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【画像】ブルターニュの女性たち-「ブルターニュの光と風 - 画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉」(SOMPO美術館)

2023年03月28日 | 展覧会(西洋美術)
ブルターニュの光と風
画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉
2023年3月25日〜6月11日
SOMPO美術館
 
 フランス北西部に位置するブルターニュ地方。
 豊かな自然と独自の文化を持つこの〈辺境の地〉は、19世紀のフランスにおいてもある種の「内なる異世界」として、エキゾティシズムに満ちた眼差しの下に見い出されてきたという。
 
 
 本展は、ブルターニュ地方にあるカンペール美術館の所蔵作品により、19世紀後半から20世紀前半にかけて、アカデミスム系の画家から、ゴーギャンやポン・タヴァン派、ナビ派の画家、そして20世紀の諸流派の画家により描かれたブルターニュの姿を紹介する。
 70点弱の出品で、一部は国内美術館の所蔵作品が含まれる。
 
 
カンペール美術館について
 ブルターニュ半島最西端、フィニステール(「最果ての地」の意)県にあるカンペール美術館は、1872年に開館しました。
 その歴史は、同地出身のジャン=マリー・ド・シルギー伯爵(1785-1864)のコレクション(約1200点の絵画、約2000点の素描)が1864年にカンペール市に遺贈されたことに始まります。
 1842〜52年に集中的に収集されたシルギーのコレクションは、15〜19世紀のヨーロッパ各国のオールドマスターによる絵画作品が主でした。
 今でこそ同館はブルターニュをテーマとする絵画を数多く所蔵することで知られていますが、それは、失われつつあるブルターニュの伝統の保存に意識的であった歴代館長の尽力によるところが大きかったのです。
 フランス国内各地の美術館に散逸していた作品をカンペールに移管し、第二次世界大戦後にはポン=タヴァン派の作品を購入するなど、ブルターニュ絵画のコレクションを充実させてきました。  
 日本でも高い知名度と人気を誇るポール・ゴーギャンやポン=タヴァン派の画家たちによる作品群は、同館のコレクションを彩るハイライトのほんの一部に過ぎません。
 ゴーギャン登場以前からブルターニュ絵画の収集を行っていた同館には、19世紀のサロンで活躍したアカデミスム系の画家や、20世紀に入ってもなおブルターニュの諸相をさまざまな様式で描き続けた新たな世代による作品が集まり、フランス〈辺境の地〉の魅力を今に伝えているのです。
 
 
 本展は、一部の作品等を除き、撮影可能。
 以下、撮影可能作品から。
 ブルターニュの女性たち、15選。
 会場内の作品解説(抜粋)とともに。
 
 
アルフレッド・ギュ(1844-1926)
《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち》
1896年頃、カンペール美術館
 工場からの帰り道、腕を組んで歩く若い娘たち。
 娘たちの注意をひこうとする二人の若い船乗りは、鰯でいっぱいの籠を差し出す。
 娘たちは笑顔を弾ませ、それぞれに視線を交差させている。
 
 
オーギュスト・アナスタジ(1820-89)
《ドゥアルヌネの渡し船の乗り場》
1870年、カンペール美術館
 ドゥアルヌネとトレプルの間に位置する船着場で、船を待つ人々の賑わいが描かれる。
 海岸沿いの長い回り道を避けて対岸へ渡ることができるため、地元の人々がよく利用していた。
 女性たちが身につけているコワフ(頭巾)の形は、実は、フェナンやポン=タヴァンといった別の地域の特徴を示すものであること、陽光が地中海地域の光を思わせることから、画家による創作が加えられていることが分かる。
 
 
アドルフ・ルルー(1812-91)
《ブルターニュの婚礼》
1863年、カンペール美術館
 約半世紀にわたりブルターニュの風俗を描き続け、「ブルターニュのルルー」の異名を得た画家が描く結婚式の情景。
 フランス政府からの依頼により制作されたもの。
 
 
リュシアン・レヴィ=デュルメール
《パンマールの聖母》
1896年、カンペール美術館
 パンマールにあるサン=ゲノレの浜を背景に、ビグダン地方の伝統衣装をまとった聖母子。
 普遍的な聖母子像に同時代のブルターニュの素朴で敬度な人々の信仰心が重ね合わされた、画家の最初期の代表作の一つ。
 木製の額縁に施された彫りも、ブルターニュ地方の家具にみられる伝統的モティーフに通じるもの。
 
 
ウジェーヌ・ブーダン(1824-98)
《教会前のブルターニュ女性》
19世紀、カンペール美術館
 画家の妻の出身地でもあった半島最西端のプルガステル=ダウラの教会の前。
 ミサを終えたところであろうか、人々が思い思いに過ごしている光景。
 
