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常勝大阪 民衆は、かく戦い、かく勝った。

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「自身の”不滅の金字塔”を打ち立てる会」  実行委員会(非公式)のブログ

教育者最高会議での創立者のスピーチ〔下〕

2005年11月25日 | 代表者会議
◆◆◆ 青年よ 一人ももれなく勝利者に
◆◆≪嵐と戦い抜いた中国の巴金先生≫
       ── 私は屈服しない 私は絶望しない!

【創立者のスピーチ】
 一、11月18日は、「創価教育の父」である牧口先生が、大著『創価教育
学体系』を発刊して75周年の佳節に当たる。
 軍部政府の弾圧と戦い抜き、牢獄で殉難(じゅんなん)された牧口先生が、
現在の世界的な創価教育の発展をご覧になられたら、どれほど喜ばれることか。
 牧口先生、そして戸田先生が掲げた創価教育の理想を担いゆく、創価学園、
創価大学の代表の皆さまとともに、きょうよりまた、新たな前進を開始してま
いりたい(大拍手)。

◆「声の力」が世界を変える
 一、牧口先生は、『創価教育学体系』に綴っておられる。
 「善人は古往今来(こおうこんらい)かならず強(きょう)なる迫害を受け
るが、これを他の善人どもは内心には同情を寄するもののなんらの実力がない
として傍観するがゆえに、善人は負けることになる。
 ゆえにこれに抵抗して勝つものは、その中で僅少希有(きんしょうけう)の
人のみである。
 かれらは四面楚歌の苦境に堅忍奮闘(けんにんふんとう)してようやく勝利
を得る」
 正義の人は、必ず迫害を受ける。これが歴史の現実である。
 あらゆる困難を乗り越えてこそ、偉大な仕事を成すことができる。牧口先生
は、こう確信しておられた。
 先月、亡くなられた中国の大文人・巴金(ぱきん)先生は記しておられる。
 「わたくしは屈服のできない人間である。わたくしは絶望のできない人間で
ある」(池田武雄編訳『巴金回憶集』秋山書店)
 巴金先生とは4度、お会いし、文学の使命や哲学などをめぐって語り合った。
静岡研修道場で懇談したことも、懐かしい思い出である。<1980年4月>
 文化大革命の迫害の嵐を乗り越えて、不屈の人生を歩んでおられた。忘れ得
ぬ、深い魅力の光る方であった。
 巴金先生は、人々を陥れる卑劣なデマが猛威をふるった文化大革命の当時を
振り返って、こう述べておられる。
 「本当のことを語る勇気があってこそ、デマを盲信しないで済むのである」
(石上韶訳『巴金無題集』筑摩書房)
 非道な歴史を繰り返させるな! そのために真実を語れ。嘘を暴(あば)け!
これが巴金先生の叫びであった。
 文豪・魯迅(ろじん)は青年への期待を込めて綴った。
 「真の声であってはじめて、中国の人と世界の人を感動させることができる
のです。真の声があってこそ、世界の人とともに世界に生きることができるの
です」(竹内好訳『魯迅文集4』筑摩書房)
 強き「声の力」が、人々の心を変える。
 新たな時代を開きゆく、原動力となるのである。

◆教師と学生が緑陰(りょくいん)で対話
 一、さて、詩聖タゴールがインドのシャンティニケタンに創設した学園では、
教員も、学生も、真剣な向学の心、差別なき友愛の心で、固く結ばれていた。
 学園は全寮制で、皆が苦楽をともにした。そうしたなかで、深い精神性の伝
統が築かれていった。
 タゴールは、教師と学生の間の人間的な結びつきが、非常に重要であると考
えていた。
 彼は記している。
 「教えることの主な目的は、意味を説明することではなく、心の扉をたたく
ことなのだ」(山室静訳「わが回想」、『タゴール著作集第10巻』所収、第
三文明社)
 ただ知識を授けるだけでは、真の教育とはいえない。教師との人格の触れ合
い、心の交流が、生徒の心を開き、人間性を育んでいくのである。
 事実、タゴールの学園では、教師と学生が緑陰(りょくいん)で対話を交わ
しながらの教育が行われた。美しい師弟の交流があった。
 この学園は発展し、後に現在のヴィシュヴァ・バーラティ大学(タゴール国
際大学)となった。<初等・中等教育の学校が併設されている>
 タゴール亡き後の1954年12月、当時のネルー首相がタゴールの学園の
学長として卒業式に出席した。
 そして、タゴールの徳と学園創設の功績を讃えながら、"たとえ他の学校で
は、師弟の関係が希薄になったとしても、この学園だけは決してそうなっては
ならない"と訴えたのである。

◆◆ 教育とは知識よりも人間性の触発
◆◆◆ 若き友の心の扉をたたけ
◆◆ 共生を目指したタゴールの学園 
    我らは〔建学の理想〕に集った同志

◆人間主義の城
 一、タゴールの学園は世界に開かれていた。
 創立者タゴール自身が、自らの世界的な交友の広がりのなかで、各国の知性
を学園に招いた。世界の名士が、頻繁(ひんぱん)に学園を訪れては講演を行
い、若き頭脳に大きな触発を与えていったのである。
 学園には、各国から多くの留学生も勇み集ってきた。「わが学園は国際的で
ある」 ── これが、皆の誇りであった。
 タゴールの学園は、世界の諸民族と諸文化の融和を目指す"人間主義の城"
であった。
 創立の理念を反映し、国や民族、人種の違いを超越した、国際性豊かな人間
性の世界が築かれていったのである。
 わが創価大学、そしてアメリカ創価大学も、国際性に富んだ「世界市民」の
育成に力を注いでいる。
 とりわけアメリカ創価大学には32カ国から学生が集っており、「地球の縮
図」というべきキャンパスで、豊かな国際感覚を養うことができる。
 先日、逝去されたインドのナラヤナン前大統領は、アメリカ創価大学の第1
回卒業式に、「高い教育水準と建学の精神のもと、世界市民や文化・人間主義・
平和・共生の世界的指導者を育成し続けていかれると確信しています」と深い
期待の言葉を寄せてくださった。

◆平和の連帯を! 語学は重要な力
 一、タゴールの学園は語学にも優れていた。
 友人であるフランスの文豪ロマン・ロランを学園に招待する際に、彼はこう
書き送っている。
 「私たちはすでに、私たちの学園にフランス語のクラスを開設しております。
 概して、私たちは語学に堪能(たんのう)のようです、それで、あなたがご
く近い将来に都合よくおでかけくださるとしても、言葉の問題で、あなたのメ
ッセージが伝わらないということはないと確信いたします」(森本達雄訳「ロ
マン・ロランヘの手紙」、『タゴール著作集第11巻』所収、第三文明社)
 世界に友情を広げ、交流を結んでいく。平和の連帯を築いていく ── その
ためにも、語学は重要である。
 今、創価学園の英語力は一段と大きく向上してきているとうかがった。
 創大でも、海外留学をはじめ、語学習得のための環境の整備に力を入れてい
る。語学を武器に、世界中で卒業生が活躍している。
 ともあれ、タゴールの学園には、選りすぐりの優秀な学生が集ってきていた。
その学生を、タゴールは最大に大事にした。
 私にとっても、創価学園、創価大学・女子短大に集ってくれた生徒・学生は、
一人も残らず、大切な大切な宝の存在である。志願してくださった方々も、同
じである。全員の健康と成長、勝利と幸福を私は毎日、祈っている。
 また、最優秀の人材を送り出してくださっているご家族や、受験生の激励に
奔走(ほんそう)してくださっている皆さまにも、心から感謝申し上げたい(大
拍手)。

