弟子の勝利が師の勝利
歴史に燦然と輝く「山口闘争」。世帯を「10倍」に拡大した未曽有の大闘争は、極めて短期間で達成された。池田名誉会長が現地で指揮を執ったのは、わずか22日間。
1回目の31年10月の10日間の闘争に続き、2回目は、11月15日から21日まで。そして翌32年1月21日から25日までの、3回目の指揮で幕を閉じる。
その結果、山口は「459世帯」から「4073世帯」へ大飛躍。大阪に続く、アッと言わせる戦いであった。
「戦いを挑んだ決戦には、すべて勝つ」― 戸田第2代会長の“本物の弟子”が戦いを起こした。それに全国の弟子が呼応した。いわゆる弟子が歴史をつくる戦いであった。弟子が総立ちになった時、新しい歴史は開かれるのである。「次の50年」を見据えた名誉会長の戦いであった。
そこには、人知れぬ「億劫の辛労」があった。名誉会長は語っている。
「私は山口指導を行った。大阪での大法戦に引き続いての戦いである。厳しいといえば、こんなに厳しい行動の連続もなかった。体も疲れきっていた。経済的工面も大変だった。我が家の売れるものはすべて売って、交通費や滞在費を、やりくりした。しかし、私は戸田先生の山口に対する深き思いを、何としても実現したかった」
「そんな私の家の内情を知った戸田先生は、電話の債券だけは売るなよ、と心配してくださった。どこまでも、ありがたい師匠だった」
電話を手放す事態となれば、諸活動に支障をきたす、と言われるのだった。
■証言 (村田岩雄さん=当時・松島支部支部幹事)
夜行列車に乗って、防府に到着した時のことです。朝、旅館に着いて、朝食をとっている時、先生がこの地に来られていることを知りました。
私たちは一休みしてから、先生がおられる旅館に向かいました。
緊張感のない私たちの姿を見た先生はおっしゃいました。「戦いは中心者と呼吸を合わせることです。中心者を求めて団結しない戦いは空転です」と。私たちの油断でした。
呼吸を合わせよ
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(790ページ)― 名誉会長のこの一念に、どう呼応できるか。戦いのなかで学会精神が打ち込まれていった。
鶴見支部の拠点に名誉会長が訪問する予定になっていた。「到着までは、まだ時間がある」と責任者は風呂に入っていた。その時、名誉会長が到着した。知らせを聞いた彼は、驚いて飛んで行った。
名誉会長は笑顔で言った。「支部員が汗水たらして戦っているのに、大将が風呂に入っているとは結構な身分じゃありませんか」。そして、恩師から薫陶を受けた学会精神を教えた。
戸田会長は語っている。「前線の幹部はぼやぼやするな」。幹部がボーッとしていれば、後に続く人の邪魔になる。前線では、じっとしていてはいけない ― 名誉会長は諄々と語った。責任者は猛省した。二度と失態は演じないと。
「じゃあ、打ち合わせをしよう。早く身支度を整えなさい」。名誉会長は恐縮している責任者を、今度は包み込むようにして会議を進めていった。
非を非と諭し、あとは包容して立ち上がらせる名誉会長。責任者は誓った。「広布のために自分が苦闘の先頭に立とう」。
■証言 (則武敬一さん=当時・岡山支部班長)
岡山の繁華街で電気店を営んでいた私は、病気が治るなら、幸せになれるなら、と自分の祈りが中心でした。
そんな信心が、宇部で一変しました。池田先生の御書講義を聞いたからです。
「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(1337ページ)。個人の幸福を機軸として、社会へ、世界へ、幸福と平和を広げゆく大目的、広宣流布を語られたのです。
疲れた皆の心に信心の松明がともりました。宇部の街に飛び出そうとすると、先生が「食べていきなさい!」と。大きなおにぎりとお新香が用意されていました。腹の底から力がわきました。
歴史に燦然と輝く「山口闘争」。世帯を「10倍」に拡大した未曽有の大闘争は、極めて短期間で達成された。池田名誉会長が現地で指揮を執ったのは、わずか22日間。
1回目の31年10月の10日間の闘争に続き、2回目は、11月15日から21日まで。そして翌32年1月21日から25日までの、3回目の指揮で幕を閉じる。
その結果、山口は「459世帯」から「4073世帯」へ大飛躍。大阪に続く、アッと言わせる戦いであった。
「戦いを挑んだ決戦には、すべて勝つ」― 戸田第2代会長の“本物の弟子”が戦いを起こした。それに全国の弟子が呼応した。いわゆる弟子が歴史をつくる戦いであった。弟子が総立ちになった時、新しい歴史は開かれるのである。「次の50年」を見据えた名誉会長の戦いであった。
そこには、人知れぬ「億劫の辛労」があった。名誉会長は語っている。
「私は山口指導を行った。大阪での大法戦に引き続いての戦いである。厳しいといえば、こんなに厳しい行動の連続もなかった。体も疲れきっていた。経済的工面も大変だった。我が家の売れるものはすべて売って、交通費や滞在費を、やりくりした。しかし、私は戸田先生の山口に対する深き思いを、何としても実現したかった」
「そんな私の家の内情を知った戸田先生は、電話の債券だけは売るなよ、と心配してくださった。どこまでも、ありがたい師匠だった」
電話を手放す事態となれば、諸活動に支障をきたす、と言われるのだった。
■証言 (村田岩雄さん=当時・松島支部支部幹事)
夜行列車に乗って、防府に到着した時のことです。朝、旅館に着いて、朝食をとっている時、先生がこの地に来られていることを知りました。
私たちは一休みしてから、先生がおられる旅館に向かいました。
緊張感のない私たちの姿を見た先生はおっしゃいました。「戦いは中心者と呼吸を合わせることです。中心者を求めて団結しない戦いは空転です」と。私たちの油断でした。
呼吸を合わせよ
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(790ページ)― 名誉会長のこの一念に、どう呼応できるか。戦いのなかで学会精神が打ち込まれていった。
鶴見支部の拠点に名誉会長が訪問する予定になっていた。「到着までは、まだ時間がある」と責任者は風呂に入っていた。その時、名誉会長が到着した。知らせを聞いた彼は、驚いて飛んで行った。
名誉会長は笑顔で言った。「支部員が汗水たらして戦っているのに、大将が風呂に入っているとは結構な身分じゃありませんか」。そして、恩師から薫陶を受けた学会精神を教えた。
戸田会長は語っている。「前線の幹部はぼやぼやするな」。幹部がボーッとしていれば、後に続く人の邪魔になる。前線では、じっとしていてはいけない ― 名誉会長は諄々と語った。責任者は猛省した。二度と失態は演じないと。
「じゃあ、打ち合わせをしよう。早く身支度を整えなさい」。名誉会長は恐縮している責任者を、今度は包み込むようにして会議を進めていった。
非を非と諭し、あとは包容して立ち上がらせる名誉会長。責任者は誓った。「広布のために自分が苦闘の先頭に立とう」。
■証言 (則武敬一さん=当時・岡山支部班長)
岡山の繁華街で電気店を営んでいた私は、病気が治るなら、幸せになれるなら、と自分の祈りが中心でした。
そんな信心が、宇部で一変しました。池田先生の御書講義を聞いたからです。
「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(1337ページ)。個人の幸福を機軸として、社会へ、世界へ、幸福と平和を広げゆく大目的、広宣流布を語られたのです。
疲れた皆の心に信心の松明がともりました。宇部の街に飛び出そうとすると、先生が「食べていきなさい!」と。大きなおにぎりとお新香が用意されていました。腹の底から力がわきました。