夢みるアンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢をみるか?
膨大な情報を蓄積し相互にリンクするインターネットはやがて知性を持つかもしれない。

パソコンにおけるメモリとHDDの関係は人間とネットの関係に似ているか? (CJ)

2008年07月20日 19時21分01秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記
パソコンの記憶装置について、私の理解するところをこれから述べるが、間違っているかもしれない。私はそんなにパソコンに詳しい訳ではないから。詳しくはないが、パソコンのメモリとHDDの関係と人間とネットの関係についてアナロジーで考えてみたいので、私の理解する範囲で語る。要は大雑把な話であることをご承知置きいただきたい。間違いがあれば、ご指摘は歓迎いたします。m(_ _)m

一般的にパソコンにはメモリとHDD(ハードディスク)の両方がないと動かない。HDDを持たないパソコンも存在するが、現在においてそれは少数派、例外的存在だ。

パソコンにおいてメモリとは短期的記憶装置を意味する。それに対してHDDは長期的記憶装置のことだ。

メモリはパソコンの電源が入っている時のみ、機能する。電源を切ってしまえばメモリに記憶された情報は消える。一方、HDDに保存された情報は、電源を切っても維持される。

メモリとHDDでは情報の出し入れのスピードに違いがある。メモリは速く、HDDは遅い。

電源を切った時に情報が消えるかどうかと、情報処理のスピードの2点によって、同じ記憶装置でありながら、メモリとHDDの役割は分けられている。

パソコンに電源が入っていない時、メモリはカラである。情報を持っていない。この時、情報はHDDにのみ保存されている。というのは嘘で、OSを起動するための最低限の情報は、メモリでもHDDでもない、ROMという部品に蓄えられている。この部品はOS起動時にのみ使われる。

パソコンの電源を入れた時には、まず、このROMというやつが動き出す。OSを起動するための最低限の機能をこいつがまかなう。人間に例えれば、朝、目覚めた時に体は一応起きているが、頭がぼーっとして何も考えていないような状態だ。で、ROMが機能すると、HDDにアクセスしてOSを起動するために必要な情報を取り出して、同時にメモリをたたき起こしてメモリにその情報を渡していく。

これによって、メモリは徐々に自分が何者か思い出し、OSを起動させる。

さて、OSが無事起動したところでアプリケーションソフトを立ち上げる。そうすると、今度はOSの指示によって、HDDのそのアプリケーションの情報が呼び出され、メモリにその情報が引き渡される。情報がメモリに展開されることによって、パソコンはアプリを動作させる準備が整う。やっと仕事に取り掛かれるわけだ。

メモリは情報の出し入れがが速いため、OSもアプリもメモリ上に情報を吸い上げて、そこで動いているわけだ。動作の遅いHDDは、OSやアプリの起動時と、アプリで作成したファイルの保存時にしか用はない。

情報の出し入れについて指示を出しているのはCPUである。いわゆる情報処理、情報の加工はCPUが、メモリから情報を取り出して行う。メモリの方がHDDよりレスポンス速いから。

そうして、アプリで作成したファイルの保存時には、そのファイルの情報がメモリからHDDに渡される。HDDに書き込まれるわけだ。これでひと安心。電源切っても大丈夫って訳。HDDは長期記憶だから。電源切っても忘れないから。

そういう次第でパソコンには短期記憶と長期記憶の両方が必要だ。

さあ、ここでようやく人間の話題になる。人間は一度にたくさんのことを考えられない。3つも4つも一度にできるかってんだ(できる人も中にはいるけどね)。

人間にも短期記憶と長期記憶があると考えられる(さあ、ここら辺はかなり怪しいぞ。仮説として聞いてくださいな)。短期記憶は意識だ。今、考えている場所だ。長期記憶はHDDだ。一応、知ってはいるけど、今は意識の外にあるような記憶だ。人間は意識であれこれ考えながら、「あれ、これはどっかで聞いたことあるぞ」ってな記憶を無意識に問い合わせながら思考を進めている。

しかし、意識の容量は小さい。無意識はでかい。そして無意識から記憶を呼び覚ます処理は時間がかかるし、当てにならない。「あれれ、それなんだっけ?喉元まで出かかってるんだけど思い出せない」っていう経験は誰にでもあるでしょう?

そんな時にはググればよい。ネットで調べればいいじゃないか。質問さえ適切であれば、ネットで答えが見つかる可能性は高い。長期記憶の部分はネットに任せればよいのだ。

所詮、人間の意識は容量が小さいのだから。一度にたくさん考えられないのだから。すぐには使わない長期記憶はネットに任せて、今、考える作業を人間が意識の領域で行えばよい。役割分担だ。キーワードによる検索機能、すなわち、記憶を呼び覚ます機能は人間よりもコンピュータの方が優れている。特定の条件に当てはまるデータを記憶の中から探し出す能力はコンピュータの得意分野だ。

情報処理すなわちCPU+メモリが行っている作業は人間が行い、長期記憶すなわちHDDが行っている部分はネットに任せる。

人間とコンピュータとの関係はそのような位置づけにあるのではないだろうか。

かなり大雑把ではあるが、そういうことが言えるのではないかな。

コンピュータは忘れないからね。

短期の記憶と、考えることは人間。長期記憶として情報を蓄えておくことはコンピュータ。その連携、役割分担を洗練させてゆくことがこれからの時代に必要なスキルではないだろうか。

それを支援するようなサービスを考えてみたいと思っている。


iPhone はどれくらい売れるかな??? 地頭力実践編 (CJ)

