生まれてから死ぬまでの記録

人生とは、生まれてから死ぬまでの間のこと

お金がある=余裕がある?

2007-02-04 23:27:17 | 思考の記録
結婚したばかりの友人と、独身の友人と金曜の夜にご飯を食べにいって、
いろんな話をしたんですが、その時に、結婚したばかりの友人が
「子供のことを考えたときに、やっぱり男の人の経済力は大事。」
と言っててですね(ちなみにその友人の旦那は医者なんですが)、
「やっぱり子供には不自由な思い、させたくないもん。
 旦那も同じ考えで、そこが合ってたのもよかった」
とも言ってて、
「不自由な思いってどんな思い?」
と聞くと、
「習いたいことはなんでも習わせてあげたいし~」
って言ってて、なんか、すんごい仰天してしまったんですよ。

なんていうんだろ、その、
「不自由な思いとは自分のやりたいことが経済的な理由でできないこと」
という認識もさりながら、そういう思いを子供にさせたくないから、
旦那を経済力で選ぶ、という発想が、私には
信じられなーーーい!

私は、自分の子供に与えたい最大のものは
何があろうがなかろうが、楽しく幸せに生きることができるもんねっ! 
てな感性と強さ

なんですよ。
でね、それは、お金があるから与えられるものでもないし、お金がないから
与えられるものでもないし、要するに、お金は全然重要なファクターじゃない
んですよ。
だから、旦那を経済力で選ぶ、という発想が全然なくて、でも、
その結婚した友人も独身の友人も、
「やっぱ、男は経済力」
てなことを言っててですね、独身の友人なんて
「あんたも子供ができたら、わかるよ。子供のためになんでもしてやりたいと
 思うんじゃない」
なんて、テメーは子供おらん(結婚してないねんから)くせに、そんなことまで
言われてですね、なんかすごく腑に落ちない

二人が揃って言ってたことは、
「お金があったら選択肢が増えるし、余裕もできるやん。
だからお金があったほうがいい」

ってことで、それは確かにその通り、仰せごもっとも、と思うんですが、
私が恐れるのは
お金があるから余裕があるという考えが
お金がないから余裕がないという考えにずれこんでしまう
ことなんですよ。
お金は余裕のための一手段だったのが、いつの間にか唯一の手段になって、
いつしか、目的になってしまうという。
で、人間ってのはたやすく手段が目的になる、考えがずれこみやすい生き物
なので、私は「お金がある=余裕がある」という論自体を放棄してしまった
んですが、ふと周りを確認すると、そういう考え(お金=余裕)って
メジャーやねんな、とそのことに仰天する。

結婚した友人は金融関係に勤めてて、窓口もやってるんで、お金に関して
いろんな人間をみてきたらしいけど、曰く
「お金がない人は、余裕ないよ。お金のある人は、やっぱり違う。余裕ある」
と言うんですが、それに対しては、ある大前提が抜けていると思う。
それは、
「お金がないと余裕がなくなって、お金があると余裕が出来る人が」
ってことです。
お金がなくって余裕がない人は、お金がなくなると余裕がなくなる人なんですよ。
全ての人間がお金がないと余裕がなくなるわけでもないやろう、と思うんですが。

この世知辛い世の中、拝金主義の国に生きる人間として、
お金がないと余裕がない、というのは人情として分かるんですが、
でも、全ての人間がそうじゃない、と本当に思うし、
私は子供にはそういう、拝金主義とは無縁な人間になってほしい。
だから、「お金がある=余裕がある」という定式を捨てたんですけど、
友人にはいまいち理解されなかった・・・
お金によってもたらされる余裕なんてのは、余裕のうちに入らん、という立場を取らんかぎり、人は拝金主義を免れえない。
と私は真剣に思ってるんですが。

そして、お金の必要論はそのまんま、軍隊必要論になるなー、と思う。

前防衛長官は「戦争も外交手段だ」と言ってて、確かにそれはそうなんですが、
この国が、その外交手段を適正に使えるかといったら、それは無理だろうと
思うんですよね。
中国や北朝鮮の脅威と、政治家や官僚にさらに力を持たせることの脅威を
計ったときに、私は後者の方が脅威やと思うんですよ。
だから、憲法9条は死守です、死守。
正論だからといって、飛びつくわけにはいかない。
正論は山ほどあって、その中から、自分にあったものを選ぶ。
そうあってほしいから、友人たちが、私の考えも理解して、様々な考察の上で
経済力を選ぶのであれば、それはそれで全然いいんですが、
私が全然モノをわかってないみたいないい方は辞めて欲しい
こう見えても、たまにはモノを考えてるのら!