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A Running Stone Gather no moss

タイトル変えました。iSaonのブログです。

おいしい反省会

2008-02-04 19:12:40 | 食べ物だもの
取引先の担当さんで、浅草生まれ(現在も在住)の人がいて、ときどき『下町グルメツアー』称して、浅草のおいしいお店に連れて行ってくれる。

先日は、花やしき近くの牛鍋屋『米久』(誰かの名前の短縮形みたいだけど)へ。

ひさご通りに面した店の前面には、ずらりと提灯が飾られていて、中に入ると、下足番の方がいらっしゃる。木造の、古めかしい建物で、いかにも明治操業の老舗って感じ。

お客の数だけ大太鼓を鳴らされて、畳敷きの席につく。テーブルというか、卓袱台の上には、ゴムホース付きのガスコンロが置かれ、ガンガンに電気(ガス?)ストーブがたかれている。

メニューは、B5程度のペラ紙だけ。牛鍋が二種類(上と特上)に、ご飯や飲み物が書いてあるだけのシンプルな構成。ソフトドリンクには、バイヤリースがあったりして、とにかく、昭和の時代から、一切なんにも変えてないかんね。という風情。

結構なお値段なのに、一切カードが使えないのも徹底している。なるほど、こだわりの店なのね、と思うと、はとバスツアーに組み込まれていたりして、そこのところがよくわからない。

ここの店主、きっとB型だと思う。

特上、一人前、3,790円を頼むと、大きくて薄い牛肉が二枚と、ネギだの、白滝だのといった、すき焼きの具の盛り合わせ。ご飯と、味噌汁は別料金で、それぞれ320円もする。

肉は、近江牛で、物凄い霜降り。濃い目の割り下が絡んで、一口、ほお張ると、脳みそが溶けてしまうんじゃないかと思うくらい、濃厚な脂の味が口中を駆け巡る。

アデ、アデ、ご飯、ご飯。

慌てて飯をかっこむと、連れの人が、やめときなさいとたしなめる。なんでも、最後にお楽しみがあるらしく、ご飯はセーブしておくのがコツなんだとか。

味は濃厚なんだけど、意外に後味はサッパリしていて、これはイケちゃうねってんで、さらにもう一人前追加注文したんだけど、2枚目の肉を食べきったあたりから、なんだか急に重たくなってなって、3枚目ですっかり『飽きの気配』。

♪こーんな、こーとは、いままーで、なーかった

結局、4枚目は、連れの方にお願いして、僕は、野菜担当に。

さて、野菜もあらかた食いつくし、お腹もくちてきた。すき焼きの〆は、やっぱうどんなんだろうか、と思うと、この店うどんは置いてないという。じゃあ、どうするんだ、というと、連れの人、取り皿に残っていた生卵を鍋に入れた。僕もあわてて右へ倣え。

小さくて浅い鉄製の鍋に、あっといううまにタマゴの膜がはる。そこをすかさず、レンゲですくって、ご飯の上へ。

これがウマい。

えらく手の込んだタマゴかけゴハン、というべきか、すごく手間をはしょった卵丼といういべきか。ゴハンの一粒一粒が、汁で、脂でコーティングされて、渾然一体となっている。かっ込めば主食に、箸ですくえば、ビールのつまみに。しかし、哀しいかな、ゴハンがあんまり残ってない!お代わりしても食べキレそうにないし。うーん。ご利用は計画的すべきだったのだ。

