ミロ展 - 日本を夢見て
2022年2月11日〜4月17日
Bunkamuraザ・ミュージアム
株式会社ウィンダム様からご案内を受けたブロガー内覧会に運良く当選。
ミロ展を見るのは久々だなあ、と思いつつ、火曜日夜の渋谷に向かう。
本展は、バルセロナ生まれで、「ピカソと並ぶ現代スペインの巨匠」とされるジュアン・ミロ(1893〜1983)について、「ミロと日本の深いつながり」「相思相愛であったミロと日本との関係」に着目する展覧会。
これが予想よりも面白い。
ミロが若い時から日本の文化に対して強い関心を持ち続けていたことも興味深いが、それ以上に、日本人が昔からこんなにもミロ好きであることに感心する。
まずは、本展出品作で分かるとおり、国内の美術館が立派なミロ作品を多く所蔵していること。
そして、ミロに対する強い愛は、戦前、ミロが40歳前の頃からずっと続いていて、そのなかでミロの1960年代後半の2度の来日をもたらしたこと。
以下、日本のミロに対する愛を中心に、本展主催者の許可を得て撮影をした画像を添えて本展を振り返る。

会場冒頭に登場する作品。

ミロ
《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》
1917年冬-初春
ニューヨーク近代美術館
スペインまたは日本国内の所蔵品から構成される本展において、唯一の米国(MOMA)からの出品。
モデルは、ミロの友人で、画家で日本美術のコレクターである人物。
その人物特性に対応して、パレットが宙を舞い、浮世絵が背景にある。
その浮世絵は、なんと、実物の浮世絵を切って貼り付けたものだという。

隣に、貼り付けられた浮世絵と同じ図柄の「ちりめん絵」が展示される(確かに同じ大きさ)。
海外向けの粗製で安価な浮世絵で、図柄も海外で受けそうなモティーフを雑多に詰め込んでいる。
1932-33(昭和7-8)年、日本で最初に展示されたミロ作品。

ミロ
《焼けた森の中の人物たちによる構成》
1931年3月
ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
1932年12月から翌年にかけて、東京・大阪・京都・福岡・熊本・大連・金沢・名古屋を巡回した「巴里新興美術展覧会」に出品されたもの。

(一番右)
巴里東京新興美術同盟
『巴里新興美術展覧会目録』
1933年、江上明氏旧蔵資料(名古屋市美術館保管)
同展は、当時パリで活躍していた美術家56名の116点を集めたもの。目録の表紙はピカソのドローイング。
日本人にとって、シュルレアリスムの美術家たちの作品の「初めての実物」。
ミロ作品は、絵画2点の出品。もう1点は《青のファンテージー》という題名とのこと。
1940年に、詩人・美術評論家の瀧口修造(1903〜79)がミロの単行本を執筆するが、それは世界初のミロに関するモノグラフだという。拙記事では取り上げないが、本展にはミロと瀧口の交流関連資料も多数展示されている。
1966年、ミロ作品174点を集めた大規模な個展が、東京と京都にて開催される。

(左上)
ミロ《ミロ展ポスターのためのリトグラフ》
1966年、富山県美術館
(左下)
粟津潔《ミロ展ポスター》
1966年、個人蔵
(右)
原弘《ミロ展ポスター》
1966年、個人蔵
ミロ展 - ユーモアと夢と喜びと
国立近代美術館(京橋)
1966年8月26日〜10月9日
国立近代美術館京都分館
1966年10月20日〜11月30日
1966年9月21日、ミロは、展覧会主催者からの招待を受け、妻および画商夫妻・息子を伴って、初めて来日する。

日本到着の翌22日、京橋で開催中の展覧会を訪問するほか、10月5日までの15日間の日本滞在中に、京都、信楽、奈良、名古屋、鎌倉を訪問する。離日前日に春画コレクターを訪問しているのは、ミロの強い要望だったのだろうか。


ミロの日本滞在中、主催者の毎日新聞社はその様子を連日紙面で報じたという。
その成果もあってか、1日あたりの入場者数は高水準を記録している。
東京:167,349人(1日あたり4,291人)
京都:148,649人(1日あたり4,129人)
*京都会場の出品作名は、次で確認できる。
1970年、日本万国博覧会が開催される。
その前年の1969年、ミロは2度目の来日。

ミロは、大阪万博のガスパビリオンのために、スペインの陶芸家アルティガスとの共同制作にて、陶板絵画を制作することとなる。
バルセロナ近郊のガリファにて焼いた陶板640枚を日本に運び、アルティガスの指揮のもとパビリオンへの設置作業をしていた期間に、ミロはその設置確認にやってきたものである。
そして、ミロは自ら急遽提案し、スロープに壁画を描く。
本展における大阪万博関連の紹介は、パネル説明と映像による。
5×12メートルの大型陶板絵画《無垢の笑い》は、その後、大阪・国立国際美術館に寄贈され、同館において常設展示されているようである(私は同館を何回か訪問しているが、スルーしていた)。
本展の最後の展示室は、第6章「ミロのなかの日本」。

(左)
ミロ《人、鳥》1976年2月18日

(左)
ミロ《絵画》1966年
(中)
ミロ《絵画》制作年不詳

(おそらく三連画)
ミロ《絵画》1973年頃
*所蔵はいずれも、ピラール&ジュアン・ミロ財団、マジョルカ
戦後の作品に特徴的なミロの太く黒い線描。
ミロが見てまわった日本の書画や史跡などを参照したことが分かる作品は決して多くないが、来日後の作品では、書を思わせる激しい筆遣いによる線の存在感が明らかに増している、という。
流れる絵の具をそのまま効果として用いている作品などが展示される。
私のお気に入り作品。
[その1]

ミロ
《絵画(カタツムリ、女、花、星)》
1934年
国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
本展で唯一のマドリードからの出品作。
本作品は56年ぶり来日だという。ということは、1966年の大回顧展以来となるらしい。
フランス語で「カタツムリ」「女」「花」「星」の4語が流れるように連なって描かれている。本来奥行きを持たない文字が女性たちの間を縫うように前に後ろに交差しており、そこを境に女性の身体の色が変化している。本作はフランスの実業家マリー・キュットリの依頼で制作したタペストリーのための下絵の一つ。下絵とは言ってもタペストリーの原寸大のサイズとその入念な出来栄えから、1930年代のミロの代表作の一つに数えられてきた。[会場内解説]

(左)
ミロ
《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》
1945年5月26日、福岡市美術館
[その2]

(右上)
ミロ
《スペインを助けよ(『カイエ・ダール』12巻第4-5号所収ステンシル)》
1937年、愛知県美術館
本作は、1937年に内戦に揺れるスペイン共和国陣営への支援を呼びかける作品として制作しれ、美術雑誌『カイエ・ダール』の附録としてプリントされた。サイズ違いの版画がパリ万国博覧会のスペイン共和国パビリオンにおいて限定版ポスターとして1フランで販売された。画面には「スペインを助けよ」とフランス語で標語が掲げられ、パレティーナと呼ばれるカタルーニャの伝統的な帽子をかぶった男性が民衆を鼓舞するように片手を挙げている。[会場内解説]
*掲載した画像は、本展主催者の許可を得て撮影をしています。
内覧会関係者の方々に感謝いたします。
*本展では、3月10日〜3月31日の平日に限り、一部の作品の撮影が可能とのこと。