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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

韓国・サハリン鉄道紀行


韓国もサハリンもどちらも旧日本領土。元気な韓国とうらぶれたサハリンの格差が際立つ。しかし韓国人って・・・・(溜息)。

宮脇俊三 「韓国-サハリン鉄道紀行」 文藝春秋

韓国・サハリン鉄道紀行

文芸春秋

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著者は1926年埼玉県川越生まれ。1951年東京大学文学部西洋史学科卒。「中央公論」編集長、編集局長、開発室長、常務取締役、1978年退社。1977年には国鉄全線完全乗車。鉄道関係の著作多数「時刻表2000キロ」「台湾鉄路千公里」「シベリア鉄道9400キロ」・・・。




まず韓国の旅。

この「韓国-サハリン鉄道紀行」の「韓国への旅」は小説現代に日本通史の旅・古代篇を連載中に思い立ったとある。1987年10月末から一週間ばかりの韓国旅行について綴ったもの。

著者は「韓国人のこと、鉄道のこと、食べ物、ポン引きのことを書いてみたい」と書いているのたが、本当にポン引きが多い。そしてどこに行っても日本人は韓国人にボラれてばかりいる。

笑ったのはキリスト教が普及した理由。朝鮮戦争の時に炊き出しをしてくれたのがキリスト教だったからというもの。思えば朝鮮半島で宗教が民衆のために何かしたということを私は知らない。よっぽど嬉しかったんだろう。国民の大半がキリスト教徒になってしまった。しかしこんな現金な奴等(朝鮮人)に日本の宗教についてとやかく言われたくはないと益々思った。



成田⇒ソウル⇒大田⇒公州⇒扶余⇒全州⇒麗水⇒釜山⇒慶州⇒安東⇒ソウル⇒成田

当時の貨幣価値は10000円が550000ウオン。大卒の初任給の4~5ヶ月分。

ソウル駅は煉瓦造りで日本統治時代のまま。

セマウル号(特急) :新しい村
ムグンファ号(急行):むくげ
トンイル号(準急) :統一
ビドゥルギ号(普通):鳩

列車の種類によって駅間ごとに運賃がきめられていた。日本の様に乗車券のほかに特急券などを買うシステムではない。鉄路の総延長が短いためと駅の数が少ないため可能であるのだろう。(P15)

韓国人は切符を買う列に隙間をあけると平気で割り込んでくる。

キムチと言えば白菜の唐辛子漬けしか知らないが、韓国にはさまざまなキムチがあるという(P25)

13年前に開通した1号線(地下鉄)は日本と同じ左側通行。二年前に開通した4号線は右側通行。1号線は国鉄と相互乗り入れを行っているため左側通行。これは国鉄は日本が作ったから。

P6に「韓国人のこと、鉄道のこと、食べ物、ポン引きのことを書いてみたい」とあったが、本当にポン引きが多い。そして著者はこの時の旅で始めて韓国に行ったようだが、どこに行っても韓国人にボラれてばかりいる。

鉄道施設の写真撮影は厳禁(P30)

鉄道車内販売は全く売る気なし(P32)

麗水は韓国の最南端の駅。漁業の町で人口17万人。(P54)

チマ・チョゴリの姿はほとんど見ない(P62)

慶州の観光バスで初老の韓国人尚黯(サン・アム)氏に会う。氏は名古屋に戦前徴用されていた。「日本人は親切だった」「ご恩返しにあなたを案内する」と言われしばらく同道することに。

キリスト今日の普及についてサンアム氏に訊ねる。近代朝鮮戦争後に普及する。朝鮮戦争当時、キリスト教は食べ物を民衆に配ったが仏教は何もしなかった。だから皆キリスト教に変わったそうだ。(P83)





サハリンの旅。

1989年、ソ連ペレストイカにより対外政策が変化。旧日本領サハリンにも旅が出来るようになったのだが、稚内で集合、解散で28万5000円、五泊六日の旅とはものすごく値段の高い旅行だ。韓国もサハリンも日本の隣なのだがサハリンは遠い。韓国でも不当な値段を吹っかけられっぱなしの旅なのだが、サハリンは物自体が欠乏している。そんな土地だ。



稚内で集合、解散。28万5000円で五泊六日の旅。

1990年7月28日 稚内 ホルムスク ユジノサハリンスク(豊原) 
   7月29日 ホルムスク
   7月30日 ユジノサハリンスク
   7月31日 ティモスク、アレクサンドロフスク、ユジノサハリンスク
   8月 1日 ユジノサハリンスク
   8月 2日 ホルムスク 稚内

郷土博物館はユジノサハリンスクに残る数少ない日本時代の建物である。コンクリート造りだが、形の良い瓦屋根が二層、三層と重なり風格があった。(P174)

国境標は二階の片隅にあった。

隅っこに無造作におかれていた。

意外に小さい。高さ50cmぐらいで力の強い人なら抱えて持ち去れるほど小さい。片面には菊の紋章と「大日本帝国と「境界」の文字刻まれ、もう一面にはロマノフ朝シンボルの獣の像があった。

郷土博物館を出ると前庭の一隅に大砲が二門陳列してあった。碑文「明治37年・38年戦役記念 海軍大将片岡七郎銘」日露戦争の日本の勝利記念物をソ連は意に介せず保存しているのであった。





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