POST 3.11 東日本大震災・原発事故:2011-現在
成田喜一郎
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ESDと教師教育2010−2014
東京学芸大学教職大学院
成田喜一郎
(ホリスティック教育学)
2009年12月1日、所沢市立教育センター(当時、S.J所長)の指導主事・I.K氏より一通のメールが届いた。それは、2010年度の5月にESDに関する研修会の講師依頼についてであった。
2010年4月9日、S所長が筆者の研究室を訪問され、5月28日にESDに関する研修会における講演をお引き受けした。研修会後、所沢市立教育センター「持続発展教育(ESD)調査研究協議会」の研究員の方々と初めて出会った。
以来、2010年度(担当:I.K指導主事)、2011年度・2012年度(担当:N.H指導主事)、2013年度・2014年度(担当:H.M指導主事)と5年間にわたって、この「持続発展教育(ESD)調査研究協議会」の研究員の方々とともに、ESDの授業づくりやカリキュラムづくりを行ってきた。
そして、今年度は、Y.N委員長、H.Y副委員長、A.K委員、A.M委員、S.H委員、S.Y委員とH.M指導主事とともに、2005年から地球・地域で取り組まれてきたESD(持続可能な開発のための教育)の10年目を迎えた。
今年度の本報告書は、ある意味、この5年間「持続発展教育(ESD)調査研究協議会」を担って来られた委員と担当指導主事の方々の実践・研究を継承・発展させた到達点を示しているのではないかと思われる。
本報告書を手にとった方々は、最後までお読み頂きたいと思う。
筆者が関わってきたESDの10年の教育研究、及び本「持続発展教育(ESD)調査研究協議会」における実践研究を振り返ってみると、持続可能な未来の担い手をつくるESDだけではないことに気づく。
それは、ESDが多様で正解の見えにくい現代的な教育課題に立ち向かう学校と教師にとって必要・不可欠な力や価値観を引き出す力があるということである。すなわち、ESDはそれぞれの教師内面に潜在する可能性を引き出す「教師教育」でもあるということである。
ESDの実践研究を通して引き出される教師の力・価値観とはいったい何か。
① Teacher in the society:社会の中での教師の役割
② Teacher as an individual:個人としての教師の生き方
③ Professional dimensions:専門性の次元への気づき
④ Teacher in the educational institution:教育機関(学校)における教師の役割
⑤ Teaching:教えることの意味
⑥ Networking:ネットワークづくりの大切さ
⑦ Reflecting Visioning:振り返り、そして未来への洞察力の重要性
⑧ Overall competences:個々バラバラに求められる能力ではなく、総合的なコンピテンスの意義
⑨ Values:子ども観、教育観、世界観、人生観など多様な価値観の意味
⑩ Emotions:情動や感情の持つ有意味性
⑪ Systems-thinking:すべてのひと・もの・こととつながりの意味を読み解くシステム思考
⑫ Knowledge:改めて知る確かな知識・情報の重要性
⑬ Action:教室・家庭・地域・世界につながる行動の必要性
⑭ Future orientation:個人・家庭・地域・機関・世界の将来の方向性を見通す
⑮ Learning Process for SD:SD(持続可能な開発)注のための学習プロセスとしての本時・単元・教育課程
(Comenius 2.1 project,2012:251-333)
そして、ESDには、ホリスティックな教育哲学の重要性への気づきをもたらすのではないかと思われる。
ホリスティックな教育哲学とは、「あらゆるものとの〈つながり〉、ものごとの〈つりあい〉、すべてを〈つつみこみ〉、絶え間なく生き〈つづける〉ために必要な〈知〉と〈心〉と〈身体〉を育む教育〈哲学〉」である。(2015/02/18、筆者による最新の定義)
【関係性connection】切れかかった「つながり」を回復すること、新たな「つながり」を発見する。
【均衡性balance】愛憎、正邪、清濁、上下、左右、縦横、男女、長幼、新旧、寒暖、今昔などのバ
ランスを大切にする。
【包括性inclusion】幾多の二項対立や三竦み・鼎立を超えて、時空間・人間(じんかん)、あらゆる
ひと、もの、ことをつつみこむ。