◆黄金の青春を
 一、今年も、創大生、短大生は、就職をはじめ各種の国家試験の勝利などで、
素晴らしい結果を残してくださった。
 創価大学では、昨年9月に「キャリアセンター」を開設した。民間企業や国
際機関への就職をはじめ、司法試験等の各種試験への挑戦などを応援している。
 センターの開設以来、進路に対する学生の意識も高まってきたようだ。
 職員の皆さまが、センターの充実に誠心誠意、力を尽くしてくださっている
とうかがった。
 本当にうれしい。関係者の皆さまに、最大に感謝したい(大拍手)。
 学生の皆さんが、就職戦線に、また勉学に、学内の諸活動にと、真剣に取り
組んでおられることも、よく聞いている。どうか、一日一日を大切にして、悔
いなき黄金の青春を飾っていただきたい。「これだけは、やりきった」と胸を
張れるような、挑戦の日々であってほしい。
 私は、全員の健闘と人生の勝利を、心から祈っている(大拍手)。

◆創立者の魂の歌
 一、これまで、創大・短大出身、学園出身の先輩方は、世界に、そしてあら
ゆる分野に、堂々たる「創価の道」を開いてくださった。その活躍の様子をう
かがうことほど、私にとって、うれしいことはない。
 また、今は目立たなくても、青春時代の原点を胸に、社会の荒波のなかで必
死に戦っている同窓の友もいる。その偉大なる奮闘の姿を、私は最大に讃え励
ましたい。そして、これからも、ずっと見守っていく決心である。
 創大・短大、学園の誇りは、同窓生の連帯の強さにある。
 タゴールの学園の出身者たちもまた、深い母校愛と同窓の絆を胸に抱いてい
た。世界各国で卒業生が活躍している。
 タゴールのもとで学んだ、ある出身者は、20年ぶりに母校に戻り、同窓生
の集いに参加した喜びを生き生きとつづっている。集いでは、学生時代に歌っ
た母校の歌を、深い感激を込めて合唱したという。
 その歌詞は、タゴールの作であった。
 「われらのシャンティニケタン、われらには凡てにまして親しきもの」
 「われら何処に流浪(さすら)い、死ぬともシャンティニケタンは身近かに
ある」
 「われらが生命と生命を一つの調べにする、シャンティニケタン。
 われらの同胞(はらから)みなと一つの心にする、シャンティニケタン」(我
妻和男訳を参照。平等通昭著『タゴールの学園我らのサンチニケタン』印度学
研究所から)
 わが創価の同窓生もまた、同じ「建学の精神」のもとに集った誉れの同志で
ある。その友情は、永遠である。

◆強き情熱で歴史を開け
 一、かつて、アメリカの名門ウェルズリー大学のカザンジン学部長は、「教
育の荒廃を立て直すには何が大切か、教えてください」という学園生の質問に、
こう答えてくださった。
 「それは『創価教育』という哲学に、すべて含まれています。
 創価教育は、一人ひとりの生命の尊厳という深い精神性をもち、全体の調和
を重んじ、精神を真に解放する、重要な教育を推進しています。
 創価教育によって、世界は再び教育を立て直せるでしょう」
 世界の識者が、創価教育の発展に寄せる期待は、あまりにも大きい。
 「創価教育75周年」の佳節(かせつ)である、きょうの日を記念して次の
句を贈りたい。

  学園生
    一人も もれなく
         勝利者に

  創大生
    一人も もれなく
         勝利者に

 アメリカの民衆詩人ホイットマンは、「情熱、それなくして人と呼べようか?」
と述べた。
 情熱が歴史をつくる。
 情熱が世界を変える。
 私たちは、強き情熱と深き理想を胸に、教育の大業に邁進(まいしん)して
まいりたい。
 どうか健康第一で、風邪などひかれませんように! きょうは、本当にありが
とう!(大拍手)

                 (2005・11・18)

教育者最高会議での創立者のスピーチ〔上〕

2005年11月24日 | 代表者会議
◆◆◆ 〔ナポレオン〕未来はすべて教育で決まる
◆◆◆ 「人材育成競争の時代」が到来


【創立者のスピーチ】
 一、きょうは創価学園、創価大学、創価女子短期大学の代表の教育者の皆さ
ん、ご苦労さま!
 創価教育の75周年、おめでとう! (大拍手)
 今、東京富士美術館では「栄光の大ナポレオン展」が大盛況である。
 創立者として、関係者の皆さま、そして、ご来場くださった皆さまに、深く
感謝申し上げたい。
 ナポレオンは、次の言葉を残している。
 「何人(なんぴと)にも教育を授けんとせるは、予が大なる希望の一なりき。
予は学校を設け無料或は一般の人民が収入の範囲内にて支弁(しべん=支払い)
し得る少額の学費にて何人にも智識を得易(えやす)からしめんと計りぬ」(長
瀬鳳輔・榎本秋村著『ナポレオン史話』奈翁会)
 すなわち、すべての人に教育を受けさせたいというのが、ナポレオンの大い
なる希望だったというのである。
 事実、そのために彼は、多くの学校や奨学金制度をつくった。ナポレオンは
「教育」を重視した指導者であった。
 さらに彼は言った。
 「現在と未来はすべて教育にかかっている」(柳澤恭雄訳『戦争・政治・人
間 ── ナポレオンの言葉』河出書房。現代表記に改めた)
 ナポレオンの言葉は、今なお色あせていない。否、ますます光っている。
 「教育の時代」の本格的な到来である。
 日本では少子化が進み、予想以上のスピードで、その影響が波及している。
どの学校も、生き残りをかけて必死である。
 「教育の競争」「人材育成の競争」ともいうべき時代状況である。
 こうした厳しい時代だからこそ、私どもは「創価」の誇りに燃えて、一流の
人間教育を実践してまいりたい(大拍手)。


◆◆≪プーシキン≫ 教育者は教え子に〔誇り〕と〔人間愛〕を植え付けよ

◆「教育が社会の不幸を阻止する」
 一、今月2日、私は光栄にも、ロシア芸術界最高峰の栄誉である「プーシキ
ン金メダル」を拝受した。
 大詩人プーシキンもまた、教育を重んじていた。
 「教育の不在は、諸悪の根源である……教育のみが、新たな混迷や新たな社
会の不幸を阻止することができる」とは、プーシキンの名言である。
 プーシキン金メダルの授与のため、はるばると来日してくださったバレンチ
ン・シードロフ氏(同金メダル褒章(ほうしょう)委員会委員長)は、世界的
にも高名な画家であられる。
 シードロフ委員長は、今回、東京の創価学園にも足を運ばれ、生徒たちと交
歓してくださった。その折の感想を、次のように、率直に語ってくださってい
る。
 「一番感動したことは、学園生が『人の役に立てる人になりたい』と言って
いたことです。
 その表情には深い思想が秘められ、内面からにじみ出るような輝きがあり、
本当に感動を覚えました。
 創価教育は、人格を磨く教育です。学園生の表情が、それを証明していまし
た。知識だけでなく、精神を学んでいることにも気づきました」
 また、「次の世代を担(にな)う子どもたちをどう育てあげていくか、創価
教育がお手本となるでしょう」と、しみじみと言っておられたそうである。
 温かいご理解に、心から感謝申し上げたい。
 <シードロフ委員長は池田名誉会長と同じ77歳。金メダルの授与式の後、
「池田先生は、私よりはるかにお若い。そしてお元気です。私も池田先生のよ
うに若くなりたいと、心から思いました」と語っていた>

