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A Running Stone Gather no moss

タイトル変えました。iSaonのブログです。

吉野家の牛丼

2006-12-21 14:55:21 | 食べ物だもの
ブログのデザインをクリスマス仕様にしてみました。
いいでしょ?

今日、吉野家の牛丼を食べてきました。4年ぶりかな。
もう昔の味なんて、覚えてなくて、変わっていないのかどうか、定かではないのですが、美味しかった。

丼は、あまり噛んではいけない、一口につき、ひと噛みかせいぜい、ふた噛みくらいまでにとどめて、米粒のノドごしを楽しむ。食べ終わってしばらくしてからも、のどの奥に、米粒の残像を感じるくらいがちょうどよい。

僕らくらいの歳にになると、大抵の人は、吉野家の牛丼にまつわる思い出の一つや二つはあると思うけど、僕の場合、最初に思い出されるのは、高専の寮。
試験期間中は言うに及ばず、それ以外のときでも、ほとんど毎日のように、誰かしらが、バイクや車で買いに行っていたような気がする。
僕は、寮生ではなかった(実家から学校まで、自転車で5分)けど、試験中には、ノートを見せてもらうため、よく、押しかけた。

高専からM市の街中までは、結構あったから、アツアツの牛丼弁当も、常温近くになって、汁もすっかり、米粒がすっちゃって、でも、それが、かっこむにはちょうどいい温度だった。

試験勉強にいったはずが、牛丼だけ食べて帰ってきたことも、一度や二度じゃない。

あとそれから、下の子供が、予定日の3ヶ月も前に生まれそうになって、奥さんが救急車で運ばれた日。うちの両親が駆けつけるまで、近所のお友達の家に上の娘を預かってもらったんだけど、その直前になぜか、二人で吉野家の牛丼を食べた。娘にとってはそれが吉野家初体験。
「おいしい」と言いながら、二口、三口箸をつけただけ。状況が状況だけに、のどを通るはずがない。
牛丼食べれば、きっと元気になるだろう、なんて、今から考えたら、なんてノーテンキな父親だったんだろう。

結局、それが最後の吉野家牛丼になった。
最近ようやく、並ばなくても買えるようになったし、近いうちに、買って帰ろうかと思う。

G県パスタ事情

2006-11-21 12:23:49 | 食べ物だもの
このブログは、アクセス数を日単位で見ることができるのですが、昨日は多かった。
 もちろん、一般のブログに比べたら、桁が2つくらい違うんだけど、それでも少しずつ、増えている。

 そもそも、僕が音楽をやっていることは、仕事上の付き合いのある人には、内緒なので、このブログを知っている人はそんなにいないはず。
となると、音楽つながりか、もしくは、同窓生系の人たち、ということになる。だとすると、これは結構な数字だね。

みなさん、本当にありがとうございます。モチベーション上がります。ペコリ。

そろそろ、忘年会の季節。僕もすでにいくつか入っているけど、最近は、ブログをやっている人が多くて、久しぶりにあっても、なんか、近況とかわかりすぎていて、ちょっと拍子抜けすることがある。
口癖は「この前、ブログにも書いたんだけどぉ」、だから、知ってるちゅーの。

話は変わるけど、先日、昼飯に会社の近くのパスタ屋さんに飛び込んで、カレーを注文したら、ご飯が売り切れだということで、しぶしぶスパゲティを注文しました。
ランチにパスタって、ソースとか飛ぶし、なんか女子っぽいし、ボリューム的にも微妙なので、敬遠がちなんですが、思い返してみれば、G県にいるときは、よく食べてたな、スパゲティ。

 僕のお気に入りは、『シャンゴ』。学校の近くだったし、よく行ったわー。
マーレトマト、サイコー。ガーリックの効いたソースと、透明プリプリのエビがたまんない。
いまでも、実家に帰ると、ときどき行きます。

最近は、当たり前のように茹で上げだけど、当時は、茹で置きだったような気がする。アルデンテなんて言葉は、当時まだ、発明されていなかった。

でも、うまかった。とにかく、量が半端じゃなくて、大盛りにすると、食べ盛りの男子も、満足、まんぞく、グラッチェ、ぐらっちぇ(空腹のため、一部、文章が乱れています)。

都内には、イタメシ屋も、パスタ専門店も多数あるナリが(ご勘弁を)、どこも量がイマイチ。それにマーレトマトがない。やっぱ、スパゲッティはG県と思ってしまう所以です。

一応、洋食なので、デートの食事もいつもパスタ。
思えば、週に3回くらいは食べていたかも。自分でもよく作ったし。でも、シャンゴのあの味は出せなかった。

当時、我が家では、よく母がミートソースを作ってくれたのだけど、これが今から思うと、ミートソースとは似て非なるものでした。

普通のミートソースは、挽肉とたまねぎを炒めて、スープとトマトホールを加えて、グツグツグツ。ですよね。

でも、うちでは、挽肉とたまねぎを炒めるまでは同じなんですが、ここにケチャップと中濃ソースをドバドバって入れて、塩コショウと醤油で味を調えておしまい。
 要するに、ナポリタンのソースを別に作って、後がけするようなもの。 母は、食べたことなかったんだね、本式のミートソースをいうやつを。イメージだけで作っていたんだ。

