最近、どのレストランに行っても『ミックスピザ』を見かけなくなった。
ピザというと、マルゲリータとか、生ハムのピザとか、妙にあっさりしたものばっかりで、日本のピザの王道であった『ミックスピザ』が見当たらない。
僕は、基本的に料理はシンプルなのを好む。蕎麦なら『ざる』より『もり』だし、パスタだって、ニンニクとタカのつめ、オリーブオイルだけのペペロンチーノが好みだ。
しかし、ピザだけは違う。カラフルで猥雑で、ワクワクであって欲しい。マルゲリータなんて、ピザとして認めたくない。
昔は、ピザといえば、ミックスピザで、よもや、自分の目の黒いうちに、チーズとトマトとだけの、あんな貧弱な食い物がピザの主流派になるとは思いもしなかった。
無念だ。
『生ハムのピザ』にいたっては、あれは、すでに生ハムじゃない。これを偽装といわずしてなんとする。『かつて生ハムだったピザ』か、『故生ハムのピザ』とかに言い換えるべきではないか。
ていうか、なんで生ハムをのせなくてはならないのか理解に苦しむ。ピザなら、サラミソーセージだろ。
表面が焼けて、白い点だった脂身が溶けきったサラミはウマイ。塩気とガーリックの香りが、肉のコク味と混じりあって、これほどまでにチーズにあう食材もない。
宅配ピザには『イタリアンソーセージ』とか称した、鼻くその親戚みたいなものが載っているが、あれはなんだ?カップヌードルの肉だろ、あれは。
また、ミックスピザで忘れてはいけないのが、スライスしたタマネギとピーマンの強力野菜タッグ。
ピザをほおばると、まず、前歯に焼けたタマネギの触感があたり、輪切りにしたピーマンの微かな苦味が追いかけてくる。やはり、ピザの最初の音は『シャキッ』であって欲しい。
ほどなく、溶けたチーズの濃厚な味に全てが覆いつくされるが、ときおりサラミの芯のとおった旨味が顔をのぞかせ、限りなくケチャップに近いトマトソースの甘みが、強引に全体を『ピザの味』にまとめてしまう。
すべての食材が口中で渾然一体となる。『ミックス』と呼ばれる所以だ。
そこへいくと、マルゲリータなんて、最初から最後まで、チーズとトマトとバジルの味しかしないし、食べ終わった後でも、あー、チーズとトマトとバジルを食べたな、としか思えない。
タバスコなんて入れたら、タバスコの味しかしなくなる。ひ弱なくせに、他人と溶け込もうとしない、現代の歪んだ若者像がそこにはある。
昔はイタリアンレストランなどというものがなかったから、ピザは喫茶店で食べた。
今から思えば、喫茶店のメニューには、誤訳が多かった。
パスタはナポリタンだし、本来、炊き上げるはずのピラフは、バターで炒めたチャーハンだった。
ミックスピザもその仲間であることは間違いないのだが、なにせ、喫茶店には『ピザトースト』という、誤訳の権化みたいなものがあったから、ミックスピザの『なんちゃって性』が目立たなかったのかもしれない。
しかし、僕の中では、ピザトーストは、ある意味、マルゲリータよりも遥かにピザらしいピザなのである。
ピザというと、マルゲリータとか、生ハムのピザとか、妙にあっさりしたものばっかりで、日本のピザの王道であった『ミックスピザ』が見当たらない。
僕は、基本的に料理はシンプルなのを好む。蕎麦なら『ざる』より『もり』だし、パスタだって、ニンニクとタカのつめ、オリーブオイルだけのペペロンチーノが好みだ。
しかし、ピザだけは違う。カラフルで猥雑で、ワクワクであって欲しい。マルゲリータなんて、ピザとして認めたくない。
昔は、ピザといえば、ミックスピザで、よもや、自分の目の黒いうちに、チーズとトマトとだけの、あんな貧弱な食い物がピザの主流派になるとは思いもしなかった。
無念だ。
『生ハムのピザ』にいたっては、あれは、すでに生ハムじゃない。これを偽装といわずしてなんとする。『かつて生ハムだったピザ』か、『故生ハムのピザ』とかに言い換えるべきではないか。
ていうか、なんで生ハムをのせなくてはならないのか理解に苦しむ。ピザなら、サラミソーセージだろ。
表面が焼けて、白い点だった脂身が溶けきったサラミはウマイ。塩気とガーリックの香りが、肉のコク味と混じりあって、これほどまでにチーズにあう食材もない。
宅配ピザには『イタリアンソーセージ』とか称した、鼻くその親戚みたいなものが載っているが、あれはなんだ?カップヌードルの肉だろ、あれは。
また、ミックスピザで忘れてはいけないのが、スライスしたタマネギとピーマンの強力野菜タッグ。
ピザをほおばると、まず、前歯に焼けたタマネギの触感があたり、輪切りにしたピーマンの微かな苦味が追いかけてくる。やはり、ピザの最初の音は『シャキッ』であって欲しい。
ほどなく、溶けたチーズの濃厚な味に全てが覆いつくされるが、ときおりサラミの芯のとおった旨味が顔をのぞかせ、限りなくケチャップに近いトマトソースの甘みが、強引に全体を『ピザの味』にまとめてしまう。
すべての食材が口中で渾然一体となる。『ミックス』と呼ばれる所以だ。
そこへいくと、マルゲリータなんて、最初から最後まで、チーズとトマトとバジルの味しかしないし、食べ終わった後でも、あー、チーズとトマトとバジルを食べたな、としか思えない。
タバスコなんて入れたら、タバスコの味しかしなくなる。ひ弱なくせに、他人と溶け込もうとしない、現代の歪んだ若者像がそこにはある。
昔はイタリアンレストランなどというものがなかったから、ピザは喫茶店で食べた。
今から思えば、喫茶店のメニューには、誤訳が多かった。
パスタはナポリタンだし、本来、炊き上げるはずのピラフは、バターで炒めたチャーハンだった。
ミックスピザもその仲間であることは間違いないのだが、なにせ、喫茶店には『ピザトースト』という、誤訳の権化みたいなものがあったから、ミックスピザの『なんちゃって性』が目立たなかったのかもしれない。
しかし、僕の中では、ピザトーストは、ある意味、マルゲリータよりも遥かにピザらしいピザなのである。