
認知症になると収集癖が顕著になる様である。
その理由は「ものがあったことを忘れてしまい、集める」「もったいない性分で集める」「不安を解消するために集める」「代償行動として集める」に分類される記述がある。適切な指摘とは思わない。
先の後期高齢者の運転免許の更新に際し、認知機能検査の筆記試験を受けた結果、アナログ時計の長針と短針を取り違えた結果、少し認知症と断定され、実技試験では健常者より正確な運転を称賛され、無事交付された。まず実技試験をし、問題があれば認知機能検査をするのが正しく、本末転倒の制度である。
3年後の更新時には返納を視野に、運転できなくなる不安を解消する為に道の駅のスタンプを収集する事に没頭するのは認知症だろうか?
当局による認知症検査の無い時代には、車で西国観音霊場や四国88カ寺遍路をし墨書朱印を収集したが、万物の霊長の名の下に自然破壊に対する罪障消滅が根底にある祈りだった。真っ赤な嘘です。
岡本太郎の作品模型、1960年代の国鉄車両の模型収集癖は病気でなく趣味と思いたい。
春に訪れた横山大観の絵画の収集癖のある足立全康の施設は認知症美術館と言うべきなのだろうか?
孫は恐竜模型やトミカの自動車を収集し、レゴブロックは部屋に散乱しているが、認知症なのだろうか?
人間の崇高な知的活動で、認知症と断定するのは収集癖に対する憎悪表現と思い、怒り心頭に発する。