女性天皇を支持する国民の会

「性別を問わない直系長子継承」こそ安定的皇室存続のための唯一の道。女性天皇”復活”に向けて道なき道を歩いていこう。

【皇室Q&A】皇位継承(1) 男系は2千年続いてきた? 女系天皇なら皇統は断絶する?

2018-04-09 08:33:23 | 皇室Q&A
「皇室Q&A」プロジェクトを開始します! 男系派の「~だから絶対に男系継承でなければならない」「~だから女性天皇・女系天皇は絶対に許されない」という主張の誤りを、女性天皇支持派(私たち)により明らかにしていこうというプロジェクトです。

その第1回は、皇位継承(1)として、皇位継承の歴史にかかわる【Q(質問)】を、10項目設定しました。これらに対する「A(回答)」を、女性天皇支持者(私たち)の手で作成し、男系男子派の主張の誤りを明らかにしていきましょう。

質問作成にあたっては、anima meaさんの案をベースに、男系男子派の論客のひとり・竹田恒泰氏の主張を参考にしました。氏の主張は、TwitterのBOT「明治天皇の玄孫 竹田恒泰氏の言葉@t_takeda_bot」で読むことができます。以下、当該BOTからの引用です。

■なぜ天皇は尊いのか?

>なぜ天皇は尊いのか。それは皇祖、つまり初代天皇の血を受け継いでいるからである。歴代の天皇は、皇祖の血を受け継いできている。それゆえに天皇は尊いのである。

>いかに才能があろうとも、人気があろうとも、聖人君子であろうとも、皇統に属する男系の子孫でない限り決して天皇になることはできない。だから天皇は尊いのだ。

>「初代天皇が誰であるか」といった歴史学的な議論があるにせよ。日本の天皇はおよそ2000年以上、また少なくとも1500年以上万世一系を保ってきた。これだけの長きにわたって一つの血筋を保ってきた君主を戴くのは、世界広しといえども、日本の天皇家だけである。


■なぜ「男系継承」を守るべきなのか?

>なぜ男系にこだわらなければいけないのか。その最たる理由は皇統の男系継承は2000年の伝統があるからと言うことに尽きる。これだけ長い間育まれ、そして守られてきた伝統的慣習を簡単に変更するというのであれば、それは先祖に申し訳ないことであると考えなくてはならない。

>皇位の男系継承は、それが既に2000年続く伝統的慣習と言うだけで、守らなければいけないことの十分な理由になる。本来男系を守り抜くことは困難なことであるにもかかわらず、これだけ長く繋げてきたと言うことは、それだけで男系継承には価値があるのだ。

>男系継承による「万世一系」は口に言うのはたやすくとも、これを少なくとも1500年以上、場合によっては2000年以上と言った長きにわたって、一度も途切れさせること無くつないできたことは、困難の極みであり、これは先人たちの並々ならぬ努力の賜だと言える。

>男系継承は意味があるから続いている。それをわれわれの世代で変えていいのか。時代とともに変わっていくものもあるが、男系継承は絶対に変えてはいけない。


■なぜ「女系天皇」ではダメなのか?

>天皇家は男系により継承される世界最古の家柄であるが、男系継承が困難だからといって女系天皇が即位したとしたら、それは天皇ではなく、皇統は断絶したことになる。諸外国には女系の王を立てる国があるがこれを批判しているのではない。女系が悪いのではなく天皇家に女系天皇はふさわしくないのである。

>男系社会というと、それは女性差別であると考える読者も居ることだろう。しかし、「家が男系により継承される」というのは日本の伝統的な文化であり、決して女性差別ではない。

>世界最古の木造建築は法隆寺であるが、老朽化が著しいからといって鉄筋コンクリートで建て替えたとしたら、それはもはや法隆寺ではない。鉄筋コンクリートが悪いのではなく、法隆寺に鉄筋コンクリートはふさわしくないと言うことである。


竹田氏の言葉BOTからの引用は以上です。Twitterやブログなどにみる男系男子派の主張も、ほぼ上記の主張に収斂するようです。
これら男系派の主張を参考に作成した「Q(質問)」は、次の通りです。

■男系派の主張への疑問

【Q1】「天皇が2000年、少なくとも1500年以上男系で続いてきた」ということは、史実として証明されているのでしょうか?