◆創価教育に世界が喝采
 一、東西の創価学園を訪れてくださった多くの識者が、"日本を代表する学
校"として、学園を高く評価してくださっている。創価大学も、同様である。
 これらはすべて、教職員をはじめ、卒業生、在学生、そして、ご父母の皆さ
まのお陰である。
 なかでも、教育に人生を捧げ、"どの子も宝の人材だ。皆をしっかり育てて
いこう! "と、真剣に取り組んでくださっている教員の皆さんに、心からの感
謝を捧げたい。
 「教育者は、教え子に、誇りと人間愛の精神を植えつけるべきである」と、
プーシキンは言っている。
 学校の質は、教員の真剣さで決まる。
 入学してきた学生の面倒を見るのは当然として、さらに一歩深く、ご両親や
家族の皆さまにも心を配り、安心していただけるよう、学校の教職員は力を尽
くしていかねばならない。
 一流の学校は、すべてそのように努力している。学生の家族の心をつかんで
いる。ここに、人間教育の大城(だいじょう)を発展させゆく重要な"ホシ"
がある。
 教育者は、自分自身の栄誉や栄達を望むのでなく、どこまでも教え子に尽く
し、人材育成に命を注いでいくことだ。
 私自身、学園生・創大生・短大生はもちろん、その一家一族が健康であり、
発展し、勝利していけるよう、毎日、真剣に祈っている。
 大学も、「創大門」「新総合体育館」「新総合教育棟」をはじめ建設計画が
順調に進んでいる。東西の学園も、ますます教育環境を充実させたい。
 皆が誇りをもって勉学に打ち込めるキャンパスを、堂々と、完壁に築き上げ
てまいりたい。これが、創立者としての私の決心である。

◆米(アメリカ)で評価される牧口先生の思想
 一、牧口先生の祥月命日(しょうつきめいにち)に当たる今朝(18日)、
アメリカからニュースが届いた。
 それは、アメリカで最も権威ある「アメリカ教育学会」の2006年度総会
の公式行事として、ボストン21世紀センター主催のシンポジウムが認定され
たというのである。<明年の4月、サンフランシスコで開催>
 このシンポジウムは、20世紀を代表する4人の思想家を取り上げ、その教
育思想の世界への貢献を顕彰し、宣揚(せんよう)するものである。
 その4人とは、アメリカの教育哲学者ジョン・デューイ、インドの詩聖ラビ
ンドラナート・タゴール、ドイツ生まれのハンナ・アーレント、そして、日本
の牧口常三郎先生である。
 シンポジウムの議長は、「ジョン・デューイ協会」前会長のデイビッド・ハ
ンセン博士(コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ教授)が務められる。
 今月、このハンセン博士も、創価大学、創価学園を訪問され、わが創大生、
学園生との出会いを、それはそれは喜んでくださった。
 <アメリカを代表する教育・文化研究団体の「ジョン・デューイ協会」は、
「創価教育75周年」を記念する顕彰状を池田名誉会長に贈ることを決定。今
月9日、ハンセン博士が創価学園を訪問し、贈呈式が行われた>
 ハンセン博士は、神奈川で行われた講演会で、こう語ってくださった。
 「創価教育は、牧口初代会長の先駆(せんく)的な思想から出発しました。
その思想は、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に受け継がれ、世
界に広がっています。創価の思想は、今や全世界の希望であり、世界の平和と
繁栄の象徴です」と。
 牧口先生の教育思想は、今や、世界的な注目を集めているのである。

◆最も苦境の時に創価大学を構想
 一、牧口先生はつねづね、創価教育の未来を見つめ、「大学をつくりたいな。
大学をつくれば、優れた人材が出てくるだろうな」と言っておられたという。
 昭和25年の11月、戸田先生の事業が最も苦境にあったとき、「創価大学」
の構想を戸田先生からお聞きした日のことを忘れることができない。
 場所は、西神田の会社の近くにあった、日本大学の学生食堂であった。
 戸田先生は言われた。
 「大作、創価大学をつくろうな。
 私の健在のうちにできればいいが、だめかもしれない。
 そのときは大作、頼むよ。
 世界第一の大学にしようではないか」
 それから、55年 ── 。
 私は、牧口先生、戸田先生の構想を、完壁に実現することができた。
 両先生が願われた通りに、創価教育の大学・学園から、きら星の如く、優れ
た人材が澎湃(ほうはい)と躍り出ている。
 世界の心ある識者が、創価の人材育成に、「教育の世紀」の希望を見出して
いる。
 私どもは一段と総力をあげて、社会に貢献し、新時代を創造しゆく、宝の逸
材を育ててまいりたい(大拍手)。

◆タゴールの学園の誉れの卒業生
 一、明年のアメリカのシンポジウムで、牧口先生とともに取り上げられるイ
ンドの大詩人タゴールも、偉大な学園の創立者であった。
 タゴールの学園の卒業生たちは、創立者の理想を掲げて、世界で活躍してい
った。
 「貧困と戦う経済学」を提唱され、東洋人として初めてノーベル経済学賞を
受賞したアマルティア・セン博士も、誉れある卒業生の一人であられる。
 「アマルティア」という名前は、「永遠に生きる者」という意味で、学園創
立者のタゴールから名付けられたと、うかがっている。
 一、先日、私は、ガンジーの高弟ジャムナラル・バジャージの精神を継承す
る「バジャージ財団」より、栄えある「ジャムナラル・バジャージ国際賞」を
受賞した。<授与式は今月4日、インドのムンバイで行われ、代理授与された

 その際、証書とトロフィーを授与してくださったのが、このセン博士である。
 博士は、創価の人間主義に深い理解を示してくださっている。
 セン博士は語っておられる。
 「不正義を自ら起こさなくとも、放置すること自体が不正義だというのが、
タゴールの考えだ。要するに自分として何ができるか、それが重要なのだ」(1
999年1月1日付、東京新聞・中日新聞のインタビューから)
 悪を見過ごす傍観者であってはならない。まず自らが、正義のために立ち上
がれ!行動を起こせ! ── 創立者タゴールのこの教えが、セン博士の学問と
思想、そして人生に、誇り高く脈動しているのである。


◆◆◆ 〔牧口先生〕教師は正義の実行者たれ
      ── 学生を大切に! 学生の父母を大切に!

◆自分の行動で模範を示せ!
 一、創価の父である牧口先生は、教育者には、悪と戦う使命があることを強
調されている。
 「教師が、教師としての尊敬を受ける、最大要件は、正邪善悪(せいじゃぜ
んあく)の判断と実現であり、単なる口舌(くぜつ)の説明のみに止らず実践
躬行(じっせんきゅうこう=自分で実際に行うこと)による一の示範(しはん)
である」(『創価教育学体系』所収「教権確立論」)
 "口先"だけではいけない。自らの行動で模範を示せということである。
 「正邪善悪を識別せしめることを以て第一の職とする教師の地位にあって居
ながら、自らその本質に背馳した(はいちした=背いた)行動を敢てし恬とし
て(てんとして=平然として)自覚せざるが如きは、真にそれこそ教師の職を
冒涜(ぼうとく)するものといわねばならぬ」(同「教師即教育技師論」。現
代表記に改めた)
 正と邪、善と悪を明確に識別する。そして、正義と善の勝利のために、勇敢
に戦っていく。それこそが、教育者の使命である。
 その実践が、社会を根底から変えていくのである。
 一、ローマクラブ名誉会長のホフライトネル博士は、私との対談で、教育の
根本の魂について、こう指摘しておられた。
 「もし教育する側の人たち(親、教師、さらにいえば社会全体)が、自らの
手本を通して生徒たちに倫理や道徳の価値を伝えなければ、教育や学問は単な
る知識の伝達に終わってしまうと、私は考えています。
 ゆえに、日常生活における私たちの行動と、私たちが口にする価値観とが一
貫性を持ち、矛盾していないことが必要です」(『見つめあう西と東』第三文
明社)
 要するに、問われるのは、教育者自身の姿勢であり、行動である。
 またそれは、博士が言われる通り、人々を導く立場にある、すべての人間に
当てはまる。
 言うことと、することが違う人に、人はついてこない。人を育てることはで
きない。
 まず自分自身が、人間革命に挑戦していくことである。

