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ホリスティックな学びとケアへの誘い

あらゆるひと・もの・こととのつながりとつりあい、つつみこみ、つぎ/つづけられるでしょうか❤️

なりっち、今朝、豊嶋山 道場寺に訪ねてきた

2022年04月18日 15時42分48秒 | ホリスティック教育研究

希望の古(いにしえ)、古希でデビューのRADIO Personality

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t39.30808-6/278616091_5004676559615281_4277601312931347455_n.jpg?_nc_cat=100&ccb=1-5&_nc_sid=730e14&_nc_ohc=jF9fY_1MuYUAX9Mm7C2&_nc_ht=scontent-nrt1-1.xx&oh=00_AT9dIXvdT46qi7w_R-10SvLBVp8GpPKQXLwP302fxSV-NA&oe=6261328A

なりっち、今朝、豊嶋山 道場寺に訪ねてきた 2022.4.16

新Lecture RADIO「なりっちの読み合うラジオ」006(Podcast版)
和尚の語源について:豊嶋山 道場寺にて(11分00秒)
https://note.com/narisen2017/n/nb563491bb0ce

https://www.facebook.com/kiichiro.narita.5/posts/5004677612948509

 

 


創立宣言 NEWS PICKS パブリシング

2020年11月18日 13時40分41秒 | ホリスティック教育研究

創刊宣言文

希望を灯そう。

「失われた30年」に、失われたのは「希望」でした。

今の暮らしは、悪くない。
ただもう、未来に期待はできない。
そんなうっすらとした無力感が、私たちを覆っています。
なぜか。
前の時代に生まれたシステムや価値観を、今も捨てられずに握りしめているからです。

こんな時代に立ち上がる出版社として、私たちがすべきこと。
それは「既存のシステムの中で勝ち抜くノウハウ」を発信することではありません。
錆びついたシステムは手放して、新たなシステムを試行する。
限られた椅子を奪い合うのではなく、新たな椅子を作り出す。
そんな姿勢で現実に立ち向かう人たちの言葉を私たちは「希望」と呼び、その発信源となることをここに宣言します。

もっともらしい分析も、他人事のような評論も、もう聞き飽きました。
この困難な時代に、したたかに希望を実現していくことこそ、最高の娯楽です。
私たちはそう考える著者や読者のハブとなり、時代にうねりを生み出していきます。

希望の灯を掲げましょう。
1冊の本がその種火となったなら、これほど嬉しいことはありません。

令和元年NewsPicksパブリッシング 編集長井上 慎平

CONCEPT
1
「点」ではなく「面」の読書を
ラインナップそのものを編集し体系化された「知」を提供します。
2
経済と文化の両利きに
私たちが重視する「面」は経済と文化です。文化は理想を描く力、経済は理想を現実にする力。次世代のビジネスパーソンに不可欠な、この2つの力を養うラインナップを揃えます。
3
BIG IDEA & BIG ISSUE
日本では生まれ得ないスケールの大きな”IDEA”をアカデミアの世界から、課題設定力を養う本質的な”ISSUE”をビジネスの世界から届け、ビジネスパーソンの視座を高めます。

MISSION

大人に、新しい「問い」を。

なぜ、何のために働くのか。

価値を生むことと、お金になることは、イコールではないのか。
1兆円のビジネスを成長させた先に何があるのか。

わかり合えない他人と、どう関わっていけばいいのか。
差別や偏見に、打ち勝つことはできないのか。

すぐ役に立つ最適解。
すごい人が成功した秘訣。

それは今ここで、私が選ぶべき答えなのだろうか。

日々遭遇する「多面的な物事」を、
自分の頭で考えられる大人になっただろうか。

いくつもの問いが駆け巡り、不安をおぼえる。
そしてふと、期待が高まる。

今、私たちに必要なのは、
本質をとらえなおす新しい「問い」だ。

"経済を、もっとおもしろく"するなら、おもしろさの根源を。
"経済情報で、世界を変える"なら、世界の再定義を。

私たちNewsPicksパブリッシングは、
解くべき問いを立てなおし、無数の希望を創り出していきます。


黒板画へのいざない

2019年12月16日 08時26分58秒 | ホリスティック教育研究

黒板画へのいざない(2002.11~2003.3)

http://newtokinomahoroba.life.coocan.jp/starthp/subpage18.html
わたくしが中学校教員をしていた頃のこの5か月だけの「黒板画家」でした。