【Q2】天皇の始祖は、「天照大神」か「神武天皇」か、どちらと考えるべき?

【Q3】天皇は例外なく男系で続いてきた(女系で承継されたことは一度もない)のでしょうか?

【Q4】「皇位継承者の父親が天皇ではなかった」というケースは過去にあったでしょうか?

【Q5】女系天皇になると、「皇統は断絶した」ことになるのでしょうか?

【Q6】「家が男系により継承される」というのは「日本の伝統的文化」なのでしょうか?

【Q7】「男系継承は女性差別ではない」と言い切れるのでしょうか?

【Q8】女性として初めて皇太子から天皇になった孝謙天皇(重祚後に称徳天皇)は道鏡とのスキャンダルで皇統に危機をもたらしたとされ、
「女性天皇はダメ」という先例とされています。本当でしょうか?

【Q9】これまで即位した8人10代の女性天皇は、すべて「中継ぎ」の役割にすぎなかったとする説がありますが、本当でしょうか?

【Q10】女性天皇は中継ぎの役割なので、「結婚できない・子供を産めない」と主張する人がいますが、本当でしょうか?


■「A(回答)」作成のお願い

上記の【Q】について、あなたが思うところ、知っている知識をコメント欄に書いて下さい。

※知識については、できるだけ参考資料・参考文献を明示してください。

※書いていただいたコメントは、「皇室Q&Aシリーズ」として編集し、電子ブック(無料)にまとめる予定です。その旨ご了承ください。
「書き直し」や「削除して」などのご希望があればいつでも対応しますので、どうぞお気軽にご参加ください。

※回答は、最初に、Q(質問)を番号ごとコピペしてから書いてください。
「回答とまではいかないけど、感想を書くね」という場合も、できるだけQ(質問)番号をコピペして書いていただけると助かります。

※Q(質問)は必要に応じて追加しますので、「この疑問についても回答を」というものがあれば、コメント欄で教えてください。

皆で力を合わせて、流布している男系派の誤った主張を訂正していきましょう。
どうぞ、ご協力をお願いします!

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12 コメント

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答えますね。 (shiori)
2018-04-09 22:55:26
【Q1】「天皇が2000年、少なくとも1500年以上男系で続いてきた」ということは、史実として証明されているのでしょうか?

A ん~男性から受け継がれてきたのは確かだけど史実とは考えられないですね。難しいですよね。

【Q2】天皇の始祖は、「天照大神」か「神武天皇」か、どちらと考えるべき?

A 当たり前ですが天照大神の方が先からですね。私は専攻科時代でファッションの授業で個人的としてどんな服を着られているのかな?って思いながらたまたま本を見つけたら皇室の先祖のお方は誰から始まられたのかなと気になりました。天照大神から始まられたことを本当だったと感じながらやっぱり女性として凄いなって思いました。やっぱり敬宮さまがいいなと思うようになったのは中学時代からでした。だから、天照大神さまから受け継がれたのは決まっていると思いました。

【Q3】天皇は例外なく男系で続いてきた(女系で承継されたことは一度もない)のでしょうか?

A 女系では何度も本を読んでいましたし1度もないですね。だから、女系でも受け継がれ欲しいなって思っています。

【Q4】「皇位継承者の父親が天皇ではなかった」というケースは過去にあったでしょうか?

A ないような気がしますね。でも、皇位継承者の父親が天皇がいましたがその父親から娘に受け継がれたことがありましたね。確かに女性皇太子誕生になられただけでした。それだけしなかなったしその人から子へ受け継がれたのは全くなかったです。

【Q5】女系天皇になると、「皇統は断絶した」ことになるのでしょうか?

