豪雨にもかかわらず、土曜日のケニーズライブにお越しいただいた皆さん、ありがとうございました。無事に帰れましたか?
今回どうしてもご都合がつかなかった皆さんから、『なんで、この日なんだ』とのお叱りのお声をいただきました。申し訳ありません。次回の群馬ライブは、できる限り、皆さんのご都合をお聞きしたうえで、日程を決めたいと思います。
ところで、久しぶりに、群馬に行って、中学校時代の仲間と再会したせいか、夕べ、変な夢を見ました。ストーリ自体は、どうってことのないものだったんだけど、その夢になんと『噴水型ジュース販売機』が出てきたのですよ。
憶えてます?販売機の上にガラス製のドームがのっていて、中でオレンジジュースが噴きだしているやつ。
よく、デパートの屋上とかに置いてあったけど、僕は、敷島公園のボート乗り場の近くにあったやつが妙に記憶に残ってる。
好きな女の子とボートを漕いで、帰りに噴水ジュースを飲むのが、小学校時代の夢だった。
一杯、20円くらいだったかな、とにかく冷たくて甘くて、いつも量が物足りなかった。オレンジジュースといっても、果汁なんて一滴たりとも入ってないから『ジュース』ではない。ていうか、粉末だもん。
味も、ミカンやオレンジの味というよりは、こういう味を『オレンジの味』ってことにしようね、という暗黙の了解の上に成り立っている味で、いわば記号化された味。
そういえば、メロンにしても、レモンにしても、あのころの果実系の味は、すべて記号化されていた。
で、気になって、Webで調べてみたら、噴水型の販売機は、ほとんどが星崎電機の『街のオアシス』という製品らしい。星崎電機は、現在の『ホシザキ電機』で、この製品の大ヒットにより、現在のトップ厨房器具メーカとしての礎を築いたそうな。
もちろん、今では、ほぼ完全に姿を消してます。噴水ジュース。
それにしても、あのオレンジジュースは美味かった。家で飲む粉末のジュースとは、何かが決定的に違っていた。
なにが違うって、あの噴水でしょう。僕らの子供時代、ジュースは高級品だった。一部のお金持ちの家を除いて、冷蔵庫にジュースを常備している家庭はなかった(そうだよね、ね?)。そういう家の子供はいじめられていた(ような気がする)。
子供の飲み物は、麦茶か水道水と決まっていた。ただ、麦茶が甘かった。それだけ甘いものに飢えていたんだろうね。
そんな時代にあって、あろうことかあるまいことか、街中にジュースが湧き出ていたんだから、『街のオアシス』とは、言いえて妙なネーミングである。
風鈴といい、この噴水ジュースといい、日本人という人種は、五感を大切にするね。
暑い盛りに、とくとくと湧き上がるオレンジジュースの泉、セミの声、ラジオの甲子園中継。30分200円の貸し出しボート。遠くで夕立の音。
過ぎ去り日々は、噴水ジュースよりも甘酸っぱい。
あの噴水は、オレンジジュースだから、いい。あれが、味噌汁やカレーだったらと思うとぞっとする。
きっと、100%ジュースよりも、粉末オレンジの方が涼しげだ。噴水ジュースって、いわば、粉末ジュースの究極の形なのかもしれない。
噴水ジュースは、昭和42年に10円から20円に値上げされる。その理由は、甘味料として使っていたチクロが使用禁止になったため。甘味料を変えるだけで、倍の値上げとは、どんだけ使っていたんだろう、チクロ。

今回どうしてもご都合がつかなかった皆さんから、『なんで、この日なんだ』とのお叱りのお声をいただきました。申し訳ありません。次回の群馬ライブは、できる限り、皆さんのご都合をお聞きしたうえで、日程を決めたいと思います。
ところで、久しぶりに、群馬に行って、中学校時代の仲間と再会したせいか、夕べ、変な夢を見ました。ストーリ自体は、どうってことのないものだったんだけど、その夢になんと『噴水型ジュース販売機』が出てきたのですよ。
憶えてます?販売機の上にガラス製のドームがのっていて、中でオレンジジュースが噴きだしているやつ。
よく、デパートの屋上とかに置いてあったけど、僕は、敷島公園のボート乗り場の近くにあったやつが妙に記憶に残ってる。
好きな女の子とボートを漕いで、帰りに噴水ジュースを飲むのが、小学校時代の夢だった。
一杯、20円くらいだったかな、とにかく冷たくて甘くて、いつも量が物足りなかった。オレンジジュースといっても、果汁なんて一滴たりとも入ってないから『ジュース』ではない。ていうか、粉末だもん。
味も、ミカンやオレンジの味というよりは、こういう味を『オレンジの味』ってことにしようね、という暗黙の了解の上に成り立っている味で、いわば記号化された味。
そういえば、メロンにしても、レモンにしても、あのころの果実系の味は、すべて記号化されていた。
で、気になって、Webで調べてみたら、噴水型の販売機は、ほとんどが星崎電機の『街のオアシス』という製品らしい。星崎電機は、現在の『ホシザキ電機』で、この製品の大ヒットにより、現在のトップ厨房器具メーカとしての礎を築いたそうな。
もちろん、今では、ほぼ完全に姿を消してます。噴水ジュース。
それにしても、あのオレンジジュースは美味かった。家で飲む粉末のジュースとは、何かが決定的に違っていた。
なにが違うって、あの噴水でしょう。僕らの子供時代、ジュースは高級品だった。一部のお金持ちの家を除いて、冷蔵庫にジュースを常備している家庭はなかった(そうだよね、ね?)。そういう家の子供はいじめられていた(ような気がする)。
子供の飲み物は、麦茶か水道水と決まっていた。ただ、麦茶が甘かった。それだけ甘いものに飢えていたんだろうね。
そんな時代にあって、あろうことかあるまいことか、街中にジュースが湧き出ていたんだから、『街のオアシス』とは、言いえて妙なネーミングである。
風鈴といい、この噴水ジュースといい、日本人という人種は、五感を大切にするね。
暑い盛りに、とくとくと湧き上がるオレンジジュースの泉、セミの声、ラジオの甲子園中継。30分200円の貸し出しボート。遠くで夕立の音。
過ぎ去り日々は、噴水ジュースよりも甘酸っぱい。
あの噴水は、オレンジジュースだから、いい。あれが、味噌汁やカレーだったらと思うとぞっとする。
きっと、100%ジュースよりも、粉末オレンジの方が涼しげだ。噴水ジュースって、いわば、粉末ジュースの究極の形なのかもしれない。
噴水ジュースは、昭和42年に10円から20円に値上げされる。その理由は、甘味料として使っていたチクロが使用禁止になったため。甘味料を変えるだけで、倍の値上げとは、どんだけ使っていたんだろう、チクロ。