◆深く根を張れ
 一、タゴールの学園の創立は、1901年。
 タゴールが私財をなげうって学園を創立したとき、彼は40歳であった。
 思えば、あのプラトンが学園アカデメイアを創立したのも、40歳のころ。
 創価学園が開校したとき、私も40歳であった。
 タゴールは言った。
 「人間の活動は、木の枝のようなものである。根の部分に相当する知性が不
能になると、全体が枯れる」(森本達雄訳「主の御意志」、『タゴール著作集
第8巻』所収、第三文明社)
 知性は「根」である。根をしっかりと、強く深く張っていなければ、自立す
ることはできない。
 大きく成長することはできない。
 人間の一生を支えゆく、確固とした「根」を育(はぐく)むこと。ここに教
育の大きな役割がある。
 一、タゴールの学園は、美しい自然環境に恵まれた天地、シャンティニケタ
ンの地に建った。
 「シャンティニケタン」とは「平和の地」を意味している。
 帝国主義下の激動の時代にあって、タゴールは「全人類の最初の勝利の旗が
この地に掲げられるだろう」と宣言した(我妻和男著『人類の知的遺産61タ
ゴール』講談社から)。
 そして、「人類の連帯」「東西文化の融合」「社会の改革」「全人的な教育」
をめざして、戦いを開始したのである。
 植民地政府からは、反植民地運動の拠点とみなされ、学園に入学してはなら
ないという指令が出されるなど、迫害は絶えなかった。

◆強い母校愛で学園は発展!
 一、幾多の苦難に直面しながら、タゴールの学園が発展していったのは、な
ぜか。
 その理由の一つに、創立者タゴールを中心として、教職員、そして学生が強
い団結で結ばれていたことが指摘されている。
 学園の財政は厳しく、立派な建物はなくとも、創立者タゴールのもとには、
各国各地から、有名な碩学(せきがく)、教授や教師が集った。皆、タゴール
を慕い、その建学の精神に共鳴して、学園にやってきた精鋭ばかりであった。
 やがて、卒業生のなかからも、愛する母校で教鞭(きょうべん)を執り、後
輩を慈(いつく)しみ育てゆく教育者が生まれていったのである。

                     (〔下〕につづく)

創立75周年記念幹部代表者会議での名誉会長のスピーチ〔下〕

2005年10月26日 | 代表者会議
2005.10.26SP
◆◆◆ 栄光の学会創立75周年 君よ振れ振れ 勝利の旗を!
── 新リーダーの出発、おめでとう! ──
◆◆ 思う存分歴史を作れ
── 広布の道をまっすぐに 不惜身命・獅子奮迅で ──



【名誉会長のスピーチ】
 一、全国で新しい広布のリーダーが、さっそうと立ち上がった。
 皆さんの時代である。思う存分に走り、語り、わが同志とともに、歓喜と勝
利の歴史をつくっていただきたい。
 学会活動ほど楽しいことはない。
 広布に進む人は、皆、仏の使いである。
 その不思議なる使命の友と会い、ともに行動する。これほど偉大なことはな
いのである。
 きょうは婦人部の代表も参加されている。
 信心のエンジンを全開にして、生き生きと進む姿は美しい。
 婦人部が健在ならば、創価学会は盤石(ばんじゃく)である。
 広布の道をまっすぐに ── その決心が光っている。尊いことである。
 反対に、そういう人が少なくなれば、学会は衰亡してしまう。
 日蓮大聖人は、「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」の精神を教えられた。
この心を失えば、大聖人の仏法ではない。
 ともあれ、今こそ万年の勝利の土台をつくるチャンスである。
 広布の法城である会館も一段と整備したい。
 青年部を育て、鍛え、堂々たる人材の城を築いていきたい。
 信心は、夢を実現する力である。
 心ゆくまで唱題しながら、健康第一で、社会で勝ち、人生で勝ち、晴れ晴れ
と、世界一の幸福を勝ち飾っていただきたい(大拍手)。

◆ 陰の功労と真心に大福運が薫る
 一、陰の立場で、広布に徹する。同志を支える ── その人ありて、学会は
世界的になった。
 感謝を込めて、大聖人の御書を拝したい。
 夫とともに信心に励んだ佐渡の門下、是日尼(ぜにちあま)への御手紙であ
る。
 「先年、佐渡の国から、この甲州の身延まで、あなたの夫の入道殿が来られ
たので、実に不思議なことだと思っていたところ、また今年も来られました。
そして、菜(な)を摘み、水を汲み、薪(たきぎ)を取り、法華経に説かれる
須頭檀王(すずだんのう)が正法を求めて阿私仙人(あしせんにん)に仕えた
ようにして(大聖人にお仕えして)、一カ月にも及んでいるのは、何と不思議
なことでしょうか。
 筆で書き尽くすことはできません。これは、ひとえに、また夫人であるあな
たのご功徳ともなるでしょう。
 また、御本尊を一幅認(したた)めて差し上げます。霊山浄土では、必ず、
お会いいたしましょう」(御書1335ページ、通解)
 このように、一夫妻の人知れぬ陰の功労と真心は、永遠の経典である「御書」
に感動的に留(とど)め残されている。
 それはまた、大仏法の広がりとともに、末法万年尽未来際まで、光り輝いて
いくに違いない。
 広宣流布のために尽くす真心と行動は、すべてが「今生(こんじょう)人界
の思出(おもいで)」と刻まれ、「三世永遠の大福運」と薫っていく。
 これが妙法の世界なのである。


◆◆ ≪ナポレオンの大確信≫ 不可能なものは何もない!

◆ ナポレオンの文化の光彩(こうさい)
 一、待望の「栄光の大ナポレオン展」が、"世界を語る美術館"をモットー
とする八王子市の東京富士美術館で、まもなく開幕する。<11月3日(木)
から12月23日(金)まで>
 1993年の「大ナポレオン展」、1999年の「特別ナポレオン展」に続
く、ナポレオン・シリ一ズの集大成である。
 「文化の光彩と人間のロマン」と掲げられたテーマに沿って、人間ナポレオ
ンの文化的側面に光を当てた内容となっているようだ。
 代表的な展示品としては、ナポレオン家ゆかりのダイヤモンドの宝冠。
 ナポレオンの后(きさき)であったジョゼフィーヌの肖像画。<多くのジョ
ゼフィーヌの肖像画の中でも、最も美しく気品に満ちた名画として有名>
 「ワーテルローの戦い」でナポレオンが使用した「帽子」と「剣」など、3
00点以上の貴重な品々が一堂に展覧される。
 ナポレオンというと、「権力」や「武力」などの側面から見られることが多
い。
 しかし、一方で、ナポレオンが多くの文化事業を成し遂げ、後世に巨大な影
響を及ぼしたことも、見逃すことはできない。

◆ 優(すぐ)れた民法典(みんぽうてん)鉛筆や瓶詰(びんづめ)も
 一、たとえば、彼の陣頭指揮で制定された民法典である「ナポレオン法典」
は、ヨーロッパをはじめ、世界各国に大きな影響を与えた。
 2281カ条にわたる同法典には、「法の前の平等」をはじめ、近代社会の
柱となる考えが記されている。
 ナポレオン法典の制定こそ、彼の最大の功績であるとも言われる。
 文体は論理的、かつ簡潔で、文豪スタンダールはナポレオン法典を文章の模
範と仰いだ。
 エジプト遠征の際、百数十人の学者を随行(ずいこう)させて大規模な学術
調査を行ったことも、不滅の足跡(そくせき)として光っている。
 その多大な成果が「エジプト学」の基礎を確立した。
 また彼は、セーブルの陶磁器やリヨンの絹織物を育成するなど、文化産業を
振興。
 工業製品の開発を競う,博覧会を開催し、自らも熱心に観覧した。
 当時、発明されたばかりの電池の技術を知った彼は、すぐさま電池工場を作
らせている。
 私たちにあまりにもなじみ深い「鉛筆」を普及させたのも、ナポレオンだと
いわれる。
 食糧を長期保存するための"瓶詰"を考案させたのも彼であった。

