取引先の担当さんで、浅草生まれ(現在も在住)の人がいて、ときどき『下町グルメツアー』称して、浅草のおいしいお店に連れて行ってくれる。
先日は、花やしき近くの牛鍋屋『米久』(誰かの名前の短縮形みたいだけど)へ。
ひさご通りに面した店の前面には、ずらりと提灯が飾られていて、中に入ると、下足番の方がいらっしゃる。木造の、古めかしい建物で、いかにも明治操業の老舗って感じ。
お客の数だけ大太鼓を鳴らされて、畳敷きの席につく。テーブルというか、卓袱台の上には、ゴムホース付きのガスコンロが置かれ、ガンガンに電気(ガス?)ストーブがたかれている。
メニューは、B5程度のペラ紙だけ。牛鍋が二種類(上と特上)に、ご飯や飲み物が書いてあるだけのシンプルな構成。ソフトドリンクには、バイヤリースがあったりして、とにかく、昭和の時代から、一切なんにも変えてないかんね。という風情。
結構なお値段なのに、一切カードが使えないのも徹底している。なるほど、こだわりの店なのね、と思うと、はとバスツアーに組み込まれていたりして、そこのところがよくわからない。
ここの店主、きっとB型だと思う。
特上、一人前、3,790円を頼むと、大きくて薄い牛肉が二枚と、ネギだの、白滝だのといった、すき焼きの具の盛り合わせ。ご飯と、味噌汁は別料金で、それぞれ320円もする。
肉は、近江牛で、物凄い霜降り。濃い目の割り下が絡んで、一口、ほお張ると、脳みそが溶けてしまうんじゃないかと思うくらい、濃厚な脂の味が口中を駆け巡る。
アデ、アデ、ご飯、ご飯。
慌てて飯をかっこむと、連れの人が、やめときなさいとたしなめる。なんでも、最後にお楽しみがあるらしく、ご飯はセーブしておくのがコツなんだとか。
味は濃厚なんだけど、意外に後味はサッパリしていて、これはイケちゃうねってんで、さらにもう一人前追加注文したんだけど、2枚目の肉を食べきったあたりから、なんだか急に重たくなってなって、3枚目ですっかり『飽きの気配』。
♪こーんな、こーとは、いままーで、なーかった
結局、4枚目は、連れの方にお願いして、僕は、野菜担当に。
さて、野菜もあらかた食いつくし、お腹もくちてきた。すき焼きの〆は、やっぱうどんなんだろうか、と思うと、この店うどんは置いてないという。じゃあ、どうするんだ、というと、連れの人、取り皿に残っていた生卵を鍋に入れた。僕もあわてて右へ倣え。
小さくて浅い鉄製の鍋に、あっといううまにタマゴの膜がはる。そこをすかさず、レンゲですくって、ご飯の上へ。
これがウマい。
えらく手の込んだタマゴかけゴハン、というべきか、すごく手間をはしょった卵丼といういべきか。ゴハンの一粒一粒が、汁で、脂でコーティングされて、渾然一体となっている。かっ込めば主食に、箸ですくえば、ビールのつまみに。しかし、哀しいかな、ゴハンがあんまり残ってない!お代わりしても食べキレそうにないし。うーん。ご利用は計画的すべきだったのだ。
なんだかんだ言いながら、今日の食事でこれが一番ウマかった。
そういえば、秘書時代の同僚で、居酒屋で肉じゃが注文して、その汁をゴハンにぶっかけて食べているやつがいたっけ。
牛肉と砂糖と、醤油って、どうしてこんなにゴハンにあうんだろう。
こういう、〆の食い物って、例外なくウマい。鍋料理の雑炊とか、うどん。鉄板焼きの後のヤキソバや、焼き飯。
あと、盛り蕎麦のそば湯も大好き。そば湯を提供せずに、盛り蕎麦を出す店がときどきあるけど、あーいうのは、法律でなんとかできないものだろかと思う。
僕なんか、湯豆腐を食べ終わったあと、残ったポン酢を湯豆腐のお湯で割って、ちびちび飲んだりする。ビンボー臭いけど、昆布の出汁が利いててウマいんだから。
こういう、おまけの一品は、ウマいとか、マズいよりも、嬉しい。
一つの食事を、食べ残すことなく、やり遂げた達成感が、嬉しいのだ。
だから、蕎麦が残っているのに、蕎麦湯を飲んでも、全然おいしくないし、鍋にたっぷり具が残っているうちに、雑炊を作っても、なんかこう、釈然としないものが残る。なにもそこまで、というか、ゴール直前に、ゴールが撤去されてしまったような欠落感がそこにはある。