以下、「黒板画へのいざない」(2002年11月)より引用。

限られた時・空間、人間(じんかん)に生きる絵

最近、わたくしは、教師としての仕事のかたわら画家、それも黒板画(チョーク画)家もしています。
12月の作品とちょっとした出来事をご紹介しましょう。
クリスマスにちなんだ作品です。
2002年11月末、私は、生徒がすべて下校した夕方か、まだ誰も登校していない早朝かのいずれかに、教室の黒板に6色のチョークで絵を描き始めました。
ある日の朝、社会科教室の黒板の端っこに冬山とモミの木の絵を描きました。 その絵は、午前中の授業がすべて終わるまで残っていたのも不思議ですが、さらに不思議なことが.....
昼休みに翔と彩がやってきて「先生、先生!来て、見て!」と言いながら「Mr.NARICKの描いた絵のわきにいいもの描いたよ。すごいんだから....」会議室にいた私を社会科教室に連れてゆきました。
すると、どうでしょう。
モミの木の脇に「雪だるま」が降誕していました。
「この雪だるま、モミの木にぴったり合ってるね。ほわほわって感じ。」
これはもういたずらがきとは言えません。
私の描いた絵への返歌、いや返画なのです。
しかも結果として完全にコラボレーション作品になっているではありませんか。
黒板画は、必ず消される運命にあります。
実際の絵として見ることのできるひとの人数にも限りがあります。
ある日、ある時間にその黒板の前を通り過ぎてゆくひとたちにしか見てもらえぬ絵です。
でも、長い人生の中の瞬きくらいの時間にしか生きられぬ絵でも何百年も残され鑑賞され続ける名画にも劣らぬ輝きをみせることがあるかもしれません。
たとえ駆け出しの黒板画家の手になる作品だったとしても......。
ガラス張りの中の名画ではなく、触れれば消える黒板の上の絵は、描き手と見るものとの間に垣根を作りません。
消したい絵であれば消せるし、付け足したければ描き加えることすらできるのです。
そんな絵があったとは、今の今まで私は知りませんでした。
しばらく、教室の中の黒板画家として過ごしてみようと思っています。

以上、黒板画へのいざないより引用でした。

黒板画の世界
http://www.valley.ne.jp/~holistic/blackboad.html
これはわたくしの師匠のサイトです
師匠プロフィール
http://www.valley.ne.jp/~holistic/prof.html


2015年3月26日のブログを更新しました。その時のブログには、以下のような記事がありました。

最近、黒板画(チョーク画)が注目されています。

「黒板で製作された絵のクオリティが高すぎる[黒板アート]」
http://matome.naver.jp/odai/2130036229551177001

昨日(2015年3月20日)行われた本学教職大学院の修了式会場の黒板に描かれた「黒板画」。
前日からSさん(学卒1年)を中心に院生が描いた作品。(略)


 

埼玉県立埼玉学園フィールドワークを前に:2015.6.16+2018.7.16

2018年07月16日 08時35分16秒 | ホリスティック教育研究

埼玉県立埼玉学園フィールドワークを前に

小舎夫婦制・児童自立支援施設

上尾市立東中学校向原分校(東小学校分校教室)

2015.6.16(2015.8.10 , 2018.7.16加筆


1 埼玉県立埼玉学園「生活のしおり」(元職員による非公式サイト)

http://www.geocities.jp/boys_hill/saigaku/hyousi.html(2018.7.16取得)

2 沿革

 1906(明治39)年、北足立郡浦和町に設置

 1932(昭和7)年、現在の上尾市に移転

 1997(平成9)年、児童福祉法の改正により、1998年より「児童自立支援施設」の名称となる。

 2002(平成14)年、施設内に上尾市立東中学校向原分校,東小学校向原分教室ができる。

*児童福祉法:http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000164&openerCode=1

(2018.7.16取得)

3 所在地:埼玉県上尾市

4 小舎夫婦制による児童自立支援施設

5 入所児童生徒:虐待被害(7割)・非行等の背景を有する児童生徒 小学生9名、中学生56名、計65名(平成23年度現在)*児童相談所経由、家庭裁判所経由

6 埼玉学園内に上尾市立東中学校向原分校設置の法的根拠

*上尾市立小・中学校通学区域に関する規則http://www1.g-reiki.net/ageo/reiki_honbun/e320RG00000303.html

(2015/06/16取得,現在閲覧不可)

