ホリスティックな学びとケアへの誘い

あらゆるひと・もの・こととのつながりとつりあい、つつみこみ、つぎ/つづけられるでしょうか❤️

寺澤満春「『自由学園』の土地と精神と人々のつながりに学ぶ」

2017年10月28日 | Weblog
エスノグラフィーとしての創作叙事詩*

「自由学園**」の土地と精神と人々のつながりに学ぶ
-じ・っくり、ゆ・っくり、う・っとりと過ごした4時間-


寺 澤 満 春


2009年12月19日(土)、
二人の学生とわたくしは道に迷い、
約束の時間をやや遅れて自由学園の正門に着いた。
T先生と学部4年生のMさんはコートもまとわずに
わたくしたちを出迎えてくださった。

そして、お二人はそのままの姿で
広大なキャンパスをナビゲートしてくださった。
歩き始めて気がつく、
空気が違うということ。
みどり豊かなキャンパスの中に
平屋建ての木造校舎が目に入ってくる。
昭和のはじめより使っているというその建物に
ふと懐かしさを感じた。
教育は大地にねざしていなければならない、
そんな思想のもとに校舎や教師室が点在していた。

そんなキャンパスの中に
唯一エレベーターがあるという、
最高学部の建物が視野に入ってくる。
学園の校舎建築指導に反するその建物は、
キャンパスに広がる縄文遺跡を避けて建築されたという。
聳え立つ校舎の前で、
測量機器のまわりに集まる学部生たち、
いったい何をしているのだろうか。
ナビゲーターのお二人も同じ疑問を抱きながら、
その光景をあとにする。
「なぜ?何?!」から始まる〈旅〉が始まった

まず、最初に案内され説明して頂いたのは、
この学園で出たすべてのゴミの終着点。
学校の素敵なGoodsからではなく、
素敵なGoodsを産み出したあとの
Badsに光を当てるところから
「自由学園」に関する学びが始まった。
生徒たちが収集し管理するゴミ、
そして、パソコンを使ってデータをとり、
各部から出るゴミの減量に当たる。
ゴミ収集業者との連絡・交渉も生徒たちが行う。
生徒たちが進学した大学でまず気になるのは、
キャンパスのゴミの処理だという。
ある学生がTG大を訪問した際、
真っ先にゴミ置き場に足を運び、
ボクたちの学園の方が凄いことが分かったと言ったとか・・・

やがて、畑で野菜の世話をする生徒たちに出会う。
大根、人参、長ネギ、そして、ビートもあった・・・。
かつて社会科地理で教えたことのあるビート、
甜菜(てんさい)、砂糖大根とも言う、産地は北海道・・・。
それが東京「自由学園」で栽培されていた。
恥ずかしながら、この元社会科教師は初めてビートを見た。

キャンパスには小川が流れている。
きれいな水、流れに身を任せた水草たち。
生徒が小川の中に入り込み、
落ち葉をかき集め川の清掃をしていた。
ここにいる生徒たちは川を管理する委員会メンバーだという
こうした川の清掃だけではなく、
水の流量を測定したりもするという。

様々な委員会は半年とか1年とかではなく、
50日ごとに交替していく。
生徒たちはいろいろな委員会で、
学園と自分たちの生活を支えながら、
生きた教材=学習材に出会いながら学ぶ。

広大なキャンパスの中には木々や小川だけではなく、
丘有り窪地有り、起伏があるのだ。
あの開けたひばりヶ丘駅前からわずか10分足らずの地で、
里山にきたような錯覚を覚える、
否、ここは里山そのものかもしれない。

そして、種類ごとに切り分けられた薪置き場がある。
これも生徒たちが切り分け管理している。
学園のご飯はこの薪で炊いているとか、
大量の落ち葉も腐葉土にし、
腐葉土にならない松や銀杏の葉は、
土の道に敷き詰められて、
冬場でも霜が降りることはなく、
自然のクッションのうえをふかふか歩くことができる。

