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東京でカラヴァッジョ 日記

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平成31年新指定 国宝・重要文化財(東京国立博物館)

2019年04月20日 | 東博総合文化展
平成31年新指定  国宝・重要文化財
2019年4月16日~5月6日
東京国立博物館  本館8室・11室
 
   本展では、平成31年に新たに指定される国宝3件、重要文化財41件と、追加・統合指定された重要文化財13件のうち1件、計45件を展示します(写真パネル展示4件含む)。
 
 
   勿論、新国宝《キトラ古墳壁画》は写真パネル展示である。
 
 
   以下、印象に残る作品を記載する。
 
 
1)重要文化財
《紙本金地著色  唐獅子図  四曲屏風》
一隻、桃山時代・16世紀
京都・本法寺
 
   金雲たなびく金の空間に悠々と歩く唐獅子を描く。画面右下に子獅子をかき消した痕跡があり、当初はもっと大きな画面であったことがわかる。制作当初の形状と絵師名は必ずしも明らかではないものの、狩野派の一流絵師の手になることは間違いない。狩野永徳の遺風を伝える勇壮な気分にあふれた画趣は圧巻で、桃山時代の金碧障屏画を代表する優品として高く評価される。 
 
   金地に歩く唐獅子という単純な画面(当初あった小獅子は消されたとのこと)だが、単純さが好ましい。
 
 
 
2)重要文化財
《八重山蔵元絵師画稿類(宮良安宣旧蔵)》九十点より
第二尚氏〜明治時代
石垣市(石垣市立八重山博物館保管)
 
   19世紀の琉球国八重山蔵元の絵師が描いた画稿類の一括資料である。蔵元は琉球国の離島統治機関であり、八重山蔵元は明治30年(1897)に廃止された。蔵元絵師は、寺社の絵画制作、年中行事等の風俗画制作に加え、漂着船等の記録画や貢納布御絵図帳の作成、さらには地図の作成に従事した。本画稿類は最後の蔵元絵師であった宮良安宣(1862~1931)が旧蔵していたもので、喜友名安信、宮良安宣等蔵元絵師等の手になる下絵、習作類である。画題は豊年祭、祝日の行列図や旗頭等の祭礼・風俗を描いたものが最も多く、他に機織・紡織・布晒や稲刈等の貢納に関する生業図、漂流民や船等の記録画、及び花鳥図等がある。19世紀後半の第二尚氏時代から明治時代における八重山の文化や自然を蔵元絵師が幅広く描いた稀有な資料群であり、同地域の文化史、琉球絵画史等研究上に資料価値が高い。
 
   本展では、「異人図」「旗頭図」「弥勒行列図」が公開。
 
   「異人図」は、漂流民であった異国の人物の半身像。
   1877年にマニラから清に向かった船が波照間島付近で座礁し、漂流民が石垣島に約半年の間滞在しており、その一人を描いたものと考えられている。
 
   「弥勒行列図」は、着色画。先頭の人物が村名「登野城村」の入った旗頭を掲げて歩く。2番目の背が高い人物は弥勒の面を被る。その後には楽器や旗を持った人物が続く。五穀豊穣・子孫繁栄をもたらすとされる行列。
 
 
 
3)重要文化財
《蝦夷島奇観》十三帖 
秦檍麿 筆
江戸時代
国立文化財機構(九州国立博物館保管)
 
   『蝦夷島奇観』は、村上島之允(秦檍麿、1760〜1808)が制作したアイヌ風俗画で、寛政12年(1800)に成立し、その後増補、改訂がなされた。本件は、内容から文化4年(1807)から同5年の間に制作され、幕府若年寄の地位にあった堀田正敦に贈呈されたとみられる秦檍麿自筆本である。アイヌ文化の変容を危惧する意識の下に、アイヌの生活に対する深い理解と精緻な観察に基づき、その伝説、儀礼、家屋、 民具、狩猟などについて記録する。この本は最終稿に近く最も内容が充実し、伝来も明らかな自筆本として、数ある『蝦夷島奇観』中最も重要である。19世紀初頭における高い記録性を有する蝦夷地の地誌、アイヌ民族誌として北海道、アイヌの歴史、文化研究上に貴重である。

 
   本展では、「男夷図・女夷図」「アットゥシカル図」「熊祭(イオマンテ)部」の3点が公開。
   
   男夷図は、参集して神を祭る酋長の姿を描く。
   女夷図は、成人女性で、髪を短く切って垂らしている。成人は口の周りや手の甲に入れ墨をするとのことで、本女性も口髭のような入墨、手の甲への文様入れ墨が描かれる。
      
   アットゥシカル図はアットゥシを腰機で織る女性の姿が、熊祭部は、熊を殺して行う儀礼が描かれる。
✳︎本館16室には「アットゥシ(樹皮衣)」実物が展示されている。



4)重要文化財
木造地蔵菩薩立像 (裸形像、著衣像)》
鎌倉時代・13世紀
奈良・新薬師寺
 
   全裸の姿で実物の衣を著せる形式の地蔵菩薩像として造られたのが、後に木製著衣を貼付けて通常の地蔵菩薩像に改造されたもので、解体修理により著衣部を取外され、著衣部は頭部とともにもう一体の像に仕立てられている。裸形像は嘉禎4年(1238)の納入願文より興福寺僧尊遍が師である実尊の菩提を弔うために造立したことが知られる。著衣像への改造は13世紀後半に行われたとみられ、尊遍が晩年に自らが死んで像に奉仕する者がいなくなることを案じて行ったとも想像される。
 
   元は裸像で実物の衣服を着せる仕様が、後に着衣像と裸形像に改造される。裸形像には頭部がないが、股間の表現はある。
 
 
 
   分野も時代も所蔵者も異なる多様な品々が、ただ同じ年に国宝・重文に新指定されたということだけで一室(彫刻作品は別の室)に集まる本企画。今年も大いに楽しむ。

   なお、今年は図録(1,200円)も作成されている。



《八重山蔵元絵師画稿類(宮良安宣旧蔵)》より「異人図」
 
 
《蝦夷島奇観》より「男夷図・女夷図」
 
 
木造地蔵菩薩立像 (裸形像、著衣像)》


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