ブログのデザインをクリスマス仕様にしてみました。
いいでしょ?
今日、吉野家の牛丼を食べてきました。4年ぶりかな。
もう昔の味なんて、覚えてなくて、変わっていないのかどうか、定かではないのですが、美味しかった。
丼は、あまり噛んではいけない、一口につき、ひと噛みかせいぜい、ふた噛みくらいまでにとどめて、米粒のノドごしを楽しむ。食べ終わってしばらくしてからも、のどの奥に、米粒の残像を感じるくらいがちょうどよい。
僕らくらいの歳にになると、大抵の人は、吉野家の牛丼にまつわる思い出の一つや二つはあると思うけど、僕の場合、最初に思い出されるのは、高専の寮。
試験期間中は言うに及ばず、それ以外のときでも、ほとんど毎日のように、誰かしらが、バイクや車で買いに行っていたような気がする。
僕は、寮生ではなかった(実家から学校まで、自転車で5分)けど、試験中には、ノートを見せてもらうため、よく、押しかけた。
高専からM市の街中までは、結構あったから、アツアツの牛丼弁当も、常温近くになって、汁もすっかり、米粒がすっちゃって、でも、それが、かっこむにはちょうどいい温度だった。
試験勉強にいったはずが、牛丼だけ食べて帰ってきたことも、一度や二度じゃない。
あとそれから、下の子供が、予定日の3ヶ月も前に生まれそうになって、奥さんが救急車で運ばれた日。うちの両親が駆けつけるまで、近所のお友達の家に上の娘を預かってもらったんだけど、その直前になぜか、二人で吉野家の牛丼を食べた。娘にとってはそれが吉野家初体験。
「おいしい」と言いながら、二口、三口箸をつけただけ。状況が状況だけに、のどを通るはずがない。
牛丼食べれば、きっと元気になるだろう、なんて、今から考えたら、なんてノーテンキな父親だったんだろう。
結局、それが最後の吉野家牛丼になった。
最近ようやく、並ばなくても買えるようになったし、近いうちに、買って帰ろうかと思う。
いいでしょ?
今日、吉野家の牛丼を食べてきました。4年ぶりかな。
もう昔の味なんて、覚えてなくて、変わっていないのかどうか、定かではないのですが、美味しかった。
丼は、あまり噛んではいけない、一口につき、ひと噛みかせいぜい、ふた噛みくらいまでにとどめて、米粒のノドごしを楽しむ。食べ終わってしばらくしてからも、のどの奥に、米粒の残像を感じるくらいがちょうどよい。
僕らくらいの歳にになると、大抵の人は、吉野家の牛丼にまつわる思い出の一つや二つはあると思うけど、僕の場合、最初に思い出されるのは、高専の寮。
試験期間中は言うに及ばず、それ以外のときでも、ほとんど毎日のように、誰かしらが、バイクや車で買いに行っていたような気がする。
僕は、寮生ではなかった(実家から学校まで、自転車で5分)けど、試験中には、ノートを見せてもらうため、よく、押しかけた。
高専からM市の街中までは、結構あったから、アツアツの牛丼弁当も、常温近くになって、汁もすっかり、米粒がすっちゃって、でも、それが、かっこむにはちょうどいい温度だった。
試験勉強にいったはずが、牛丼だけ食べて帰ってきたことも、一度や二度じゃない。
あとそれから、下の子供が、予定日の3ヶ月も前に生まれそうになって、奥さんが救急車で運ばれた日。うちの両親が駆けつけるまで、近所のお友達の家に上の娘を預かってもらったんだけど、その直前になぜか、二人で吉野家の牛丼を食べた。娘にとってはそれが吉野家初体験。
「おいしい」と言いながら、二口、三口箸をつけただけ。状況が状況だけに、のどを通るはずがない。
牛丼食べれば、きっと元気になるだろう、なんて、今から考えたら、なんてノーテンキな父親だったんだろう。
結局、それが最後の吉野家牛丼になった。
最近ようやく、並ばなくても買えるようになったし、近いうちに、買って帰ろうかと思う。