丘を越え、坂を下ると、
目の前に美しく大地に這う洋風建築が見える。
女子部の建物だ。
自由学園は女子部から始まったとか、
その建物は学園の中心をイメージさせてくれる。
建物の中央にはどこかで見たことのあるデザインがある。
発祥の地・池袋に残る「明日館」のよう・・・。
目の間に広がる広々とした校庭、
それを取り囲むように「ギャラリー」がある
校庭で生徒たちが「体操会」を開くとき、
その「ギャラリー」は保護者や家族でいっぱいになると言う

女子部の校舎に案内され、調理場を見せていただく。
白い帽子にマスク、割烹着を身にまとった生徒と先生が
本日の午餐会のための料理を作っていた。
800を越える生徒・先生・来賓のための料理を
生徒たちが作るのである。

女子部の昼食は毎日生徒たちが作る。
男子部の昼食は週一日生徒たちが作り、
それ以外の日は保護者のボランティアが作る。
一瞬、「男女平等!? ジェンダーフリー!?」という議論が
聞こえてきそうな気もしたが、
一旦、議論を脇に置いて、
それぞれの「生活」を担い、
その「生活」から学びゆく生徒たちの姿そのものに目を奪われた。
包丁の切れ味はその食材のうまさを引き出すという。
フードプロセッサーで切り刻むのではなく、
自分たちで研いだ包丁で自分たちの口に入る食材を切り刻むのだ。

キャンパスの中にはケーキやパンを焼くパン工場がある。
そして、いつの時代かの、どこかの町工場を彷彿させる木工所もある。
カヌーを製作したり、自分たちが使う机や椅子を製作したり修理したりもするという。

キャンパスには養豚場もある。
「東京X」という東京で開発された豚が2頭いた。
男子部の生徒がその世話の様子を説明してくれた。
残飯だけを食わせる豚と、
残飯にドングリを加えて食べさせる「イベリコ豚」と
2種類の育て方で比較しようとしていた。
ほとんどが寮生活をしているという生徒たちは、
早朝や晩にも豚の世話をしている。
その2頭の豚はやがて出荷され、
また肉となって学園に戻ってくるという。

この日は、生徒たちがいたるところで清掃活動をしていた。
50日ごとに変わる委員会の割り振りや
食事づくりの現場などでは先生方の指導や援助はあるものの、
先生の姿はほとんど見えない。
生徒たちの「自治」で事が進む。
現在では、ともすると形骸化した生徒たちの「自治」、
ここではいまだに健在だ。
上級生と下級生の関係も
メンター・メンティ、メンタリングなどという言葉が使われる前から、
1921年以来連綿と続いて来たに違いない。

しかし、連綿と続くといっても単なるルーチンワークではない。
落ち葉を集めている生徒たちの竹箒に目をやる。
街で売っている竹箒とはひと味違う。
竹枝の本数は少なく平べったく編まれた竹箒、
それで地面をなでるように掃いている。
市販の竹箒では、落ち葉とともに小砂利がまぎれてしまうが、
この竹箒で掃くと、落ち葉だけを集めてくる。
毎年、参道に降り注いだ大量の落ち葉をかき集め、
参拝客を迎える明治神宮の方から教えていただき、
自分たちで製作した竹箒なのだ。

各部の食堂や通路に出された習字作品、どれもがうまい。
自由学園では習字のお手本はなく、書き方も教えていないという。
生徒たちが先輩から教わりながら上達してゆく。
しばしば、書き初めのころになると、
巷の学校では同じお手本で書かれた作品が教室や廊下に並ぶ。
ここ自由学園では、書く字、書く言葉は生徒が決める。
 「本当の損得」
 「人の温かさ」             
 「感じる日々」
 「贈り物」
 「覚悟」
 「人間と対峙」
 「馬槽の中に」
 「喜びの共有」
 「静けき祈り」
 「理想を描く」
 「幸せの伝染」
 「愚直に生く」
 「絶妙な調和」
 「日々の努力」
 「 己を律す」
 「経験に磨かれ」
 「夢への一歩」
 「弱さを認める」
 「素直に正直に」
廊下に張られた生徒たちの言葉を読むと、
この学園で何を学び、何を考え、如何に生きているのか、
生徒たちが紡いだ物語になっていることに気づく。