昭和35年12月3日 教委規則第3号(平成23年3月から改正経過を注記した)別表1◎小学校 ◎中学校 

7 全国児童自立支援施設一覧

http://www.geocities.jp/boys_hill/list.html(2018.7.16取得)

https://www.google.com/maps/d/viewer?brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&ie=UTF8&msa=0&z=5&hl=ja&mid=zx3_OsAXCGdc.kegn4cnRhHJo(2018.7.16取得)

 

【訪問履歴】2018.7.16現在

◎2018(平成30)年7月19日(木):高等科3年・学部2年計2名、引率教員
成田喜一郎,T.G先生 計4名(予定) 

◎2015(平成27)年6月23日(火):学卒院生8名・現職院生3名、引率:成田喜一郎

◎2012(平成24)年6月22日(金):学卒院生7名・現職院生2名、引率:成田喜一郎

◎2012(平成24)年1月18日(水):学部生2名(新教員養成コース)、引率:成田喜一郎

◎2010(平成22)年7月16日(金):学卒院生・現職院生数名(教職大学院)、引率:成田喜一郎・藤井穂高

*2010年、T.M教諭(当時本学教職大学院現職院生、現埼玉県教育委員会指導主事)のノットワーキングによって開始。

【参考文献・サイト】

◎小林英義(2013)『もうひとつの学校―児童自立支援施設の子どもたちと教育保障』生活書院

◎小林英義・吉岡一孝編著(2011)『児童自立支援施設の子どもと支援―夫婦制、ともに暮らす生活教育』明石書店

◎小林英義・小木曽宏編著(2009)『児童自立支援施設:これまでとこれから』生活書院

◎小林英義(2006)『児童自立支援施設の教育保障:教護院からの系譜』ミネツヴァ書房

◎小林英義(1992)『愛と哀しみの少年たち:教護院 ある夫婦寮の記録』教育資料出版会 *小林英義氏:東洋大学ライフデザイン学部教授

○大谷茂(2009)「環境は人をつくる―埼玉学園で学んだこと―」『川口の教育』489号(著者は、当時川口市立在家中学校長)

http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/Files/1/72010062/attach/11.pdf (2015/06/16取得,現在閲覧不可)

○東京都福祉保健局少子社会対策部(2005)『東京の児童相談所における非行相談と 児童自立支援施設の現状」 ― 子どもの健全育成と立ち直り支援の取組 ―』平成17年3月

http://www.geocities.jp/apricot4236/pmw/60f3t400.pdf (2018.7.16取得)

○遠藤典子・仁尾孝・三浦康幸・向野弘基・前野亘(1999)「2.検証 2-1 埼玉学園」(訪問記録1999.11.25)

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5043/zemiron/zemi9902.html(2018.7.16取得)

○大西延英「教護院での授業」(授業、クラブ活動、行事、無断外出等)元国立武蔵野学園厚生教官


(2018.7.16 加筆)

時の切り分け方

2018年07月16日 04時55分56秒 | ホリスティック教育研究

時の切り分け方とその出会い

先生が声を張り上げ、指示、

学会でよく使われるチャイム、

最近、教室で先生方が使うタイマー、

摩訶不思議な音色のビブラトーンとの出会い*、

先日、横浜の小学校の先生が使っておられたエナジーチャイム**、

時の切り分け方、色々。

強制的に時を切り分けるための道具では、子どもたちは活動を制止される。

ゆるやかに時を切り分けるための道具では、子どもたちが自らか移り変えてゆく。

*:https://holisticeducation2011.blogspot.com/2017/02/blog-post_24.html

** :https://www.facebook.com/kiichiro.narita.5/posts/1749050128511290





 

 


ホリスティックな教師とは?:大学4年生との対話

2018年01月15日 11時42分39秒 | ホリスティック教育研究
ホリスティックな教師とは?:大学4年生との対話
2018.1.12
M大学「教職実践演習」講義・WSの記録
(当日のスライド抄録と配布資料)

大学4年生の応答の実際、そしてきみとの「対話」
〜学生たちの観想と省察、そして、わたくしからの一言〜

「水の思想・川の組織論」とは何か?

2017年11月06日 06時19分39秒 | ホリスティック教育研究

 

「水の思想・川の組織論」とは何か?

