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A Running Stone Gather no moss

タイトル変えました。iSaonのブログです。

ありえない立ち食い蕎麦屋 -- 愛宕 港屋

2008-03-27 14:44:09 | 食べ物だもの
新橋、愛宕山のふもとにある『そば処 港屋』は、ありえない立ち食い蕎麦屋である。

今日は、陽気に誘われて、昼休みに愛宕山へ登り、その帰りに、立ち寄ってみた。

この店、開店当初から知っているけど、最近は、どこで取り上げられたのか、人気店になって、昼休みには長蛇の列ができるので、敬遠していた。しかし、今日に限ってなぜか行列なし。んじゃば、せっかくだから、と行ってきた。

この店も、他の行列のできる店のほとんどがそうであるように、妙にインパクトの強い料理を『うまいことはうまいが、並んでまでは食べたくない』程度の味で提供してくれる。

何がありえないかというと、まず、値段。立ち食い蕎麦屋の商品は、単品で500円を超えることはまずない。しかし、ここは最も安い『もりそば』が600円、これにトッピングを足していくと、最高、1000円を超えるものまで出てくる。

しかも、立ちそばの代名詞である、掻揚げそばがない。タヌキもキツネもない。いわんや、カツ丼や親子丼といった、にぎやかしは、一切ない。

また、そばは、太く、黒く、硬い。世の中には、たしかに、太くて、黒くて、堅いのが喜ばれるモノもあるだろうが、こと、蕎麦にいたってはどうだろう。僕は、細くて、白くて、それほど堅くない、更級系の蕎麦が好きだ。

いや、蕎麦の話だ、くれぐれも誤解のないように。

この蕎麦に、今日は、胡麻と海苔をトッピングしたんだけど、量がハンパじゃない。海苔は、焚き火でもすんのか?、というくらいてんこ盛りに盛られ、そばをとるたび、わらわらと崩れる。

胡麻は、全ての蕎麦の表面をびっしり覆い尽くすくらいあって、最初の一口二口こそ、香ばしいものの、蕎麦自体の噛み疲れと相まって、途中から、つくづく鬱陶しくなる。

親戚のオバサンの家で、小さいときの好物を、えんえんと出され続けるやるせなさに似ている。

蕎麦は陶器の皿に盛られ、そば猪口は、広口の深皿。そばつゆは甘口で、ネギが小口切りではなく、斜めスライスの大型のものが、どさっと盛られる。

しかし、一番ありえないのは、料理そのものではない。この店、店内は結構狭いくせに、店の中央には巨大なテーブルが置かれていて、これが厨房以外のスペースの約8割を占める。

しかも、このテーブルの中央には、水が引いてあって、そのまた中央には花瓶が置かれている。つまり、店の8割りを占めるテーブルの5割以上は、完全なデッドスペースになっていて、客は、このテーブルの周りを譲り合いながらすれ違う。

蕎麦を啜ろうと、前かがみなると、自然とお尻が突き出てしまうので、通路を横切る人にぶつかってしまう。

立ち食い蕎麦屋というのは、多かれ少なかれ、客に不便を強いるものだけど、それは、一重に蕎麦の値段を下げるための経営努力であり、狭いスペースを有効に使おうという知恵の発露である。

しかし、この店で客が不便をかこっているのは、およそ、蕎麦とは関係のない巨大なオブジェのようなテーブルのせいだし、前述のように、メニューには、情け容赦のない値づけがなされている。

なんとまー、理不尽な店なのだろう。

どの客のお盆も、まんべんなく濡れている。こういうところだけ、立ち蕎麦らしいのが、腹立たしい。







銀座『はと屋』に行ってきた

2008-03-25 15:00:31 | 食べ物だもの
昼休みに、ふと、ハンバーグが食べたくなった。そういえば、外でハンバーグって、最近食べてない。ならば、ということで、銀座の『はと屋』へ向かった。

