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「佐伯祐三 自画像としての風景」(東京ステーションギャラリー)

2023年03月14日 | 展覧会(日本美術)
佐伯祐三 自画像としての風景
2023年1月21日〜4月2日
東京ステーションギャラリー
 
 
 佐伯の回顧展の鑑賞は、私的には、2005年の練馬区立美術館「佐伯祐三展 - 芸術家への道」以来、18年ぶり2度目。
 
 本展も、大阪中之島美術館、和歌山県立近代美術館のコレクションのほか、国内美術館などから多くの油彩作品が集められ、見応え大。
 
 佐伯の画業は、次の4つの時代に大きく分けられるようだ。
・学生時代・パリ滞在前(〜1923)
・1次パリ滞在時代(1924〜25年、2年)
・一時帰国時代(1926〜27年、1年数ヶ月)
・2次パリ滞在時代(1927〜28年、実質半年)
 
 本展の構成は、時代順ではなく、自画像、風景画、肖像画、静物画といった題材別に分けられる。
 メインの風景画は、「大阪と東京」「パリ」「ヴィリエ=シュル=モラン」の3セクション。
 「大阪と東京」は、「パリ滞在前」と「一時帰国時代」とに、「パリ」は、「1次パリ滞在時代(ヴラマンク前・直後)」「1次パリ滞在時代(ヴラマンク後)」「2次パリ滞在時代」とにパート分けされることで、画業の進展を追うことができる。
 
 
【佐伯の略年譜(抜粋)】
 
1898年(0歳)
 4月28日、大阪に生まれる。
1917年(19歳)
 3月、大阪府立北野中学校を卒業。
 9月、上京。川端画学校で藤島武二の指導を受ける。
1918年(20歳)
 4月、東京美術学校西洋画科予備科に入学。9月、本科1年に進級。
1920年(22歳)
 9月、父死去。11月、結婚。
1922年(24歳)
 2月、長女誕生。
1923年(25歳)
 3月、東京美術学校西洋画科卒業。
 9月、信州渋温泉滞在中に関東大震災発生。数日後、貨車で大宮まで出て池袋の画家仲間宅まで歩く。新橋にある妻の実家に預けていた渡仏準備の荷物は全焼。下落合のアトリエは半壊するが焼失は免れる。被災地を写生して歩く。
 11月26日、神戸港から妻・1歳7ヶ月の娘とともにパリに向けて出発。
1924年(26歳)
 1月2日、マルセイユ上陸。3日、パリ到着。
 6月30日、オーヴェール=シュル=オワーズにヴラマンクを訪問。この日ゴッホが没した部屋に宿泊。7月1日、ガシェ博士の家を訪問、ゴッホ作品を見る。
1926年(28歳)
 1月14日、パリを発つ。ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、アッシジ、ローマ、ポンペイを巡る。2月8日、ナポリ港を発つ。
 3月15日、神戸港に到着。4月、下落合に戻る。
1927年(29歳)
 7月29日、妻・5歳の娘とともに東京駅を出発、大阪・下関を経て、シベリア鉄道でパリへ(全区間2等寝台切符)。
 8月21日、パリ到着。
1928年(30歳)
 3月29日、病床につく。
 8月16日、死去。
 8月30日、娘が病没。享年6歳。
 10月31日、妻が帰国。
 
 
【本展の構成】
 
プロローグ 自画像
1-1 大阪と東京:画家になるまで
1-2 大阪と東京:〈柱〉と坂の日本-下落合と滞船
◎親しい人々の肖像
◎静物
2-1 パリ:自己の作風を模索して
2-2 パリ:壁のパリ
2-3 パリ:線のパリ
3 ヴィリエ=シュル=モラン
エピローグ 人物と扉
 
 
 
プロローグ「自画像」
 
 1919〜24年制作の9点。
 すべて「学生時代・パリ滞在前」「1次パリ滞在時代(ヴラマンク前・直後)」の制作である。
 
 
1章「大阪と東京」
 
 「学生時代・パリ滞在前」の6点と、「一時帰国時代」の16点。
 
 佐伯といえば、パリの街を描いた作品だよね、と「一時帰国時代」の下落合周辺を描いた作品をスルーしていたが、2021年の練馬区立美術館「電線絵画展」により電線&電柱の魅力というか重要性というかを認識して以降、「一時帰国時代」の作品の楽しみ方をほんの少しだけ知った私。
 
 アトリエからすぐ近くの細い通りを描いた、立ち並ぶ電柱が印象的な、でも電線は描かれていない《下落合風景》2点。
 西武新宿線中井駅の北側の蘭塔坂(二の坂)を上りきった辺りから南の方向へ、現在の伊勢丹新宿店のビルなど新宿の街並みが遠望できる風景を描いた《下落合風景》。
 「富永醫院」「落合倶楽部」の看板が印象的な《看板のある道》。
 高田馬場駅から少し北にある山手線の鉄道高架を描いた《下落合風景》。
 新橋の高架下を描いた、高架下向こうに小さく見える街の賑わいも印象的な《ガード風景》。
 アトリエから近くの大斜面でスキーやソリを楽しむ人たちを描いた《雪景色》。
 
などを楽しむ。
 佐伯が描いた風景巡りをしたくなるところだが、さすがに100年前の風景、今は大半がその痕跡も残していないだろう。
 
 
《雪景色》
1927年、東京国立近代美術館
(所蔵館にて撮影)
 
 
 
「親しい人々の肖像」
 
 そのタイトルのとおり、佐伯に近い人たちを描いた、1920〜27年制作の肖像画7点。
 1歳の娘を淡い色彩で描いた《彌智子像》と「一時帰国時代」に妻を描いた《米子像》が並んで展示され、あわせて、佐伯の死の2週間後に娘もパリで同じ結核で亡くなると解説されると、辛いものがある。
 
 
 
「静物」
 
 1925〜26年制作の静物画8点。
 静物画らしい作品《テンピン油のある静物》や《ポスターとローソク立て》もいいが、おもしろく見たのは《人形》。
 父の遺産と実家の寺からの仕送りによりパリ生活も経済的には恵まれていた佐伯は、衝動買いが多かったらしい。
 本作のモデルとなった人形は、オペラ座通近くの骨董店にて男女一対を1000フランで購入したもの。パリでのほぼ一カ月分の生活費に相当する額であったので、さすがの佐伯もその後の生活費の手当てに一悶着あったらしい。
 ぱっと見、人形ではなくて、生身の人間をモデルとしたような感じのする作品。
 
 
(続く)


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