成田喜一郎

まずは、「水の思想・川の組織論」を創作叙事詩を通して理解してみよう。 
🔵 創作叙事詩「川下にいる者」 作・寺澤満春

http://esd2005-2015.blogspot.jp/2016/04/20164.html

次に、この新聞記事を読んでみよう。

『教育新聞』2012年11月1日 

さらに深く知りたい方は、以下の論文(全12頁)を読んでください。

🔵 成田喜一郎(2012)「次世代型学校組織マネジメント理論の構築方法 : 「水の思想・川の組織論」の創成過程」」『東京学芸大学教職大学院年報』第1集、pp.1-12(論文)

 
 

刊行された「エスノグラフィー」集録2017

2017年08月11日 13時39分17秒 | ホリスティック教育研究

刊行された「エスノグラフィー」集録

2017.7.6 現在

● 成田喜一郎(1997)「社会科「叙事詩」論序説 : 事実認識と想像力とをつなぐ 試み」『研究集録/東京学芸大学附属大泉中学校』No.38 p.39 -54. pdf.

● 成田喜一郎(2011)「ESD の質保証と HOPE 評価の可能性 :子どもと教師のためのエスノグラフィー」『ひろがりつながるESD実践事例48』ACCU, pp.181-190. pdf.


● 成田喜一郎(2013)「子どもと教師のためのオートエスノグラフィーの可能性 : 「創作叙事詩・解題」を書くことの意味」『ホリスティック教育研究』第16号、pp.1-16. pdf.


●成田喜一郎(2015)「創作叙事詩『刹那毎の岐路に立つ』」『ホリスティック教育研究』第18号, 日本ホリスティック教育協会, pp.1-4. pdf.


●平沢直樹・成田喜一郎(2015)「東日本大震災における発達障害者の PTSD と学校危機管理=ケアのあり方 :発達障害当事者との協働エスノグラフィーを読み解く」『東京学芸大学教職大学院年報』第3集、pp.187-202. pdf. 


● 成田喜一郎(2017)「協働エスノグラフィー 懐かしい未来との対話:ラダックの暮らしと私たち」『ホリスティック教育研究』第20号, 日本ホリスティック教育協会, pp.1-20.pdf


●成田喜一郎(2017)「オートエスノグラフィー『ライフヒストリーの中の環境教育』:『史的環境教育学』への誘い」『環境教育学研究』第 26 号, 東京学芸大学 環境教育研究センター 研究報告, pp.159-180. pdf.


●津山直樹×成田喜一郎(2017)「第2章 『創作叙事詩・解題』の実践:生徒の内面を引き出すこれからの学習方法」『対話がつむぐホリスティックな教育:変容をもたらす多様な実践』創成社, pp.83-148. (本書は、研究者と実践者との対話によってその実践を読み解いていった)新刊



刊行されたエスノグラフィー集録:2017.7.6現在

新しい統合型ブログのスタート!

2017年05月22日 12時24分24秒 | ホリスティック教育研究

 

新しい統合型ブログのスタート!

 ETHNOGRAPHY/METAHISTORYhttp://ethnographymetahistory.blogspot.jp

(2017.4.11開設)


これまでの主なブログ一覧

↑ 越境する教育学の創成:http://pedagogytocrosstheborder.blogspot.jp

↑ ホリスティック・カリキュラムの理論と実践:http://holisticeducation2011.blogspot.jp

↑ ESDの理論と実践:http://esd2005-2015.blogspot.jp 

↑ 社会科教育カリキュラムの理論と方法:http://shakaikakyouikukennkyuu.blogspot.jp/

↑ Special Activities :http://specialcurricularactivities2014.blogspot.jp

↑ 教職大学院カタカナ語小事典:http://keywordkatakanagojiten2013.blogspot.jp

 