ここは先日、十数年ぶりに鼻息荒く乗り込むも、直前で、向かいのラーメン屋に入ってしまった、いわくつきの店である。

しかし、今日は、わき目も振らず、店前のショーウィンドウに。

ここは、洋食の定番メニューを自在に組み合わせて注文することができる。ハンバーグにオムライスとか、ミックスフライに、ナポリタンとか。

なに?ナポリタン。これだ、ツートップの一角に、ナポリタンは外せないぞ。となると、相方は・・・、おー、メンチカツ!洋食屋のメンチカツは、デミグラすソースがたっぷりかかっていて、うまいんだよなー。

よし、これで決まり、と店内へ。

「えーと、ナポリタンと、メンチカツ」

と注文すると、店の人は、

「はい、『メンチナポリぃ』」

と実につまらなそうに伝達する。なんか、自分の注文を訂正されたようで気分が悪い。

「ったく、素人は」

なんていう舌打ちが聞こえてきそうな気がする。

たしかに『ナポリタンとメンチカツ』という呼び方は、長いし、野暮ったいかもしれないけど、しょうがないじゃん、知らなかったんだもん。だったら、そういう決まりごとは、ちゃんとメニューとか、店内に貼紙しておいてしかるべきでしょうが。っていうか、お冷がカルキ臭いんだけど。

などと思いながら、厨房内を見ていると、これが面白い。狭い厨房に、コックさんが3人。しかも、この人たちが注文もとり、料理もして、お勘定までこなす。

両手を挙げなければ、すれ違えないようなスペースを、フライパンをもった大の大人が行きかうんだから、見ていて飽きない。

しかも、自分が注文した料理がいままさに、目の前で作られている。

あ、ちょっと、そのナポリタン、火ぃつけっ放しで、お勘定とかやって、焦げ付かないかな、と気が気でない。
まだ、お金は払っていないけど、注文した時点で、そのナポリタンは、僕のもので、いわば『うちの子』であるわけだから、もっと大事に扱ってもらえないものかと思う。さっきの注文訂正の一件とあわせて、かすかな殺意が芽生える。

そうこうしているうちに、大皿に載って『うちの子』達が到着。

たっぷりのナポリタンと、メンチカツが二枚。お子様ランチよろしく、白飯がカップで型抜きされて盛られていて、その横に、キャベツの千切りが添えられている。たちまち、殺意、霧消す。

メンチカツのソースが少ない。メンチの上側に、ほんの申し訳程度しか載っていない。ケチ、再び、殺意。

しかし、食べ進めて行くうちに、挙げたてのメンチは、油がきつくて、コッテリしたデミグラスソースは、重くなる。そんなときに、卓上のウスターソースをかけると、また気分も新たに食べ進めることができる、というわけで、これはこれで正しいのだと判明。殺意、再び霧消。

太い。いや、何がって、このスパゲッティ。最近のうどんだってもうちょっと、細いぞ、っていうくらい、どすこい、と太い。

しかも、炒めた麺には、具らしきものが一切見当たらない。昨今、屋台のヤキソバだってもうちょっと、気を遣うのに。

しかし、このどすこい、具無しのナポリタンがウマい。うん、洋食屋のナポリタンってこういう味だった。通常、我々がイメージするナポリタンは、全面的にトマトケチャップの味付だけど、それは、いわゆる『喫茶店ナポリ』で、たとえば、高崎のミヤマレストランなんかのナポリは、こういうデミグラスソースがガツンときいた味だった。

懐かしいなー、いいよ、いいよ、具なんていらないよ、思い出が入ってんだもん。

前回、この店の味噌汁がカルキ臭いって書いたけど、ごめんなさい、間違いでした。今は、カルキ臭くありません。ただ、おいしくないだけです。ハイ。

味噌汁だ、という双方の了解事項がないと、なかなか商品として成立しにくいたぐいの味であります。

ふー、食った、食った。大きめの紙ナプキンで口元を拭いて、ジャケットを羽織って、財布から千円札を取り出したその瞬間に、さっきまで、レバニラ炒めを作っていたコックさんの手がすーっと伸びる。

「950円です」

この無駄のない動き!ぜひ、タカハラあたりに見習って欲しいものだ。

暖簾をくぐり、外への階段を登っている途中にふと、気がついた、オレって、ハンバーグを食べにきたんじゃなかったっけ?