2008年07月19日 10時51分59秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記

先週末は、iPhone の発売で大騒ぎでしたね。

マスコミが騒いでいるからといって、それがそのまま世の中に普及するというものでもありません。空騒ぎのケースも多い。

私は、iPhone についてはそんなに売れるとは思いません。1年くらいのスパンで考えると、数十万台。ひっとして百万台いけるかな?というくらいと踏んでいます。初日の出荷台数については数千台じゃないかな。1万台には行ってないんじゃないかと思っています。

秋葉原だか表参道だかに1,000人の行列ができたとかで、都内だけでも3~4千台は用意しているだろう。ただ、地方のSBショップでは並ばずに買えたというブログもあり、東京以外を全部あわせても倍くらいかな、と考えた。つまり6~8千台。もうちょっと多いかもしれない。

それで、供給が追いついて来た時に、今後どれくらい売れるかについてなんだけど、どうも iPhone てやつは携帯電話と考えてはいけないらしい。ケータイとしての使い勝手を、既存の端末と比べると、通話やメールの点では iPhone にアドバンテージはない。むしろテンキーによる親指入力に慣れたユーザには使い難いのではないか。女子高生にはウケないんじゃないかな???

iPhone の本領は、インターネットをいつでもどこでも使い倒せる点にある。つまり携帯電話機ではなく、モバイル・インターネット端末なのだ。

だから、ケータイユーザにはそんなに普及しないだろう。MACユーザとネット生活者には普及すると思う。

携帯電話の契約数は、国内で1億契約以上ある訳で(ひとりで2台持ってるケースも含む)、iPhone が100万台売れたとしても1%でしかない。その3倍売れたとしても3%。

ちなみに iPhone については、サブのケータイとして(2台目として)購入する人の割合が結構高そうな感じです。ブログとか見てる感じでね。今のところ、その割合まではちょっとわからないけど。

普及率に関する私の予想は以上ですが、しかしながら、その影響については軽視してはいけないと考えています。

「これからのネットと端末とコンテンツの方向性を iPhone がすでに決めてしまった。今後は他社がその方向を追いかけ始めるだろう。」ということをCNET JAPANで江島健太郎さんが言っていますが、私はこの意見に賛成です。

【iPhone 関連記事リンク集】

「iPhone 3G」がソフトバンクの首を絞める時
急拡大するデータトラフィック、インフラの充実度が焦点に
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080714/165317/

ゲームソフト会社から見たiPhoneの魅力--「ここまで整ったプラットフォームは世界初」
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20376901,00.htm

iPhoneという奇跡 江島健太郎
http://japan.cnet.com/blog/kenn/2008/07/13/entry_27012223/

七月十一日の狂詩曲 クロサカタツヤ
http://japan.cnet.com/blog/kurosaka/2008/07/14/entry_27012229/

日本では iPhone 3G がそれほど売れないと思うその理由 Shin_s
http://japan.cnet.com/blog/skys/2008/07/11/entry_27012145/

iPhone 3Gの最大の欠点 (CJ)

2008年07月18日 13時07分29秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記




iPhone 3Gの最大の欠点。











それはストラップがつけられないことだという。



スティーブ・ジョブズがそれを聞いたらひっくり返るだろうな、きっと。



そして怒りだすだろう。



たちの悪い冗談だろうか? 

案外重要なポイントではないかな? あなたのケータイにはついていますか?

ケータイを変えた時に今までつけていたストラップを捨てられるか?

女性にはあまり広まらないのではないかな。

月額7千円のケータイを2台目として使う人がそんなにたくさんいるとも思えないし。

いや、別に iPhone を否定したい訳ではありません。自分自身、iPod touch ユーザだし、楽しいと思うし、このインターフェースは画期的だと思うしね。

ただ、そのマーケットは限定的だと思っているんですね。





言いたいことが言える自由 (CJ)

2008年07月03日 16時29分12秒 | CNET Japan 読者ブログ■ネットの未来記


先日、新しいブログを立ち上げました。

3つめのブログです。ひとつは音楽について書いているブログ。2005年9月から始めて2度ほどの中断を経て今まで50本書いてきました。 ふたつめはインターネットやテクノロジーについてのこのCNETブログ。これは去年の10月から。そして3つめは映画について書こうと思います。

考えてみれば、そんなにブログごとにテーマを書き分けなくてもよさそうなもんだけど、なんでも、ひとつのブログにいろんなテーマを混在させるのは良くないってことをなんかで読みまして。一つのブログには一つのテーマに絞った方が良いって話だそうで。

ブログのテーマはひとつに絞った方がアクセスが集まりやすいってことらしいです。いろんな話題を総花的にとりあげるのは、アクセスを増やす上ではよろしくないって。

そんな訳でいろんなブログを書き分けているわけですが。 ブログごとにいろんなテーマを取り上げて、好き勝手なこと書き散らしている次第です。どんなテーマについて書こうかと毎度、毎度悩みながらつらつらと書き連ねております。(←なんのために?)



でもときどき思うのです。なんでも好きなことを書き散らせる自由というものについて。なんでも書けるということはなんと自由なことなのかと。本当になんでも自由に好きなことを書けるということはなんと幸せなことなんだろう。



言論の自由というものは今の日本では当たり前のことだが、だが、それが当たり前ではない国もこの世の中にはあるのだということを忘れてはいけない。



なんでも自由に口にすることができるということは、それだけでなんという幸せなことなのかと。それができないことがなんという不自由なことなんだろうかと。 おそらく私たちには想像もできないことなんだろうと思う。言いたいことが言えないもどかしさ。

幸いにして私は言いたいことを何でも言える環境にいる。そのことに感謝しよう。何を言っても自由なこの国に乾杯を。

言いたいことを言ってはいけない国はまだまだ世界にはあるのだから。



この自由を最大限に謳歌しよう。自由万歳。Let the freedom live long!