今週ずーっと、風邪に悩まされている。
月曜日に発熱し、会社を休み。火曜日、水曜日はなんとかもったものの、水曜日の夜に再度、熱発。それでも木曜日は、根性で乗り切り、本日金曜日、ようやく医者へ行って、薬をもらってきた。
ここ20年来、熱なんて出したことなかったんだけど、9月、ベトナムで風邪をもらって以来、3ヶ月もたたないうちにこのざまだ。
クヤシイィです copyright by ざぶんぐる
もちろん、食欲はない。昼は毎食、盛り蕎麦。朝はバナナ。それでも、夜はなんとか食べねばと思い、無理やり詰め込んでいるんだけど、そんなときに頼りになるのが、『大根おろし』だ。
大根は粗めにおろし、ツユだくな状態で、白いご飯の上に乗せ、醤油をひと回し。
これを、がーっをかっ込むと、どんなに食欲がない状態でも、一膳の白飯をたいらげることができる。まさに救世主。
米の一粒ひとつぶが大根の汁気を吸い、その鮮烈な辛さと冷たさが、ご飯の甘みを際立たせる。食事というより、口中の洗浄といった感じか。
できるだけ、小ぶりの茶碗で、米粒の最後の一粒まで、慈しむように、貪りたい。
いちいち噛まなくても、ジアスターゼのおかげで、ちゃんと消化される。
元気なら、カリカリに焼いた油揚げと花削りに、ミョーガをあしらって、ぬる燗の純米酒でクィーッとお出向かいしたいところなれど、いやいや、大根おろしだけでも十分に戦えるわい。
大根おろしは本来、焼き魚、それも脂の多い、青魚系のお供において、その実力をいかんなく発揮する。
塩鯖しかり、秋の秋刀魚のハラワタしかり。生臭さと過度な脂だけを消し去り、旨みを際立たせる。
とりわけ、切り身の塩鯖の、腹身側の皮と脂肪だけになっている部分。ここをできるだけ、こんがり焼いて、パリパリのカリカリになっているところに、ちょっとだけ大根おろしをつけて頬張る。ジュワっと口中一杯に魚の上品な脂味が広がり、ほどなく大根おろしが追いかけてきて、すべてを洗い流していく。
後味なんて微塵もなく、跡に残るのはシアワセな記憶だけ。ものすごく高級な娼婦に弄ばれるのってこんな感じかも(ちがうか! by ものいい)。
僕が初めて大根おろしを意識したのは(変か?)、中学校二年生のとき、理科の先生(斉藤先生だったと思う)が授業中、唐突に、大根おろしについて熱く語り始めたからだ。
当時は、グルメブームという紀元のはるか前、ある特定のカテゴリに属するもの以外で、食物について熱く語る人はいなかった。
昨今、これだけ議論かまびすしい、ラーメンについても、当時の人々の意識に『うまいラーメン』という問題認識はなく、ラーメンはラーメン、何か?てな感じだったと思う。
そんな時代にあって、授業そっちのけで、食べ物、しかも『大根おろし』について熱くかたる、初老の男性教師の姿は、感銘とは言えないが、意味なく後々まで残る、無駄な記憶として、僕の脳裏に刻まれている。
大根おろしは、焼き魚のような魚介系と、ご飯、お餅、蕎麦のような炭水化物系において、その凄みを発揮する。
最近は、トンカツとか、ハンバーグとかにも多用されているけど、こういうところでは、大根おろしの実力の半分も発揮されていないのではないかと思う。
いくら大根おろしでも、獣系の脂は消せない。味にアクセントはつくかもしれないが、それだけだ。なんか大根おろしの無念が伝わってくる。
くやしいです!
月曜日に発熱し、会社を休み。火曜日、水曜日はなんとかもったものの、水曜日の夜に再度、熱発。それでも木曜日は、根性で乗り切り、本日金曜日、ようやく医者へ行って、薬をもらってきた。
ここ20年来、熱なんて出したことなかったんだけど、9月、ベトナムで風邪をもらって以来、3ヶ月もたたないうちにこのざまだ。
クヤシイィです copyright by ざぶんぐる
もちろん、食欲はない。昼は毎食、盛り蕎麦。朝はバナナ。それでも、夜はなんとか食べねばと思い、無理やり詰め込んでいるんだけど、そんなときに頼りになるのが、『大根おろし』だ。
大根は粗めにおろし、ツユだくな状態で、白いご飯の上に乗せ、醤油をひと回し。
これを、がーっをかっ込むと、どんなに食欲がない状態でも、一膳の白飯をたいらげることができる。まさに救世主。
米の一粒ひとつぶが大根の汁気を吸い、その鮮烈な辛さと冷たさが、ご飯の甘みを際立たせる。食事というより、口中の洗浄といった感じか。
できるだけ、小ぶりの茶碗で、米粒の最後の一粒まで、慈しむように、貪りたい。
いちいち噛まなくても、ジアスターゼのおかげで、ちゃんと消化される。
元気なら、カリカリに焼いた油揚げと花削りに、ミョーガをあしらって、ぬる燗の純米酒でクィーッとお出向かいしたいところなれど、いやいや、大根おろしだけでも十分に戦えるわい。
大根おろしは本来、焼き魚、それも脂の多い、青魚系のお供において、その実力をいかんなく発揮する。
塩鯖しかり、秋の秋刀魚のハラワタしかり。生臭さと過度な脂だけを消し去り、旨みを際立たせる。
とりわけ、切り身の塩鯖の、腹身側の皮と脂肪だけになっている部分。ここをできるだけ、こんがり焼いて、パリパリのカリカリになっているところに、ちょっとだけ大根おろしをつけて頬張る。ジュワっと口中一杯に魚の上品な脂味が広がり、ほどなく大根おろしが追いかけてきて、すべてを洗い流していく。
後味なんて微塵もなく、跡に残るのはシアワセな記憶だけ。ものすごく高級な娼婦に弄ばれるのってこんな感じかも(ちがうか! by ものいい)。
僕が初めて大根おろしを意識したのは(変か?)、中学校二年生のとき、理科の先生(斉藤先生だったと思う)が授業中、唐突に、大根おろしについて熱く語り始めたからだ。
当時は、グルメブームという紀元のはるか前、ある特定のカテゴリに属するもの以外で、食物について熱く語る人はいなかった。
昨今、これだけ議論かまびすしい、ラーメンについても、当時の人々の意識に『うまいラーメン』という問題認識はなく、ラーメンはラーメン、何か?てな感じだったと思う。
そんな時代にあって、授業そっちのけで、食べ物、しかも『大根おろし』について熱くかたる、初老の男性教師の姿は、感銘とは言えないが、意味なく後々まで残る、無駄な記憶として、僕の脳裏に刻まれている。
大根おろしは、焼き魚のような魚介系と、ご飯、お餅、蕎麦のような炭水化物系において、その凄みを発揮する。
最近は、トンカツとか、ハンバーグとかにも多用されているけど、こういうところでは、大根おろしの実力の半分も発揮されていないのではないかと思う。
いくら大根おろしでも、獣系の脂は消せない。味にアクセントはつくかもしれないが、それだけだ。なんか大根おろしの無念が伝わってくる。
くやしいです!