銀座ナイン。大人のオトコを惑わす街だ。

週末は、麻婆豆腐なのだ

2008-03-24 15:04:22 | 食べ物だもの
僕は、麻婆豆腐に関しては、ニュートラルな人間だった。まずいとも思わないが、それほどうまいとも思わない。

以前、知り合いの中国大使館員の人が、こんなことを言っていた。

「麻婆豆腐って、おいしいと思いますか?」
「ええ、思いますよ。だって中国料理の代表でしょ?」
「そんなことないですよ。私は食べません」
「へー、そうなんですか」

今から思えば、この人は生まれも育ちも北京で、四川料理である麻婆豆腐にあまり、なじみがなかっただけかもしれない。今では、北京でも普通に、麻婆豆腐は食べられるし、四川料理の店は、結構な人気だ。

しかし、この記憶のせいか、その後、僕はあまり、積極的に外で麻婆豆腐を食べようとは思わなくなっていた。

家では、たまに作っていた。『CookDO』でね。丸美屋じゃねーぞ、ちゃんと、挽肉、炒めるんだど、ということで、一応自分としては、スジ(どんな)を通していたつもりだったんだけど、まー、麻婆豆腐っていうのは、こういうもんだよね、と大きな期待をせずに過ごしてきた数十年間だった。

ある日、何のテレビ番組で麻婆豆腐特集をやっていいて、見るとはなしに見ていたら、これが実にウマそう。そこで、次の日、赤坂見附にある『陳健一麻婆豆腐』に行ってきた。

ウマかった。辛いも辛いが、コクがあって、何より香りがいい。山椒系独特の舌が痺れるような辛さも、慣れるとクセになる。

で、今度は、ネットでレシピを調べて、自分で作ってみた。

これが良かった。まったく味見もしないで作ったんだけど、ウマい。辛さは、それほどでもないけど、テメンジャンの甘みとコクがなんとも言えず、ご飯が進み、ビールが進む。芋焼酎のロックにも、申し分ない。

詳しい作り方は、上のリンクを見てもらうとして、僕が工夫したのは、ラー油。先日
、赤坂の韓国人街で買った、韓国唐辛子に熱したごま油を加えて、お手製のラー油を作ってみた。

韓国唐辛子なので、辛さはそれほどでもないけど、胡麻油と唐辛子の香りがたまらなくイイ。そういえば、昔のラーメン屋のラー油って、こんな風に、底に黒々とした唐辛子がたまっていたよな。

また、挽肉は、市販のものでなく、三枚肉を細かく切って使ってみた。挽肉は、挽いた後で時間が経つと、肉汁は流れ出てしまうし、表面が乾燥するしで、味、風味ともに落ちるから、ちょっと手間でも、自分で作ったほうがウマい。

レシピの通り、じっくり炒めると、秋の枯葉のように、カリカリになって、しかし、煮込んでいるうちに、少しだけ柔らかくなった脂身は、これ全身、旨味の塊になっていて、噛み締めると、脂とも汁ともつかぬ液体が、じゅわーっと口中にあふれ出る。

うーん、素晴らしい。いったい、この数十年、オレは何をしていたんだろうか。『CookDo』のバカ、バカ。ちょっとした手間さえ、惜しまなければ、自分で作ったほうが、安いし、格段にウマい。

以前から、材料さえあれば、家庭でも簡単に、麻婆豆腐が作れるのは知っていた。でも、やれ、豆鼓だ、花椒だ、テメンジャンだとそろえていたら、結構な金額になるんじゃないかと思っていた。

