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【画像】ブルターニュの海に生きる人々&ゴーギャン-【その2】「ブルターニュの光と風 - 画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉」(SOMPO美術館)

2023年03月29日 | 展覧会(西洋美術)
ブルターニュの光と風
画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉
2023年3月25日〜6月11日
SOMPO美術館
 
 ブルターニュ地方にあるカンペール美術館の所蔵作品により、19世紀後半から20世紀前半にかけて、アカデミスム系の画家から、ゴーギャンやポン・タヴァン派、ナビ派の画家、そして20世紀の諸流派の画家により描かれたブルターニュの姿を紹介する本展。
 約70点の出品で、一部は国内美術館の所蔵作品。
 
【本展の構成】
1章 ブルターニュの風景-豊穣な海と大地
 ・海に生きる人々
 ・大地の香り
 ・人々の暮らしと信仰
2章 ブルターニュに集う画家たち-印象派からナビ派へ
 ・印象派
 ・ゴーギャンとポン=タヴァン派
 ・ナビ派
3章 新たな眼差し-多様な表現の追求
 ・印象派以降
 ・バンド・ノワール
 ・フォーヴィスム、キュビスム・・・
 
 
 以下は、撮影可能作品から、その1で取り上げた「ブルターニュの女性たち」以外の作品を6選、会場内作品解説とともに。
 
 
【第1フロア(5階)】
 
 
 
 
アルフレッド・ギユ(1844-1926)
《さらば!》
1892年、カンペール美術館
 ブルターニュのコンカルノー生まれ。
 水先案内人や養殖業を営む父親を手伝うかたわら、コンカルノーを訪れる画家から素描の手ほどきを受けるなかで画家を目指す。
 1864年にパリへ、1867年にサロン初入選を果たすが、1871年に制作拠点を故郷に移し、コンカルノーの漁師たちの日常生活を描く。
 義弟のデイロールとともに、同地の芸術家コロニーの中心的存在となる。
 
 本作を評した当時の『フィニステール』紙の批評文によれば、ここに描かれるような悲劇は、ブルターニュの海を舞台にこれまで幾度も起きてきた出来事だという。
 嵐に遭遇し、沖で転覆した舟にしがみつく漁師の男は、激しく襲いかかる波と格闘しながら若き息子を抱きかかえている。
 父の逞しく目焼けした腕のなかで、今まさに息途絶えた息子の体は、青白く脱力している。
 父は息子に最後の別れの口づけをしようとするが、この若き漁師の華奢な体つきはその痛ましさを強調し、これが男女の悲劇の場面かと見紛う想像力を、観る者に喚起する。
 
 なお、その1掲載の《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち》も、ギユの作品。
 
 
 
 
テオフィル・デイロール(1844-1920)
《鯖漁》
1881年、カンペール美術館
 パリ生まれ。1860 年代に黒海の東側に位置するコーカサスで地図製作の仕事をしていた時代、パリでアルフレッド・ギユに出会い、本格的に画家の道を目指す。
 1871年、コンカルノーに滞在し、翌年ギユの妹との結婚を機に、同地を以後の活動拠点とする。
 1876年に《漁の後》でサロン初出品を果たした後も、コンカルノーの港で働く漁師や海とともに暮らす人々の姿を描き続ける。
 カンペール美術館 や同地のホテル内部の壁画制作も手がけている。
 
 波に揺られる漁船の上で、漁師たちが一心に鯖を捕る場面。
 漁師たちは、不安定な船上でオールを操り、他方では、身を乗り出して網を手繰り寄せている。
 遠方にいくつもの漁船が浮かぶこの大海を包み込むのは、日没前の太陽が放つオレンジ色の光である。
 
