
諏訪敦 眼窩裏の火事
2022年12月17日〜2023年2月26日
府中市美術館
1967年生、現役の写実絵画画家の個展。
【本展の構成】
第1章 棄民
第2章 静物画について
第3章 わたしたちはふたたびであう
第1章 棄民
《father》
1996年、122.6×200cm
佐藤美術館寄託
1996年、スペイン留学中の諏訪は、父が脳腫瘍に倒れたとの報をうけ、一時帰国する。
病室の様子やそこに横たわる父の姿が、写実的に描かれる。
死を悟った父が残した手記。幼少期の父は、両親ら家族とともに1945年春に満州に渡り、8月のソ連侵攻に追われ、哈爾浜の日本人難民収容所に留められる。1945年冬、祖母(父の母)と叔父(父の兄弟)は栄養失調と発疹チフスにより病没する。
諏訪は、2012年と2015年の2度にわたって旧満州地区に現地取材に赴く。家族がたどった道程を後追いし、幼き父が見たであろう光景を探り、それを絵画化することを試みる。
《棄民》
2011-13年、259×162cm
個人蔵
幼少期の父と父を抱く祖母。皮膚が剥がれ落ちた姿。
《HARBIN 1945 WINTER》
2015-16年、145.5×227.3cm
広島市現代美術館蔵
祖母の年齢や体形に近いモデルを頼み、横たわる裸婦像を描く。そしてこの女性像を、骨格が浮き出るように痩せ細らせ、チフスの症状に合わせて朽ち衰えた姿へと、徐々に描き改めていく。
第2章 静物画について
《不在》
2015年、32.5×.45.3cm
個人蔵
2015年、諏訪は、高橋由一の静物画《豆腐》に想を得て、3点の作品を描く。
本作は、由一《豆腐》の焼き豆腐と油揚げを省略し、木綿豆腐のみを描く。近代日本絵画の展開に対する諏訪の皮肉が込められているとのこと。
《眼窩裏の火事》
2020-22年、60.6×91cm
作家蔵
諏訪の作品のなかには、陽炎のような揺らめきや輝くような光点が描かれているものがある。
これは、諏訪が近年悩まされている、閃輝暗点という脳の血流に関係する症状を写したもの。
モチーフを凝視しキャンバスを熟視し目を酷使したときに、諏訪の眼窩の裏側の脳内に現れる視覚像を描く。
《そこにあるはずの》
2020年、13.1×10.8cm
個人蔵
そこにあるはずの、百合の花に、白い霞が覆って。閃輝暗点。諏訪にとってはリアルなヴィジョン。
第3章 わたしたちはふたたびであう
《山本美香(五十歳代の佐藤和孝)》
2013-14年、53×41cm
個人蔵
佐藤和孝は、1956年生まれ、日本のビデオ・ジャーナリズムのパイオニア。諏訪は大学時代に佐藤と出会い、各年代の肖像を描くという約束を結ぶ。
山本美香は、1967年生まれ、ジャーナリストで、佐藤のパートナー。2012年8月、シリア内戦の取材中に、銃撃を受けて現地で亡くなる。
本作は、山本の死後描かれたもの。その瞳のなかには、同じく現地入りしていた佐藤の姿が描きこまれている。
《大野一雄》
2008年、120×194cm
佐藤美術館寄託
舞踏家・大野一雄(1906〜2010)。
1999年、諏訪は当時90歳を過ぎていた大野に取材を申し込む。そしていくつかの作品が描かれる。
2006年、諏訪は再び大野に取材を申し込む。100歳を迎えた大野は自宅で寝たきりで過ごすようになっている。老いて自由の利かなくなった姿が顕わに描かれている。
《Mimesis》
2022年、259.0×162.0cm
作家蔵
大野の死後、諏訪は、パフォーマーの川口隆夫(1991年生まれ)が大野に触発された作品に取り組んでいることを知る。残された映像を一コマ単位で見直すことで、身体表現の完全コピーを試みるもの。諏訪は川口を取材し、大野を巡る新たな作品を構想していく。
本作は、川口の姿を幾重にも描く。
以上の記載は、出品リストにある作品解説による。
本展の会場では、個々の作品の解説キャプションはなく、作品名ほか作品情報や作品解説はすべて出品リストを参照するようになっている。

