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ホリスティックな学びとケアへの誘い

あらゆるひと・もの・こととのつながりとつりあい、つつみこみ、つぎ/つづけられるでしょうか❤️

伊達市立富野小学校・宍戸仙助校長による特別講義のお知らせ

2012年11月04日 06時57分35秒 | ESD

【越境する教育学の創成】2012/11/04 facebookより転載

東京学芸大学教職大学院「カリキュラム開発の方法」の授業の一環で外部招聘講師による特別講義を行います。
この授業は学内外に公開しますので、聴講希望の方は至急ご連絡ください。

■日時:2012年11月12日(月)10:00~11:30(予定)

■場所:東京学芸大学 北講義棟 N306教室

■講師:福島県伊達市富野小学校校長・宍戸仙助氏の特別講義


■内容:演題「一教師が見、感じた大震災、原発事故、 そして、これからの日本の教育~ESDの意味と可能性~」

■申込:聴講希望者は、
11月9日(金)までに、
成田のE-mail : knarita@u-gakugei.ac.jp 宛、
(1)必ず「件名」に「1112聴講希望」と書き、
メール本文に
(2)氏名、
(3)所属、
(4)聴講希望の動機・理由等をお書きになり、お申し込みください。
 
なお、会場の都合から先着10名様とさせていただきます。可否につきましては当方より返信いたします。

■備考:教師をめざす学生・院生、ESDへの関心を持つ学生・市民の方、歓迎です。

2012/11/04
成田喜一郎

自由学園 創立90周年記念教育報告会への参加報告(抄)

2011年11月27日 15時13分40秒 | ESD

昨日11月26日(土)は、朝から夕方まで、751人の参加・参観者の一人として、東京都東久留米市にある自由学園の創立90周年記念教育報告会「生活即教育~社会とつながる学び~」に行って来た。

初等部から女子部、男子部、最高学部まで児童生徒・学生たちの発表を観てきた。東京にもまだこのような自然環境を維持し続けているキャンパスを有する学校があるのか、キャンパスの草木・生き物、学園の中を流れる立野川のすべてが〈学習財〉だった。

1921年創立の直後の1923年9月1日に関東大震災が起こり、その救援のために社会とつながる機会を得た自由学園、90周年の年、2011年3月11日に東日本大震災・東電福島第一原発事故が起こった。90周年記念式典は中止されたが、救援のために社会とつながる機会を得た。
http://www.jiyu.ac.jp/blog/?p=13739

Post3.11の教育・社会にあって、まさに本質的で根源的な問いへのレスポンスをし続けている自由学園、その歴史と教育の意味を、書かれた文献や論文ではなく、初等部から最高学部までの児童生徒・学生たちの発表の中に見出すことができた。

まさに、持続可能で懐かしい未来への教育ESDがここにはあった。
それぞれに課題や困難を抱える国・公・私立学校、NPO法人立学校の違いを超えて、つながり学び合う意味をさらに強く感じた一日だった。



MEMO.
自由学園への訪問は今日で3回目。
1回目は2009年。女子部・男子部の中高生、最高学部の学生たちと出会う。
その時の訪問は強烈で即刻記憶を記録=エスノグラフィーに残した。
寺澤満春作・創作叙事詩「『自由学園』の土地と精神と人々のつながりに学ぶ」
http://blog.goo.ne.jp/jzs03765/e/0f90f7cb889038cb45efbe1940e76b47
2回目は2010年。
そして、3回目は本日2011年11月26日。
今回は、幼児生活団(幼稚園)の児童はまだだが、は初めて初等部の1年生から最高学部の4年生までの一貫した姿を拝見することができた。
次回は、こうしたイベントではなく、普段の教室の授業を拝見することにしたい。


修了式の日に―学生に贈る言葉―

2011年03月18日 18時42分28秒 | ESD

今から3,40年前のこと、1970年代に学生・院生であったわたくしは、1930,40年代を中心とした日本の近現代史を学んでいました。そこで、戦争には、内外の被害者、加害者、加担者、傍観者、そして、抵抗者という五つの層を織り成す人々が存在していたことを学びました。これは「いじめ」の四層構造と極めて類似しています。

