鏡川早朝ウォーキング ファンクラブ

平成の名水百選に選ばれ、”龍馬も泳いだ鏡川”周辺を歩いて、健康増進と交流を図ります。

③ 山内容堂・西郷隆盛会見の地

2011-01-07 | ③山内容堂・西郷隆盛会見の地

~③ 山内容堂・西郷隆盛会見の地~

 ① 目的~西郷隆盛は島津久光の命を受け、山内容堂の上洛を
        促すために、来国す。
 ② 歓迎式典~前年に容堂の命で後藤象二郎ら二人が鹿児島に
        行き、歓待を受けていたので、隆盛ら四名への接待は
        趣を凝らせている。
 ③ 会見の場所~家臣七人の屋敷を移転させ建てた「散田邸」の
        物見座敷「此君亭」を使って会見、そこは鏡川を眺める
        堤防上に建っていたが、現存しない。
 ④ 成果~西郷は久光の意向を伝えて容堂から上洛の
        返事を得ている。
 ⑤ その後の動向~4月に上洛した容堂は5月には、
        兵庫開港・長州処分を主題とする四候会議を途中で
        投げ出して帰国している。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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② 馬場弧蝶・島崎藤村交歓の地

2011-01-07 | ②馬場弧蝶・島崎藤村交歓の地

~② 馬場弧蝶・島崎藤村交歓の地~

 弧蝶は高知市生まれ、明治学院卒業後、共立学校
   (土佐女学校)の英語教師をしていた。
 同窓生として親交の深かった藤村が訪ねて来て、弧蝶の
   下宿に滞在。そこは鏡川を隔てて天満宮から筆山を
   見渡すことができ、夜になると川の瀬音が聞き取れる
   場所であった。藤村は「送らる々舟にて聞くや冬の雨」
   の句を残して帰っていった。
 藤村から文学的刺激を受けた弧蝶は共立学校を辞して、
   上京し文学者・翻訳家の道を歩むようになった。
 碑には弧蝶の句で、「思い出や瀬の音近うおぼろ月」
   が刻まれている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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