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此処に灯台が出来たのは 釧路港『明治32年・1899年開港』が出来る8年前の明治24年『1891年』でした
道東の夏は 霧が多くて航行する船や小舟の為に灯台として行き交う船に道標として釧路や厚岸で海難事故が多発して居ますので開設されたのでしようネ
私も 多分小学六年生の頃に雪印乳業とガラス工場『網に取り付けて使う大きな浮き球や硝子瓶や子供の時に遊んだビー玉等を製造していた』と一緒に灯台を訪ねた記憶が有ります
灯台の建物は 三代目との事ですので私が伺ったのは 初代か二代目の何方かと思われます
伺って居る間に霧が出始めてライト点灯大きな霧笛が鳴り始めてとても吃驚した記憶が有ります。
56年程前の記憶ですが 灯台の場長さんや数人の所員さんがいらっしゃいましたので初代だったのかも知れませんネ
その後・大人になってからも数度 お訪ねして上まで上らせて頂きましたが無人に成ると伺いましたので燈台守が居なく成るのだと残念に思った記憶が有ります
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『おいら岬の燈台守は 妻と二人で沖ゆく船の・・・・』の唄は 私の愛唱歌の一つです
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