で、パスタも茹でた後で、たまねぎとピーマンで軽く炒めてあり、これも、ナポリタンの製法を踏襲。

しかし、これがうまかった。甘くて、しょっぱくて、ちょっと酸味があって、一口で、原材料も、調理方法も簡単に想像がつく味。
うまいとか、まずいとかの前に、とにかくわかりやすい味。

たまーに、自分で作って家族に振舞うことがあるけど、評判良くない。今の子は、舌が肥えているのか、いや、昔の子の奥さんにも、ウケが悪い。 味覚は記憶だと言うから、しょうがないか。



(シャンゴ 問屋町支店)

フレッシュ サルサ

2006-10-31 17:26:25 | 食べ物だもの
渡辺千賀さんという、シリコンバレーのコンサルタントの方が書かれているブログは、僕のお気に入りです。

 ここで紹介されていた「フレッシュサルサ」の作り方、ぜひとも試してみたいと思っていたのですが、なかなかハラペーニョが手に入りません。先 月、ボストンへ出張した際に、よっぽど買ってこようかと思ったのですが、農産物は持ち込み不可だし、テロ騒動の折でもあったので断念しました。

しかし、先週、近所の農産物直売所に行ったら、韓国青唐辛子なるものが売っていて、これでなんとか代用できないかと思い、作ってみました。

作り方は:
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1.フレッシュサルサ トマトとたまねぎを大きめにみじん切り。SerranoとかJalapenoなど唐辛子(っていうのか?)もみじん切り。チラントロ(香菜)をざくざくと大雑把に刻んで全部まぜまぜしてライムを絞り、塩を多めに振っておしまい。
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ほんと、これだけ。チョー簡単。 後は、プレーンのトルティーヤチップスを買ってきて、このサルサをすくって、一緒に食べるだけ。

かっ、辛ーっ。けど、味と香りは、どこからどう見てもメキシカン。最高です。

タコスにのせてもいいし、ハンバーガに挟んでもグー。ヒリヒリの口中を、ちべたいビールが駆け下りると、あー、もーだめ、殺せ、さー殺せとのた打ち回るうまさだす。

大量に汁が余ると思うので、これは、これはタバスコ代わりに、カップラーメンやスープに、どぼどぼっとぶち込むと、これまたアミーゴでルチャ・リブレなお味に(意味不明)。

香菜は、嫌いな人も多いとは思うけど、メキシコ料理だと、それほど嫌な感じはしないのでは?ま、僕は大好きなんだけどね。

 香菜も、ライムも手に入りやすくなったね。しばらく、このフレッシュサルサにはまりそうです。


ホルモン焼きと焼肉

2006-10-23 13:09:16 | 食べ物だもの
G県には、焼肉屋が登場する、はるか以前から、『ホルモン焼き屋』と呼ばれる食べ物屋がありました。

東京方面で、『ホルモン焼き』といえば、串焼きを意味しますが、G県のそれは、焼肉屋と同じ、網付きのガスコンロで焼きながら食べるのが普通で、主に焼くのは、豚の小腸(ホルモン)をはじめとする、内臓肉です。

特に、ホルモンは、一度、湯がいた白モツに、揉みダレを絡めていて、生に比べて、臭みが少なく、裏側のビラビラの脂肪部分の甘みが引き立ちます。

実は、このホルモン、東京や埼玉の焼肉屋では、大抵の場合、生のまま、出され、湯がいたものを見かけることはめったにありません。
決して嫌いじゃないけど、やっぱ、ホルモンは湯がいたのに限る。こっちの人たちは勉強不足だよ、絶対。

僕の実家は、このホルモン焼きが好きで、大体、月に一回くらいのペースで、家族で出かけていました。
始めは、父も。
「ホルモン焼き、行くか」
なんて言っていたのが、ある頃から、
「今夜は、焼肉屋に行こうか」
などど、微妙な言い回しの変化を見せるようになります。

それもそのはずで、ホルモン焼き屋の設備は、焼肉屋のそれと、ほとんど一緒なので、ある時期から、『ホルモン焼き屋』は、みな、自らのことを『焼肉屋』と呼称するようになっていたのです。

しかし、当時の僕には、そんな違いは皆目わかりませんでした。なぜなら、我が家は、焼肉屋に行っても、ホルモン焼きしか、注文しなかったからです。
でも、僕は、ホルモン焼きが大好きでしたし、その月に一度の外食を楽しみにしていました。

