秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション
李鴻章と馬関談判の全権大使故伊藤博文氏
下関条約(しものせきじょうやく、旧字体:下關條約󠄁)または馬関条約(ばかんじょうやく、
旧字体:馬關條約󠄁)、または日清媾和条約(にっしんこうわじょうやく、旧字体:日淸媾󠄁和條約󠄁)は、
1895年(明治28年)4月17日(光緒21年3月23日)に日本と清の間に締結された日清戦争(1894年-
1895年)の講和条約。
山口県下関市の料亭春帆楼(しゅんぱんろう)での講和会議を経て締結された。調印者は、日本側
全権が伊藤博文・陸奥宗光、清国側全権が李鴻章・李経方である。
前文および11か条からなり、これには付属議定書があって、解釈・批准等について規定している。
朝鮮の独立、台湾・遼東半島・澎湖列島の日本への割譲、清から日本への2億テールの賠償金支払い、
清の一部市港の開港、最恵国待遇などを内容とする。ただし批准交換までに三国干渉があり、遼東
半島は清に返還した。かつては、会議が開かれた山口県赤間関市(現、下関市)の通称だった
「馬関」をとって、一般に馬関条約(ばかんじょうやく)と呼ばれた。「下関条約」は、日本で
戦後定着した呼称であり、中国では、今でも「馬関条約」(簡体字: 马关条约; 繁体字: 馬關條約;
拼音: Mǎguān tiáoyuē)と呼んでいる。
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