mika-reiki

香川県善通寺市在住の
現代レイキヒーリング協会公認レイキマスター『現代霊気法スクール』

わたしのストーリー 

2016年04月08日 23時06分28秒 | レイキ体験談

小さいころから私は絵を描くのが何より好きでした。美術学校に進みましたが、人生の紆余曲折を経て、念願の“自分だけのイタリア美術旅行一人旅”が始まったのは1998年、今から◯年前でした。
言葉を理解しないと不自由なので、現地の語学学校に入学し、ホームステイで生きた言葉も学びながら、イタリア中を旅して回りました。
お金と修学ビザの期限が切れたら日本に帰って働いて、またイタリアへ戻る。こんな生活がイタリアでレイキに出合う2005年春まで続きました。
 

はじめはピサの斜塔で有名なPisa大学の美術学部の学生たちと暮らしながら、ビアレッジョのダンテ アリギエーリ協会校に通い、


続いてサッカーの中田英寿(選手)も通ったペルージャ大学付属学校へ進学、最後がフィレンツェ大学付属校でした。友達も世界中の青年たちがクラスメートであり、思えば大変貴重な人生経験だったと思います。


フィレンツェでの最終試験の数日前の出来ごと、突然の持病の再発でした。まさに痛みで全く身動きが出来ない状態に陥った時に、家主の姿が窓から見えたので助けを求めました。「救急車を呼んでくれませんか?」すると、家主は私の部屋に入ってしばらくして、「もう大丈夫だ。」と、言うのです。キツネにつままれたように私から痛みも不自由さも去っていました。翌日、私を魔法使いのように治した家主はレイキのヒーラーだと教えられたのですが、レイキを知らない当時の私には不可解な、しかし有難い出来ごとでした。


18000kmの海を隔てて、同じ頃、私の妹が突然の悪性腫瘍宣告から外科手術を受けていました。精神的なショックから麻痺状態が続いていた最中に、「レイキを受けてみなさい。」と人からの勧めに、藁をも掴む思いで彼女はレイキの初伝を受講していました。習ったレイキで毎日、自己ヒーリングを続けるうちに麻痺は治っていたそうです。
帰国した私は、妹が学んだというレイキを自分も学んでみよう!と、彼女が持っていた現代レイキヒーリング協会代表 土居 裕先生 初版の『癒しの現代霊気法』に引き込まれていました。


本当に自分も元気な体に戻れるなら懸けてみよう!レベル1と2を一緒に受講しました。
人其々、千差万別ですが、私も例に洩れずエネルギーという体の中を伝わる振動や色などを生まれて初めて体験した部類の一人でした。もし、そんな体感が無ければ私のような人間は、レイキと言われている癒しの宇宙エネルギーなど信じなかったからかもしれません。一方、何も色は見えず、何も手に感じなかった、真面目にテキストも見ていない一緒に受講した母親が、案外レイキと呼ばれる暖かいぬくもり氣が、よく彼女の手から出ているのにはビックリしたりしたものです。

初めは面白くて、効果を追い求めたりしましたが、そのうち自分の心持が以前と変わってしまった事に気付きました。確かに心が明るく、楽になっていました。レベル3を受講した後は、エネルギーの違いがわかるようになっていました。或る人は私のような感覚ではなく心へ、直接レイキが安心感で知らせてくれるようです。
とても愉快な心地への変化から、次にイタリアへ戻る日もあるかもしれないからと思うようになり、2007年にはレベル4のマスター(レイキ師範)を受講していました。

その翌年、土居先生の芦屋での現代霊気セミナーに、イタリアのトリエステから、西洋レイキグループが学びに来て、彼らと知り合いになれました。

再びイタリアへ戻ることはありませんでしたが、今も互いにレイキという愛と調和のヒーリングの実践を通して学びを続けられる大切な海外の光の仲間をたくさん得ました。もちろん、日本でもしっかりと光の仲間たち(レイキを学んだ人たち)に囲まれています。今を幸せに思えます。思い起こせば、本当に有難い出会いでした。

ご訪問ありがとうございました

コメント
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