そんなことないと思います。女系天皇になっても天皇の子から子へ受け継ぐことが一番いいと思います。これが直系なのです。私はそうと思っております。間違いなくこれから歴史になるでしょう。

【Q6】「家が男系により継承される」というのは「日本の伝統的文化」なのでしょうか?

A 伝統的文化は大切ですが男女問わずに受け継ぐの方が一番いいと思います。

【Q7】「男系継承は女性差別ではない」と言い切れるのでしょうか?

A そんな言い切れる訳ではありません。女性差別ですよ。

【Q8】女性として初めて皇太子から天皇になった孝謙天皇(重祚後に称徳天皇)は道鏡とのスキャンダルで皇統に危機をもたらしたとされ、
「女性天皇はダメ」という先例とされています。本当でしょうか?

A 確かに女性天皇っていいけど天皇の子がないでしょう。親戚の方に譲っていたかとは言えばもったないなと思いました。そんな女性天皇はちょっとダメだと思うかもしれませんが女系天皇の方が一番いいと思います。

【Q9】これまで即位した8人10代の女性天皇は、すべて「中継ぎ」の役割にすぎなかったとする説がありますが、本当でしょうか?

A ちょっと中継ぎとは過ぎたかも知れないと思います。もしもあの時代は8人十代の女性天皇になったら長い(歳月)として行われば結婚し子へ受け継がれたかもしれません。

【Q10】女性天皇は中継ぎの役割なので、「結婚できない・子供を産めない」と主張する人がいますが、本当でしょうか?

A 確かにいると思いますが、おかしいでしょう。酷い過ぎますね。きっといつか時が来たら後悔してしまうことがあるでしょう。もしもあの頃は言えば良かったなって思われるかもしれません。女性天皇や女系天皇になってくれたら私は後悔することはないと思います。

さっき言ったように専攻時代でこれでも学んでいましたし本を読んだときはめちゃびっくりして信じれなかったでした。ふと 窓を明けながら 空を見上げたら天皇になられた8人の女性たちのことを思うと切ないし本当は結婚したいでしょうし子供を産みたかったはずだと思いました。とても悲しすぎる気持ちでした。きっと敬宮さまなら皇太子になって、天皇になっても結婚して子供を産んで欲しいなって思っています。私はそれしかないと思っています。

敬宮さまが皇太子になって、結婚して子供を産む。そして、天皇になっても天皇の子に受け継ぐことが皇室のあり方です。これが私たちは望むはずでしょう。

女性として新しい時代になってくれるはずでしょう。

男性ではなくて、敬宮さまのことを少しでも気付いて欲しいなって思っています。

答えた文章が変だと思いますが申し訳ないと思っておりますのでお許しを下さい。

これからみんなで一緒に女性としてあり方で新しい変えるべきです。
返信する
【Q4】「皇位継承者の父親が天皇ではなかった」というケースは過去にあったでしょうか? (由基)
2018-04-10 08:54:43
【Q4】「皇位継承者の父親が天皇ではなかった」というケースは過去にあったでしょうか?

父親が天皇ではなかった天皇・父方の天皇との関係のみを書きだしました。
父親が天皇ではない場合でも祖父・曾祖父が天皇ではあります。

参考文献
「名前で読む天皇の歴史」朝日新書497
遠山美都男 著
朝日新聞出版 2015年1月30日第1刷発行


14代 仲哀天皇 在位192-200 (景行天皇の孫)
父:日本武尊

23代 顕宗天皇 在位485-487 (履中天皇の孫、仁賢天皇の同母弟)
24代 仁賢天皇 在位488-498 (履中天皇の孫、仁賢天皇の同母兄)
   父:市辺押磐皇子

26代 継体天皇 在位507-531 (釈日本紀によれば応神天皇の五世孫)
   父:彦主人王

34代 舒明天皇 在位629-641 (敏達天皇の孫)
   父:押坂彦人大兄皇子

35代 皇極天皇 在位642-645 (敏達天皇の曾孫)
   父:茅渟王(押坂彦人大兄皇子の孫)