しかし、最近は、少量パックがあるんだね。上記の調味料、全部そろえても、千円でおつりが来る。回数を考えれば、圧倒的に『CookDo』より安い。

しかし、同じような調味料使っていて、なんで、こんなに味が違うのか。

残った麻婆豆腐は、翌日、チンして、ラーメンの上に乗せる。これがまた感動的にウマい。生麺の醤油ラーメンにあうけど、意外に、チキンラーメンとよく合う。

『ごまだれ』を入れて、坦々麺にしてもいいし、素揚げしたナスとからめて、麻婆茄子、春雨を入れて、麻婆春雨なんてーのも、ご飯が、ご飯がススム君だ。

当分、週末はマーボーだ。

おでんは関東 -- 新橋『お多幸』

2008-02-28 18:06:12 | 食べ物だもの
昨年末に退社したかつての同僚と新橋で一杯やってきました。

お多幸』という老舗のおでんやさん。

かれこれ20年も前、この近くで働いていたときには、毎週のように通った店で、その当時からすでに、江戸を感じさせる、レトロな趣の店だったけど、建物はその当時のまま。テーブルもメニューも灰皿も、さらには、ホールを仕切るおばあちゃんまで、いっさい変わっていないような気がする。

醤油の匂いが沁みたタイムマシーンのようだ。

唯一変わったのは、そのレトロ感がうけたのか、結構な人気店になっていたこと。先月、7時ごろに行ったら、店の前には結構な行列ができていて、入れなかった。

今回はそのリベンジということで、夕方6時に押しかけました。

角の丸くなった、年代ものテーブルについて、まずは、生ビールと、蕗(ふき)、豆腐、つみれを注文。

蕗は、キレイに筋がとってあり、軽く煮た程度。一足早い春の香りを満喫した。

素晴らしかったのは、つみれ。粗めに砕いた骨が口の中でほろほろと崩れ、鰯独特の旨味と渋みの中に、かすかに柚子の香りがして、うーん、ウマい。

20年前もこんなにウマかったっけ?

汁は、昨今主流のさらさら薄味関西風ではなく、どっしり真っ黒のどすこい、関東風。しかし、見た目ほどしょっぱくないのは、それが醤油の黒さではなく、長年にわたって継ぎ足されてきた出汁の色だから。

濃く、黒く、それでいながらさらりと甘い、お江戸のおでんはこうでなくちゃ、というお手本なんであります。
ビールから燗酒に代えて、今度は、大根、厚揚げ、竹輪、玉子、ちくわぶ、さつま揚げ、里芋を注文。

大根は、8センチはあろうかと厚さで、皿の上にそびえ立つ。二つに割ると、醤油色が染みているのは、表面から1センチくらいまでで、それより奥は、まばゆい白。しかし、味自体は、芯の芯まで、均一に沁みている。

さつま揚げは、さらっと軽めに煮てあるのに対して、竹輪とちくわぶは、徹底的に煮込まれていて、もう、ぐったりしている。

煮込まれた、いうようり、集団リンチにあって、ボコボコにされて、通りに捨てられた、といったお姿。

「誰がこんなひどいことを!」

って言ってみても、それは、お店の板さんに決まっているわけで、仇をとってやろうか、とも思ったけど、それほどの付き合いでもないので、美味しくいただきました。

しかし、あれだけ、無慈悲なまでに煮込まれていても、ちくわぶの芯の部分だけは、白く、少しだけ粉っぽく、麩としての矜持を失ってはいない。

おでん界にあっては、唯一の小麦粉出身という出自のハンデを背負いながらも、独自のプレゼンスを獲得している『ちくわぶ』に、僕はシンパシーを感じずにはいられない。

おでん以外では、まずお呼びのかからない、潰しの利かない身ではあるけれど、こうして本家本元の竹輪と同じ鍋で煮られて、さぞ本望なことだろう。

しかし、魚肉練り物を真似るのはいいとして、よりにもよって、なんで『竹輪』だったんだろう。さつま揚げとか、ゴボー巻きとか、もう少し見栄えのはるものはいくらでもあるだろうに。

