過疎化などで檀家が減少し寺の経営が厳しいので京都の西本願寺の僧侶達が「寺エネルギー」なる会社を設立して電力事業に乗り出す報道がある。
世間離れした人々が世俗の貨幣経済の奴隷になったのだろうか。
農耕民族の仏教の僧侶なら自然と共生し、朝日起床、日没就寝、勉学は蛍の光や蝋燭の明かりがお似合、電力に依存するLED頼りは違和感がある。
餅は餅屋、役割分担が有るだろう。医者の不養生・紺屋の白袴・坊主の不信心、本分を忘れると世間から見放される。
祖国を株式会社にする政治、電気屋が大根を売る、鉄道会社がホテルを経営する等々、本来の役割を忘れ脇見をするよりも縄張りを懸命に死守する事が大切と思うが、時代錯誤で悪者にされる。