◆ 教育にも尽力
 一、ナポレオンは、教育にも力を尽くし、わずか3年間で4500の小学校、
750の中学校、45の高等中学校がつくられたといわれる。6000人の奨
学生を援助する給費生(きゅうひせい)制度も設けられた。
 有名な「バカロレア」(大学入学資格試験)を制定したのもナポレオンであ
る。
 ナポレオンが「レジオン・ドヌール勲章」を制定したことは、よく知られて
いる。これは、今日(こんにち)もフランスで最も栄誉ある勲章である。
 しかも彼は、この栄誉を軍人だけでなく、全国民を対象とし、幅広く顕彰(け
んしょう)していった。
 「活動的な生活は常に健康にいい」「中途半端にことを運べば常に失敗する」
と語っていたナポレオンである(柳澤恭雄訳『戦争・政治・人間 ── ナポレ
オンの言葉』河出書房、現代表記に改めた)。
 自ら率先して行動し、全知全能を注ぎ、誰も成し遂げたことのない歴史を築
き上げていったのである。
 一、今回の「栄光の大ナポレオン展」には、ルーブル宮殿を訪れるナポレオ
ンを描いた絵画も出品されている。<オーギュスト・クーデ作「ペルシエとフ
ォンテーヌとともにルーヴルの階段を訪問するナポレオン」>
 ナポレオンが、ルーブル宮殿の建築家と、美術館創設の構想に思いをめぐら
せる光景を描いた名画である。
 私は、富士美術館が落成する前年の1972年5月、ルーブル美術館を訪問
した。
 世界最高峰の傑作の数々を見学し、フランス国立美術館局長のシャトラン氏
と、美術館のあり方など、さまざまに意見交換したことが懐かしく思い出され
る。
 ナポレオンは、「文化の都」パリの都市計画に取り組み、道路や運河などを
整備していった。また、凱旋門(がいせんもん)をはじめ、多くの建造物や宮
殿を建てていった。
 そして、そうした都市計画をヨーロッパの主要都市にも拡大し、豊かな文化
の彩りを幾重にも広げていったのである。

◆ 「人間的な思想を拡大・充実せよ」
 一、「一人の人間の可能性」に思いを馳せるとき、ナポレオンヘの興味は尽
きることがない。
 彼は語っている。
 「不可能なるものは何物もない」
 「不可能なるものは何処にもない」(同)
 彼が「不可能」という言葉を嫌ったことは、あまりにも有名である。
 どこまで歴史を創れるか。どこまで歴史を残せるか ── ナポレオンが放つ
「文化の光彩」は、「人間のロマン」を鮮やかに輝かせてやまない。
 ナポレオンは、「フランス学士院」の一員に選ばれた際に語った。
 「いずれの国民に対しても、最も尊重すべき、また、最も有用な事業とは、
人間的な思想の拡大充実に貢献することであります」(若井林一訳『ナポレオ
ン作品集』読売新聞社)
 また彼は、「不和(ふわ)は何れの場合にも悪い」(前掲『ナポレオンの言
葉』)と述べている。
 私たちは、さらに世界と友情を結び、平和と文化と教育の交流を深めながら、
仏法に根ざした「人間的な思想の拡大・充実」を推進してまいりたい。
 「艱難(かんなん)に際して勇気と剛毅(ごうき)によってのみ身を処する
ことが出来る」(同) ── 私は、このナポレオンの言葉を、尊き広布に生き
る皆さま方に贈りたい(大拍手)。

◆ 源(みなもと)に水があれば流れは涸(か)れない
 一、日蓮大聖人は、「源に水があれば、流れは濁れることはない」
(御書900ページ、通解)と仰せである。
 雄大に流れる大河も、その源流には、ほとばしる勢いがあるものだ。
 創価学会のリーダーは、広宣流布の源流の存在である。広布の組織の"心臓
部"である。
 常に満々たる生命力をたたえ、大闘争への勢いに満ちていなければならない。
 そうであってこそ、仏の軍勢に、前進の活力をみなぎらせていくことができ
る。
 人間の心臓は、一日のうちに10万回も拍動(はくどう)するという。そし
て、一日で約8トンもの血液を、全身に送り続けている。
 目に見えないところでリーダーが真剣に祈り、智慧をしぼる。そして、心を
くだき、迅速な手を打ち続けてこそ、皆が安心し、仏意仏勅(ぶついぶっちょ
く)の和合僧の威光勢力(いこうせいりょく)が増す。広宣流布の大河が、滔々
(とうとう)と流れてゆくのである。
 一、有名な御聖訓には仰せである。
 「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)
きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき
事なり」(同1124ページ)
 この「師子奮迅の力」で、学会は勝ってきた。
 実際のライオンもまた、いざ攻撃となると、すさまじい力を発揮する。
 その疾走する速さは、時速60キロに達する。
 跳躍すれば、一飛びで12メートル。狙いを定めて、猛然と飛びかかる。
 また、ライオンの咆哮(ほうこう)は、数キロ先にも届くそうだ。
 まさに師子吼である。
 青年部の諸君は、仏法の正義を守り、広げる師子の存在である。
 仏敵に対して、師子は決然と吼えなければならない。
 マハトマ・ガンジーは言った。
 「恐れがあるところには宗教はない」
 また彼は、厳格に戒(いまし)めている。
 「宗教は内的(ないてき)腐敗によってのみ滅ぼされうるのです」(森本素
世子訳「ハリジャン」1933年3月18日号、『不可触民解放の悲願』所収、
明石書店)
 仏法の和合僧を破壊する「師子身中の虫」は、決して許してはならない。
 邪悪な輩(やから)を恐れおののかせ、正義の同志が奮い立つ「声」をあげ
なければならないのである。


◆≪ペンの闘志・巴金先生≫
  「自分の力を過小評価するな」
   私は信じる「真理は常に勝つ」

◆ 戦って戦い抜いた巴金(ぱきん)先生
 一、去る10月17日の夜、私が深く敬愛する、現代中国を代表する世界的
文豪・巴金先生が逝去された。享年100歳であられた。
 私も、これまで、4度にわたって忘れ得ぬ出会いと語らいの歴史を刻ませて
いただいた。
 <初の出会いは、1980年(昭和55年)4月5日、静岡研修道場で。2
度目は同年4月28日、上海・錦江飯店(きんこうはんてん)で。3度目は8
4年(昭和59年)5月11日、来日中の都内の宿舎で。そして最後の語らい
は、同年6月10日、上海の巴金氏の自宅で>
 人民の友好を深く願われていた巴金先生に思いを馳せながら、すぐに弔電を
送り、深く追善させていただいた。
 上海のご自宅にお招きいただいた際は、辞去する私を、わざわざ先生は、外
まで見送りに立ってくださった。
 お体に障(さわ)ると思い、途中、何度も「もう、ここまでで結構ですから」
と申し上げた。しかし、一歩また一歩と杖をつかれながら、門を越え、石段を
降りた道路まで歩みを運んでくださった。
 私が車に乗ってからも、ご家族と一緒に、微笑(ほほえ)まれながら、いつ
までも手を振ってくださった。あの光景は、今も私の生命の底に焼きついて離
れない。
 一、「文化大革命」の10年間、巴金先生に向けられた嘘や言いがかり、デ
マによる迫害は、筆舌に尽くしがたいものであった。
 14巻の『巴金文集』など、すべての作品が「邪書(じゃしょ)」「大毒草
(だいどくそう)」とされた。
 「妖怪変化(ようかいへんげ)」と呼ばれ、何度も大勢の前で台上に引きず
り出され、頭を垂れて罪を認めさせられた。
 30余年もの長いつき合いだった友人から裏切られ、まったくの嘘八百をで
っち上げられたこともあった。
 家族も糾弾(きゅうだん)の対象とされた。唯一の心の支えであった夫人は
辛労(しんろう)の上に病に倒れ、「毒草の妻」だからと満足な治療も受けら
れないまま、亡くなられた ── 。
 巴金先生との3度目の語らいの折、私は率直にうかがった。
 文化大革命という不幸な嵐の中で、何を強靱(きょうじん)な意志に変えて
生き抜いてこられたのか ── と。
 巴金先生は言われた。
 「『信ずること』。常に理想を求めていくということです。真理は常に悪に
勝つということを信じています」
 さらに巴金先生は、きっぱりと言われた。
 「いろいろ苦しいことはあったが、その中で考えた唯一のことは"戦って、
戦って、戦い抜いて生きていく"ということでした」
 その通りに、先生は戦い抜かれ、そして勝ち抜かれた。
 2年前(2003年)の11月、数え年で100歳となられた佳節(かせつ)
には、中国政府から、巴金先生に「人民作家」の称号が贈られた。最高の誉れ
の名称である。
 私は創価の「ペンの闘士」の皆さんに、巴金先生の言葉を贈りたい。
 「自分の力を過小評価してはなりません。
 われわれの手に握られたペンは、一つの力を生みだすことができるのです」
 「ペンを武器にして、真理を顕示(けんじ)し、邪悪を糾弾し、暗黒勢力に
打撃をあたえ、正義を主張する力を結集させることができるのです」(「世界」
1984年8月号所収、岩波書店)
 これは、東京で開催された世界の作家の代表による国際大会での、巴金先生
の講演である。
 ペンを武器に最後の最後まで戦い抜いた巴金先生のごとく、わが創価の「ペ
ンの闘士」たちよ、正義のために書いて書いて書きまくってくれたまえ!と申
し上げたい(大拍手)。

