Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

続けてきてよかった

2018-05-16 12:17:18 | 日記
今春からヨガクラスの生徒さんが増え、新設の日曜クラスもほぼ定員となりつつある。
イスラエルにもヨガクラスは数多く存在するが日本語で学べるところは滅多にないようで、私のクラスは在イスラエルの日本人に需要がある。
自分が思っていた以上に「日本語のヨガクラス」を探していた人が多くて驚いている。

私が教えているのは数ある流派の中でも「きつい」といわれるアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ。なので、まずは体験レッスンを受けてもらうことにしている。
「きついですよ」とは予め伝えるが、「これほどきついとは思わなかった!」という気配がレッスン中に体験者の全身からもれなく放たれてくる。無理をしなくていいですよと言ってもどうにかこうにか最後まで頑張り抜くのは、日本人の性なのかな。その点イスラエル人は自分の判断で「途中下車」する人が珍しくない。

そうして、時には息を切らしながらの体験レッスン終了後、「私にはちょっと向かないです...」と言われることを覚悟しているものの、異口同音に「また来ます」と聞くとやはり嬉しさを感じる。日本語で教えるメリットを強く感じる瞬間だ。選択肢の多い日本で教えていたらこうはならないだろうと思う。現在の日本には流派やスタイルの多様ぶりは言うに及ばず、アシュタンガだけでもはるかに優れた指導者が全国に数々存在しているのだから、「ヨガの先生」がなにも私である必要性はないのである。
そういう意味では非常に恵まれた環境にいると言わざるを得ないと同時に、私が誰かある人にとってのヨガ、あるいはアシュタンガヨガの入り口や第一印象になり得るのだという重みには気が引き締まる。

私のところに通ってくる生徒さんの中にはヨガが全くの未体験という人も少なくない。そういう人にとって最初に出会うヨガがアシュタンガヨガというのはなかなかショッキングな体験だと思う。そして、ここではそれ以外の選択肢が用意されていないというのも正直幾らか気の毒ではある。気の毒ではあるけれど、それを変える予定は今のところはない。
自分自身がアシュタンガが好きだからその魅力を一人でも多くの人に伝えたいというのも大きいが、私はとにかく不器用且つ面倒臭がり屋なので「これだ」と思ったこと以外はなかなか身につかないというのももうひとつの理由。
だから、この「日本語ヨガ教室砂漠」ともいうべきイスラエルで、私のクラスは憩いのオアシスというよりはむしろ滝のような感じだと思うが、それでも通ってくれる=滝に打たれに来てくれる人がいるというのはありがたいし励みになる。

最初は1名で始まり、その後メンバーが入れ替わりながらもここ数年はずっと2〜3名で細々と隠れ家的に続けてきたクラスが、現在は14名に増えた。
長く継続している人のいるクラスでは私が一緒に身体を動かさなくてもよい場面が出てきて頼もしさや喜びを覚える。口頭のガイドだけで人が動いてくれるのは気分がいいな、とお愛嬌程度にエゴが顔を覗かせたりもする。

続けてきてよかったな。



*今月は5/20のクラスを最後に月末までお休みとなります。
 再開は6月以降、スケジュールは後日改めてアップします。



ナマステ&シャローム
Nozomi


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