たぶん、雑炊や蕎麦湯は、単なる食物ではなく、その食事の総括であり、反省会なのだと思う。
先日は、花やしき近くの牛鍋屋『米久』(誰かの名前の短縮形みたいだけど)へ。
ひさご通りに面した店の前面には、ずらりと提灯が飾られていて、中に入ると、下足番の方がいらっしゃる。木造の、古めかしい建物で、いかにも明治操業の老舗って感じ。
お客の数だけ大太鼓を鳴らされて、畳敷きの席につく。テーブルというか、卓袱台の上には、ゴムホース付きのガスコンロが置かれ、ガンガンに電気(ガス?)ストーブがたかれている。
メニューは、B5程度のペラ紙だけ。牛鍋が二種類(上と特上)に、ご飯や飲み物が書いてあるだけのシンプルな構成。ソフトドリンクには、バイヤリースがあったりして、とにかく、昭和の時代から、一切なんにも変えてないかんね。という風情。
結構なお値段なのに、一切カードが使えないのも徹底している。なるほど、こだわりの店なのね、と思うと、はとバスツアーに組み込まれていたりして、そこのところがよくわからない。
ここの店主、きっとB型だと思う。
特上、一人前、3,790円を頼むと、大きくて薄い牛肉が二枚と、ネギだの、白滝だのといった、すき焼きの具の盛り合わせ。ご飯と、味噌汁は別料金で、それぞれ320円もする。
肉は、近江牛で、物凄い霜降り。濃い目の割り下が絡んで、一口、ほお張ると、脳みそが溶けてしまうんじゃないかと思うくらい、濃厚な脂の味が口中を駆け巡る。
アデ、アデ、ご飯、ご飯。
慌てて飯をかっこむと、連れの人が、やめときなさいとたしなめる。なんでも、最後にお楽しみがあるらしく、ご飯はセーブしておくのがコツなんだとか。
味は濃厚なんだけど、意外に後味はサッパリしていて、これはイケちゃうねってんで、さらにもう一人前追加注文したんだけど、2枚目の肉を食べきったあたりから、なんだか急に重たくなってなって、3枚目ですっかり『飽きの気配』。
♪こーんな、こーとは、いままーで、なーかった
結局、4枚目は、連れの方にお願いして、僕は、野菜担当に。
さて、野菜もあらかた食いつくし、お腹もくちてきた。すき焼きの〆は、やっぱうどんなんだろうか、と思うと、この店うどんは置いてないという。じゃあ、どうするんだ、というと、連れの人、取り皿に残っていた生卵を鍋に入れた。僕もあわてて右へ倣え。
小さくて浅い鉄製の鍋に、あっといううまにタマゴの膜がはる。そこをすかさず、レンゲですくって、ご飯の上へ。
これがウマい。
えらく手の込んだタマゴかけゴハン、というべきか、すごく手間をはしょった卵丼といういべきか。ゴハンの一粒一粒が、汁で、脂でコーティングされて、渾然一体となっている。かっ込めば主食に、箸ですくえば、ビールのつまみに。しかし、哀しいかな、ゴハンがあんまり残ってない!お代わりしても食べキレそうにないし。うーん。ご利用は計画的すべきだったのだ。
なんだかんだ言いながら、今日の食事でこれが一番ウマかった。
そういえば、秘書時代の同僚で、居酒屋で肉じゃが注文して、その汁をゴハンにぶっかけて食べているやつがいたっけ。
牛肉と砂糖と、醤油って、どうしてこんなにゴハンにあうんだろう。
こういう、〆の食い物って、例外なくウマい。鍋料理の雑炊とか、うどん。鉄板焼きの後のヤキソバや、焼き飯。
あと、盛り蕎麦のそば湯も大好き。そば湯を提供せずに、盛り蕎麦を出す店がときどきあるけど、あーいうのは、法律でなんとかできないものだろかと思う。
僕なんか、湯豆腐を食べ終わったあと、残ったポン酢を湯豆腐のお湯で割って、ちびちび飲んだりする。ビンボー臭いけど、昆布の出汁が利いててウマいんだから。
こういう、おまけの一品は、ウマいとか、マズいよりも、嬉しい。
一つの食事を、食べ残すことなく、やり遂げた達成感が、嬉しいのだ。
だから、蕎麦が残っているのに、蕎麦湯を飲んでも、全然おいしくないし、鍋にたっぷり具が残っているうちに、雑炊を作っても、なんかこう、釈然としないものが残る。なにもそこまで、というか、ゴール直前に、ゴールが撤去されてしまったような欠落感がそこにはある。
たぶん、雑炊や蕎麦湯は、単なる食物ではなく、その食事の総括であり、反省会なのだと思う。