Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

夜明け前、か

2017-09-19 12:28:43 | 日記
明晩、ユダヤ教は5778年を迎える。

だからというわけでもないが、そろそろ何か始めないとなぁと思う今日この頃。

周囲の変化に翻弄されないようにじっと身を潜めているような日々にもだんだん飽きてきた。

もうずっと長いこと、何かが足りていない感触はうっすらとあり、それが何であるかが最近になってわかってきた。

私の場合は、自分で自分を満たすということが決定的に欠けていたのだと思う。

思考の中ではわりと自分勝手な人間なのに、良くも悪くもそれを行動に移すことができない。

当然、それは周囲への配慮が理由でもあるのだけど、私自身が余計な悩みを抱えたり、嫌われたり傷ついたりしないためでもある。

そうして、ただひたすら自分を消耗しない生き方に自分自身を慣らしきっていた。
元来が面倒くさがり屋なので、とても簡単なのである。

完全に守りの状態。
晴れの日もほぼすべての雨戸を閉め切って、唯一、小窓から外の様子を伺っているような生き方。

それでイスラエルの生活に慣れたつもりになっていたのだから、我ながらどうかと思う。


それに対して、最近、私の本質が猛烈に反発してきたのである。

移住10年目という節目、日々親離れが加速する子供達(11月に兵役に就く長男)、父の癌宣告。

他にも様々なことがきっかけになって、自分の人生はこれでいいのか、このまま年月の流れに埋もれてしまっていいのかという自問。

答えはNO。目指す場所=こうありたいと思う自分もはっきりと見えている。

ただ、一体どうすればそこにたどり着けるのかがわからない。

自分が好きなこと、得意なこと、できそうなこと、やってみたいこと、すべきこと、色々なカードを頭の中に広げてみているが、試験前にいくつもの教科のテキストを机上に広げている時のように、どれから手をつけていいのか迷うばかりなのである。


それでも、変わりたい気持ちは強くあるので、そのうちに何かしら告知できるかもしれません。

まだ時間はかかりそうだけれど、ときめくものに真っ直ぐに伸びている心のベクトルを頼りに、もうしばらくもがいてみようと思います。


2日前の夕焼け



Shana Tove(良いお年を)
Nozomi

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