にあるのかも。

構造変化は始まっている。テレビ業界は恐らく今年を契機に大きな変化を迎えることだろう。いびつな産業構造は、きしみをあげている今の世界不況の波にもまれて、現状のままでは耐えられまい。業界のルールが大きく変わるだろうと予想する。

キー局と地方局との関係や、放送局と制作会社との関係などいびつな部分が変化にさらされることになるのだろう。視聴率という数字だけに支えられ、その効果が明確でないままにつぎ込まれてきた2兆円の市場が変化にさらされる。

その変化には行政も無関係ではいられない。限られた電波を誰に、どのように使わせるのか?国としての戦略が問われる。例えばBSとCSの違いが何なのか、私にはさっぱりわからない。わからなくてもいいのかもしれないが。クールジャパンなどと持ち上げられる日本のコンテンツ産業をどのようにビジネスとして育てていくのか。コンテンツの大きな部分をこの国ではテレビ局が押さえているように私には見えるのだが。縦割行政の弊害が大きな無駄を生んでいるのではないのだろうか。

テレビ業界と言うところは、時代の動向に敏感なところだというイメージがあるが、果たしてそれは本当なのだろうか。インターネットという情報伝達基盤の持つ意味を未だ、過小評価しているように見えてならない。

テレビの抱えるコンテンツをネットの海にとき放して、そこから収入を生み出すしくみを考え出さねばなるまい。

映画館で見るにしろ、DVDを買うにしろ、レンタルショップで借りるにしろ、映画に対して我々はおカネを払って見ている。

あなたはおカネを払ってテレビの番組をみるだろうか?