不幸は突然、訪れます。

ある日、知り合いのイイ○カさんのおうちと、一緒にお食事をする機会がありました。
イイ○カ家は、何年か前に、うちと同じ貸家に住んでいたのですが、ダンナさんは、もともと大手ゼネコンにお勤めの方で、あれよあれよという間に、両家の経 済格差は、当時、無視できないくらに広がっていました。それでも、奥さん同士の交流は続き、頻繁に両方の家を行き来しては、お茶を飲んだりしていたので す。

近所の焼肉屋で、座敷に座り、メニューを見ながら、母親が聞きます。
「お肉は、何にする?」
僕は、ちょっとした違和感を覚えました。我が家の焼肉屋でも会話は、通常、
「何人前にする?」
であり、決して、肉の種類を決するための話し合いなぞは、持たれたことがなかったからです。

しかし、イイ○カの奥さんは、平然と、
「うちは、カルビとロース二人前ずつぐらいかしら、お父さん、歯が悪いからね」
などと言うのです。
なんだ?「カルビ」って、「ロース」?などと、混乱する僕と妹を尻目に、両家は、カルビ、ロース4人前、ビビンバ、カルビクッパ、冷麺に玉子スープ、という堂々たるラインナップで注文を行いました。

え?ホルモンは?ビビンバって何(新しい踊り?)、カルビクッパっとカルビって何が違うの?と僕の混乱は、秋の夕暮れのように、急速に広がっていったので すが、母の視線には、にこやかな中にも、決してそういう質問を許さないような冷たい光が含まれており、僕は、黙ってコーラをすすっていました。

やがて、カルビとクッパ、到着。
圧倒されました。楕円のアルミの皿に、脂身と赤みのツートンカラーの身を横たえるカルビ、そして、その傍らで、バラの花びらのように、可憐な微笑むロース。別世界でした。

軽く焼いて、口に含めば、肉脂がとろけます。ホルモンなら、こちらから噛みにいかないと、決して感じることのない、脂の甘みが、この紅白のお肉は口にいれたとたん、舌の表面を上質な甘みが、多い尽くすのです。

これが、焼肉というものか。

ここで、妹が発した一言が、場の空気を凍りつかせます。

「おかーさん、この肉、赤いんね」

あ、ばか、なんてことを。父は黙り、母は、引きつった笑いをうかべ、僕は、何も聞こえなかったふりをして、コーラを飲みます。

その日以来、我が家の焼肉外食の数が激減したのは言うまでもありません。

知識は、ビンボーの敵です。



UDON

2006-10-18 14:44:50 | 食べ物だもの
『UDON』なんてタイトルにすると、また、映画の話か、と思われるかもしれないけど、これは、別の話。

さっき、昼飯に、おそばを食べたとき、ふと、故郷、つまり、G県のうどんを思い出しました。

ここを見てる人は、やはりG県の人が多いだろうから、わかると思うけど、G県では、人が集まると、かならず「うどん」が出る。人があつまるといっても、パーティとかじゃなくて、冠婚葬祭の、特に葬祭のほうね。

こういう時って、必ず決まって、うどんと、きんぴらごぼうが振舞われる、いや、振舞われるとうか、「出る」と言ったほうが、しっくりくる。
作るのは、近所のおばさん達なんだけど、きっと、あれはメニューの相談とかしてなかったとみる。もう、暗黙の了解で、この二品は作ることが決まっていたんだ、きっと。
どこからから仕出を頼むときにも、この二品だけは、必ず自家製していたもの。

で、そのうどんなんだけど、これが、なんとも言いようがない。「まずいか」ときかれれば、答えにとまどうけど、「うまいか」と聞かれれば、迷わず首を横に振る、って感じ。
要するにあれは、うまいとか、まずいとかの議論の外側にいたような気がする。

思い返してみれば、昔の食べ物なんて、ほとんどがそういうものだったような気がする。
いつからだろう、すべての食べ物が、うまいまずいで振り分けられるようになったのは。

なにしろ、そのうどんは、ほとんどの場合、乾麺。コシとか、のどごしとか、そういうのとも無関係。面は、大なべで大量に茹でるし、ちょうどお椀いっぱいくらいのおおきさに、小分けして、ザルとかに積み上げておく。
普通、麺というものは、箸でつまむと、するするとほぐれ、手をいっぱいに伸ばして、注意深く、お猪口に入れなくてはいけないが、あのうどんに限ってそうい う心配はいらない。たいての場合、頑固に固まっているからだ。どうかすると、箸の先をうどんの塊に突き刺して、そのまま持ち上げて、お椀に入れたりする。 その姿は、アダムスキー型。

そしてまた、めんつゆが素っ気無い。醤油、水、煮干、以上。って感じで、みりんとか、砂糖とかの存在を微塵も感じさせない。
たいていの人は、これに、きんぴらを入れるなど、涙ぐましい努力をして、コクを補う。

最近は、実家に帰っても、寿司屋や、近所のファミレスみたいなところで夕食を済ますことが多いので、なかなか食べる機会もない。

しかし、まさか、あのうどんを懐かしむ時が自分にくるなんて、当時は想像できなかったなぁ。