◆ 法華経の兵法に勝るものなし!
 一、弘安2年(1279年)の10月23日、大聖人が、強敵と戦い抜いて
きた四条金吾に与えられた御聖訓を、ともどもに拝したい。
 別名「法華経兵法事(ほけきょうへいほうのこと)」「剣形書(けんぎょう
しょ)」と呼ばれる有名な御書である。
 「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ、我が運命つきて諸天守護なしとうら
むる事あるべからず」(1192ページ)
 「なにの兵法(へいほう)よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、『諸余怨
敵・皆悉摧滅(しょよおんてき・かいしつさいめつ)』の金言むなしかるべか
らず、兵法剣形(へいほうけんぎょう)の大事も此の妙法より出でたり、ふか
く信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(同)
 必死の祈りは、諸天をも動かす。あらゆる障魔を打ち破っていける。
 「法華経の兵法」に勝るものはないのである。
 全同志が、ますます厳然と諸天に守護され、ご健康で、ご長寿で、ご多幸で
あられるように、私はさらにさらに祈ってまいります。
 結びに、敬愛する全同志に和歌を贈りたい。

 創立の
   記念日祝さむ
    天高く
  君よ 振れ振れ
     勝利の旗をば

 栄光の創立75周年を総仕上げして、全国各地で奮闘されている"創価家
族"の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 いつも本当にありがとう! (大拍手)

                   (2005・10・22)

創立75周年記念幹部代表者会議での名誉会長のスピーチ〔上〕

2005年10月25日 | 代表者会議
◆◆◆ 出会いは劇(ドラマ)!
       一対一の対話が人間を結ぶ! 世界を変える!!
── 広宣流布へ「戦う心」に永遠の功徳が! ──
◆◆◆ 〔真剣〕〔誠実〕の人が最期は勝つ
── 日々の学会活動こそ「幸福の大道」 ──


【名誉会長のスピーチ】
 一、きょうは、お忙しいところ、本当にご苦労さま!
 私たちは、日本全国、そして世界190カ国・地域の同志とともに、偉大な
る広宣流布の勝ち戦をもって、学会創立75周年を、晴れ晴れと飾ることがで
きた。
 本当におめでとう! ありがとう! (大拍手)
 信濃町の学会本部には、世界の多くの識者の方々からも、続々と祝賀の声が
寄せられている。
 皆さま方の「忍耐」と「努力」、そして「信念」と「正義」の戦いによって、
広宣流布は大きく、大きく広がってきた。
 この偉大なる事実を、御本仏・日蓮大聖人が、どれほど讃嘆しておられるこ
とか。
 牧口先生、戸田先生が、どれほど、お喜びであるか。
 また、広布の途上で亡くなられた先輩方が、どんなに喜んでおられることか。
 三世十方の仏菩薩が、厳然と皆さま方を守護しゆくことは、仏法の方程式か
ら見て、絶対である。
 私は、皆さま方の絶え間なき奮闘と前進、あらゆる苦難を打ち破りながら指
揮を執(と)りゆく、尊き躍動の姿を見つめ、感謝と感涙の思いである。
 私は、全員が健康で、長生きして、一家一族の永遠の福徳を積まれゆくこと
を、心から祈っている。
 そして、わが全同志が、栄光の仏の生命を輝かせながら、三世にわたって大
果報の人生を開き、大指導者となりゆくことを確信している。
 我ら創価学会員の最高・最大の名誉は、大聖人の御聖訓通りに生き、御聖訓
通りに前進し、御聖訓通りに戦い、広宣流布のために、この尊き人生を、永遠
の功徳を受けながら、勝ち抜いているという事実である。
 私は、妙法のために戦ってくださる皆さま方に、最敬礼をもって、心からの
御礼を申し上げたい。
 75年前の11月18日に発刊された『創価教育学体系』の緒言(しょげん)
で、牧口先生は"わが学会は「同心協力(どうしんきょうりょく)の団体」な
り"と宣言された。
 牧口先生、戸田先生の師弟による「同心協力」の第一歩は、今や、この青き
地球を包む、壮大な人間主義のネットワークヘと広がっている。
 全世界の国々で、広宣流布のために戦ってくださっている方々の人生に、栄
光と勝利あれ! ── 私は、そう祈っている。全同志への最大の感謝と敬意を
込めて、少々、スピーチさせていただきたい。

◆ 会員に尽くすのが真のリーダー
 一、学会のリーダーとして、また、一人の信仰者として大切なことは何か。
 それは、地道な活動をコツコツと続けていくことだ。個人指導でも、拡大の
戦いでも、要領を使わずに、一生懸命に取り組んでいくことである。
 真剣に、誠実に行動する人には、だれもかなわない。「心こそ大切」(御書
1192ページ)である。それが仏法の究極なのである。
 ましてや、会員に対して威張るような人間は、リーダーとして失格だ。
 そういう人を幹部にしてはならない。
 会員を励まし、会員のために尽くしていく。それが学会のリーダーである。
 これまで信心がおかしくなり、退転していった人間の多くは、まじめに活動
する人たちを陰でバカにしていた。
 学会活動なんて面倒だ。それよりも、自分の好きなように遊びたい。学会に
は適当について、あとはうまくやればいい ── そういう心根(こころね)で
あった。
 また、「身はをちねども心をち」(同1181ページ)と仰せのごとく、姿
は退転していなくても、心では退転している。そういう人間もいた。
 誠実に、苦労を避けないで戦ってきた人は、皆、間違いなく幸福になってい
る。最後は勝っている。
 学会とともに生き抜けば、絶対に幸福の人生を歩めるのである。
 私は、50年以上にわたって、多くの人を見てきた。だから、本当によくわ
かる。
 富があっても、幸福とは限らない。
 社会的に偉くても、幸福とは限らない。
 また、どんなに容姿が優れていても、幸福とは限らない。
 お金や地位や名声は、はかない。やがて消えていってしまう。
 だからこそ、仏法が必要なのである。
 永遠に崩れざる「絶対的幸福」の大境涯を築いていく。そのための信心であ
る。学会活動なのである。

◆ ガンジーの高弟の名を冠(かん)した賞
 一、このほど、私は、精神の大国インドの「バジャージ財団」から、「ジャ
ムナラル・バジャージ国際賞」の決定通知をいただいた。大変な光栄であり、
心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 <同賞は、インドの国外で、マハトマ・ガンジーの思想を広く宣揚(せんよ
う)した人物に贈られる賞。
 先日、受賞者の発表が同財団によって行われ、テレビや新聞などで報道され
た>
 インドをはじめ、全世界の"非暴力と平和の闘士"であるSGI(創価学会イン
タナショナル)の同志とともに、つつしんで、お受けしたい。
 国際賞に冠された「ジャムナラル・バジャージ」とは、マハトマ・ガンジー
の高弟で、師とともに、インドの独立闘争を戦った人物の名前である。
 このバジャージが、師ガンジーと出会ったのは20代の半ばである。以後、
25年以上にわたり、ガンジーの弟子として生き抜き、戦い切った。
 そのなかで幾たびも弾圧され、投獄された。獄中闘争は、通算5年間に及ん
でいる。