 
ジャン=マリー・ヴィラール(1828-99)
《ブルターニュの室内風景 》
1870年、カンペール美術館
 ブルターニュのプロアレ生まれ。
 ブルターニュを画題にした絵画では、市場や結婚式、宗教行事など、屋外の情景を描いたものが多く、本作のように農家の内部を描いた風俗画は珍しい。
 藁葺き屋根を支える骨組みの下には、食器棚、蓋付きのベンチ、ベッドが所狭しと置かれ、画面右側では大きな暖炉の前で老婆が静かに暖をとっている。
 褐色を基調とした画面のなかで、犬に餌をやる、あどけない少女の衣服の青や白、また手にしたファイアンス焼きの光沢ある赤茶色の輝きが際立つ。
 質素な室内を飾り立てることなく親密に描き出している点は、決して裕福とは言えない家庭に育った画家自身の出自によるものだろう。
 
 
 
 フロア間の移動は階段による(エレベーターも利用可)。
 5階から4階への階段には、次のような案内表示がある。
 
 
【第2フロア(4階)】
 
 
 
ポール・セリュジエ作品コーナー(4点展示)
 
ポール・セリュジエ(1864-1927)
《さようなら、ゴーギャン》
1906年、カンペール美術館
 セリュジエが、ゴーギャンの旅立ちに立ち会う場面。
 ゴーギャンは、遠くの海を指差しこれからタヒチへ向かうことを告げている。
 一方、セリュジエは、草の上に腰を下ろし、ブルターニュに残ることをその姿勢で表明している。
 ゴーギャン没後の1906年に描かれた本作は、《こんにちは、ゴーギャンさん》 (1889年、プラハ国立美術館蔵)のなかでゴーギャンが着ていたコートと同じものをセリュジエが身につけていること等から、ゴーギャンへのオマージュの意が込められているとされる。
 しかしながら、二人の間には冷めた空気が漂い、師とは異なる道を行くセリュジエ自身の決意を感じさせる。
 
 
 
アンリ・モレ(1856-1913)
《ブルターニュの風景》
1889-90年、カンペール美術館
 モレは1886年にはすでにル・プールデュを訪れていたが、ゴーギャンやベルナールらと出会うのは、1888年のこと。
 画家の溜まり場となっていた自身のアトリエで総合主義の美学に触れて以降、モレは色面によって画面を構成するゴーギャンに近い様式を取り入れ、ポン=タヴァンの風景を描くようになる。
 本作の左下にはゴーギャンの署名が認められる。
 これは、本作の金銭的な価値を高めるために書き込まれたもの。
 
 
 
【第3フロア(3階)】
 
 
 
シャルル・コッテ(1863-1925)
《嵐から逃げる漁師たち》
1903年頃、カンペール美術館
 裁判官の息子として生まれる。
 パリで絵を学び、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌに師事する。
 1885年から1913年まで定期的にブルターニュに滞在し、カマレ=シュル=メールの海の景色や宗教行事を描く。
 シャヴァンヌを敬愛し、ナビ派の画家とも親交があったが、暗色を基調とする独自の画風を確立し、バンド・ノワールの中心人物となる。
 写実主義と象徴主義を融合させたコッテの作風は、スペイン絵画やオランダ絵画、クールベからの影響が指摘されている。
 
 本作は、怪しい雲行きから嵐の到来を察知した漁師たちが、舟を引き上げ帰路につく様子を描く。
 気まぐれな自然に圧倒され観念する人々の描写を得意とするコッテの技量が発揮された1点。
 
 
 
 本展の展示に続いて、収蔵品コーナー。
 展示作品は2点。
 
ゴーギャン(1848-1903)
《アリスカンの並木路、アルル》
1888年
 
ファン・ゴッホ(1853-90)
《ひまわり》
1888年
 
 
 名を知らない、あるいは、聞いたことはあってもよく知らない画家が多いが、ブルターニュ縛りの切り口から、19世紀後半から20世紀初頭にかけての美術史の表通りには出てくることの少ないフランス絵画の世界を垣間見ることができて、なかなか興味深い。
 撮影可能作品が多いのは、私的にはありがたい。


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