【持続性sustainability】持続可能性と持続不可能性、希望と絶望とがせめぎ合う現実を前に、それ
でも生き続けていこうとする。
【教育の本質】「知」「心」「身体」を育むとは、いわゆる知・徳・体の三育を意味する。
【哲学:愛 Intelligence , 愛Questions】哲学とは、決して難しいことではなく、知を愛すること、問いを愛するといこと。(愛I,愛Q)
この「つながり(関係性)」「つりあい(均衡性)」「つつみこみ(包括性)」「つづける(持続性)」という4つの哲学的概念は、ESDを理解するのに有効な概念であると言ってよい。
(成田,2015:156-160)
今後、さらに所沢市立教育センター「持続発展教育(ESD)調査研究協議会」に期待されるのは、「ESDは児童生徒たちに如何なる力や価値観を育むのか」という問いへのレスポンスとしての新しい評価方法の研究であり、そのエビデンスとしての〈当事者記録〉づくりではないかと思われる。
また、ESD実践を一個人、一教科・領域の実践にとどまらず、どこまで学校や地域ベース(ユネスコスクールへの加盟という選択肢を含む)でのESD実践へと拡張・深化させることではないだろうか。
そして、ESDの実践者が、如何にして教師として成長し続けるのか、期待してやまない。
注:「持続可能な開発」とは、1987 年、環境と開発に関する世界委員会(WCED)が国連総会に「我ら共有の未来(Our Common Future)」と題した報告書(ブルントラント委員会報告書)には、「将来の世代のニースズを満たす能力を損なうことが無いような形で、現在の世代のニーズも満足させるような開発」(角屋,2012:257)と定義されている。
参考文献
◎Comenius 2.1 project 118277-CP-1-2004-BE-Comenius-C2.1(2008)「ESD(持続発展教育)教師に必要なコンピテンス:ESD を教師教育機関のカリキュラムに統合するための枠組み」角屋重樹・研究代表(2012)『学校における持続可能な発展のための教育(ESD)に関する研究〔最終報告書〕』国立教育政策研究所、pp.251-333
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/pdf/esd_saishuu.pdf
◎成田喜一郎(2015)「新たな始まりに向けて—カリキュラムデザインとESD、そして、ホリスティックなアプローチへ—」 成田喜一郎編著『ESDカリキュラムの開発方法2014:「カリキュラムの開発方法」研究成果報告書』東京学芸大学教職大学院「カリキュラム開発の方法」研究成果報告書、pp.156-160
*なお、本稿は、平成26年度 所沢市立教育センター 持続発展教育(ESD)調査研究協議会(2015)『持続発展教育(ESD)調査研究協議会研究報告書』平成26年度 所沢市立教育センター 持続発展教育(ESD)調査研究協議会に掲載された「巻頭言」の個人情報を配慮し、アップしたものである。
ESDとは何か?―すべての子どもたちへのメッセージ―
成田喜一郎(東京学芸大学教職大学院 教授)
今、わたくしたちは、地球規模や身近な地域で次のような持続可能性を脅かす様々な事件・事故・災害と背中合わせに暮らしています。
① 災害:地震・津波・竜巻などの自然災害や原発事故に伴う原子力災害
② 環境:地球温暖化をはじめとする環境破壊・公害
③ 平和:戦争・紛争・テロ、生物化学兵器・対人地雷・不発弾・核兵器
④ 資源・エネルギー:水資源、原子力・石油・石炭・水力・太陽光・風力等の開発のゆくえ
⑤ 差別・偏見:人種・民族、性の違い、障がいなどを理由とする差別・偏見の加害や被害
⑥ 経済格差:途上国・先進国間、各途上国・先進国内の格差の拡大・貧困
⑦ 病気:HIV・エイズ、鳥インフルエンザなど感染症などの疾病
⑧ 食・薬品・薬物:生命を維持させるはずの食・食糧、諸刃の剣である薬品・薬物
⑨ 世界遺産・地域遺産:その保護や破壊
⑩ 信仰・宗教:その布教と対立をめぐる問題
⑪ 情報通信技術(ICT):PC・インターネット・携帯電話、SNSの利便性と危険性
⑫ 犯罪・事件:地域や学校などを舞台に起こる様々な犯罪・事件
⑬ いじめ・体罰や虐待:学校や家庭などで後を絶たないいじめ・体罰や虐待
⑭ 地球規模での人口の爆発と他国に先がけたわが国の〈超高齢・人口減少社会への突入〉
わたくしたちは、いつ、どこでこれらの事件や事故・災害の〈当事者〉になるのか分かりませんが、確実に近未来の〈当事者〉になる可能性があります。