ホリスティック・カリキュラム論序説:成田 2003:73-77

2017年01月18日 06時02分46秒 | ホリスティック教育研究
ホリスティック・カリキュラム論序説
 成田 2003:73-77
成田喜一郎
 
1 ホリスティック・カリキュラムの位置
 
 カリキュラムCurriculumとは、従来、教育課程と訳され学校の教育計画の全体を意味したり、各教科等の指導計画を意味したりしてきた。学校の教育課程にしても各教科等のカリキュラムにしても学校・教師の作成するものである。しかし、1970年代の後半以降のカリキュラム論では、子どもの「学びの履歴」、子どもが「結果として身に付けた内容」のすべてを意味するとの見方が多くなってきたと言う。(天野1999)
 戦後のカリキュラム論は、前者のカリキュラム論と後者のカリキュラム論との間を揺れ動いてきたと言ってよい。1990年代のカリキュラム論は、文部省(現文部科学省)による「新学力観」への転換と「総合的な学習の時間」の導入に向けて後者の議論が隆盛を極めていた。2000年代に入ると、マスコミを中心とした「学力低下論」を背景に前者の議論が沸騰し、2002年に実施した「総合的な学習の時間」はその出発と同時に批判に晒されることになった。
 しかし、学校教育・学習の現場に立ち日々ともに過ごすわたくしたち教師と子どもたちにとって、右往左往するカリキュラム論に振り回されることは「百害あって一利なし」である。如何なる時代や局面が来ようと、地に足をつけて子どもたちのいのちを守り育む教育を実践したい。そんなわたくしたち教師のねがいを根底から支えてくれるのが、ホリスティック・カリキュラムである。
 さて、そのホリスティック・カリキュラムとは何か。
 この問いに対する最終的な解答はまだ見つかってはいない。教師であるわたくしのささやかな実践史(以下、Teaching Historiesと略す)をもとに、今、暫定的な答案を書くとすれば、以下のようになろう。
 ホリスティック・カリキュラムは、以下の四つの構成要素から成り立っている。
 ①子どもたちが人間・時間・空間・事物・情報・精神などあらゆるものとのつながりやかかわりに気づく。②多様で異なる見方・考え方や感じ方、論理的な認識と直観的な洞察とのバランスの大切さをつかむ。③よりよいつながり方〈自立共生・共生共存〉(成田1997)に向かい自己変革と社会変革をめざす。④子どもたちが①~③をめざす人間へと成長できるように、教師が指導・支援、促進する。
 ホリスティック・カリキュラムには、子どもたちへのねがいと教師の役割が包括されている。つまり、ホリスティック・カリキュラムは、子どもたちの学びの履歴の総体(以下、Learning Historiesと略す)としてのカリキュラムと教師の作る学校の教育課程や各教科等のカリキュラムとの包括的な交互作用として存在している。わたくしは、二つのカリキュラム論がつながりかかわり、それらの動的な均衡をめざし、最終的にはひとつに包括されるものとして措定しておきたい。
 
2 ホリスティック・カリキュラム上の子どもたちと教師
 
以下、こちらへ。

出典:日本ホリスティック教育協会編(2003)『ホリスティック教育ガイドブック』せせらぎ出版、pp.73-77 

ホリスティック教育とは何かを探る手立て

2016年10月08日 14時55分21秒 | ホリスティック教育研究
ホリスティック教育とは何かを探る手立て
2016.8.21(再掲)

Blog「ホリスティック教育カリキュラム研究1994年ー現在」より抜粋したリンク先一覧


講義等ブログ一覧2015:成田喜一郎

2015年11月07日 09時52分30秒 | ホリスティック教育研究
講義等ブログ一覧2015:成田喜一郎

Blog1:ホリスティック教育研究への誘い(ホリスティック教育学研究ノート)

Blog1:越境する教育学の創成(カリキュラムデザイン基礎)

 
Blog3:社会科教育の現在・過去・未来(社会科教育法)

Blog4:Special Activitiesの有意味性と可能性(特別活動論)

Blog5:いったい何がESDなのか(ESDの理論と実践)

Blog6:教職大学院キーワード・カタカナ語小事典(Web初版,院生編著)



詞「ココカラ」を読み解く:2015.10.18

2015年10月18日 08時07分40秒 | ホリスティック教育研究

詞「ココカラ」を読み解く

 

「ココカラ」

作詞:森由里子/作曲:伊集院秋桜

(第1連)

窓を開けてみて(以下、略)

(第2連、略)

(第3連)

 誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ/まだ見ぬ輝き 見に行こう/ココカラ

(第4連)

ドアを開いたら/優しい陽射し(以下、略)

(第6連)

 誰もが旅の途中/みんな魔法を探し/心の鞄にあることを知ってゆくよね/余計な荷物は要らないね

(第7連)

勇気を振り絞って/乗り越えたフェンスは/いつしか僕達を/守る砦になる(以下、略) 

(第8連)

 誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ

 まだ見ぬ輝き/願った未来に踏み出そう/ココカラ

 

歌:魔法女子☆セイレーン

『タイムトラベル☆グラフティ』2015

http://www.symphony-5.com/mahoujyoshi/schedule.html

 

解 題                                   

東京学芸大学・成田喜一郎[1]

 