なんだかんだ言いながら、今日の食事でこれが一番ウマかった。

そういえば、秘書時代の同僚で、居酒屋で肉じゃが注文して、その汁をゴハンにぶっかけて食べているやつがいたっけ。

牛肉と砂糖と、醤油って、どうしてこんなにゴハンにあうんだろう。

こういう、〆の食い物って、例外なくウマい。鍋料理の雑炊とか、うどん。鉄板焼きの後のヤキソバや、焼き飯。

あと、盛り蕎麦のそば湯も大好き。そば湯を提供せずに、盛り蕎麦を出す店がときどきあるけど、あーいうのは、法律でなんとかできないものだろかと思う。

僕なんか、湯豆腐を食べ終わったあと、残ったポン酢を湯豆腐のお湯で割って、ちびちび飲んだりする。ビンボー臭いけど、昆布の出汁が利いててウマいんだから。

こういう、おまけの一品は、ウマいとか、マズいよりも、嬉しい。

一つの食事を、食べ残すことなく、やり遂げた達成感が、嬉しいのだ。

だから、蕎麦が残っているのに、蕎麦湯を飲んでも、全然おいしくないし、鍋にたっぷり具が残っているうちに、雑炊を作っても、なんかこう、釈然としないものが残る。なにもそこまで、というか、ゴール直前に、ゴールが撤去されてしまったような欠落感がそこにはある。

たぶん、雑炊や蕎麦湯は、単なる食物ではなく、その食事の総括であり、反省会なのだと思う。










タイ料理とベトナム料理

2008-01-25 09:04:20 | 食べ物だもの
やっと、最後のミーティングがさきほど終わって、米国での仕事にケリがついた。

日曜日に着いて、月曜日から4日間で実に12以上のミーティング。さすがに疲れた。まあ、これでまたしばらくは来ることはないだろうから、しっかりやらないとね。

いつも、サンフランシスコに来るときは、会社の近くのホテルに泊まる。オフィス街のど真ん中で、会社からだいたい数分のところが多い。

しかし、今回は趣向を変えて、フィッシャーマンズワーフの近くに宿をとった。結果的にはこれが正解。会社までは歩いて30分くらいかかるけど、日本にいるときは、確実にそれ以上は毎日歩いているから問題ない。

逆に出張中は極度の運動不足のくせに、食べつけないものを食べたり、飲んだりするもんだから、いつも体調をくずす。

今回は、適度に運動しているので、朝、昼、晩とメシがうまい。例外は、おととい食べた、フィッシャーマンズワーフのムール貝の蒸し物。これがまずかった。生臭い。お腹を壊すかと思ったよ。

翌日、こっちの人にそのことを話すと、

『サンフランシスコでうまい魚介類を食べたかったら、できるだけ海から離れなさい』

だって、なるほどね。覚えておこう。

昨夜は、寿司とタイ料理の店に行った。別の店じゃないよ、同じ店で、トムヤムクンと寿司が同時に楽しめる。タイ人が経営しているらしい。

で、寿司がなかなかのもんだった。もちろん、外国だということと、値段を考えてのことだけど、特にホタテの握りは、ちょっとビックリしたくらい。

逆に、トムヤムクンがいただけなかった。『トムヤムヌードル』というのを頼んだんだけど、ほとんどスパゲティだった。タイ人の店なのにね。

でも、そういえば、アメリカでは、麺類に期待をしてはいけないんだった。過去に何度も痛い思いをしているのに、『NOODLE』の文字を見ると、どうしても頼みたくなってしまう。この学習能力のなさ。

同様に、アメリカのタイ料理にも期待をしてはいけない。これも、これまで一度として、まともなものに出会った記憶がない(ハワイは別)。なんでなんだろう。日本で食べるタイ料理はおいしいし、もちろん、タイで食べる本場のものもうまいのにね。

アメリカ人の料理には、何かが欠落していると思う。うまく言えないけれど、食材に対するリスペクトが決定的に足りないような気がする。

一期一会というとか、食材との出会いを慈しむという態度がない。よく言えば、おおらか、悪く言えばガサツ。

ただ、タイ料理はまずいんだけど、ベトナム料理はうまい。少なくとも日本で食べるのよりは、数倍うまいと思う。行ったことないから、本場とは比べられないんだけどね。



年末のスーパー

2007-12-26 14:56:30 | 食べ物だもの
FWODという言葉をご存知だろうか、『普段、忘れているけど、いったん思い出すと、どうしても食べたくなる』食べ物の略称である。