こうした事件や事故・災害の〈当事者〉にならず、持続可能な未来の担い手となるためには、今ここで何をすればよいのでしょうか。これらの課題については、必ずしも先生や親、専門家でも確実な解決策を持っているわけではありません。したがって、今、みなさんが受けている学校での授業やテストのように○か×か、正解はひとつではなく、複数の正解が出てきたり、正解がなかったりするような課題を読み解く、新しい学習が必要になってきました。
そのこれまでにない新しい学習とは、ESD(持続可能な未来の担い手となる学習)*です。
これは、新しい学習ですが、新たに教科がふえるのではありません。今ある教科や道徳・総合・行事などで個々バラバラに取り組むのではなく、教科や道徳・総合・行事などにおける学びのつながりやかかわりのなかで行なわれていくものです。
たとえば、所沢市立三ヶ島小学校の「ひな祭り集会」を例に考えてみましょう。
三ヶ島小学校では、30年近く前の1988(昭和63)年から現在まで、毎年、体育館に全校児童と先生方が集まり、日本の伝統的人形であるおひな様と〈青い目人形〉を一緒に並べて「ひな祭り集会」が開かれています。そして、全校児童が青い目の「人形を迎える歌」を歌います。
三ヶ島小学校の「ひな祭り集会」は、なぜ、日本のおひな様と〈青い目の人形〉を並べて行なわれ、なぜ、「人形を迎える歌」が歌われてきたのでしょうか。
三ヶ島小学校の〈青い目の人形〉は、1927(昭和2年)にアメリカ合衆国の子どもたちから日本の子どもたちに贈られた12,739体の人形のひとつです。名まえは、ルシールちゃんと言います。
〈青い目の人形〉を贈られた日本の子どもたちは、全国各地で「人形を迎える歌」を歌いました。
そして、日本からも日本人形を贈り、両国の子どもたちは友情を深めようとしました。
しかし、1940(昭和15)年に日本とアメリカ合衆国のおとなたちの手で戦争が始められてしまい、敵となった国の〈青い目の人形〉は、その多くが人々によって壊されたり焼かれたりしました。
ところが、三ヶ島小学校のルシールちゃんは、だれかがそっと隠してくれたため、壊されたり焼かれたりすることはなかったのです。その隠された〈青い目の人形〉ルシールちゃんは、その後、戦争が終わっても人々から忘れられてしまいました。
1986(昭和61)年、ルシールちゃんは、三ヶ島小学校の社会科準備室のお掃除をしているとき、偶然、「人形を迎える歌」の楽譜などと一緒に発見されました。
三ヶ島小学校では、その2年後からおひな様とルシールちゃんを並べて「ひな祭り集会」を続けてきました。毎年、1年生から6年生まで全校児童で行なう「ひな祭り集会」ですから、三ヶ島小学校を卒業するまでに6回も経験を積み重ね、しかも6年生になると、この集会の準備から後片付けまでを責任を持って行なっています。
今年2014(平成26)年に行なわれた三ヶ島小学校の「ひな祭り集会」では、はじめにアメリカ人のドノバン先生が英語で挨拶に立ち、そのあと若い先生によるルシールちゃんのおいたちなどのお話を通して、子どもたちは国と国との交流や平和の大切さについてそれぞれの心に刻んでいきました。
この三ヶ島小学校の「ひな祭り集会」は、持続可能な未来の担い手となる学習ESDへの可能性を秘めています。いや、30年近くも長く続いているこの行事は、まさにESDそのものかもしれません。
◉持続可能な未来の担い手となるために不可欠な課題に取り組む学びとなっているか
◉子どもたちと先生・保護者・地域の人々とがつながる学びとなるか
◉子どもたちと異なる時代や世代との対話が生まれる学びとなるか
◉今ここと異なる地域や国とのつながりに気づく学びとなるか
◉正解はひとつではない〈ものごとの本質や根っこにある問い〉に気づく学びとなるか
◉〈ものごとの本質や根っこにある問い〉への答え探しの〈旅〉を続ける学びとなるか
ESDの学びは、もちろん、三ヶ島小学校のような学校の伝統の中に潜む課題だけではなく、上記の6条件を整え、子どもたちにとって切実で意味ある課題に取り組んで行くことでも実現できます。
そして、ESDの学びは、時間割で区切られたいつもの教科や道徳・総合・行事など個々の学びをつなぐ〈ものごとの本質や根っこにある問い〉に気づいたり、その問いへの答えを探し続けたりすることがもっとも重要です。ESDとは、正真正銘、教科や領域の境目を超え、つながり合う学びです。
また、ESDの学びでは、必ずしも正解はひとつとは限らず、今すぐには見つからない問いや課題に向かいますので、多様な見方や考え方・感じ方が尊重されなければなりません。
特に、年長者は、むしろ未来の時間をたくさん持っている年少者の素朴な質問や意見、感想にこそ耳を傾ける必要があります。つまり、異なる見方や考え方・感じ方を尊重し合いながら、〈ものごとの本質や根っこにある問い〉への答えを共に探し求めていくのです。