 この詩(詞)の中で注目したフレーズがいくつかある。

 「誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ/まだ見ぬ輝き 見に行こう/ココカラ」(3連)、「誰もが旅の途中/みんな魔法を探し/心の鞄にあることを知ってゆくよね/余計な荷物は/要らないね」(6連)、「誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ/まだ見ぬ輝き/願った未来に踏み出そう/ココカラ」「誰もが旅の途中/つまずくことがあっても/進まないと出会えない景色があるよ/まだ見ぬ輝き/願った未来に踏み出そう/ココカラ」(8連)

 このさびの部分である。

 3つの連に登場する「誰もが旅の途中」にあり、最初と最後の2つの連に登場する「進まないと出会えない景色があるよ」と、まだ見ぬ世界、未知への誘いを歌っている。

 しかも、どこからでもない「ココカラ」進まないと出会えない「景色」、すなわち未来への期待・希望を語りかけてくれる。

 この楽曲を聴くことで多くの方々が、世代を超えて共感・共鳴・共振するのではないだろうか。

 そして、一歩踏み出す勇気をもらえるかもしれない。

 人は壁や塀、フェンスに打ち当たったとき、人力を超えた「魔法」のような力を探し求める。

 あの「青い鳥」[2]の説話のように、実は身近な「心の鞄」の中にこそ乗り越える力があることを示唆している。

 また、「余計な荷物は/要らないね」と歌い加えているところにも注目したい。筆者の深読みかもしれないが、老子の「減少と無為」(48章)[3]の思想に通底するフレーズではないだろうか。

 そして、乗り越える対象だった「フェンス」が、乗り越えられたとき、自らを守る「砦」に変容してゆく期待や希望を抱かせてくれる。障害を超えたとき、その経験自体が我が身を守る「砦(力)」となるにちがいない。

 しかし、今、絶望を深く抱き抱えている人にとっては、この「ココカラ」を聴いただけで「魔法」の力で希望が生まれることはないだろう。この「ココカラ」の歌詞もメロディも受け付けない人もいるにちがいない。

 そんなとき、そのような人はどうしたらいいのだろう。

 できるなら、友人や家族、カウンセラーなど信頼できる人との「対話」もいいかもしれない。

 その「対話」[4]が成り立つためには、愛や謙虚さ、信頼、希望、そして隠し味のようなクリティカルな思考や感情が生まれてくるのか否か………

 もし、その条件が満たされない人の場合は、どうしたらよいのか。

 最後で最初の選択肢がある。

 「ココカラ」は、とてもシンプルな選択肢を用意してくれている。

 それは、一連と四連ある。

 「窓を開けてみて」「ドアを開いたら/優しい陽射し」[5]でというフレーズである。

 すなわち、窓を開ける、ドアを開き陽射しを浴びるという行為、身体性に働きかけることである。そして、できれば空を飛び交う鳥に自分を投影させ、想像の翼を持つ「鳥の目」[6]で窓を開けドアを開く自分を眺めてみたい。

 あの3.11東日本大震災・原発事故の翌年に出た『トラウマと身体』[7]という本がある。

 この本を門外漢の、越境する教育学の創成者が敢えてわしづかむと、頭で一所懸命考えても心の傷やしこりは癒されない。心にいくらやさしく語りかけても癒されないことがある。そんなとき、頭や心そのものを包み込む身体(からだ)から働きかける、何も考えず何も感じようとせず、ただ、陽射しに向かって身体を動かすという選択肢がある。

 「ココカラ」は、すでに冒頭からその身体性への可能性という選択肢を示唆している。

 「ココカラ」は、知と心、そしてそれらを包み込む身体の三位一体性、三位連動性への期待と希望を秘めていると言っても過言ではない。                               (2015.10.14記)

 

 【参考文献】

 ヴィクトール・E・フランクル(2015)『絶望から希望を導くために:ロゴセラピーの思想と実践』青土社、広岡義之訳。



[1] 専門は、越境する教育の創成/原点への回帰をめざす「ホリスティック教育学/歴史学」。主な実践研究履歴については、以下のサイトを参照されたい。http://blog.goo.ne.jp/jzs03765/e/0f3bea2f70729bd66ec88b14f12517d4 

[2] メーテルリンク(1960)『青い鳥』新潮文庫、堀口大學訳。

[3] 鍾元(1987)『老子の思想:タオ・新しい思惟への道』講談社学術文庫、上野浩道訳、pp.223-226

[4] パウロ・フレイレ(2011)『被抑圧者の教育学(新訳)』亜紀書房、三砂ちずる訳。

[5] 陽射し、特に朝日を浴びることで、感情をコントロールし、精神を安定させる働き有すると言われている「セロトニン5-hydroxytryptamine」が増えると言われている。有田秀穂氏の一連著作を参照されたい。キーワードは「セロトニン」である。