詳しいことが知りたい人は、Googleで検索してみて欲しい、このブログがヒットするはずだ。なぜなら、この略称は、たった今、僕が考え付いたものだからだ。

どうでもいい前置きはさておき、先日、急に、『ウズラのタマゴのフライ』が食べたくなった。まさに、FWOD、もう、どうしたって食べたい。つい、さっきまで、その存在自体を忘れていたくせに、最後に食べたのがいつだったのか、まったく思い出せないくせに、思い出してしまったら最後、いてもたってもいられない。

FWODは、比較的安価な食べ物であることが多い。ヤキソバとか、ラーメンとか、高くてもせいぜい数百円でおつりがくる食べ物がほとんどだ。

ロブションの『野がものロースト、オレンジソースがけ』や、『すきやばし次郎』のミナミマグロの中トロ握りが、食べたくなってどうしようもない、ということはあまりない。あるはずがない、それもそのはず、食べたことがない。

どうも、今日は、無駄な記述が多くて困る。

まあ、それで、財布握りしめて、近所のスーパーに駆け込んだと思いねぇ。

うちの近所の、ジャスコには、いつも二種類のウズラタマゴのフライがある。いずれも串揚げで、ウィンナーがはさんであるやつと、純粋に、ウズラのタマゴしかないやつ。もちろん、今日は、純血、兄弟水入らず版を買おうと思う。

ない。ない、ない、なーーーーーーーーーーーーーーーいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。

それもそのはず、今日は、12月24日、クリスマスイブ。普段、メンチカツだ、アジフライだ、ハムカツだとB級揚げ物惣菜のコーナーは、すべてチキンに占領されている。

テリヤキ、フライドチキン、ローストチキン。長さ10メートルはゆうにあろうかと思われる揚げ物売り場は、ぜーんぶ、チキン、行けども、行けども、チキン。

『どんだけー』(最近、用法をマスターした)。

そうだ、イブの日のスーパーってこうなんだ。この日ばかりは、すべてのスーパーマーケットが総合食料品店の役割をかなぐり捨てて、単なる、鶏肉惣菜屋に堕落する日なのだ。

本当にこれだけのチキンが売れるのかね。ニワトリにしてみりゃ、虐殺だね。南京だね、ルワンダだね、ダルフールだね。

そう、実はここからが今日の本題である。

なんで、年末のスーパーの談合カルテルは、摘発されないのか。

クリスマスには鶏肉の値段が、年末には、生鮮食品全般の値段が高騰する。

たとえば普段、水耕栽培の三つ葉なんて、ひと束、100円前後で売られているのに、これが年末になると、300円から400円に跳ね上がる。

これが、露地物野菜なら、まだ納得的できるけど、三つ葉なんて、工場で作ってものだし、天候なんて全然関係ないだろうに。

さらにひどいのが、蒲鉾。普段、スーパーで売ってるカマボコなんて、100円から、せいぜい200円くらいなのに、これが700円くらいに跳ね上がる。確かに、使っている素材が違うのかもしれないけど、普段のカマボコも置いておけよ。

この数日間だけ、そういう100円カマボコなんて、この世に存在しないような顔をして売っている。これを不正といわずして、なんと言う。

たとえば、すべてのガソリンスタンドから、レギュラーガソリンが消えて、ハイオクだけになったらどうする?年末だけ、吉野家とすき家と、松屋が閉店して、叙々苑でしか牛丼が食べられなくなったらどうする?

暴動がおきるぞ。

刺身も肉も大型パックだけになっちゃって、牛肉なんて、すき焼き肉と、しゃぶしゃぶ肉しかない。ブタ小間はどうした!きはだマグロの切り身赤身、1パック350円はどこに隠した!