36代 孝徳天皇 在位645-654 (敏達天皇の曾孫、皇極天皇の同母弟)
   父:茅渟王(押坂彦人大兄皇子の孫)

37代 斉明天皇 在位655-661 皇極天皇の重祚

42代 文武天皇 在位697-707 (天武天皇の孫)
   父:草壁皇子

44代 元正天皇 在位715-724 (天武天皇の孫・文武天皇の同母姉)
   父:草壁皇子
   
47代 淳仁天皇 在位758-764 (天武天皇の孫)
   父:舎人親王

49代 光仁天皇 在位770-781 (天智天皇の孫)
   父:施基親王

86代 後堀河天皇 在位1221-1232 (高倉天皇の皇子)
   父:守貞親王

102代 後花園天皇 在位1428-1464 (崇光天皇の曾孫)
   父:伏見宮貞成親王

119代 光格天皇 在位1779-1817 (東山天皇の曾孫) 
   父:閑院宮典仁親王
   ※118代後桃園天皇に皇嗣がいなかったため養子に迎えられた。
返信する
訂正です。 (由基)
2018-04-10 10:06:06
86代後堀河天皇

誤:高倉天皇の皇子
正:高倉天皇の孫

上記の通り訂正したします。
返信する
父が天皇でない方々について、補足 (Dianthus)
2018-04-10 11:35:00
★仲哀天皇  生母が皇女(垂仁天皇の皇女・両道入姫命)
★顕宗・仁賢天皇  両者の即位にからみ、飯豊青皇女(履中天皇皇女)が後見、または実質女帝だったとも。かつ、仁賢天皇は雄略天皇皇女春日大娘を皇后とし、その間の子が次の武烈天皇となる。
★継体天皇  仁賢天皇と春日大娘皇女(雄略天皇皇女)との子、手白香皇女を皇后とする。
★舒明天皇  生母が敏達天皇皇女の糠手姫皇女
★皇極・斉明女帝  生母は欽明天皇の孫’桜井王皇子の娘)。
★孝徳天皇  皇極・斉明女帝の同母弟 欽明天皇皇女間人皇女(姪にあたる)を后とする
★文武天皇  生母が天智天皇皇女元明女帝。なお、父方祖母が持統女帝(天智天皇皇女)であったことも特筆される。
★元正女帝  血筋は文武天皇に同じ。特に、母元明女帝の次に即位。その意味では父は天皇でなかったが、母は天皇であった。
★淳仁天皇  孝謙女帝から譲りを受け即位。
★光仁天皇  后が聖武天皇皇女井上内親王
★後堀河天皇  承久の変に伴う即位。同母姉邦子内親王を准母として権威化
★後花園天皇  特に皇女と関係なし
★光格天皇  後桃園天皇皇女欣子内親王を后とする

中国から移入された家制度が確立して以降は多少不明瞭ですが、光仁天皇までは皇女と関連しながら父を天皇としない天皇が誕生していることがよくわかります。
また家制度が確立した江戸時代になっても、光格天皇の即位にあたって婿養子天皇の形をとっていることも興味深いですね。   
返信する
度々申し訳ございません。 (由基)
2018-04-10 12:44:47
24代 仁賢天皇の訂正です。

誤:仁賢天皇の同母兄
正:顕宗天皇の同母兄

申し訳ございません。
返信する
【Q5】女系天皇になると、「皇統は断絶した」ことになるのでしょうか? (ペリドット)
2018-04-10 14:40:07
>なぜ天皇は尊いのか。それは皇祖、つまり初代天皇の血を受け継いでいるからである。歴代の天皇は、皇祖の血を受け継いできている。それゆえに天皇は尊いのである。

