住職日記

皆満寺 住職 永尾圭吾です。
いろんな情報を気ままにアップしていきます。

沖縄

2009-05-30 23:53:46 | 日記
ドキュメンタリーフィルムのポスターです。
先日の高山別院の本堂の入口に貼ってありました。
珍しい場所(本堂の入り口、正面にこの手の掲示があるのは珍しいんです)だったので目についたのですが、それ以上に書いてあるコピーにふるえました。
沖縄が必死に語り続けていることは、忘れてしまいたいほどの事実なんだと、改めて知らされました。
以前、沖縄での研修で、平和祈念公園に行ったことがあるのですが、そこで見た言葉を思い出したのでアップしてみました。

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか

こう書いてありました。

許さない努力…最近の僕らが見失わされているもののように思えます。

いのちの問い

2009-05-29 23:19:51 | 日記
6月号の同朋新聞(ご本山月イチ発行の新聞です)の表紙にに和田 稠(しげし)先生の言葉が載っていました。
「病む身は病むにまかせて
 現前のいのちの問いに生きなんとす」
なかなか病むにまかせることが出来ない僕らがいます。あのインフルエンザ騒ぎを見てもそう思います。あれはいったい何だったのでしょうか?病みたくなくても病むしかない僕らの身の事実があるように思います。
病む身を病むにまかせて生ききられた方があられます。治療をされなかったわけでないのです。病む身を受け入れて、過ごしておられたのだと思います。
お連れ合いの方が、
「この人が病気にならなかったら、こんなにも一緒に過ごす事は出来なかった。病気が時間をくれた。」
と仰っておられました。
夫婦で受け入れたからこそ、現前のいのちの問いに生きられたのだと知らされました。
私は、いのちの問いに耳を貸して生きているだろうか?そんなことを思わずにはいられませんでした。

花屋をはしご

2009-05-28 22:57:29 | 日記
今日は朝から花屋をはしごしました。
28日は宗祖、親鸞聖人のご命日です。
当然、本堂の仏華は新しい・・・はずなのですが、気付けばかなり花も痛んでおり、おまけに11時からは法事も引き合ってあり・・・痛んだままの花で迎えるわけにはいかないので、急いでいつもの花屋へ・・・しかし、「本日休業」の看板が・・・。仕方がないので思いついた近くの花屋へ行ったんですが、どう見ても準備中・・・3軒目でようやく買うことが出来、ギリッギリ間に合いました。
しかし、普段の掃除もですが、なかなか本堂の荘厳がままなりません。お給仕は住職の勤めのはずなのですが・・・。
こういうところから、コツコツやっていければ良いなあと・・・。
けれど、お引き受けした法事のお陰で、宗祖ご命日の荘厳のお給仕ができました。ほんと、お陰様であります。

なかなか、ままなりませんが、宗祖ご命日のお勤めくらいは、きちんとやりたいものですね。

坊守は…

2009-05-28 01:26:04 | 日記
今日は午後から、若手坊守の交流会?がありました。勿論、出席するのはかみさんです。
僕らの宗派では住職の配偶者を坊守といいます。一般的には、寺の者の住みかである庫裏から、『おくりさん』と呼ばれることが多いですか、正式には坊守と言います。
文字どおり、坊(寺)を守るのですから、寺は坊守で保っていると言う人がいるくらいです。本当にその通りで、大切な寺の勤めです。今日はそこで腕輪念珠作りをしたそうです。1人で4つも作ったのは、かみさん一人らしい…そんなとこがかみさんらしいです。