投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

美しき日本の残像 - アレックス・カー(新潮社)

 
読んだのは1993年7月20日発行の刊行本。

著者は1952年6月アメリカ生まれ。1964年にアメリカ海軍所属の弁護士だった父親とともに来日。エール大学日本語学部卒業。慶応大学に1年間留学。ローズ奨学生としてオックスフォード大学で中国額を学ぶ。祖谷渓に別宅、京都亀岡に普段は暮らす。

彼が住む東祖谷の約300年前の藁葺き民家の屋号は「篪庵(ちいあん)」。ここを購入したのは慶応大学留学中。父親の東京の友人が38万円を立て替えてくれて、それを5年かけて返済したとある。手に入れた土地は120坪、購入代金はこの土地代。建物はただだったそうだ。1973年の春の話。

1989年から日本について執筆活動を始め、1991年から1992年にかけて新潮45に連載したものがこの本の底本。

-----
P29
家の掃除のときに、大したアンティックは現れませんでしたが、以前住んでいた人達は、生活道具、身のまわりの品などをそのまま捨てて行ったようで、そのような道具類を通して祖谷の人々の生活をよく見ることができました。なかでも興味深かったのは、1950年頃書かれた少女の日記でした。その中には祖谷の生活の貧しさ、家の中の暗さ、そして大都会に対する絶望的なまでのあこがれが、涙と共に素直に書かれていました。その日記を思い出すだびに、日本人は何故自然破壊に手をそめてしまったのか、何故コンクリートと蛍光灯という生活環境の中に住みたいのかが少し理解できるような気がします。その少女が18歳になった時に日記は突然途絶えています。家出をしてしまったようです。残されたおじいさんとおばあさんは、雨戸に「こどもかえらず」と書いた紙を逆さに張ってしまいました。逆さに張ると、子供はもう二度と帰ることができなくなるのか、それとも早く帰ってくるようになるのか、僕には判りませんでしたが、今もその紙は張ったままになっています。
-----

この引用した箇所は読んでとても寂しい気持ちになった。昭和20年から数年、日本に駐留した米軍は日本全国の航空写真を撮った。それが国土交通省の国道地理院のホームページで閲覧できる。その写真を見ると今は誰も住まなくなった山間部の土地に、かつては人が住み大きな村があったことが分かる。そこは今は森林。その頃、そこに住んでいた人たちは一人また一人と去って行ったのだろう。

(2024年5月 西宮図書館)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本のメモ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事