ここでいう「血を受け継ぐ」という点で言えば、子は父からも母からも半分ずつ血を受け継いでいます。これは遺伝学の常識。
娘は、父から常染色体の半分と、X染色体を受け継ぎます。
息子は、父から常染色体の半分と、Y染色体を受け継ぎます。
娘は、母から常染色体の半分と、X染色体を受け継ぎます。
息子は、母から常染色体の半分と、X染色体を受け継ぎます。
このうち、X染色体とY染色体では、長さとその上に載る遺伝情報の多さが違います。
X染色体の方が長く、多くの遺伝情報を載せています。
Y染色体は短く、ほとんどは性の決定(つまり男子になるということ)に関わる遺伝情報が載るだけですので、いずれこのY染色体は消滅するとも言われています。

血を受け継ぐという点でいえば、父から娘にも半分以上の血(遺伝情報)が受け継がれます。娘(母)から子へ半分の血(遺伝情報)が受け継がれます。
つまり、女系では血が繋がらないということは、生物学(遺伝情報)的にはありません。実際、敬宮さまは皇太子によく似ていて、今上陛下にも似ています。敬宮さまのお子さまも、きっと皇太子や今上陛下によく似たお子さまになることでしょう。

男系男子でなければならないという理屈は、
>皇位の男系継承は、それが既に2000年続く伝統的慣習と言うだけで、守らなければいけないことの十分な理由になる。
>男系継承による「万世一系」は口に言うのはたやすくとも、これを少なくとも1500年以上、場合によっては2000年以上と言った長きにわたって、一度も途切れさせること無くつないできたことは、困難の極みであり、これは先人たちの並々ならぬ努力の賜だと言える。
の論理的飛躍の部分に隠されていると言えましょう。ここへの反論としては
★1 1500年(←コッソリ後退させてますwww)、2000年以上男系継承が続いてきた。
★2 (その継承は)先人たちの並々ならぬ努力の賜である。
の2点について、になりますかね。

★1については、欽明天皇以降は見かけ上(すなわち史実上)男系継承とは言えるのではないかと思います。1500年以上かはわからないけど、1400年以上は見かけ上男系なんでは? 見かけ上というのは、母と子の親子関係の証明は容易だけど、父子の親子関係は証明しがたいからです。長い間一度もお妃が不倫してなければ男系継承ではあったでしょう。
2000年以上なら尊い伝統だけど、1400年以上ならたいした伝統じゃないとか、どうせ見かけ上のことで、その実の血の繋がりはよくわからないよ、と茶々は入れられるとは思いますが。

★2 については。
側室をたくさん儲け(多重婚)、争いの絶えない兄弟継承やら両統迭立だのをやってきたことが「尊い努力」で「これからも続けねばならない大事な伝統」なんだとしたら?

私はむしろこっちを言いたいですね。
返信する
「努力の賜」補足 (ペリドット)
2018-04-10 15:30:59
「努力の賜」が、実際には側室制度(多重婚)と傍系継承(皇位継承争い)の賜、特に前者のおかげであったことは、側室制度をやめたとたん、100年も経たないうちに「剣璽等承継の儀」に立ち会える男性皇族が80代と50代の二人だけ、未成年皇族を含めてもあとは12才の新天皇の甥のみという体たらくになりました。

「努力の賜」が人倫にもとる多重婚(側室制度)にあったのはここに明らかですし
次には技術革新のおかげでできるようになったもう一つの人倫にもとる行為、「受精卵の段階での性別判定および男性となる受精卵を選択的に選んで出産させる」という努力の賜になるらしいこともはっきりしてきました。

もちろん、宮内庁としては公には絶対に認めないでしょう。
医者も守秘義務があるから口を割らないでしょう。
しかしながら、すでに悠仁親王の誕生の段階から
①両親が周囲に男子を産む方法を聞いて回っていた
②姉二人のときはふつうに妊娠したのに、悠仁親王のときは不妊治療が必要となり、密かに宮邸に産科機器が運び込まれていた
③妊娠6週の段階の心音が超音波で確認されたところで、男女問わぬ直系長子継承に変えるための皇室典範改正審議に入ったその当日に、急遽ご懐妊が報じられた
という、状況証拠的には、国民を疑わせるに足るだけの状態が作られていました。