およそ1時間半、
わたくしたちは「じ・ゆ・う」を満喫するキャンパス巡りを終えた。

Mさんと二人の学生は一足先に午餐会の会場に向かい、
T先生とともにわたくしは学園長室を訪問した。
大きくはないが、静かで思索・哲学できそうな空間である。
わずかな時間ではあったが、
5代目の学園長・矢野恭弘先生と懇談をした。
話が未来に向かったのは、
ここ自由学園のキャンパスめぐりと研究会開催企画だった
ESDやホリスティック教育を学び究める仲間たち、
わたくしの所属する大学の学生・院生たちとここに集うこと、
自由学園とわたくしとの2度目のつながりの機が熟したとき、
おそらく実現できるのではないかと思った。

そして、正午より、
女子部・男子部・最高学部の生徒・学生と教職員、来賓らが、
一同に集まり、午餐会が催された。
吹奏楽の演奏を背景に、
学生たちによって運ばれた料理の前に、
わたくしたちは席に着いた。

そして、生徒の司会ですべてが進んでゆく。
食卓の上には、
暖かいスープ、
付け合わせにバジルのスパゲッティ、
白菜・大根のサラダ、
ビートの酢漬け、
それは大地の味がした。
カラフルなパプリカ、
メンインディッシュとしての骨つきチキン。
そしてパン工場で作ったという、
スティックパンとバターロール。
そして、
デザートとして出てきたのはケーキと紅茶、
ケーキはいくつかの型紙を使って、
粉砂糖を振りかけ描かれた絵柄、
ラム酒の香りのする、
クリスマスらしいケーキだった。
最後に、
那須にある学園の牧場で作られたアイスクリーム・・・。

暖かいものはスープと紅茶だけだった。
しかし、どれも味わい深く、
すべてが生徒たちの手作りによって、
もてなされた暖かさをそのままに食した。
「ご馳走様」という言葉が自然に湧き上がってくる食事だった。

食事を頂く間に生徒たちが代わる代わる
この催しの裏側にある様々な「物語」を語ってくれた。

天井につるされた数百の星。
それはT先生の問いかけがきっかけで、
新しいゴミを増やすことになる装飾製作を止め、
星々はすべて新聞紙で創られた。

早朝、会場中央のメインの装飾をつるし上げるとき、
ロープが切れ、壊れてしまったという。
しかし、正午の開会までに再生させた。
名付けて「キリストの復活」。

生徒たちは不眠不休の作業で今日を迎えた。
開会の直前までも作業を続けた。

男子部の合唱、
今時の高校生があれほどまでに
声を張り上げ歌うものなのか・・・

費用やカロリーなど食材の説明。
ひとり544円、
1450キロカロリー・・・。

女子部・男子部・最高学部それぞれから、
それぞれにクリスマスプレゼントを贈り合う。

中等科・高等科はすべて女子部・男子部に分かれ、
生活・学習が進んでゆく別学である。
この日、唯一の男女共同で行われたのが、
混声合唱だった。
それぞれの歌声の美しさ、それぞれの響きが解け合う瞬間だった。

そして、感謝を込めての祈り・・・。

午餐の宴はおよそ2時間続いた。

自由学園では、春・入学式の翌日と
クリスマス間近の冬の日の午餐会、
年二回、こうして共に食す機会も持つという。

二人の学生たちとわたくしの3人は、
初めて尋ねた日がこの日でとっても幸せだった。
土曜日の午前から午後にかけての4時間、
幾多の学校訪問経験のなかでも、
類い希な経験をしたといっても過言ではない。

わたくしは、二人の学生をあとに
一足先に学園を出た。
T先生はわざわざ駅までお送りくださった。
駅に向かう道で在校生の保護者たちに出会った。
T先生は、一人の保護者にそのお子さんの
成績が○○点で及第点であったことを告げておられた。
自由学園では成績は公開されるとのこと、
先生はもちろん生徒同士、先輩たちも保護者たちも
自分の成績は知っている。
成績は個人のものではなくみんなに支えられて得たもの、
伸び悩む生徒に対しその生徒に関わってきた先輩は、
心痛め自分の力のなさを省みるという。
いったい何ということなのか・・・。
今まで時代の流れと共に転変してきた学校教育の現場、
ここには同時代・同世代を超越して、
根源的に問題の本質を問う教育のシステムがあるようだ。