◆◆ 〔師〕ガンジーを陰で支え続けた〔弟子〕バジャージ
◆◆ 師と共に! それが最大の喜び

◆ 信念の力で、すべての人を味方に
 一、マハトマ・ガンジーは述べている。
 「美しい人格の人は、いとも簡単に人に確信を与え、自然に周(まわ)りの
雰囲気を浄化します」
 「他者のために生命を捧げようという人は、日の当たる場所に自分の居場所
を確保する時間など、ないものです」
 「信念があり、信念から生まれる力を持つ者は、他人から軽んじられても、
少しも苦にしません。内的な力だけを信じています。このため、すべての人と
謙虚に接して、世論を喚起し、自分の味方にするのです」(田中敏雄訳『南ア
フリカでのサッティヤーグラハの歴史2』平凡社東洋文庫)
 こうした師の精神を、弟子バジャージは深く体得していた。
 彼は、華やかな表舞台ではなく、裏方に徹して、師匠であるガンジーに仕え
続けたのである。
 実業家として、師を経済面からも厳然と支えた。
 その姿は、実業家としても活躍し、牧口先生の活動を陰で支えた戸田先生の
姿とも重なってくる。
 バジャージは、師ガンジーこそが、インドが最も必要とし、守らねばならな
い、最重要の"宝"であると確信していた。
 彼の心を支配していた唯一の関心事は、「師匠の負担を、いかに軽くできる
か」であったといわれる。
 戸田先生にお仕えした私には、その真情が、痛いほどわかる。
 戦後、戸田先生の事業が破綻して、莫大(ばくだい)な負債を抱えた。社員
は一人、また一人と去っていく。
 先生のもとに残ったのは、事実上、私一人であった。
 先の見通しはまったく立たない。本当に、生きるか死ぬかという状況だった。
そうした中で、私は先生に申し上げた。
 「先生、借金は必ず、私が働いて返します。どうか、ご安心ください」
 私は、すべてをなげうって阿修羅(あしゅら)のごとく働いた。先生を支え
抜いた。
 そして、一切の苦境を乗り越え、先生は、晴れて第2代会長に就任されたの
である。
 師匠に仕え、師匠を守り抜いた ── これは、私の人生における最高の誇り
であり、喜びである。

◆ 「私は恐れない」
 一、バジャージにとっても、最大無上の喜びは、いかなる困難があろうとも、
また、いかなる戦野であろうとも、師であるガンジーとともに戦えることであ
った。
 彼は、妻への手紙に書き記している。
 「私は、幸せである。恐れなど、何もない。
 私にあるのは、ただ一つの願いだけである。
 それは、師とともに戦うという、この至福の喜びを楽しむことだけである。
 あまり恐れたり、心配しても、何の得にもならない。それは、人間の可能性
を狭(せば)めてしまうからである」
 だれが知らなくとも、だれが讃えなくとも、師匠だけは、この弟子の戦いを、
すべてわかってくれていた。
 ガンジーは、この愛弟子バジャージを賞讃して、こう綴り残している。
 「私が、新しい計画に取りかかろうとすると、彼はすぐさま、自らその責任
を負い、ほとんどの負担を、私から取り除いてくれた。
常に、不眠不休で仕えてくれた。
 私の仕事を助け、私をほっとさせ、私の健康、そして財政まで、面倒をみて
くれたのである」
 マハトマ・ガンジーは、良き弟子を持った。
 師も偉大であった。
 弟子もまた偉大であった。
 このたび、私がお受けする「ジャムナラル・バジャージ国際賞」は、その師
弟の精神が脈打つ、まことに意義深き賞なのである。
 この栄誉を、私は万感の思いを込めて、牧口、戸田両先生に捧げたい(大拍
手)。

◆ 「師弟の精神」を世界が賞讃
 一、思えば、『創価教育学体系』の緒言において、牧口先生は、同書の発刊
に対する弟子の戸田先生の尽力が、いかに大きかったかを述べておられる。
 創価教育学が誕生したのは、偉大なる弟子の闘争があればこそであった。そ
れは、弟子が師匠を引きずるほどの勢いであったと、牧口先生は記されている
のである。
 <「緒言」には、こう綴られている(引用は現代表記に改めた)。
 「戸田城外(城聖)君は多年の親交から最も早い理解者の一人とて、その自
由なる立場に於ける経営の時習学館に実験して小成功を収(おさ)め其の価値
を認め確信を得たので、余が苦悶の境遇に同情し其(その)資財を抛(なげう)
って本学説の完成と普及に全力を捧げんと決心し、今では主客顛倒(しゅかく
てんとう)、却(かえ)って余が引摺(ひきず)られる態(てい)になったの
である」>
 戸田先生は、よく語っておられた。
 「名誉ある弟子をもつことは、師にとって最大の幸福だ」
 創価学会は、「師弟」で勝ってきた。これからも、永遠に「師弟の精神」で
勝ち抜いていく。
 世界の知性も、この「師弟の精神」に注目し、大きな賞讃を寄せてくださっ
ている。
 かつて私がお会いした、アメリカの名門・デラウェア大学のローゼル学長は、
こう語っておられる。
 「誰しもが、自身の成長や成功の軌跡を振り返った時、それに深く関わった
師匠の存在があるものです。私自身、人生の基盤の建設に欠くことのできない
師匠の存在があります。
 創価学会も、師匠の存在に最大の価値を置き、その精神を継承しようとされ
ています。
 そこに発展の深き因があることに、私は心からの共感を覚えます」
 北京大学「池田大作研究会」の賈?萱(かけいけん)会長も、論じておられた。
 「池田先生の行動の源泉は、すべて、戸田第2代会長に師事されたことから
出発されています。つまり、師弟の道に徹し抜いたからこそ、世界に燦(さん)
たる完壁な事業を達成されたと私は思います」
 世界の識者は、本当によく本質を見てくださっている。深いご理解に心から
感謝申し上げたい。


◆◆◆ 新しい挑戦を開始せよ
◆≪ローマに滅ぼされたカルタゴの教訓≫ 大勝利から一転、衰亡の坂を落ち

◆◆≪トインビー博士の信念≫ 常に全力で仕事をしよう

◆ 一通の手紙
 一、きょう10月22日は、トインビー博士の命日である。
 <30年前の1975年、86歳で逝去>
 私は妻とともに、いつも懇(ねんご)ろに追善させていただいている。
 本当に懐かしい博士である。
 世界的な名声を博しておられながら、どこまでも謙虚で、誠実な方であった。
 トインビー博士から、真心こもるお手紙をいただいたのは、1969年(昭
和44年)の秋。
 当時、私は41歳。
 手紙には、"あなたの思想や著作に強い関心を持っており、直接、会って語
り合いたい""われわれ二人で、人類の直面する諸問題について対談をした
い"と、したためられていた。
 私自身、仏法者として、人類の抱える課題をいかに解決していくかを真剣に
模索していた時であった。
 文明と宗教についての深い洞察を発表されていた博士から、お聞きしたいこ
とは、たくさんあった。
 その意味から、博士の要請に、ぜひ、応えさせていただこうと、対談をお受
けすることに決めたのである。
 博士は当時、80歳。ご高齢で心臓も悪くされていた。そのため、飛行機に
は乗れない。
 船では、あまりに長旅になってしまう。
 そこで、もったいなくも、私を、ロンドンに招待してくださったのである。

