8年前のちょうど今頃、私たち家族はイスラエルのベングリオン空港に降り立ったのだった。
長旅の疲れもあり、「ああ、遂に来ちゃったなぁ…」とうんざり気味だったのを覚えている。
なんとなく2〜3年で根を上げて帰るんだろうという考えでいたから、これといって希望や期待もなく、つまりは何の覚悟もなく、夫の決断のままにただ付属品のように付いてきただけだった。
そんなわけだから、新生活を自分のものとして認識することができないでいた。自分以外の誰かの人生の犠牲者のような気持ちになることが増えていった。
母を亡くして間もない父を筆頭に、日本に残してきたものへの想いが有り余り、目の前の現実を受け入れられない毎日が続いた。
今でこそ私の主体性のなさがもたらした苦悩の日々であったと思えるが、当時は本当に辛かった。万年ホームシックで体重もかなり落ちた。
石の上にも三年というけれど3年ではどうにもならなかった。5年経ってようやく腹を括れるようになった。
8年も経てばさすがに慣れる。この国の良いところもたくさん見えてくる。
ご近所さんとも良好な関係が築け、顔馴染みの店もいくつかでき、友達と呼べる人も少なからずいる。
日本に比べると不便なことはまだまだあるが、不便さの中にある豊かさのようなものを見出す術も身に付いてきた。
強くなった。自分の人生を背負うってことがこの歳になってようやくわかってきた。
雨降って地固まる。土砂降りの雨だったけど、結果オーライ。
ナマステ&シャローム
Nozomi
長旅の疲れもあり、「ああ、遂に来ちゃったなぁ…」とうんざり気味だったのを覚えている。
なんとなく2〜3年で根を上げて帰るんだろうという考えでいたから、これといって希望や期待もなく、つまりは何の覚悟もなく、夫の決断のままにただ付属品のように付いてきただけだった。
そんなわけだから、新生活を自分のものとして認識することができないでいた。自分以外の誰かの人生の犠牲者のような気持ちになることが増えていった。
母を亡くして間もない父を筆頭に、日本に残してきたものへの想いが有り余り、目の前の現実を受け入れられない毎日が続いた。
今でこそ私の主体性のなさがもたらした苦悩の日々であったと思えるが、当時は本当に辛かった。万年ホームシックで体重もかなり落ちた。
石の上にも三年というけれど3年ではどうにもならなかった。5年経ってようやく腹を括れるようになった。
8年も経てばさすがに慣れる。この国の良いところもたくさん見えてくる。
ご近所さんとも良好な関係が築け、顔馴染みの店もいくつかでき、友達と呼べる人も少なからずいる。
日本に比べると不便なことはまだまだあるが、不便さの中にある豊かさのようなものを見出す術も身に付いてきた。
強くなった。自分の人生を背負うってことがこの歳になってようやくわかってきた。
雨降って地固まる。土砂降りの雨だったけど、結果オーライ。
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