さらにESDの学びを通じて特に力を注ぎたいことは、今まで以上に〈広く深い思考力〉を身につけることです。先生に与えられた問いの答えを考えるだけではなく、みずから問いを発見し友だちや先生、保護者や地域の方々ととともにその答えを探し求めていくことが重要です。探Q愛QレスQ!
そのためには、わたくしたちと次の世代の持続可能性を脅かす課題について、今まで以上にできるだけ多くの異なる見方や考え方・感じ方が盛り込まれた情報を集め、比較し、決して鵜呑みにせず、多くのひととと共に注意深く吟味できる〈広く深く情報を読み解く力〉を身につけていきましょう。
さあ、身近なところからESDを始めましょう。ひとりで友だちと、先生やおとなたちと共に!
*ESDは、Education for Sustainable Developmentの略で、正式には「持続可能な開発のための教育」(持続発展教育)と訳します。2002年にわが国が日本のNGOとともに「国連ESDの10年」を提案し、国連総会で満場一致で採択され、2005年から世界中で「国連ESDの10年」が開始され、今年(2014年)最終年を迎えます。しかし、持続可能な未来の担い手となる学習ESDは、これから益々重要な教育/学習になっていきます。
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出典:出典:成田喜一郎(2014)「ESDとは何か?―すべての子どもたちへのメッセージ―」『持続発展教育(ESD)調査研究協議会報告書』所沢市立教育センター・平成25年度持続発展教育(ESD)調査研究協議会、巻頭言より転載。
【越境する教育学の創成】2014/02/05
拙稿が、Web上で公開になりました。
「ESDカリキュラム及び授業デザインの理論と方法—カリキュラム開発の方法を探る—」『東京学芸大学校教職大学院年報』第2集、2013年、pp.1-15
http://www.u-gakugei.ac.jp/~graduate/kyosyoku/i_alumni/data/annual_report_2013_paper1.pdf
ちなみに、昨年度の年報に掲載された拙稿は、こちらです。
「次世代型学校組織マネジメント理論の構築方法—「水の思想・川の組織論」の創成過程—」『東京学芸大学校教職大学院年報』第1集、2012年、pp.1-12
http://www.u-gakugei.ac.jp/~graduate/kyosyoku/i_alumni/data/annual_report_2012_paper1.pdf
【越境する教育学の創成】2014/02/01
都知事選の真っ只中。「原発」をめぐる議論は確かにある。しかし、メディア自らが抑制したり、SNSでつながっている市民はともかく、多くの市民にとっては意識の外にあったりする現実。
しかし、大メディアが報道しなくても、地元福島のローカルなメディアでは「原発」をめぐる問題は日常であると言っても過言ではない。
昨日1月31日、TUFテレビュー福島のNEWS LIVEスイッチ!の特集で流れた「生活現実」に注目したい。
二本松市の専業農家・菅野正寿さんと産業技術総合研究所の研究員・内藤航さんとの協働による外部被曝量の調査研究。
GPSと連動させた個人線量計「D-シャトル」を使って、農家の具体的な農業活動の季節・時間帯・場所による外部被曝量の基礎データを収集し、外部被曝量を低減させる試みである。
こうした「生活現実」情報は、東京にいるわたくしたちの手元になかなか届かない。
メディアの有用性と限界・境界を超えて、一市民的リテラシーとしてアンテナを高く、広く深く張り巡らす必要がある。
それを支えるのは、「つながり」ではないか。とりわけ「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本 Social Capital)の有無にかかっているのではないか。顔が見え、通信(信義・信頼を通えわす)できる相手、双方向でGive&Takeし合える相手、連結と離脱の自由が保証されたゆるやかなつながりweak tiesが重要だろう。
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)[i]は、①相互に信じ合える関係性を構築できるか否か、②互い様と言える関係性を構築できるか否か、③knot working(結んだり解いたり)できる緩やかな関係性(weak ties)を構築できるか否か、まさに「信頼」と「互酬性の規範」と「ネットワーク(絆)」によって構成される概念である。」出典:成田喜一郎(2012)「 Post3.11の教育・社会と文化・歴史的活動理論の可能性」『活動理論の可能性と課題』活動理論学会、非売品、pp.1-3)