戦争やいじめとは位相が異なるかもしれませんが、今回の地震と津波、原発震災とその後の混乱には、多くの被害者、加害者-主たる加害者は「牙をむいた自然」かもしれませんが-、加担・協力者、傍観者、抵抗者に加えて逃避者という六つの層を織り成す人々がいるのではないかと推察しています。

こうした国家・社会の危機的な状況の中で、今、わたくしたち教育・研究に携わる者には、3つの知的内省課題を意識する必要があるのではないかと思われてなりません。

(1)まず、一実践一研究の〈省察〉という枠組みを超えて、自らが如何なる層にいたのか、今如何なる層にいるのか、長いスパンで 深い〈省察〉、〈目前心後・離見の見*〉をしていく必要があるのではないのか、ということです。そして、自らの実践や研究はもちろん、そして一市民としての生活と行動の意味を問い質す必要があるのではないでしょうか。「結果/欲望」(欲望分の結果という分数)という幸せ/不幸せ**の公式の中で暮らしているわたくしたちは、如何に自らの結果や欲望をコントロールし合うのか、ということかもしれません。

(2)そして、六つの層にいる人々にラベルやレッテルを貼り、単なる同情を寄せたり非難したりするのではなく、むしろ、異なる六つの層を超えてつながりかかわることが重要です。現地・現場で必死に救援・救済、巨大な危機への対応をしているすべての〈当事者〉への敬意***と、彼らにつながるための想像力、また、わたくしたちを含めた〈当事者〉の抱く食糧・燃料不足のへの不安や目に見えない「塵」への恐怖とつながり分かち合う想像力を持つことが出来るか否か、問われているのではないでしょうか。

(3)今ここに、この4月から初めて教員として子どもたちの前に立つ人、学校現場に戻る人、新たに教育委員会に勤務する人、新しい出会いを求めて自らを見つめ直そうとする人がいます。そして、巨大な国家・社会的危機の再発・再来を防ぐために、学校や家庭・地域において永続的な分岐点に立ち続けていく覚悟が必要なのではないかと思っています。現在の危機と今後来るだろう永続的な分岐点の前で、「いったい教育に何ができるのか」、「果たして選択・判断する知識や概念、スキル、意欲を育むことができるのか」その本質的で根源的な問いを抱え、その問いを生きて行く必要があるのではないでしょうか。

持続不可能性につながる施策や暮らし・教育のあり方と真に決別〈断・捨・離〉し、すべての教科・領域・専門性を超えて〈持続可能な開発のための教育ESD〉を推進して行きたいと思います。

***


最後に、過去とはあなたとわたくしの現在の記憶・記録です。未来とはあなたとわたくしの現在の期待や希望です。すべては、今ここに共に存在Inter-beingしています。今、わたくしたちは作られつつある歴史=「現在史」の一コマに生きています。

そして、如何なる危機のときにも知と心と身体を癒し包み込む音楽と共にあることを忘れないようにしたいものです。

以上、東京学芸大学大学院教育学研究科〈教育実践創成〉専攻=教職大学院を修了するみなさんにわたくしから贈る言葉です。
ほんとうにおめでとうございます。


*:目を前に見て心を後ろに置き見ること。我見ではなく離見=観客の目で自らを見るということ。(世阿弥「花鏡」より)
**:1989年5月、筆者が実地踏査で、岩手県西和賀郡沢内村(現、西和賀町)に入ったとき、当時の村長・太田祖電氏が筆者に語った言葉のひとつ。そのほか「戦後日本は、長い間、Haveの時代を生きてきたが、Doの時代を経て、21世紀はBeの時代である」と語った。参考:いのちのつながりを学ぶ子どもたち~修学旅行/岩手県和賀郡沢内村を訪ねて~
***:今ここにいるわたくしたちとは異なる量の被曝をしながらも巨大なる危機に立ち向かわざる得ないを方々がいること。

(2011/03/18)