駅前でT先生と別れたあと、
わたくしは、ひとりそんなことを考えながら、
別の研究会に向かった。

*****

わたくしは、持続可能な教育社会を構築する上で、
多くの国立・公立学校の存在意義はもちろん、
今、私立学校の存在意義と可能性を見いだすことが
とても重要だと思うようになった。
瞬く間に異動していく公立学校の教員・校長、
それに比べ、教師のライフヒストリーのほとんどを
その学校に勤務し、定点観察・定点実践を続けてゆく。
もちろんその功罪はあるかのかもしれないが、
持続継承可能な学校の文化、生徒文化・教員文化は、
私立学校において脈々として受け継がれ、
その持続継承される文化を土台に
長いスパンで地域とのつながりも構築出来る可能性がある。

今、その本質的で根源的な質を持続継承し続けてきた
自由学園のような黙示的なESD実践を
文字通り持続継承されゆく生徒の学びと究めを再確認し、
この時代において、その教育活動の意味・意義、価値が
どこにあるのか、明らかにしていく必要があるにちがいない。
そして本質的で根源的な質を担保する視点や方法、
エッセンスがいったい何なのか、明らかにしていく必要がある
持続可能な未来を拓いてゆくために・・・。

(2009年12月19日)



*創作叙事詩:授業記録の方法としては、これまで長い間「プロトコル法」が行われてきました。もちろん、その手法の意味・意義は失われてはいませんが、近年、文化人類学の手法「エスノグラフィー(民族誌)法」が教育学の世界でも援用されるようになってきました。これについては、佐藤郁哉(2002)『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる 』新曜社、箕浦康子(1999)『フィールドワークの技法と実際―マイクロ・エスノグラフィー入門』ミネルヴァ書房等を参照していただければ幸いです。
この「創作叙事詩」は、網代剛氏(当時「ゲームデザイナー」、現「産業技術院大学助教」)が学校現場における授業を参観した折にしばしば書いてこられた「詩的レポート」という参観記録をヒントに筆者がエスノグラフィーの一種として開発した授業記録法です。「事実」としての授業実践をもとに、その意味・意義を叙事詩的文学的表現で書き表したものです。この着想の出発点は、中学校社会科歴史の授業で、中学生に「社会科叙事詩(創作社会詩)」を書かせた実践(「社会科『叙事詩論』序説―事実と想像力をつなぐ試み―」『東京学芸大学附属大泉中学校研究集録』NO.38 p.39 -54)にあります。
https://ir.u-gakugei.ac.jp/handle/2309/5851
現在、本学教職大学院学生の連携協力校における実習の授業参観時にこの「創作叙事詩」法を使ってしばしば授業記録を書いています。

**自由学園 http://www.jiyu.ac.jp/:「自由学園」は、1921(大正10)年、東京・目白(西池袋)の地に、羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された学校です。
その校舎は、建築家 遠藤新(1889-1951)の紹介によって、アメリカの建築家 フランク・ロイド・ライト(1867-1959)と共作され、現在も残る「明日館」は国の重要文化財(1997年)に指定されています。1930年、目白より現在の地(東久留米市)に移転しました。「自由学園」の「自由」は、新約聖書『ヨハネによる福音書』8章32節の「真理は汝らに自由を得さすべし」からとられ、「キリスト教精神に基づき、いつの時代でも、どのような場所においても、自ら考えて行動ができる人を育てようとする学校です。自由学園では1日24時間の生活すべてが勉強だと考えています。本物を求める勉強、自労自治の生活、祈りのある生活を通して、賢い頭とよく動く体と神と人を愛する心を持つ人を育てる人間教育」目指しています。
学園のキーワードは、「よくみる よくきく よくする」(初等部)、「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」(女子部)、「思想・技術・信仰」(男子部)、「真の『自由人』になる」(最高学部)、「生活即教育『よく教育することは、よく生活させることである』(羽仁もと子)」、「本物を求める勉強」、「自労自治の生活」、「祈りある生活」などです。     

(2009.12.27東京学芸大学・成田喜一郎)

 

 


コメントを投稿