[i] 稲葉陽二(2011)『ソーシャル・キャピタル入門:孤立から絆へ』中央公論新社、p.1
福島県/いわき市放射線・放射能情報 Radioactivity and Radiation in FUKUSHIMA / IWAKIさん、ご無沙汰いたしております。
facebookにリンクされた動画をシェアさせていただきます。
https://www.youtube.com/watch?v=vWPZarKVNjk
研究ノート「超高齢・人口減少社会及び縮小社会を考える!」
2014年1月2日付け葉養正明先生のfacebook「人口減少については、縮小社会などの専門用語も用いられ、さまざまな分野で強い関心事になっているが、教育分野ではなぜ関心が弱いのだろうか?今日までの全国各地の動きは、学校統廃合政策になっているが、地域的にはその戦略は壁にぶつかっている。通学距離や通学時間が限界まで達していると言うことである。義務教育段階での通信制の可否を含め、学習パラダイムの見直しを含め、学習システムの組み方を真剣に探究すべき秋ではないか?/リンク:http://www.japantoday.com/category/national/view/japans-population-falls-by-record-244000-in-2013」(2014/01/02取得)
Narita Kiichiroのコメント「葉養先生、同感です。わたくしも超高齢・人口減少社会、縮小社会の到来について、ささやかなる問題提起をしておりますが、なかなかです。先生、情報交換をよろしくお願いいたします。」
2012年~現在、注目している研究文献・情報一覧(抄)
◎広井 良典(2013)『人口減少社会という希望:コミュニティ経済の生成と地球倫理』朝日新聞出版
◎広井 良典(2013)「人口減少社会という希望」(Web第三文明):http://www.d3b.jp/politics/2296(2014/01/02取得)
◎成田喜一郎(2013)「超高齢・人口減少社会と学校教育の可能性―持続可能な未来の構築めざす―」警察政策学会「超高齢社会研究会」編『超超高齢・人口減少社会へ向けての安全・安心の創造に関する研究―行政・警察・コミュニティの役割と実践―(下巻)』pp.39-51 :http://asss.jp/report/69.pdf(2014/01/02取得)
◎松久 寛(2012)『縮小社会への道―原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して』日刊工業新聞社
◎島崎謙治(2012)「超高齢・人口減少社会の現実と対応」:http://www.nippon.com/ja/in-depth/a01001/(2014/01/02取得)
◎日本銀行調査統計局(2012)「日本の人口動態と中長期的な成長力:事実と論点の整理」:http://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2012/data/ron120831a.pdf(2014/01/02取得)
◎小峰隆夫(2011)「国土全域で進む人口減少―国土の長期展望から見る今後の地域(上)」:http://www.jcer.or.jp/column/komine/index277.html
◎鬼頭宏(2007)『[図説]人口で見る日本史 』PHP研究所
◎松谷 明彦・藤正 巌(2002)『人口減少社会の設計:幸福な未来への経済学』中公新書
◎鬼頭宏(2000)『人口から読む日本の歴史』 講談社学術文庫
*縮小社会研究会(設立2013年)のWeb page:http://shukusho.org(2014/01/02取得)
*図録/人口の超長期推移:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1150.html(2014/01/02取得)
日本のESDを捉え直す:国際的な潮流から見た実践・研究・政策課題
聖心女子大学の永田佳之さんからのお知らせを転載します。
以下、転載文です。
ESDが持続可能な教育・研究活動となるための教育学的チェック・ポイント(Ver.1)
東京学芸大学大学院教育学研究科教育実践創成講座 成田喜一郎
0 「ESDとは何か」「何がESDなのか」:小学校中高学年や中学生にもわかることばで簡潔に自分なりの定義を語ることができるか?
