投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

被差別文学全集 - 塩見鮮一郎 編(河出文庫)

 
2016年8月10日 初版印刷
2016年8月20日 初版発行

編者は1938年、岡山市生まれ。岡山大学法文学部独文科卒。大学在学中から小説・評論を手がける。河出書房新社で編集者を務めたのち、専業の作家となる。1960年代に被差別部落における自殺や放火や近親相姦を描いた小説『黄色い国の脱出口』を『部落』誌に発表。新日本文学会の第1回文学賞で最終選考まで残り野間宏から高く評価された。しかし批判も多かった。いわゆる差別表現に関しては積極的に自主規制を推進する立場を取る。2011年刊行の著書『新・部落差別はなくなったか?』で被差別部落のルポを掲載したことが部落解放同盟から問題視され、抗議を受けた。

本の題名が気になるかもしれないが気にしないで読んでほしい本。選者も書いているが最初の三作品は読みごたえがある。特に正岡子規の「曼珠沙華」は素晴らしい。言文一致体。126年前の作品。今読むとノスタルジックな感じがするが正岡子規は彼が生きた今を描いているのだろう。ロマンチックで言葉、文章に切れがあり、見事にビジュアルとして読み手に物語を伝えて来る。この作品は正岡子規の死後に全集で公になった。それまではホトトギスに部分的に2か所が発表されただけだという。

正岡子規の「曼殊沙華」から。

話は典型的なGirl Meets Boy 。新海誠監督の「君の名は。」、「天気の子」、「すずめの戸締り」と同じで思春期を迎えた少年以上青年未満の恋愛を題材にしているのだがこの作品では幼い恋は成就せず破滅的な悲恋に終わる。ありきたりな題材と切り捨ててしまえばそれまで。私はとても面白く読んだ。

主人公は蛇使いの大道芸人の娘、普段は野花を摘んで街で売り歩くことを生業としている娘。「桔梗、刈萱、千日紅は宜しゅう。尾花に女郎花は宜しゅう。」と街を歩く。もう一人の主人公はその土地一番の分限者の総領息子。多くの召使にかしずかれながら何不自由することなく暮らしていた。そんな会うはずもない二人がふとしたことから出会い恋に落ちる。しかし幼く拙い恋はけっして成就することはなく破滅的な終わりを迎えるという話。

特に印象に残った個所を書き写した。

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p30 少女の思い。
泣くという事は貴方々にはお分かりになりますまい。泣くという事は女の事、下司の事、母親の無い娘の事、男に生れ、善き家に生れ、坊様の若様のと育てられて、どうしてそれが分かりましょう。涙は飯(まま)の早う出来る呪いと思うて居らるるお身の上、羨ましいとも妬ましいとも。固(もと)より賤しく生まれた身の、況(ま)しては年はも行かねば、何が何やら、世の中はどんな物やら、人が夢にも知らぬ栄耀をしてくらして居るとも、自分が選りに選りて不幸な境遇に生まれて居るとも、気は付かず。父親は恐ろしい者、母親は恋しい者、弟は可愛い者とより外に知らなんだ者が、計らぬことで斯うなってからは、始めて目が明いて物が見え出したような気がして、人と自分との境がどうやら分かってまいりました。知らぬが仏とやら、分かって来れば来る程、恥ずかしいやら、口惜しいやら、いっそのこと、迚も(とても) 叶わぬ事とあきらめてしまうかと思う甲斐も無く相応しからぬ望が出て来る。とは申しながら、妾(わたくし)どもの分際でだいそれた其望を是非叶えてなどとは思いませぬ。よくよく考えて見れば斯うして居るさへ勿体ないような気もしまする。それじゃと言うて、此頃のようにお顔も見られぬと、胸は燃える、気は塞がる、人並みならぬ身で浅ましいとは思うて見ても、どうやら思い初めたとでも言うように、これがやるせが無いと言う者でござりましょう。ともするとお屋敷の近所迄行て余所ながら御様子窺おうかと思い立つ時もござりまするが、いやいや此身で空恐ろしい、若しも御名前に泥塗るような事があってはと思い返して、無理に静める我心、お眼にかかった時、善う辛抱した、殊勝な、とたった一言いわれたいのが一ぱいでござります。お察しなされて。

せめては月に一度でも、一年に一度でも、斯うして居られる内は、それを楽みにながらえて居りましょう。美しい奥様はおいでになる、可愛らしい赤子様はお生まれになる、夢にもお側へ寄られぬようになったら、どうして生きて居られましょう。前の世に何様罪をつくって斯う今の身に生まれたか、それさへ恐ろしいのに、又此世でも執着を離れずに迷うて迷うて迷い死んだなら、後の世は必ず畜生道とやらへ堕ちることでございましょう。

p48 少年の思い
玉枝(←少年名前)は二親より結婚を勧められた時、三度迄は断ったが、四度目に勧められて従順なる彼は最早それでもとは得拒まなんだ。強いて断れば断れんでもなかったろうが、自分に後暗い処があるので、今きっぱりと断ってしまうと、却て勘づかれるかも知れぬと思う、それが弱味になって承諾せねばならぬようになった。尤も家族の者は此頃の玉枝の外出勝ちなのを怪みて、悪所通いでもするのではあるまいか、悪い友達に誘われて芸者など揚げて遊ぶのではあるまいかと邪推して居るのである。玉枝の外出を止めたのも此訳で、急に結婚せよと言うのも此訳であろう。終に何謀という豪家の娘を貰うことに定まって、結納の取りかわせも早速に済んだ。
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二人の気持ちがじりじりと伝わる。話はとても幻想的に進む。夢かうつつか。こういうところも新海誠監督の作品と似る。ギレルモ・デル・トロ 監督の「パンズ・ラビリンス」にも。こういう思春期の表し方は好きだ。

掲載された作品は下記。

正岡子規  曼殊沙華 1897年(明治30)執筆。没後の大正時代の全集で全文公開。
泉鏡花   蛇くい  1892年執筆
小泉八雲  俗唄三つ 1927年2月 知られざる日本の面影
岩野泡鳴  新平民部落
柳田國男  唱門師の話
喜田貞吉  特殊部落と寺院
神近市子  アイデアリストの死
川端康成  葬式の名人
春風亭柳枝 野晒し
武田繁太郎 風潮
福田蘭堂  ダイナマイトを食う山窩 

(2023年3月 西宮図書館)


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