マネ展。2回目の訪問です。
今回は、吉川節子氏著「印象派の誕生」(中公新書)を読んで、鑑賞テーマを2つ持っての再戦です。
日曜日の遅い時間帯。来場者も少なめで鑑賞には好都合でした。
1つめ:静物トリロジーを見る
本の第1章で紹介されている「静物トリロジー」。
マネをリーダーとする若い芸術家集団が当時共有していたコンセプト、「西洋の伝統」と「日本の影響」を統合して「新しい芸術」を目指す。これを絵画上に表現したのが「静物トリロジー」です。
その事例として、ファンタン=ラトゥール「バティニョル街のアトリエ」やマネ「エミール・ゾラの肖像」、ルノワール「花束のある静物」等が紹介されています。
本展には、ずばり、マネ「エミール・ゾラの肖像」(オルセー)があります。
いざ、「静物トリロジー」鑑賞。
画面の右上の3枚の版画が、「静物トリロジー」。
「西洋の伝統」としてベラスケスの「バッカスたち」。「日本の影響」として相撲絵「大鳴門灘右ヱ門」。そしてそれらを統合する「新しい芸術」として2点の作品のうえに置かれたマネ「オランピア」。
そして、これら3点の主人公は、原画とは異なり、本当に本に書かれているとおり、その視線をゾラに集中させています。
また、ゾラがマネ擁護輪を展開した小冊子も水色の表紙をしたブックレットとして描かれているのも本に書かれているとおり。
素直に本作品に釘付け状態。
2つめ:マネの「印象」を見る
本の第3章で紹介されているマネの「印象」。近代化が進展するパリにおける「空虚な人間の結びつき」、「拡がる疎外感」。それがマネの描こうとした「印象」。
その事例として、「鉄道」(ワシントン・ナショナルギャラリー)、「バルコニー」(オルセー)、「オーギュスト・マネ夫妻の肖像」(オルセー)、「フォリー=ベルジュールの酒場」(コートールド)が紹介されています。
さて、マネの「印象」鑑賞。
「フォリー=ベルジュールの酒場」そのものではありませんが、その習作(個人蔵)が展示されています。
売り子の女性は完成作のように正面向きではなく、斜め向きです。ただ、鏡の右手に女性とシルクハットを被った紳士が映っているが、紳士の後ろ姿が画中に描かれていないのは同じ。
本習作はラフなタッチで描かれ、女性の表情をうかがうことはできません。
他にこのテーマの作品となると、同じ展示室にある作品群が第一候補に挙がります。
「ビールジョッキを持つ女」(オルセー)。酒場で忙しく給仕する女性。こちらに顔を向けた一瞬を撮った写真のよう。営業スマイル。
「自殺」(ビュルレ・コレクション)。部屋のベッドで倒れている男性。疎外感そのもの。
「ラテュイユ親父の店」(トゥルネ美術館)。明るい色彩。レストランの屋外テラスのテーブルで女性をくどく男性。まんざらでもない様子だろう女性。右手の離れたところに立ちこちらを向いている店の主人。さて、疎外感か。
マネの油彩作品では、これまでの記載作品以外にも、
「扇を持つ女(ジャンヌ・デュヴァルの肖像)」(ブダペスト美術館)
「死せる闘牛士(死せる男)」(ワシントン・ナショナルギャラリー)
「テオドール・デュレの肖像」(パリ、プティ・パレ)
「ローラ・ド・ヴァランス」(オルセー)
「街の歌い手」(ボストン)
「アルカションの室内」(クラーク美術研究所)
「浜辺にて」(オルセー)
「燕」(ビュルレ・コレクション)
「温室のマネ夫人」(オスロ国立美術館)
「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」(オルセー)ほかモリゾの肖像画計5作品
「牡蠣」(個人蔵)ほか静物画
等があります。
また、ドガも1枚「ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場」。エヴァ・ゴンザレス「イタリア人の桟敷席」やジェームズ・ティソ「舞踏会」も素敵です。(いずれもオルセー)。
1回目の訪問は、開館したての美術館ということで、展示室の間取り等に意識がいってしまい、また来場者も多くて立ち位置にとまどい、作品鑑賞に集中できませんでしたが、2回目の訪問は大満足な結果。
マネの作品をよくこれだけ集めたものと感謝するしかありません。
会期も残り3週間。お勧めです。