→(例)ESDとは、ここや世界の、あらゆるひと・もの・ことの今とこれまで、そして、これからの希望をつくる様々なつながり方を探し求めていく学びのことではないかな。(成田2013/07/13)
1 カリキュラム・プログラム・単元・本時の授業のアウトカム指標(ゴール)は明確か?
2 いったい何を学ぶのか、どんな力を身につけるのか、そのバランスは担保されているか?(内容知CK・方法知PKをつなぐ=関係知PCK)
3 実践と理論の架橋・往還を支える哲学への扉(本質的で根源的な問いessential questions)があるか?
4 はじめに「本質的で根源的な問いessential questions」は見なかったとしても、活動のプロセスの中で創成・生成されていったか?(探Q)
5 子どもも教師も永続的な思考や理解を促す、正解はひとつではない「本質的で根源的な問いessential questions」を愛せるか?(愛Q)
6 カリキュラム・プログラム・単元・本時の授業づくりを「逆向き設計back ward design」理論で行っているか?
7 本質主義的な「仮説・課題検証型」だけではなく、社会構成主義的な「仮説・課題生成型」の実践を重視しているか?
8 ESD実践の評価方法として、「形成的アセスメント」や記憶を記録に残す「ドキュメント」(エスノグラフィー*)を援用しているか?
9 認知レベル(大脳新皮質)・情動レベル(大脳辺縁系)・感覚運動レベル(脳幹)の三位一体性が担保されているか?
10 ホリスティックなアプローチ(あらゆるひと・もの・ことにおける関係性・均衡性・包括性・持続性への気づき)を重視しているか?
●重複や絡み合う問いがあるが、ぜひ、これらの問いへのレスポンスを試みたい。(レスQ)
*エスノグラフィー ESD実践を通して学んだ事実や体験の記録(フィールド・ノーツ)に各自の思考力・判断力・表現力、そして、想像力imaginationを作用させ、5つのつけもの(位置づけ・関係づけ・意味づけ・価値づけ・方向づけ:今2010)に漬け、メタ認知し書かれた(描かれた)作品である。観察者が書く(描く)エスノグラフィーだけではなく、学習者や授業者自ら書く(描く)オート・エスノグラフィーもあり、筆者はESD実践においては後者の作法が重要だと考えている。
今隆史(2010)「中学校社会科における社会認識の形成を支援する方法―「省察的な態度」と「振り返り」学習活動―」『東京学芸大学教職大学院課題研究報告書』(2010年版)
注:この文書は、2013/07/13(土)、東工大キャンパス・イノベーションセンター5Fで開催された「24年度日本/ユネスコパートナーシップ事業評価検討会議」に向けて作成されたものです。
ESDはどこにあるか?~愛知県名古屋市および岩手県宮古市等の場合~
1 ESDはどこにあるか—定義と所在—
●ESD(持続可能な開発のための教育)とは何か—定義2013—
・持続不可能なつながり方を持続可能なつながり方への質的転換をめざすいのちの教育=学習である。
・開発と環境、戦争と平和、貧困と豊かさなど持続可能性をめぐる様々な二項対立や「本質的で根源的な問い」を超えて、その「つながり」に気づき、「つながり方」を転換させてゆくための知識・概念・スキルを習得し、関心や意欲・態度を拡張・深化させ、社会への参加・行動を促すいのちの教育=学習のことである。
・持続不可能性と持続可能性の狭間で揺れ動くテーマは、安全・安心、平和(戦争・紛争・テロ)、差別・偏見(人種・民族・障がい者・ジェンダー等)、環境(自然・社会)、経済成長長、格差・貧困、地球・地域の課題等、人間の生命活動につながる自然史的、文化的歴史的な諸現象の中にあると考えられる。