実際、ちくわぶの形状は、竹輪というより、ナルトに近い。本人も、なんだかよくわからなくなっているに違いない。

そっとしておいてやってほしい。

玉子を半分やっつけたところで、口が重ったくなったので、冷やしトマトを注文。

我が家でおでんをするときは、この玉子をグチャグチャにして、汁で溶いてご飯にかけてかっ込むんだよ、やってごらんよ、うまいよ。

なんてことを話しつつ、3本目のお銚子を注文。

この店は、二階にも畳敷きの座敷があって、木枠の窓から、通りの柳の木が眺めていると、実にくつろいだ気持ちになれる。ただ、注文が面倒になるので、ついつい、おでんは、盛り合わせ、ということになり、少々寂しい。

今度は、ぜひ、5時ごろに一人で来て、本でも読みながら、一杯やりたいものだ。


大人のお子様ランチ

2008-02-14 19:41:57 | 食べ物だもの
以前からこのブログを読んでいる人は知っているだろうけど、僕は、麺類が好きだ。

昼飯に何を食べようか迷うと、必ず、麺類を選んでしまう。そして、僕はほぼ例外なく、毎日、昼飯に何を食べようか迷う。

結果的に、僕は毎日、昼飯に麺類を食べることになってしまう。

しかし、今日は違った。今日は銀座の『はと屋』に行くと決めたのだ。何気なく見ていたWebで『はと屋』の紹介記事が載っていたからだ。

この店は、首都高速の真下、『GINZA9』の地下にある店で、僕が初めて新橋で働いたころからあるから、少なくとも20年以上は営業しているはずだ。

最後に行ったのは、たしか5年以上も前だ。懐かしーな。

はと屋を一言で説明するのは難しい。店側は、自らを『レストラン はと屋』と呼んでいるが、レストランというには、多少の違和感が残る。

だって、ここにはカウンターしかないし、店内にはテレビが置いてあるし。メニューには『レバニラ炒め』だってある。

せいぜい『洋風、大衆食堂』といったところか。なぜ、この店が『レストラン』の呼称にそこまで拘るのかは、20年を経た今でも謎である。

ここの看板は、鉄皿で供される、各種炒め物と、洋食プレート。洋食プレートは、チキンカツとスパゲティ(もちろんナポリタン)とか、ハンバーグとハヤシライスのように、数種類の洋食メニューが組み合わさっていて、まさに『大人のお子様ランチ』。

オカズとも主食ともつかない、バラエティ豊かな陣容が嬉しい。赤や黄色の原色だらけの取り合わせが楽しい。

炒め物は、アツアツで大盛りで、野菜がシャキシャキで、濃い目の味付けがゴハンを誘う。代わりに、味噌汁が薄くて、カルキ臭い。それでもゴハンと一緒に供されると、ついつい最後まで飲んでしまう。

味噌汁を見ると、ついつい飲み干してしまう、という日本人の哀しい性を巧妙についた、見事な嫌がらせだと言えよう。

そんな嫌がらせをして、いったい店側にどれほどのメリットがあるのかは、20年を経た今でも謎である。

初めてこの店に、連れてこられたときには、感動したもんだ。そういえば、新橋に勤めていたときには、ほとんどの昼飯をこのGINZA9の地下で食べてたっけ。

僕の『新橋銀座口 純情編』だ。

さて、久しぶりに何を食べようかと、店先のショーケースを覗いていると、向かいに見慣れぬラーメン屋が、うーん、透き通った醤油ラーメンのスープがウマそうだ。なになに?チャーハンセットが750円?雑誌にも載りましただと?

どれどれ。

入ってしまった。まなじり決して、乗り込んだ割には、なんとも腰砕けの展開。また、えてして、こういう気まぐれで入った店では失敗することが多いのだが、今回もご多分にもれず、手痛い目にあったわい。

『はと屋』リポートは、次回に続くのだ。