もちろん、ただの状況証拠。
宮内庁が公式に発表した通り、不妊治療のすえの自然妊娠の可能性もなくはない。

しかし、そういう疑いをもたれる状況ではあった。
それぐらいの「努力の賜」じゃないと、男系男子継承は不可能であるらしいことは、はっきりしているから。

そんな努力の賜を強いるような継承が、守るべき大事な伝統と果たして言えるのでしょうか。
返信する
【Q8】女性として初めて皇太子から天皇になった孝謙天皇(重祚後に称徳天皇)は道鏡とのスキャンダル (由基)
2018-04-10 15:38:33
Q8】女性として初めて皇太子から天皇になった孝謙天皇(重祚後に称徳天皇)は道鏡とのスキャンダルで皇統に危機をもたらしたとされ、
「女性天皇はダメ」という先例とされています。本当でしょうか?

(孝謙天皇・孝謙上皇・称徳天皇等の名称がありますが、孝謙天皇で統一させていただきます)


スキャンダルの記述で一番早いものは淳仁天皇が孝謙上皇に関して口にするのもはばかられることを言い、上皇が淳仁天皇に激怒し、天皇を退位させみずから重祚したということ。

次に有名なものは「日本霊異記」の記述です。
但し「日本霊異記」は孝謙天皇崩御後50年ほどたってからの成立です。
内容は、これも口にするものはばかられるようなものですが、「日本霊異記」には孝謙天皇の生母である光明子が初の皇族以外の皇后となることに反対した長屋王についての記述もあります。
長屋王は天皇の呪詛をし、そのため滅ぼされた。何故ならとても残酷な人間だったからであるという内容です。
今では藤原氏の陰謀とされていますし、長屋王死後80年ほど経って書かれたものに信憑性があるのだろうかと首をひねってしまいます。

そして時代は流れて明治。政府は道鏡問題の研究に弾圧を加えました。これは道鏡のスキャンダルを否定されると女帝容認論が浮上することを恐れたからかもしれません。



以下は私見です。流してくださって結構です。


聖武天皇・光明皇后・孝謙天皇は日本で初めて戒を受けた沙弥です。
聖武天皇は自らを「三法の奴」と公言しています。
沙弥になった孝謙天皇は、父同様に三法の奴との考えだったと思われます。
つまり天皇ではあるけれど、その上に仏教が位置していたわけです。


聖武天皇崩御に伴い孝謙天皇は即位しますが、実際に政治を司ったのは紫微中台を作った光明皇后とその長官となった藤原仲麻呂です。
紫微中台は光明皇后の死に伴い廃止されます。

孝謙天皇の退位は母である光明皇后の介護のためとなっていますが、その後に即位した淳仁天皇は仲麻呂の息子の未亡人と結婚し、仲麻呂邸に住んでおり、孝謙天皇退位は天皇より権力を持った光明皇后の死期が近い事を自身の権力低下につながることを恐れ、思い通りになる淳仁即位を望む仲麻呂の意向があったと考えることもできます。

孝謙天皇が天皇を軽んじ政をわが物とする仲麻呂を次第に遠ざけたとしても不思議ではありません。
そして仲麻呂の傀儡である淳仁天皇にも不満があったと思われます。


仲麻呂の乱、淳仁天皇の淡路島配流を経て孝謙天皇は称徳天皇として重祚します。


761年保良宮にて孝謙天皇の病を治し深い信頼を得た道鏡は、孝謙天皇重祚後には法皇となりますが、政策は仏教関係のものが中心だったと言います。

その後、道鏡の身内が政治の中に入ってきます。歴史の中でそのことも否定的にとらえられていますが、藤原氏も天智天皇や持統天皇のもとで同様に権力を掌握してきたのですから異常なこととは思えません。藤原氏の不満がほとんどだったでしょう。

