
ヒルマ・アフ・クリント展
2025年3月4日〜6月15日
東京国立近代美術館
スウェーデンの女性画家ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)。
カンディンスキーやモンドリアンら同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として近年再評価が高まっているという。
死後20年間は作品を世に出さないよう言い遺したことで、長らく限られた人々に知られるばかりであったが、死後40年が経過した1980年代になっていくつかの展覧会で紹介が始まり、21世紀に入るとその存在は一挙に世界的なものになったという。
【本展の構成】
1章 アカデミーでの教育から、職業画家へ
2章 精神世界の探求
3章 「神殿のための絵画」
4章 「神殿のための絵画」以降:人智学への旅
5章 体系の完成へ向けて
本展の最後に用意される参考資料コーナー。
以下、同コーナーに展示されるアフ・クリント直筆のノートブックの画像を掲載する。


《ノートブック「ヒルマ・アフ・クリントの作品に関する文字と語句についてのノート」》
1906-07年

参考図版では、マリ・キュリーの直筆ノートと対比させている。

《1930-31年のノートブック》
1930-31年

「神殿のための絵画」を収めるための建築物=神殿の構想を記す。

他ページも図版で紹介。
神殿は4層からなる螺旋形状で、頂上に灯台が設置されています。建物内部の作品配置に関する具体的な検討もなされ、建物から突き出すように設けられたライブラリーには、〈10の最大物〉が書物とともに飾られる計画でした。


神殿の建設候補地の一つとして、アフ・クリントはスウェーデンとデンマークを隔てるユーラソン海峡に浮かぶヴェン島を挙げていました。16世紀、ヴェン島には天文台が所在しており、その建設に関わったのが、デンマーク人天文学者ティコ・ブラーエでした。ブラーエは当時としては革新的とも言える高精度かつ包括的な天体観測を行い、占星術師、錬金術師でもありました。
《1932年のノートブック》
1932年

+×
私の死後20年経って公開されることになる、それらに属するすべての仕事に、上記の印が付される。
《1934年のノートブック》
1934年


霊的存在の想念形態を描く。
想念=形態は以下の通り:
/1グレーゲルの想念?/2アマリエルの?/3アナンダの/4イーオルグの
つづく(?)