東京でカラヴァッジョ 日記

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森永キャラメル・チョコレートでたどる昭和初期の生活 - モボ・モガが見たトーキョー (たばこと塩の博物館)

2018年06月10日 | 展覧会(その他)
モボ・モガが見たトーキョー 
〜モノでたどる日本の生活・文化〜
2018年4月21日~7月8日
たばこと塩の博物館
 
 
   大正末期から昭和初期の日本。産業化が急速に進み、洋風のライフスタイルが一般化していく。会社勤めをするサラリーマンや職業婦人など新しい働き方が生まれる。多くの企業がモダンデザインにこだわった商品や広告を打ち出すようになる。大衆消費社会の到来である。
   その後、昭和初期の時代は、昭和恐慌、満州事変、太平洋戦争、戦後の復興と進む激動の時代となる。


   本展は、この時代の人々の生活・文化の変化を、石鹸、時計、鉄道、郵便、煙草、菓子などの身近な「モノ」〜「すみだ企業博物館連携協議会」参加5館(花王ミュージアム、セイコーミュージアム、東武博物館、郵政博物館、たばこと塩の博物館)+森永製菓などの所蔵資料〜により振り返る。


   郵便と煙草は国策臭が強いし、東武鉄道は縁がないし、時計は高価だし、石鹸はそれほどの綺麗好きではないし。
   と、主に菓子資料の展示を中心に楽しむ。
 
   本展関連イベントとして、アニメ映画「この世界の片隅に」の特別映画上映会が本館で行われる(5/5済と6/30の2回)が、同映画の冒頭、広島市中心部におつかいに行く子ども時代の主人公が自分と兄妹へのお土産を何にするか、森永キャラメル?森永チョコレート?おはじき?と思案するシーン(結局は森永キャラメルを選ぶ)を思い起こしながら、思案対象であったキャラメルやチョコレートのパッケージ実物を楽しく観る。そういえば、主人公の義姉(モガだったらしい)の嫁ぎ先は時計店だったなあ。

 
   以下、森永キャラメル・チョコレートでたどる昭和初期の生活。
 


第1章「モボとモガが見たトーキョー〜「モダン東京」と大衆向けの商品たち」
 
《1930〜40年代に販売されていた森永チョコレート製品》のコーナー。
 
   森永製菓は、1917年に日本初の原料カカオ豆からのチョコレート一貫製造を開始し、1枚15銭のミルクチョコレートの販売を開始する。翌1918年には1枚10銭のミルクチョコレートを販売開始。1930年代には、いろんなパッケージの製品を出す。
 
・ミルクチョコレート
・カレッジチョコレート(東京六大学野球の人気にあやかり、ローマ字で大学名が記載された6種のパッケージ。ラベルの裏には校歌の歌詞が印刷されていたらしい)
・スポーツマンチョコレート(東京六大学野球の人気にあやかり、打者が描かれたパッケージ)
・パラマウントチョコレート(映画館と連携し、入館者に進呈。映画スターのプロマイド入り)
・オールナイスチョコレート(浮世絵のパッケージ。外国人向け?)
・ワタシノチョコレート(布団の上で眠る子どものパッケージ)
・ベルトラインチョコレート
・プロムナードチョコレート
・チョコレートクリーム
 
 
   チョコレート以外にも《1930〜40年代に販売されていた森永製品》コーナーとして、キャラメル、ドロップス、ビスケット、チウインガムなどの製品パッケージも展示されている。
 
   また、森永製菓は、1928年、キャラメル・チョコレート・ビスケット・ドロップスについて他社製品を取り扱わないことを条件に、全国の小売店から希望店を募って「森永ベルトラインストアー」という系列店化を進める。ベルトラインストアーには、店内設備の改善や接客術の指導を行う。

   1932年には「スヰートガール」の採用を始める。「消費者に菓子や乳製品の正しい知識を提供できる豊富な商品知識を備え、販売の第一線で活躍できる森永専属のイベントガール」である。「高等女学校卒以上の18〜20歳の健康な女性」から選ばれた第1期は5人。その写真パネルも展示。彼女たちは、研修期間を経て、店頭での販売促進支援、広告宣伝への登場などに従事する。マスコミもその活躍ぶりを取り上げる。「森永ベルトラインストアー」への派遣など大人気であったようだが、「スヰートガール」の募集は、1937年をもって中止されている。

   森永の「広告」、そのデザインが当時注目されていたらしく、本展では3点が展示されている。



第2章「昭和モダンのおわりと戦争の時代〜生活、そして商品・広告表現の変化」
 
《満州事変後に販売された森永製品》コーナー。
・鉄兜チョコレート(1932)
・爆撃機チョコレート(1932)
・日独伊親善ミルクチョコレート(1938)
 
   前2製品は、東京六大学野球と同じようなノリの感もあるが、3国の国旗が描かれる「日独伊親善」製品となると本格的な戦時下という印象。
 
 
《1937年以降に販売された森永製品》コーナー
・乾パン(御飯代用)(1937)
・栄養ビスケットヴィタミンB(1939)
・森永ベントウ(おかず、副食物入)(1940)
 
   強まる戦時統制を反映した代用食。「森永ベントウ」とは、乾パンに乾燥野菜と魚粉ペレットがセットになったものらしい。
 
 
《ミルクキャラメル(国策一重サック)》(1938)
   物資節約。中箱を引き出すスライドパッケージから、「この容器は国策型一重容器です。真中を開けるとバラバラこぼれますから召上る時は上の口をお開け下さい。」への変更。


《慰問用缶入「森永ミルクキャラメル」》(1940)
   1937年に販売開始、人気女優のプロマイド入りで大人気であったらしい。
 
 
 
第3章「終戦、そして復興〜統制から自由へ  懐かしくて新しい商品の復活〜」
 
   戦後しばらく統制下にあった菓子製造・販売。1950年8月の価格統制の撤廃を受け、「ほんとうのキャラメル」と称して、森永ミルクキャラメルの自由販売を開始する。「懐かしの板チョコ」の復活は、生産設備の整備を経た翌1951年9月、森永ミルクチョコレートの販売開始。本展ではこれらを宣伝するポスター2点が展示される。
 
 
   以上、アニメ映画「この世界の片隅に」の主人公の生活も思い起こしつつ、の鑑賞。
 
 
 
   ところで、森永製菓の博物館もあるのかなと思ったら、一般公開しているような施設はないようだ。
   「森永ミュージアム」と題する森永製菓のホームページでの紹介(本記事の記載にあたり大いに参照)と、本展のような企画展への出品協力などを行なっているらしい。
 
 
森永ミュージアム
 


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