チハルだより

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もしもスランプになったなら

2010-09-03 | エッセイ


 スランプって、たぶん、高尚な志を持つ方のもの……そう思うわたしには、縁のない言葉です。
 字を知らない幼いころから、頭の中で、おはなしを作っては、おしゃべりすることが好きでした。耳を傾けてくれる遊び仲間が、近所に沢山いたからです。
 けれど、母には、ひどく心配をかけました。ありもしない話をするうそつきは、ろくな大人になれないと……。
 母を決して悲しませたくはなく、かといって、この遊びを忘れる術など、つゆ知らず。
 わたしは、口のかわりに、手を動かすようになりました。「頭の中のおはなし」を、内緒で紙に書いたのです。
 はじめは絵を。やがて、見よう見まねで覚えた字を。けれど、この秘め事は、母の目を逃れられはしませんでした。
 ある日、小さな娘の落書きを見つけた母は、言ったのです。
「よく書けてる」―字の練習、と思いこんだようでした。
 勘違いで褒められたとは気づかずに、わたしはさらに、手を動かすようになりました。ホッチキスで紙を綴じ、絵本を作り、ほいほいと、ひとにあげるようになったのです。家族、友だち、先生、近所の優しいおばあちゃん……貰ってくれたひとたちの、笑顔がうれしくて、うれしくて。
 そんな気もちのままに、いまを迎えてしまったわたしです。書くことは、喜び以外のなにものでもありません。
 だからこそ、読んでくれたひとにも喜びを、心に残るものを届けたい。いまの自分にできる「最高のプレゼント」として、真心あるおはなしを書いていたいのです。
 真心あるおはなしを書くために、大切にしていることは、自分自身の素直な気もち……ありのままである時間。
 母であり、妻であり、嫁であり……さまざまな役を担って社会に立っているときは、始終気ままでいられるほどに、わたしは強くありません。誰かを困らせるのは、いやだから。自分も苦しくなってしまうから、素直な気もちを覆い隠す便利なベールを何枚も、大人になるたび、手に入れました。
 けれど、便利なベールは、ときに心の息を奪います。それゆえ、ひとりになって、ベールを脱いで書くのです。
「いつ脱ぐか」は、重要です。
 時を違えれば、寒さと寂しさと恥ずかしさに襲われます。いろいろ試していくうちに、わたしには、午前が一番よいと気がつきました。南に昇るお日さまが、心を明るく開放してくれます。晴れてなくても、だいじょうぶ。雲のむこうに、お日さまは、いつだってちゃんといてくれます。
 書きたくないときは、書きません。無理しても、「最高のプレゼント」は書けないから。かわりに、絵本を広げたり、歌ったり、楽器を弾いたり、手芸に没頭してみたり。心の欲するままにすごしていれば、すぐに、書きたくなってくるのです。
 こうした時間を持てるのは、家人の理解と協力あればこそ。ふたりの娘と夫にも、気もちのいい時間をすごしてほしいと願っています。
 さいわい、わたしは家事が好き。家人とすごす時間も大好きです。ひとりの時間は、一日いくらかあれば充分です。
 長時間、机に向かって書くタイプではありません。紙やペンがなくても平気です。料理や掃除や洗濯や、繕い物をしながらぼんやりと、頭の中で「書く」のです。いえ、浮かんでくる文字と追いかけっこする感じ、でしょうか。
 物事は、うまくいくときもあれば、そうでないときもあります。分かっていても、めげて心の疲れがとれないときは、気に入った川原に寝転び、日向ぼっこをしています。
 〆切前や緊張で体が硬くなったときには、タコタコダンスかウサギダンス。どんな踊りであるかは語りません。トップシークレット、なのです。
 自分を見失いそうなときには、おへそに手をあてて深呼吸。「なんとかなる」と呪文のように唱えます。それでも、心の悲鳴がやまないときは、「コノ道マッスグ歩イタラドコ行ク散歩」や「ドコマデ曲ガラズ行ケルカドライブ」することも。
 もしもこのさき、スランプというものが訪れたなら、わたしは素直に受け入れようと思います。そのときの、わたしに必要なことなのだと思うから。
 もしもスランプが、不安を連れてきたのなら、わたしは怯えてそのさきに、強さを見つけたひとのおはなしを書きたいです。
 もしもスランプが、痛みを連れてきたのなら、わたしは泣いて、それまで知らなかった優しさに、気づいたひとのおはなしを書きたいです。
 もしもスランプが、絶望を連れてきたのなら、わたしは苦しみぬいて、やがて空を見上げて微笑んだひとのおはなしを書きたいです。
 読んでよかったと、思ってもらえるようなおはなしが、書けるのならば、幸せです。


■児童文芸 2010.6-7月号 「私のスランプ脱出法」より 発行:(社)日本児童文芸家協会


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