まいど!にゃんこふです。
私が中学生になり映画にハマり始めた頃、日本の映画産業は斜陽と呼ばれる状況にありました。
さて今回は映画じゃなくて映画館のお話。
私が中学生になり映画にハマり始めた頃、日本の映画産業は斜陽と呼ばれる状況にありました。
確か小学校の低学年の頃は自宅から徒歩15分位の圏内に10件以上の映画館がありましたが、その多くは一番賑わっていた商業地域に集中してましたね。
邦画の封切り館や二番館が多かったですが、名画座と呼ばれる洋画の専門館も結構あったようです。
そうだ!成人映画専門の所もありました、いわゆるピンク映画ってやつ。でも、そこは昭和四十年代の始め頃までは普通の邦画の映画館だったようです。そのせいか何年か前、劇場の倉庫からポスターやチラシをはじめとする邦画の貴重な資料が大量が見つかりニュースにもなったんですよ。
また、その外観や内装の希少性から何本かの映画のロケにも使われたそうです。
やはりかの大製鐵所のお膝元の街でしたからね、そこに働く数万人の従業員達の娯楽のために映画館も充実してたって事なんでしょうね。
さて洋画に目覚めた私が通い始めた映画館は自宅から歩いて10分程の商店街の片隅にありました。
そろそろ不景気の風が吹き始めてましたが、大手のスーパーも営業しており、まだまだ賑わいを見せていました。
現在も商店街はありますが、往時の八割以上が店を閉め今や見る影もありません。淋しいですが、これも時代なのでしょうね…。
おっと感傷に浸ってる場合じゃない。
そう、その小さな映画館の名前は「名画座」と言う名の名画座。二十歳で上京するまで本当に通い詰めたと言ってもいい場所でした。
名画座は商店街の路地にありました。外には普通の映画館のような上映中の作品のポスターも貼ってません。
細い階段を2階へ上がるのですが、その途中の壁に上映中と次回上映の作品のポスターや上映時間表が貼られており、辛うじてここが映画館である事が分かります。
2階に着くと切符売場兼もぎり兼売店の小さなカウンターがあり、いつも同じおじさんが座ってました。
入場料はハッキリ憶えてないのですが、三百〜五百円位じゃなかったかな。
売店と言っても封切館のようにパンフレットは売ってません。売ってたのは見た事もないメーカーの炭酸飲料とピーナッツ、そしてハイライトやいこいなどのタバコ。そう、今では考えられませんが、当時の映画館ではタバコが吸えたのですよ。
飲み物とピーナッツを買って館内へ。座席数は50〜80席位だったでしょうか、スクリーンも小さかったと思います。
そんなこじんまりした空間だったからこそ映画に没頭できたんでしょうね。
ヒットした大作が掛かる事はありませんでしたね、どちらかと言うとB級映画やちょっと旧めの作品が主なラインナップ。今のシネコンではまず上映されないような作品が多かったように思います。
マカロニウエスタンやSF、戦争映画、カンフー映画なんかは特にによく観に行きました。その多くが映画雑誌のカラーページや人気投票には登場しないような俳優さんが主演の作品でした。
面白かったのはカンフー映画のタイトル。日本公開時に付けられたタイトルは、ほぼ「燃えよドラゴン」がベースになってましたね。
〜ドラゴンとか、〜タイガーとか、〜ジャガーて具合。ジャッキーが出てくるのはも少し後、だからこの頃はまだモンキーはいませんでした(笑)
そうそう、毎月1週間くらいはポルノが上映されてました。さすがに中学生の頃は入場できませんでしたが、高校生になったら何も言わずに入れてくれるようになりました(笑)昔、昔の話ですから。
でも当時のあの手の映画って、ぼかしがすごかったんですよ、真っ黒いぼかし。もうスクリーンで何をやってるか分からない位(笑)。ぼかし以外にも花や花束とかちょうちょが肝心な部分を隠してるパターンもありましたね。なんだかな〜(笑)
そんなこんなで映画館の「暗闇でドキドキ」する時間は、私の人生の中で長く長く続いて行くのでした。