そして宇佐八幡の神託があり、和気清麻呂が新しい神託を持ち帰ります。
孝謙天皇は激怒したと伝えられますが、それが‟道鏡を天皇にしてはいけない“という部分か‟道鏡を排除せよ”という部分に対してかで見方は変わります。

天皇に関してなら、孝謙天皇は道鏡を天皇にするつもりだったとなります。しかし排除の部分であるならば、信仰によって自身の上位に位置する法王を排除するなどとんでもないと考えたかもしれません。
道鏡にも出世欲はあったでしょうが、天皇になろうとは思っていなかったと考えています。

孝謙天皇の病臥から崩御までの間、道鏡は近づくことは許されませんでしたが、祈祷し続けたと言います。崩御後しばらくして下野国薬師寺に左遷され、同地で亡くなります。

藤原氏にとって悪人であったことが「日本霊異記」のような話が出来上がる理由ではないかと思います。

近年、道鏡を見直す書籍も出版されていますし、これから道鏡の評価が変わっていくかもしれません。
返信する
Q&Aについて (くろひょう)
2018-04-12 09:33:44
【Q1】「天皇が2000年、少なくとも1500年以上男系で続いてきた」ということは、史実として証明されているのでしょうか?

私見
証明されてはいないと考えます。
そもそも、日本書紀に書かれているからそれが史実である、という論調に違和感を覚えます。
中国でも、史記に書かれているからといって、最初から夏殷周が史実であったとされていたわけではなく、地道な考古学的発見の結果、それが証明されてきたはずです。
日本の場合でも、まず神功皇后の妊娠に関する記述は明らかに不自然です。
身重の体であちこち動き回るのは現代人でも危険です。
次いで個人的に顕宗、仁賢両天皇を挙げます。
この二人の物語に関しては、私はご都合主義が過ぎるのではと考えます。
幼いころに行方不明になった皇子のことを、20年もたって自ら正体を明かしたとはいえ、当時の日本で一体誰が証明できるでしょうか。
さらに、中央から迎えが行ったにもかかわらず、なかなか大和に入れなかった継体天皇。
実は天智天皇よりも年上なのではと言われていた天武天皇。
男系かどうかはともかく、そもそも継承自体が幾度も断絶していた可能性は否定できないと考えています。

【Q2】天皇の始祖は、「天照大神」か「神武天皇」か、どちらと考えるべき?

私見
現状どちらともあくまで物語上の人物であり、始祖と考えるべきではないと考えます。
その上であえてどちらかと問われれば天照大神と答えます。
神話とはいえ、皇室の系図はそこから始まっているからです。
ただ、多くの国でそうですが、かつては王権神授説というものがありました。
日本そろそろそういった概念から脱するべきだと考えます。

【Q3】天皇は例外なく男系で続いてきた(女系で承継されたことは一度もない)のでしょうか?

私見
ないとは考えられません。
まず神功皇后の妊娠に関する記述は明らかに不自然です。
医師が祭られているからといってそれをそのまま鵜呑みにするのではなく、何らかのつじつま合わせが行われていたと考えるのが自然です。
さらに、中央から迎えが行ったにもかかわらず、なかなか大和に入れなかった継体天皇。
この人は仁賢天皇の手白香皇女を皇后に迎えていますが、家系図上継体天皇は分家、この皇女は本家です。
本家の皇女に分家の皇子が婿に入ったと考えるのが自然であり、その子どもが欽明天皇であることを考えると、女系によって本家の血統が守られたと捉えることもできます。
本家の人間から見た場合、一時的に分家の人間を天皇に据えただけで、そのあとの天皇は女系とはいえ本家の血を引く者たちです。

【Q4】「皇位継承者の父親が天皇ではなかった」というケースは過去にあったでしょうか?

私見
皇室の系図をたどるだけでも数多くあります。

【Q5】女系天皇になると、「皇統は断絶した」ことになるのでしょうか?