蕎麦に関しては、もう、何も言いたくない。

年末年始は、核家族の需要はすべて無視されるのか。俺達が夢見た自由って、こんな薄っぺらなもんだったのか。

大っ嫌いだ、大人なんて。

カツ丼は出前に限る理由

2007-12-17 14:45:45 | 食べ物だもの
以前から、機会があれば、はっきりさせようと思っていたことだけど、やっぱ、カツ丼は、出前がうまいと思う。

丼物は、かっ込むことで、そのうまさが際立つのは、みなさん、ご承知のとおり。スプーンとフォークでいただくカツ丼なんて、想像しただけで、消化が悪くなる気がする。

しかし、お店で食べるカツ丼は熱い。熱いご飯に熱いカツをしかも熱い汁でにたたたた(噛んだ)煮たたさせて乗せ、ご丁寧に蓋までするんだから、熱くないはずがない。カツ丼のカツは薄いけど、カツ丼は熱いのだ。

そんなものを、片手で持ち上げ、箸で口中にかきいれたら、大ヤケドだ。だからどうしても、箸で取り上げ、フーフーしてから食べたりする。

フーフーしちゃだめなの!丼物は、フーフーしてはいけない食べ物なのっ!

そこへいくと、出前のカツ丼は、いい具合に冷めている。表面のカツこそ、冷たくなっているものの、ご飯の中心部は、いまだほんのりと温かい。作った当初は、『つゆだく』だったんだろうけど、潤沢な汁はすべてご飯に吸われ、いまは見る影もない。ただ、茶色く変色したタマネギの一片が、当時の記憶をとどめている。

この、ツユを吸い込んだご飯がうまい。カツの表面の8割を覆う、タマゴの白身がうまい。『サクッ』でも、『カリッ』でもなく、『もそっ』としたコロモがうまい。
肉はこの際、どうでもいい、そこにいてくれさえすれば、それでいい。

僕の家庭における立場に似ている。

しかし、出前のカツ丼には、忘れてはならない大事なものが、もう一つある。お新香だ。お新香は、ごくごく小さな小皿に入れられて、皿ごと、紙に巻かれていなくてはいけない。これが紙じゃなくて、ラップだったりすると、物凄く興ざめする。頼むんじゃなかったって思う。

お新香は、カブの浅漬けと、キュウリのぬか漬け、のコンビにとどめをさすが、大根のぬか漬けと、キュウリの浅漬けでも許せなくはない。しかし、大根のベッタラ漬け、丸々一本とか、プリンメロンの奈良漬、なんてのは、勘弁願いたい。

本場ドイツ仕込みのザワークラフト、山盛り一杯、などというのも、同様である。

いやいや、肝心なものを忘れていた。出前のカツ丼を決定的においしくするもの。それは『労働』である。それも、ただの労働ではなく、少しだけ、非日常的な労働。たとえば、引越しの手伝いでご馳走になるカツ丼や、残業メシで会社がとってくれる出前のカツ丼にこそ、カツ丼の本当のうまさがある。

ポイントは、自分で払わないこと。あくまでも労働の対価として支給されるカツ丼。決して自分で積極的に選んだわけではなく、無難な合意点として選ばれたカツ丼がうまい。上野の、どこそこ軒でも、銀座の、なになに屋でもない、『近所』のおそば屋さんのカツ丼じゃなければ、いや、いやーん(失敬、筆がすべった)。

さらに、残業メシのカツ丼には、もうひとつ、隠れたスパイスがある。食べる順番だ。

残業メシは、仕事に一区切りついたときに食べるもの、という不文律がある。文書入力中、変換した文字を確定せず、反転したままの状態で、残業メシにパクつく、なんてーのは、決してあってはならない行為である。