 
ポール・ゴーギャン
《ブルターニュの子供》
1889年、福島県立美術館
 マルティニック島から帰国したゴーギャンは、1888年に再びポン=タヴァンに滞在するが、本作はその頃に描かれたと考えられている。
 右側にはブルターニュの伝統衣装姿の二人の子供、左側には靴を履こうと身をかがめる人物。
 
 
エミール・ベルナール(1868-1941)
《水瓶を持つブルターニュの女性》
1886年、カンペール美術館
エミール・ベルナール(1868-1941)
《りんごの採り入れ》
1889年、カンペール美術館
 これら版画は、1889年、パリのカフェ・ヴォルピーニで開催された「印象主義および総合主義のグループ」展に出品された、ブルターニュに取材した連作を構成する2点。
 白黒で制作されたのち、着色して販売されたこの版画集は、ポン=タヴァンにおけるベルナールの成果のなかでも大きな成功となる。
 
 
ポール・セリュジエ(1864-1927)
《ル・プールデュの老帰人》
1889-93年、カンペール美術館
 ル・プールデュの女性が身につける黒い被り物を纏った老婦人が、厳しい表情で沈黙している。
 その向かいにはケルーの連なる海岸線が画面に迫っている。
 
 
ポール・セリュジエ
《水瓶を持つブルターニュの若い女性》
1892年、カンペール美術館
 岩の間に隠れる泉に水を汲みにきた女性たち。
 大きな水瓶を手に、何度も往復する女性がふとこちらに顔を向けた瞬間を捉えている。
 
 
モーリス・ドニ(1870-1943)
《フォルグェットのパルドン祭》
1930年、カンペール美術館
 毎年9月に行われ、何千人もの巡礼者が訪れるフォルグェットのパルドン祭。
 ドニは強い関心を持ち、特に1921年から1934年の間には、ほぼ毎年のように通う。
 本作は、祭りの最中に行われるミサの一場面を描く。
 
 
リュシアン・シモン(1861-1945)
《じゃがいもの収穫》
1907年、カンペール美術館
 シモンはブルターニュの各地で制作していたが、最終的にはビグダン地方を主な着想源とし、同地の過酷な労働という主題に集中的に取り組む。
 日常的に風雨が吹き荒れるような決して肥沃とは言えない土地で、人々がじゃがいもを掘り、袋に詰め、運搬するという収穫の諸段階が一つの画面に描かれる。
 
 
フェルナン・ル・グー=ジェラール(1856-1924)
《カンペールのテール=オ=デュック広場》
1910年、カンペール美術館
 銀行家の一族の出で、一部の作品が国家によって買い上げられたほか、フランス海軍公式画家に認定され、レジオン・ドヌール勲章も受勲した画家。
 20世紀初頭のカンペール市の商業活動を描いた本作は、ブルターニュを主題とする絵画コレクションの拡充を目指すカンペール美術館からの依頼で描かれる。
 テール=オ=デュック広場は、16世紀にブルターニュ伯爵が市を開催して以来、カンペールの経済的な中心で、大聖堂が建つ地区に並んで第二の中枢、その周辺は法律家や地元の名士など裕福な人々が移り住んだ地区。
 
 
ピエール・ド・ブレ(1890-1947)
《ブルターニュの少女》
1940年、カンペール美術館
 カンペールに生まれ、同郷のマックス・ジャコブと親交を結ぶ。ブルターニュとパリを行き来する生活を送り、パリではピカソらが集ったモンマルトルの共同アトリエ「洗濯船」に通う。
 画家は晩年の一時期、1940年から1943年にかけて、自身が「トレイスム(格子状技法)」と名付けた独創的な描法を用いる。
 明瞭な輪郭線で囲った色面に細く規則的な線を刻むことで、形態のヴォリュームと微妙な色調を創り出そうとしている。 
 
 
マックス・ジャコブ(1876-1944)
《ふたりのブルターニュの女性》
1930年頃、カンペール美術館
 カンペールのユダヤ系一族の家に生まれる。
 故郷とパリを往復しながら制作を続けたジャコブは、故郷ではブレをはじめブルターニュ出身の画家や作家と広く交流し、他方パリでは、ピカソなどモンマルトルの共同アトリエ「洗濯船」に集った芸術家たちと交流する。(また詩人としても活動、1915年にピカソを代父としてカトリックに改宗する。)
 第二次世界大戦中にユダヤ人であることを理由にドイツ軍に連行され、収容所で肺炎のため命を落としている。
 本作は、ファナン村の特徴を示すコワフ(頭巾)を被る二人の女性が、ドゥアルヌネ近郊の港町を背にポーズをとる姿を描く。
 
 
 
 本展は、福島県立美術館、静岡市美術館、他1会場に巡回する予定。
 
 また、国立西洋美術館でも、会期をほぼ同じくして、国立美術館所蔵作品(フランスからの出品も数点)による「憧憬の地 ブルターニュ」展が開催中であり、こちらも訪問するつもり。


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