
生誕140年記念 石崎光瑤
2025年4月23日〜5月6日
日本橋高島屋S.C. 本館8階ホール
現在の富山県南砺市生まれで京都を中心に活躍した日本画家・石崎光瑤(1884-1947)。
富山・京都・静岡と巡回して評判が良かったらしい生誕140年記念の回顧展が、最後の巡回地・東京にやってきた。
ただし、東京会場は、他の巡回地と比べてダウンサイズした模様。南砺市立福光美術館の所蔵作品のみで構成。会期も2週間と短い。
メインビジュアルの《燦雨》が気になり、平日の夜間時間帯に訪問する。
石崎は日本画家であるとともに、登山家としても知られるという。
1916月11月〜翌17年7月には、日本を離れ、インドの各地を旅し、日本人登山家として初めてヒマラヤの一峰マハデュム峰(標高3,966メートル)の登頂を果たしている。

この体験を活かし、南国を舞台とする花鳥画に取り組む。
1918年の第12回文展に《熱国妍春》を、翌19年の第1回帝展に《燦雨》を出品し、連続して特選を受ける。

石崎光瑤
《燦雨》
1919年、南砺市立福光美術館
激しいスコール。驚くインコと孔雀。全面を覆うように描かれるホウオウボク (鳳凰木)。

東京会場では、《熱国妍春》(京都国立近代美術館所蔵)は出品されず、図版パネルでの紹介。

その5年後には、欧州旅行。
年譜によると、1922年12月〜翌23年8月、カイロ(ピラミッド)、イタリア、パリ、ロンドン、デン・ハーグ、ドイツ、スペイン(トレド、マドリード)などを訪ねる。
特にフレスコ画に興味を示したとのことだが、この辺りの成果を伺える直接的な出品作は特段ないようだ。
1925年、大阪の西福寺の伊藤若冲の襖絵《仙人掌群鶏図襖》を発見し、世に紹介する。他会場ではその模写作品が出品されたようだが、東京会場には出ない。
1912年に《動植綵絵》を見て以来、若冲に憧れたとのことで、その影響が濃い《雪》(1920年)が出品される。


1932年1〜5月、高野山金剛峯寺奥殿襖絵の制作取材のため、2度目のインド旅。
他会場では、襖絵が特別展示されたようだ。
1940年の紀元2600年奉祝美術展(《隆冬》)や、1942年の軍用機献納作品展にも出品している。

40点ほどの出品でコンパクトな展示。
電話音など外部のザワザワが会場内に響くのは、昔ながらの百貨店の展覧会らしい。