[6]「鳥の目」で見つめることは「鳥瞰」するということ。可能ならば、自己と対象者(物)との関係性の現実を、鳥瞰・俯瞰できるといい。問題解決に向けて自己と他者(対象物)と対峙・対決するだけでは道は拓かれないことがあることも知っておきたい。

[7] パット・オグデン, ケクニ・ミントン,クレア・ペイン(2012)『トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実践』星和書店、太田茂行ら訳。


Mandala & Mandorla との出会い:2015.9.2

2015年09月02日 04時03分17秒 | ホリスティック教育研究

図 大須賀発蔵(1987)『いのち分けあいしもの―東洋の心を生きる』柏樹社

*Aureola:アーモンド型「光背」への注目(正邪二つの円の重なる部分を意味する)

Mandala & Mandorla との出会い

1994年という年は、わたくしにとって特別な年である。ジョン・P・ミラー(1994)『ホリスティック教育:いのちのつながりを求めて』春秋社 と出会った年であり、大須賀発蔵氏に誘われ曼荼羅の世界と出会った年であるからである。

1994年、文部省(当時)中央研修中堅教員講座で、実業家であり、カウンセラーである大須賀発蔵氏に出会い、東寺講堂の立体曼荼羅Mandalaの話を聴く。大日如来(現在・過去・未来へと時空間を超えてつながる「いのち」)を、講堂の四隅で守る四天王の存在。多弁になりがちな自分を諌める〈多聞天〉、とかくなりがちな狭目を啓く〈広目天〉・凹へのケアだけではなく凸へのケアを促す〈増長天〉、暮らしと学びの空間・環境を整える〈持国天〉という四天王の有意味性に気づかせて頂いた。そして、仏教世界だけではなく、キリスト教世界にも曼荼羅Mandorlaがあることもご教示頂いた

*大須賀発蔵(1987)『いのち分けあいしもの―東洋の心を生きる 』柏樹社、同(1990)『陰は光に―「華厳経」一行拾い読み』柏樹社、同(2000)『心の架け橋―カウンセリングと東洋の智恵をつなぐ』柏樹社 

1996年、拙稿(1996)「“Holistic Curriculum”とは何か―一中学校社会科教師の視点で考える―」『東京学芸大学附属大泉中学校研究集録』第36号 1996 の中で、大須賀発蔵氏からご教示頂いた曼荼羅等の話にふれる。

http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/5873/1/AN00158421_36_001.pdf(2014/09/02取得)

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2007年~現在、教職大学院の開設準備及び開設(2008/04)、新教員養成システムの始動(現新「教員養成コース」の前身)。

*教師のライフヒストリー年表の作成実践:新教員養成システム(現新教員養成コース)立ち上げ時の講演

 成田喜一郎「教師!わがライフヒストリーを語る―教職の魅惑と不安を超えて―」(2007/05/30)

*学習指導要領の変遷と教師のライフヒストリー年表の作成:教職大学院「カリキュラム開発の方法」

プログムデザイン曼荼羅との出会い:教職大学院「教育ネットワークの構築方法」の特別講義

 中野民夫「現代教育ネットワークを構築するファシリテーションの在り方について考える」(2008/11/12

*授業デザイン曼荼羅の活用(現「カリキュラムデザイン曼荼羅」)実践:新教員養成システムの講義

*ライフヒストリーデザイン曼荼羅ワークショップの開発への道:

 成田喜一郎「学習指導要領の変遷と教師のライフヒストリー」年表の作成と活用:東京学芸大学教職大学院「カリキュラム開発の方法」(2009~現在)

 東京学芸大学・藤原和博企画「学校マネジメントリーダー塾」で成田喜一郎・三田地真実の講義・WS「教師のキャリア支援と持続可能な学校文化の構築」(2010/03/28):ライフヒストリーデザイン曼荼羅ワークショップの全国デビュー(全国から60名の管理職候補者を集め行なう)

