昨日、今日と京都へ行ってきました。
待ちに待った宗祖御遠忌です。
4月下旬だというのに、3月並みの?寒さに見舞われ、おまけに、予報外れの雨と風に愚痴を言いながら本山へ…
昨日、着いたのは、法要の始まる一時間ほど前、11時半頃だったので、さすがに、まだ、人も疎らでしたが、キャラクターたちのお出迎えがありました。

先に装束を着替え場所へ置きに行き、お昼を食べて戻ると、さすがに境内は賑わい始めていました。

初日やし、午前、午後の入れ替えもないから、混雑する程でもなく、わりと静かな始まりといった感じでしたが、法要が始まり、余間から、大間を見ると、さすがの満堂に。
新聞によると、初日5800にんの参詣だったとか…意外に多いんかな?どうなんやろ?
法要後はこんな様子で、記念写真を撮られたりもしていましたね。

それに引き替えると、一般僧侶の出仕が少なく思えました。報恩講のが多く思えます。
御遠忌法要期間は、第1期が中止になったとはいえ、2、3期で、20日間。
報恩講は7日間、コノ差かな?
期間が長い分、ばらけるのか?
しかし、良い経験ができました。
本山で、お経を読むなんてこと、めったにできないし。
まぁ、早いわ、普段読まない部分が含まれるお経だしで、実際は、読めないわ、見失うわと散々でしたが、まぁ、良い経験だったかなと。
出ないと気付かないし、意識ももてないことあるからね。
僕がいつも思うのは、御連師の姿勢、所作の綺麗さです。
ソノ姿を見て、見習われてく諸先輩方がおられて、それをまた見習って、また、次へと受け継がれていくんだなと。
いろんな意味で姿勢良くいきたいものです。
出仕を終えてからは、龍谷大学の龍谷ミュージアムに近所の寺に伝わる聖徳太子像が展示されてるというので、見に行ってきました。
かなり、お洒落な感じの建物でした。

そのあとは目の前だし、せっかくなので、西本願寺へも行ってきました。

似ているようで似ていない、似ていないようで似ているお西さん。
お西は、メディアの使い方や、発信の仕方、いろんなアピールが巧いです。
龍谷ミュージアムも、大谷大学にはできないだろうし、前に、築地本願寺で見たカフェ、ソノ名もカフェ、・ド・親鸞なんかも、真似できないよね。
まぁ、お互いの良さでしょうか?
これも、ある意味良いよね。イイ歳したオッサンになりつつある後輩がコノ笑顔。

こういうノリも大切だよね。ベタやけど。
待ちに待った宗祖御遠忌です。
4月下旬だというのに、3月並みの?寒さに見舞われ、おまけに、予報外れの雨と風に愚痴を言いながら本山へ…
昨日、着いたのは、法要の始まる一時間ほど前、11時半頃だったので、さすがに、まだ、人も疎らでしたが、キャラクターたちのお出迎えがありました。

先に装束を着替え場所へ置きに行き、お昼を食べて戻ると、さすがに境内は賑わい始めていました。

初日やし、午前、午後の入れ替えもないから、混雑する程でもなく、わりと静かな始まりといった感じでしたが、法要が始まり、余間から、大間を見ると、さすがの満堂に。
新聞によると、初日5800にんの参詣だったとか…意外に多いんかな?どうなんやろ?
法要後はこんな様子で、記念写真を撮られたりもしていましたね。

それに引き替えると、一般僧侶の出仕が少なく思えました。報恩講のが多く思えます。
御遠忌法要期間は、第1期が中止になったとはいえ、2、3期で、20日間。
報恩講は7日間、コノ差かな?
期間が長い分、ばらけるのか?
しかし、良い経験ができました。
本山で、お経を読むなんてこと、めったにできないし。
まぁ、早いわ、普段読まない部分が含まれるお経だしで、実際は、読めないわ、見失うわと散々でしたが、まぁ、良い経験だったかなと。
出ないと気付かないし、意識ももてないことあるからね。
僕がいつも思うのは、御連師の姿勢、所作の綺麗さです。
ソノ姿を見て、見習われてく諸先輩方がおられて、それをまた見習って、また、次へと受け継がれていくんだなと。
いろんな意味で姿勢良くいきたいものです。
出仕を終えてからは、龍谷大学の龍谷ミュージアムに近所の寺に伝わる聖徳太子像が展示されてるというので、見に行ってきました。
かなり、お洒落な感じの建物でした。

そのあとは目の前だし、せっかくなので、西本願寺へも行ってきました。

似ているようで似ていない、似ていないようで似ているお西さん。
お西は、メディアの使い方や、発信の仕方、いろんなアピールが巧いです。
龍谷ミュージアムも、大谷大学にはできないだろうし、前に、築地本願寺で見たカフェ、ソノ名もカフェ、・ド・親鸞なんかも、真似できないよね。
まぁ、お互いの良さでしょうか?
これも、ある意味良いよね。イイ歳したオッサンになりつつある後輩がコノ笑顔。

こういうノリも大切だよね。ベタやけど。
沢山の犠牲の上で、日本が、日本人が良い方向に変わってゆくものと信じて、毎日をありがたく生きていかなければなりませんね。