なんとなく、ふわっと・・

写真と画像処理関係とひとりごとをなんとなく書き溜めていきたい

築地大橋へ III

2024-09-18 22:03:20 | 写真



2024_09_10築地・勝どき・月島・佃

中央区築地5

[M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]


Comment

日本歴史写真帖 109

2024-09-18 22:00:00 | 日本歴史写真帖



秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション

李鴻章と馬関談判の全権大使故伊藤博文氏

下関条約(しものせきじょうやく、旧字体:下關條約󠄁)または馬関条約(ばかんじょうやく、
旧字体:馬關條約󠄁)、または日清媾和条約(にっしんこうわじょうやく、旧字体:日淸媾󠄁和條約󠄁)は、
1895年(明治28年)4月17日(光緒21年3月23日)に日本と清の間に締結された日清戦争(1894年-
1895年)の講和条約。

山口県下関市の料亭春帆楼(しゅんぱんろう)での講和会議を経て締結された。調印者は、日本側
全権が伊藤博文・陸奥宗光、清国側全権が李鴻章・李経方である。

前文および11か条からなり、これには付属議定書があって、解釈・批准等について規定している。
朝鮮の独立、台湾・遼東半島・澎湖列島の日本への割譲、清から日本への2億テールの賠償金支払い、
清の一部市港の開港、最恵国待遇などを内容とする。ただし批准交換までに三国干渉があり、遼東
半島は清に返還した。かつては、会議が開かれた山口県赤間関市(現、下関市)の通称だった
「馬関」をとって、一般に馬関条約(ばかんじょうやく)と呼ばれた。「下関条約」は、日本で
戦後定着した呼称であり、中国では、今でも「馬関条約」(簡体字: 马关条约; 繁体字: 馬關條約;
拼音: Mǎguān tiáoyuē)と呼んでいる。

from wikiwand


Comment

伊勢百貨店

2024-09-18 21:50:19 | 写真



2024_01_26伊勢神宮

伊勢市本町

[LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]


Comment

麻布台ヒルズで LXXX

2024-09-18 21:48:19 | 写真



2024_05_21麻布台ヒルズ

港区麻布台1

[M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]


Comment

築地本願寺で IV

2024-09-18 21:46:12 | 写真



2024_09_10築地・勝どき・月島・佃

中央区築地3

[M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]



昨年の今日のエントリ


Comment