*ライフヒストリーデザイン曼荼羅ワークショップの実践:教職大学院「学校組織マネジメント」ほか

2010/04~現在

*ホリスティック教育研究大会(東京学芸大学)におけるWS実践:2011/06/05

 三田地・成田「ライフヒストリー曼荼羅図でふり返る自分史~お互いのストーリーを《敬聴》し合う大切さ~」:プログラムデザイン曼荼羅図(中野、2003;三田地、2007)を改良発展させた、「ライフヒストリー曼荼羅図」というツールを用いて、参加者がこれまでのヒストリー(歴史)をまず振り返る。後半では、それを元に参加者がそれぞれのヒストリーを語り、他者はそれを「ストーリー」(物語)としてしっかり互いのストーリーを《敬聴》し合う。

*中山美由紀(附属小金井小・学校司書)が、全国各地で学校図書館司書対象の「ライフヒストリーデザイン曼荼羅ワークショップ」を実践し、好評を得る(2012~現在)

2011年、大須賀発蔵氏、逝去。享年86歳。(5月26日)

2013年、日本ホリスティク教育協会・成田喜一郎・西田千寿子編『「いじめ」を超える実践を求めて:ホリスティックなアプローチの可能性』せせらぎ出版 の中で、再び「曼荼羅」等の話にふれる。

http://www.seseragi-s.com/shopping/?pid=1380594763-762628(2014/09/02取得)

2014年7月31日、三田地真実氏と英語科の教職大学院院生(現職院生A.Aさん、学卒院生I.Hさん、I.Kさん、K.Rさん)と成田で、オランダにて開催される「対話的自己学会」のワークショップで使う資料(英文)の検討を行なう。

2014年8月14日、中野民夫・三田地真実・成田喜一郎、三鷹駅付近のカフェにて「ライフヒストリーデザイン曼荼羅ワークショップ」の国際デビューに向けた打ち合わせを行なう。インド一人旅からの帰国したばかりの余野真己子(小学校教諭)を交え、4人で円卓ワークショップを行う。

*Dialogical-self and Life-history Mandala “Welcome to the Life history Mandala Workshop”(2014/08)

2015年9月2日、香蘭女学校の校内研修会で「なぜ、今、アクティブラーニングなのか:その危うさを超える方法」という主題で講義とワークショップをした。そのとき、「珠玉」のワークショップ体験の一つとして、「ライフヒストリーデザイン曼荼羅を描く」を紹介し、行った。

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参考資料「東寺(教王護国寺)講堂の立体曼荼羅について」

http://takaoka.zening.info/Kyoto/Toji_Temple/Kodo.htm(2015/09/02取得)

「講堂(こうどう)は、金堂の背後(北側)に建っています。東寺創建当初には無かった建物で、825年(天長2年)空海により着工され、835年(承和2年)頃に完成しました。当初の講堂は、1486年(文明18年)の土一揆による火災で金堂とともに焼失し、室町時代の1491年(延徳3年)に再建されたのが現在の講堂です。焼失時の旧基壇の上に建てられた単層入母屋造で純和様の建物です。国の重要文化財に指定されています。講堂の堂内には、白い須弥壇の壇上に大日如来を中心とした密教尊(21軀の仏像)が安置されています。須弥壇中央(如来部)には大日如来(国重文)を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来=金剛界大日如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来・阿閦如来)、向かって右(東側、菩薩部)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩=金剛波羅蜜多菩薩・金剛宝菩薩・金剛法菩薩・金剛業菩薩・金剛薩埵菩薩)、向かって左(西側、明王部)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王=不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)が安置されています。また、須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されています。これらは、弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。6軀は、後代の補作ですが、15軀は平安時代前期を代表する密教像です。」(下線:引用者成田)


若き実践研究者への言葉:2015.7.11

2015年07月11日 05時48分34秒 | ホリスティック教育研究

 

若き実践研究者への言葉

今、あなたのまわりや内面に起こっていることをライフヒストリー(未来史を含めて)に記録なさっていってください。

たかが一教師、されど一教師。教師としてのライフヒストリーという、一見、ミクロな世界のことのようにみえますが、時間軸に沿って書き留めていくと、なぜ、今、ご自分がそう考え実践を摸索しているのか、メタ認知していくことで、常にマクロな世界の動きが我が身に投影していることに気づきます。

そして、そのマクロな現実をじっくり、ゆっくり、うっとりと、じ・ゆ・うに変えてゆく力が沸き上がってくるのではないでしょうか。鳥と虫、そして魚(さかな)の目になって自他を俯瞰していきましょう、共に。

*「未来史」:ここでは「いまここにある未来の期待・希望」を意味する。

2015.7.11 教職大学院修了生F.T先生への言葉