風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

飯田線物語

2022年12月13日 12時52分29秒 | 随想

豊橋から辰野までのJR東海飯田線、元善光寺の座光寺の果樹農家の援農で15年間で10数回往復したので、路線の知識が増えるのは必然だろう。

豊橋平野の豊川稲荷、長篠城跡を通過し湯谷温泉から隧道と橋梁で豊川水系を遡ると池場,東栄駅の分水嶺で三河から遠州出馬駅になる。天竜川水系の川岸をしばし走行すれば中部天竜、3年の歳月を費やして66年前の昭和31年に竣工した佐久間ダム建設時期は駅前市を成しだっただろうが、今は閑古鳥が鳴き寂しさの極み。

堰堤155.5mの佐久間ダムだから川岸の飯田線は水没、佐久間駅から峰トンネルで水窪川の岸に至り、相月、城西、向市場、水窪駅を新線を建設、大原隧道で水没を免れた大嵐駅から歴史ある飯田線に戻るのである。工期が短く、糸静構造線界隈だから地盤が悪く、隧道新設を断念し結果が水窪第六橋梁、渡らずの鉄橋の名物の出現になった。

佐久間ダムのお陰で遠州最後の小和田や信州最初の中井侍駅は秘境駅の仲間入りができたのだった。皇后陛下の旧姓の小和田駅、天皇皇后陛下がお召列車で行幸啓されれば飯田線も全国区に躍り出る。

佐久間湖が途切れる平岡には堰堤62.5mの平岡ダムがあり、ダム湖が終わる門島には泰阜ダムがあり、そのダム湖には天竜峡駅から天竜ライン下りが唐笠まで運行する。その間の千代と金野は秘境駅。天竜川から離れ松川沿いを登る起点の伊那八幡から近い弁天港から時又まで急流を下る天竜舟下りが有ったが、コロナ禍で運休中。

平岡ダムや泰阜ダムでなぜ飯田線が水没しなかったのか、素朴な疑問がある。理由は飯田線がダムを建設する資材運搬目的で施設されたからである。水没したらダム建設計画が杜撰と言われただろう。

駄科から始まり切石駅で松川を渡り河岸段丘上の飯田に向かい元善光寺はΩループ、最短距離は下山村~伊那上郷間の2キロで電車は6キロの大回り、飯田駅で7分停車する531M電車ならその間の31分、下村駅で下車、同一電車に再乗車が可能だろう。

伊那上郷と元善光寺間に上郷隧道が豊橋から最後の138番目の隧道、以後辰野まで隧道は存在しない。元善光寺以北の飯田線、いつか物語ろう。


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