私見
必ずといっていいほどイギリスの例を持ち出す方がいらっしゃいますが、ヨーロッパでも国によって女系でも家名が変わらないところもあり、一概に基準を定めることはできません。
そして皇室は家名がないという特性を持ちます。
嫁入りした多くの女性と同様、婿入りした男性の家名は失われてしまうのに、男系、女系という物差しで皇室の家系を考えようということ自体、滑稽であり、無意味なことです。

【Q6】「家が男系により継承される」というのは「日本の伝統的文化」なのでしょうか?

私見
とくに江戸時代などは、武家でも女系継承が頻繁に行われています。
ただ、男子でなければ基本的に家督を継承できなかったため、婿に来た男子に家督を継がせただけにすぎず、婿と娘に男子が生まれれば、その子どもは紛れもない女系男子です。

【Q7】「男系継承は女性差別ではない」と言い切れるのでしょうか?

私見
家訓と捉えてしまうのならば、一概にそうとは言い切れません。
しかし法律の上だけでのことであれば、一般的に男女平等がうたわれている以上、おかしなことになります。

【Q8】女性として初めて皇太子から天皇になった孝謙天皇(重祚後に称徳天皇)は道鏡とのスキャンダルで皇統に危機をもたらしたとされ、
「女性天皇はダメ」という先例とされています。本当でしょうか?

私見
両名の功績を無視した身勝手な言いがかりであり、後世の人間の創作と考えます。

【Q9】これまで即位した8人10代の女性天皇は、すべて「中継ぎ」の役割にすぎなかったとする説がありますが、本当でしょうか?

私見
中継ぎであれば、そもそも即位する必要すらなかった天皇が複数人存在します。
また、後桜町天皇などは譲位後も後代の天皇に対して影響力を持っておられたようですから、中継ぎというには無理があります。
あくまで男子優先の女性容認の中で即位した女性天皇と捉えるべきです。
どう考えても中継ぎなのは明正天皇だけでしょう。

【Q10】女性天皇は中継ぎの役割なので、「結婚できない・子供を産めない」と主張する人がいますが、本当でしょうか?

私見
結果論としてそうなっていたにすぎないと考えます。
男子優先、女性容認でなおかつ皇族の結婚相手の格が厳格に決められていた時代であれば、結婚したくても結婚できなかった、という可能性のほうが大いにあります。
それを、先祖代々の不文律であるからと絶対視してしまう考えは危険です。
何より時代は変わっています。
男性が女性の姓を選ぶこともできる時代です。
相手の家の家格にこだわることなく結婚できる時代です。
中継ぎ云々以前に女性天皇は結婚できないという価値観を当然のこととして受け入れてしまうこと自体、時代遅れの概念です。
返信する
【Q6】「家が男系により継承される」というのは「日本の伝統的文化」なのでしょうか? (ペリドット)
2018-04-13 03:40:40
「コトバンク」家制度とは
世界大百科事典内の家制度の言及 【家筋】より

…このように具体的ないくつかの事例についてみれば,日本の家族にみられる家筋は,従来とくに強調されてきた父―息子関係を軸とする父系単系的な家筋のみならず,父―息子に加えて母―子の関係も強調する双系的な家筋も重要な意味をもっていたことが理解できる。日本人の多様な祖先―子孫関係のなかで,とくに父―息子関係を特別に強調したものが,明治民法が規定した〈家〉であり,そのためには特別の力が必要であり,それがいわゆる家父長制,長子相続制を中心とする〈家制度〉であった。しかしながら日本の家族にはこうした父系的家筋のみを強調する家族ばかりでなく,西南日本を中心として双性的な家筋を特徴とする家族もみられたことを理解することは,日本の家族の解明にあたってきわめて重要である。…

実感から言いましても、厳格な父系社会である中国と違い、日本には婿養子という家の継ぎ方があります。武家の次男以下は「厄介叔父」と呼ばれ、名家の一人娘とか姉妹だけの家の長姉と結婚して婿養子になる口を探して、なんて話、時代小説とかにも良く出てきます。

家が男系(というか父系)というのは、本家本元の中国ではそうですが、日本ではそうじゃないですね。
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