投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

アルツハイマー病 - 黒田洋一郎(岩波書店)

アルツハイマー病 (岩波新書)
黒田洋一郎
岩波書店


1998年5月20日 第1刷

著者は1943年、東京生まれ。1966年東大農学部農芸化学科卒。東京都神経科学総合研究所参事研究員。

父がアルツハイマー病になった後、何冊か読んだ本の中の一冊。最近まで(2012年1月頃まで)父の思考を理解しよう納得しようと努めていたが疲れた。理解不能である。何とか会話をすれば元に戻るかもしれないと思い会話を試みていたがどうも無駄のようだ。真剣に面と向かって会話しようとしても父の思考は完全に異次元に浮遊していてかみ合わない。ものすごく疲れるのだ。どこか珍しいもの懐かしいものを見せに連れて行けば回復するのかとも思ったが、進行を止めることさへできなかった。この本も最初は父の病気を少しでも理解しようと思い読んだのだが、結局得た知識は自分が今はアルツハイマー病ではないということの確認にしかならなかった。

人は物事を忘れる。たとえば一昨日の夜の食事の献立とか。一昨日のことを忘れても十数年前のある晩の食事の献立を覚えていたりもする。私でいえば1995年1月16日、阪神淡路大震災の前日の夜の献立だったり・・・。度忘れするというのもある。ドラマの女優の名前、誰だったか、ここまで出かけているのにわからない。名前を教えてもらうと、そうそうその人と会話がつながる。これを記憶の再認という。これらは全く問題のない正常な人の記憶だそうだ。

アルツハイマー病の一番はっきりした症状は、ことに毎日同じことを繰り返す動作や仕事を、したかしなかったかその内容も含めて覚えられず完全に忘れることだ。これが進行すると5分前のことも忘れてしまう。そのうち一瞬前のことも覚えることができず。そのうち自分が誰かさへもわからなくなる。

妄想、幻覚というのもある。父は誰か外から人が家に入ってきて物が盗まれるという妄想を見始めた。夜になると外を人が徘徊しえいるという。窓の外を指さしてそこにいると言ったりする。そこには父本人の姿がガラス窓に写っているだけなのだが。父は家じゅうの自分が大切にしているものを隠し始めた。その価値基準は脈絡もないのだが。そして自分でどこに隠したかを忘れてしまうのだ。それらはみな盗まれたことになっている。

徘徊について。父は車が好きでずいぶんと昔から自家用車を手に入れ運転していた。残っている写真から判断して、たぶん1950年代中頃には自家用車が家にあった。私が生まれるずっと以前の話だ。それから何台も何台も車が変わった。車道楽が父の趣味だった。住んでいる所が田舎なものでどこへ行くにも車で行っていた。父には歩く癖があまりない。おかげで徘徊するのは自宅の周りだけ。これは助かっている。車の運転を止めさせるのには少々時間がかかったが。

ただ車に乗ってドライブをするのは今でも好きだ。だからか私が実家から神戸の自宅へ車で帰ろうとすると、父は毎回車に乗り込んでくる。玄関で自分の家に帰るからと挨拶すると父は決まってまた都合がよい時に帰って来いと言う。そして車のところまで見送りに出てきて、ありがとうありがとう、また来てくれと言いながら私の車に乗り込むのだ。口で言っていることと体の行動が全く別なのだ。母が息子は自分の自宅へ帰るのだから着いて行ってはいけないと注意すると、分かっていると怒る。怒りながらまた乗ろうとする。初めての時は笑えたが、今はもう笑えない。

時間や場所が分からなくなることを見当識の障害という。父は病院の担当医より診察のたびにここはどこ、今の季節は何という問いを投げかけられる。父は初回の診察の時は無理だったが三回目の診察の時に答えることができた。行きの車の中で母と二人して予習させた甲斐があったのかと思った(良くない行為だ)が、答え方が教えた内容と違う。今の季節はという問いに、玄関に正月飾りがあるから季節は春と答えたのだ。担当医もこれは難しい回答だと笑っていたが、私はそういう思考ができるのかと拍手喝采だった。

父は、今はもう他所の家に行くこともなくなったのだが、自分の家と他人の家の区別がつかなくなっていた。間違って他人の家へ入るのではなく、他人の家に行っても自分の家と同じようにふるまってしまうのだ。一度ならず他所の家の物をポケットに入れそうになったこともあり、これには慌てた。

人は記憶の積み重ねができる。30年前、20年前、10年前、今と時間は違えどエピソードをつなげながら物事を記憶している。エピソード記憶が欠落するとおかしなことになる。アルツハイマー病の患者はいずれ自分の妻や子の顔を認識できなくなる。最悪、自分さへ認識できなくなってしまう。父は、私や弟や従兄の顔は認識できるが、私の妻や孫の顔を理解しない。赤の他人だと思っているようだ。妻や孫が実家に顔を出した後、帰宅する際は見送りに出ない。孫が実家においてきた玩具は従妹のものだと思っている。最近の20年分のエピソードを忘れてしまっているようなのだ。私が学生として東京にいたころの記憶はかすかに残っている。しかしその後はよくわからない。だから私には妻も子もいないことになっているのかもしれないし、仕事もしていないことになっているのかもしれない。死んだ伯父も末期は父と同じような症状で、最期のころは伯母を忘れてしまい自分の母親と思い会話していたという。伯母にさかんにイロハを教えてくれとせがんだという。

私は父がアルツハイマー病にかかるまで、なんとなく勝手にアルツハイマー病を都合よく解釈していた。甘かった。今までここに書いたことも記憶についてのことだけだから、生活の中のほんの些細なことでしかない。記憶喪失の人は深刻に悩みはするが側から見るとちゃんとした人だから。アルツハイマー病の怖さしんどさは単なる一般的な記憶の欠落にとどまらないことにある。

父はすべての作法を忘れていく。礼儀、食事、排泄・・・。でも小さな幼児をしつけるようにはいかない。幼児なら教えられたことを覚えるが父はもう記憶できない。機嫌が良い時に口からとめどなく出てくる言葉には過去も未来もない。みな一緒くただ。なのに妙なプライドや好き嫌い論理的判断をする頭の回路は十分に働いている。

日々献身的に介護する母が健気だ。それに感謝する気持ちは父には全く見られない。


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この本のメモはいつもの通りあるが、図形や表がついているのでまた後日整理した後に、ここに追記予定。


(2011年12月 西図書館)
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