●SD/非SDをめぐるテーマは、学校の全教科・領域等の中から探し出すことができ、また、家庭や地域生活やボーダレスなインターネット社会の中にも探し出すことができる。
●また、ESDは、ユネスコ・スクールに加盟し、自覚的率先として実践している学校・地域だけではなく、自由学園や所沢市のようにユネスコ・スクールには加盟していないが、これまで行ってきた実践をESDの視点で位置づけ、関係づけ、意味づけ、価値づけ、方向づけている学校・地域がある。
●さらに、これら明示的実践校・地域だけではなく、これまでESDとしての自覚的実践はしてこなかったが、ESDの実践者・研究者から見ると明らかにESD実践をしてきた黙示的実践校・地域がある。
【上越市立大手町小学校や静岡県袋井市立三川小学校、山形県鶴岡市立朝暘第一小学校、シュタイナー・スクール(京田辺シュタイナー・スクールや東京賢治の学校はユネスコ・スクール加盟)、国際バカロレア・スクール(インターナショナルスクール、私立学校)】
2 愛知県名古屋市の場合—国際理解教育同好会の実践ー
●名古屋市国際理解教育同好会(名古屋市英語教育研究会):http://meieiken.org/kokusairikai/rikaiindex.htm
●名古屋市立蓬莱小学校長・林敏博(2013)「国際理解教育を基盤にした学校経営—共に生き、共に学ぶ学校づくり—」『日本国際理解教育学会第23回研究大会研究発表抄録』→別紙
●2014年愛知・名古屋「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」の開催
:http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/7-15-0-0-0-0-0-0-0-0.html
●ESDカレンダー(ESDカリキュラム・マップ)の作成例および作成方法:東京都江東区立八名川小学校
:http://www.koto.ed.jp/yanagawa-sho/educationofesd/newpage2.html
3 岩手県の場合—宮古市田老第一中学校の実践とその背景にある岩手県旧沢内村の取り組みー
●宮古市立田老第一中学校津体験作文集(2013)『いのち』岩手県地域防災研究センター
●資料「逆境 必ずはねかえす 物資運搬、若者が担う 宮古の避難所で田老一中生 水や燃料10人協力 被災の傍ら奮闘」(岩手日報2011年3月16日付け)→別紙(新聞資料・略)
●碧祥寺住職・元沢内村村長 太田祖電(2010)「豪雪・貧困・多病の三重苦」 山崎憲治/中村哲雄編『持続可能な社会をつくる実践学—岩手大学からの発信—』岩手日報社 所収
●成田喜一郎(1997)「いのちのつながりを学ぶ子どもたち~修学旅行/岩手県和賀郡沢内村を訪ねて~」『季刊ホリスティック教育』第4号
:http://blog.goo.ne.jp/jzs03765/e/069754d67308c6761737d3daba220081 (上記URLはすべて2013/07/12取得)
所沢市立教育センターESD研究協議会レジュメ(2013/07/12)
東京学芸大学・成田喜一郎
昨日(2013/04/12)、福島県いわき市のFさんから1冊の冊子と手紙が届いた。
『2011'福島第一原発事故からの1年 郷ヶ丘幼稚園の記録』とお送りくださった経緯と理由の書かれた手紙である。
3.11以来、縁あってわたくしは、「いわきの子供を守るネットワーク」の生活者市民とのつながりやかかわってきた。
その記録を『東日本大震災と東京学芸大学』(東京学芸大学出版会刊)の中に
一文「東日本大震災・原発事故とわたくしたちの「記憶と記録」:ともに「違和感」を超えて」(pp.90-102)を寄せたが、