課長が一足先に食べ始め、

『おーい、コバヤシ君も、早く食べちゃいなさい』

とか言われ、

『はい、あとちょっとなんで、コレ、片付けてからいただきます』

などど、言い訳して、

『もう、マジメなんだからな、コバヤシくんは』

なんて、声を背中で聞きながら、とっくの昔に、キリがついている仕事をこねくり回しているときが快感だったりする。

かといって、みんなが食べ終わって、すっかり仕事に戻ってしまったあとで、一人寂しくかっ込むのも、それはそれでむなしい。

課長から2人目、後ろに3人、あたりが、頃合というものだろう。

ちなみに、あの、取調室でいただくカツ丼は、労働の対価でもないし、順番もあまり関係ないので、たとえ、刑事さんにご馳走になっているとしても、そんなにうまくないんじゃないだろうか。

KY な食べ物達

2007-12-07 12:47:11 | 食べ物だもの
昨夜は、外人さんの社内接待で、赤坂で焼肉。その後、後輩と溜池のアイリッシュバーで痛飲して、気がつけば、宇都宮線の最終に。一昨日は、会社の忘年会だったので、二日続けて、大酒くらいました。

しかも、運よく座れたので、寝入ってしまい、気がつけば一駅乗り過ごしてしまい、大宮駅からトボトボと歩いて帰りました。

自宅近くで、小腹がすいたので、コンビニへ。かじかんだ手をこすりながら、何を食べようかと店内を見渡すと、レジの隣に中華まんのショーケース。

これだ!これしかない!

ホットの十六茶と肉マンとあんマンを購入。店を出て、歩きながら食べました。

やっぱ、中華まんは、真冬の外食いが、ウマい。コンビニの袋の内側は、尋常ならざる中華まんの湯気で、びっしょり濡れていて、あっというまに、冷えてつめたくなってる。

まずは、肉マンから。しかし、肉マンとあんマンがあった場合、あんマンから食べる人っているのかね、などと思いつつ、ガブリ。

くーっ、うまい!

量の割には団結力のない具がほろりとこぼれそうになる。とりわけ、根性無しのタケノコを、下唇でおさえて、二口目に。

それにしても、中華まんは、ガワだね。ほのかに甘く、麹の香りがする。中華街や、北京で食べる本格的な肉マンもうまいけど、真冬の寒空の下、すきっ腹を抱えて、かぶりつく、コンビニの肉マンに勝るものはない。

大抵の嫌なことは、つかの間だけど、忘れられそうな気がする。

あんマンに行こう。もう、ガワの外側はすっかり冷たくなっているが、中の餡は、凶暴なまでに熱い。上あごにくっついて、ちょっと焦る。

この無反省な甘さに、グッとくるようなコク味は、餡子にラードが練りこまれているからだ。しかしいったい、どこのどいつが餡子にラードを練り込むなんて、バチあたりなことを考えたのだろうね。

今夜は焼肉に、冷麺に、肉まん、あんマンか。もう、デブまっしぐら、メタボ、上等。

肉マンとあんマンのウマさは、誰もが知っている。でも、みな、すぐ忘れてしまう。きっと、肉まんが、食事でも、お菓子でもない中途半端な存在だからだろう。

しかし、なにかのきっかけで、その存在を思い出すと、矢も盾もたまらなくなって、コンビニへ自転車を走らせる。

そうだ、肉マンがあったじゃないか、あんなウマいもの、なんで忘れてたんだろう。オレのバカ、バカ。

コンビニにつき、はやる気持ちを抑えて『肉マン2個』と、注文すると。

『すいませーん、今、入れたばっかりで、あと30分ほどかかるんですが』

がーん!そうだ、そうだったんだ。蕎麦屋の出前が常に『今、出たところ』であるのと同様に、肉マンは、いつだって『今、入れたばっかり』なんだ。

『ピザマンとカレーマンならあるんですけど』

ここで、瞬時に目標をピザマンとカレーマンに切り替えられる人は少ない。なんで、この世に、ピザマンとカレーマンなんてものがあるんだろう、ここの店員は、いったいどういう料簡で、いかにも売れそうにない商品のために、貴重な蒸し器のスペースを浪費しているのか。

ピザマンとカレーマンを愛する、すべての人を私は憎む。ピザマンとカレーマンは、中華まん界における『KY』だと思う。