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東京でカラヴァッジョ 日記

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「生誕110年 矢崎博信 シュルレアリスムがみせる夢」(茅野市美術館)

2024年05月24日 | 展覧会(日本美術)
生誕110年 矢崎博信
シュルレアリスムがみせる夢
2024年4月11日〜7月7日
茅野市美術館
 
 上諏訪駅の観光案内所にあるチラシにて、本展を知る。
 
 名前は記憶にないが、「シュルレアリスム」と「29歳の若さで戦死」という言葉にひっかかる。
 今年(2024年)開催の板橋区立美術館での「シュルレアリスムと日本」展に出品されていた画家かもしれない。
 
✳︎ 後で確認すると、同展には矢崎の作品が1点出品されていた。宮城県美術館所蔵の《時雨と猿》1940年。拙ブログ記事でも、印象に残る作品の一つとして、画家の名を記していた。
 
 茅野市美術館は、JR中央本線・茅野駅に直結する文化複合施設「茅野市民館」内にあり、19時まで開館しているという。
 茅野市尖石縄文考古館からの帰りの電車の待ち時間に、滞在時間は30分強となるが、訪問する計画とする。
 
 
 
 本展は、茅野市美術館の収蔵作品展。
 観覧料無料。
 
 
 矢崎は、1914年11月、長野県諏訪郡永明村(現茅野市)に生まれる。
 1933年、長野県諏訪中学校を卒業し上京、帝國美術学校(現武蔵野美術大学)に入学。在学中、前衛美術グループ「アニマ」の結成メンバーとなり、シュルレアリスムの影響を受けた作品を制作する。
 1938年、帝國美術学校を卒業し帰郷、小中学校の教員を務める。
 1939年3月〜40年6月、召集、満州に出征。
 1941年12月〜42年7月、2度目の召集、出征地不明。
 1943年9月、3度目の召集。
 1944年2月17日、輸送船の船底で作業していたところ、魚雷攻撃を受け、中部太平洋トラック島沖で戦死。
 
 
 本展では、諏訪中学校時代の作品から、帝國美術学校時代の作品、帰郷後の作品まで36点の油彩画を見ることができる。
 
 帝國美術学校時代の作品は、シュルレアリスム。
 帰郷後の作品は、卒業直後のシュルレアリスムから、シュルレアリスムと地元の風景風俗との融合、やがてシュルレアリスム要素が抜けてきて地元の風景画、というのが出品作から受けた私のいいかげんな印象。
 シュルレアリスムへの弾圧(1941年4月の瀧口修造と福沢一郎の勾留)の影響もあったのだろうか。
 帝國美術学校卒業から約6年間、矢崎が作品制作に取り組めたのはその半分程度であったことを思う。
 
 
 チラシ掲載作品。
 
矢崎博信
《街角(彼の地には水害のあった日)》
1935年、116.7×91.0cm、茅野市美術館
 帝國美術学校時代の作品。
 1935年6月下旬に発生した京都大水害(鴨川大洪水)や、1932年12月に発生した東京・日本橋白木屋百貨店の火災(日本初の高層ビル火災)を題材にしたとされているとのこと。
 
 
矢崎博信
《農夫働くの図》
1939年、130.4×162.2cm、茅野市美術館
 帰郷後(召集前)の作品。
 地元の里山で農作業に従事する人々。
 シュルレアリスム風の不穏な空気。
 
 
 
 茅野市美術館は、生誕100年となる2014年に、自館所蔵のみならず、全国からも作品を集めた100点規模(うち油彩70点超)の大回顧展を開催している。
 その回顧展図録が展示室に置かれ、館での販売もある。
 茅野市は、地元出身の洋画家・矢崎を大切にしていることが伺える。


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