この冊子をお書きになったお一人おひとりの言葉の前に言葉を失う。
冊子は、Post3.11における郷ヶ丘幼稚園の活動や除染などの取り組みの記録に始まり、
園児たちの家庭や避難先で暮らしを描いた家族 一人ひとりからのメッセージ、
そして、前山成子園長をはじめ教職員一人ひとりからのメッセージが込められている。
「それでも人生にイエスという」とフランクルは言ったが、
この冊子に通底するのは「それでもわが子、わが園児の人生にイエスと言いたい」という思いではないだろうか。
そして、未来のいっぱい詰まっているはずの子どもたちの人生に対して、
なぜ「それでも」と言わなければならないのか、考え続けていきたい。
秋田市立秋田商業高等学校ビジネス実践・ユネスクール班 編
『ユネスコスクールによるESDの実践―教育の新たな可能性を探る』
内容
学校において今なぜ、ESD(持続発展教育)が必要なのか。環境教育、国際理解教育、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)、ユネスコスクール、ホリスティック教育、スピリチュアリティなど、多様な観点からESDの魅力に迫るとともに、ESDをとりかかりとして教育の新たな可能性を探る。
編者
総合的な学習の時間における校内組織の一つ。
2007年に国際協力課として発足後、『高校生のための国際協力入門』(2008年)を編集、
2009 年以降はユネスコスクール班として、『高校生のための国際連合入門』(2009 年)、
『高校生のためのアフリカ理解入門』(2010 年)、
『高校生のための地球環境問題入門』(2012 年)を編集した(いずれもアルテ刊)。
秋田商業高校ユネスコスクール班は、「小中学生・市民対象の講座実施と書籍の出版による啓発活動」が評価され、2012 年に平成24 年度地球温暖化防止活動環境大臣表彰(環境教育・普及啓発部門)を受賞した。
また、秋田商業高校は2011 年に、NPO 法人日本持続発展教育(ESD)推進フォーラム主催第2 回ESD 大賞において高等学校賞を受賞している。
目次
第一章 ESDとは何か
日本からのESDの提案 阿部 治(立教大学社会学部教授/ESD研究所長)
国際理解教育と持続発展教育(ESD) 市瀬智紀(宮城教育大学附属国際理解教育研究センター教授)
環境教育とESD 佐藤真久(東京都市大学環境学部准教授)
第二章 ユネスコスクールによるESDの推進
ユネスコの起源とその理念 岩間 浩(岩間教育文化科学研究所主宰)
ユネスコにおけるESDの国際的取組と展望 佐藤真久(東京都市大学環境学部准教授)
民間ユネスコ活動とESD 寺尾明人(日本ユネスコ協会連盟事務局次長兼教育文化部長)
ESD推進のためのユネスコスクールの役割 米田伸次(元帝塚山学院大学国際理解研究所所長)
第三章 学校におけるESDの実践
ESDの視点に立った学習指導 五島政一(国立教育政策研究所総括研究官)
学校における持続可能な発展のための教育の推進 多田孝志(目白大学人間学部教授)
為せばなる 太田 直(秋田商業高校ユネスコスクール班担当教員)
第四章 ホリスティック教育とESD
ホリスティック・アプローチとは何か 中川吉晴(同志社大学社会学部教授)
ESDにおけるホリスティックなアプローチの可能性 成田喜一郎(東京学芸大学大学院教育学研究科教授)
サステイナビリティと教育 吉田敦彦(大阪府立大学大学院人間社会学研究科教授)
第五章 教育におけるスピリチュアリティ
クリシュナムルティの教育思想 金田卓也(大妻女子大学家政学部教授)
アリス・ベイリーが伝えた情報とその教育思想 神尾 学(ホリスティック・リーディング研究所代表)
スピリチュアリティとESD 大堤直人(秋田商業高校ユネスコスクール班担当教員)