◆ 5月の花の季節
 一、1972年の5月、自然が最も華やぐ季節(メイフラワー・タイム)に、
ロンドンの閑静な住宅街を訪ねた。
 赤レンガづくりの7階建ての建物の5階に博士のご自宅がある。
 私と妻を乗せた旧式のエレベーターが、ゆっくりと昇っていき、5階でガッ
タン、ガッタンと大きな音をたてて止まった。
 エレベーターを降りると、そこに、あの白髪(はくはつ)の博士が、ご夫妻
で、こぼれんばかりの笑顔を浮かべて待っていてくださった。

 トインビー博士との語らいによって、私の世界の識者との対話は、本格的に
幕を開けたといっていい。
 本当に不思議な出会いの劇であった。

◆ 自分に課した事
 一、世界的な名著『歴史の研究』の執筆をはじめ、膨大な研究を成し遂げた
トインビー博士は、こう語っておられる。
 「半世紀の間、私は今までやっていた仕事が仕上がったその日に、次の仕事
を始めたものであった。一息入れて休むということは絶対にしなかった。そし
て仕上げたいと切望するこの熱心さは、年をとるにつれて増してきた」
 「常に仕事をしていること、しかも全力を出して仕事をしていること、これ
が私の良心が義務として私に課したことであった」(山口光朔・増田英夫訳『回
想録1』社会思想社)
 生あるかぎり、間断なく、油断なく、さあ、きょうも、仕事をしよう!
 これが、博士の情熱であり、信念であられた。
 一、博士との対談は、1972年から73年にかけて2年越しで行われ、計
40時間に及んだ。
 その内容は、対談集『21世紀への対話』(英語版は『生への選択』)に結
実している。
 <トインビー博士との対談集は、現在、世界26言語で出版。
 "自分が生きている世界を理解したいと思う人にとっての必読書"(ブラジ
ル・リオデジャネイロ州立大学ペレイラ総長)と高く評価され、海外の大学や
高校で教科書としても使われている。
 今月14日には、中国最高峰の北京大学において、"池田・トインビー対談"
をテーマとした国際学術シンポジウム「『21世紀への対話』と現代社会」が
開催された。
 ここでは、名誉会長の思想・哲学・行動を探究する11大学47人の学術者
が集い、中国と世界の進むべき道が討議された>

◆ 思わぬ出来事!
 一、博士とのさまざまな思い出が、今も鮮やかによみがえってくる。
 会見の初日、思わぬハプニングが起こった。
 語らいが、生命論など哲学的な話に及ぶと、通訳が言葉に詰まってしまって、
的確に訳すことができなかったのである。
 どうしたらいいか ── 皆で相談した。
 窮地(きゅうち)に立てば、知恵も出るものだ。
 イギリスのメンバーにも応援してもらい、訳せなかった部分は、対談を録音
したテープを、その日の夜のうちに再生して、日本語に起こし、それを見たう
えで、翌日また、対話を続けていくことにした。
 博士も、なるべくゆっくりと、分かりやすく、言葉を選んで話され、通訳を
助けてくださった。
 また、対談も終わりに近づいたある日、博士は、著名な紳士しか入れない会
員制のクラブに、私を招待してくださった。<バッキンガム宮殿の近くにある
「アセニアム・クラブ」>
 ゆったりとしたソファに座り、コーヒーをすすりながら、博士は、何か盛ん
に私に話しかけてくれるのだが、二人きりで、通訳はいない。
 私は、「イエス、イエス」とうなずくばかり(笑い)。最高の名誉ある場所
に連れてきていただいたはずだったのだが(笑い)。
 もっと英語を勉強しておくべきだったと、後悔しても遅い。
 それでも、身振り手振りで、心は通じ合った。
 博士ご自身は、お疲れであったに違いないが、わが子ほども年の差のある私
を、最大に大事にしてくださり、感謝にたえなかった。
 日本の「源氏物語」や「万葉集」についても勉強しておられ、話題は尽きる
ことがなかった。


◆≪トインビー博士≫安逸(あんいつ)は文明にとって有害
── 半世紀の間 仕事が仕上がった日に次の仕事を始めた ──

◆「戦う心」の炎を消してはならぬ
 一、博士は、『歴史の研究』の中で、示唆(しさ)に富んだ史実を挙げてい
る。
 それは、紀元前216年のことであった。古代世界で、最も偉大な名将の一
人と謳(うた)われるハンニバルが率いるカルタゴの軍勢(ぐんぜい)は、ロ
ーマ軍を包囲し、打ち破った。
 ローマの歴史的大敗として知られる「カンネの戦い」である。
 トインビー博士は古代の歴史書を引いている。
  ── カルタゴにとって宿敵ローマを一挙に攻め滅ぼす絶好の機会を迎えた。
 ところが、この大事な時に、ハンニバルは、すぐにローマに進撃せず、ひと
冬の間、南イタリアの豊かな大都市カプアに陣を敷き、駐屯したのである。
 この間、激しい戦闘を勝ち抜いてきた歴戦の勇者たちも、享楽(きょうらく)
に溺れ、安逸に過ごした ── 。
 このカプアでのひと冬が「士気を弛緩(しかん)させてしまった」と博士は
鋭く指摘しておられる。
 結局、ハンニバルは、ローマを攻めきれず、徐々に形勢の逆転を許し、敗北
する。
 一方、ローマ軍は、その繁栄の歴史において、決して、そうした「致命的な
過ちを犯さなかった」と、博士は論じておられる。
 特に、初代皇帝アウグストゥスの例を挙げ、「快い土地に駐屯させる過ちを
犯さなかった」「厳しい環境によって帝国の兵士を鍛えるよう留意した」とい
うのである。
 そのため「ローマ帝国の寿命はおよそ四百年延びた」とトインビー博士は分
析されていた。<『歴史の研究』第3巻所収「挑戦と応戦の範囲 ── 不信の
カプア」、「歴史の研究」刊行会を参照>
 ともあれ、試練との戦いを忘れてしまえば、国であれ、団体であれ、個人で
あれ、衰亡の坂を転落せざるを得ない。
 「戦う心」を烈々(れつれつ)と燃え上がらせたところのみが、生き抜き、
勝ち抜いていくことができる。これが峻厳なる歴史の鉄則である。
 トインビー博士は一つの結論として論じておられた。
 「安逸(あんいつ)は文明にとって有害である」(『歴史の研究』第3巻所
収「挑戦と応戦の範囲 ── 作業計画」、「歴史の研究」刊行会)
 「挑戦 ── 応戦 ── また新たな挑戦というふうに続いてゆくのが生きて
いることの本質である」(長谷川松治訳『歴史の研究1』<サマヴェル縮冊版
>所収「自己決定の能力の喪失」、社会思想社)
 いわんや広宣流布は、永遠に"仏と魔との闘争"である。
 「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たより
をうべし」(御書1190ページ)と仰せの通りである。

◆ 対話を、対話を!
 一、トインビー博士は、私に遺言(ゆいごん)のごとく言われた。
 「人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話をさら
に広げていってください」と。
 そして、対談を終えた後、人を介して、自筆のメモを私に届けてくださった。
 そこには、ローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士など錚々
(そうそう)たる世界的な識者の名前が記されていた。
 そして、"可能であれば、今後は、この人たちと語り合ってほしい"と伝言
を託してくださった。
 私は、博士のお心を受け継いで、人類を結ぶ対話を世界に広げていくことを、
深く心に期したのである。
 <人間と文明を結びゆく、名誉会長の世界の指導者・識者との語らいは現在
までに、1600回を超えている。発刊された対談集は37を数え、現在進行
中のものや今後予定されているものも含めると50を超えている>
 東西冷戦、中ソ対立が激しかった時代にあって、トインビー博士が念願して
おられた、中国やソ連(当時)との対話の道も、私なりに切り開いてきた。
 あの北京の冬の周恩来総理との一期一会(いちごいちえ)の出会い。
 ソ連のコスイギン首相とクレムリンで会見し、「ソ連は中国を攻撃するつも
りはない」との言葉を引き出して、中国の首脳に伝えたこともあった。
 アメリカの国務長官を務めたキッシンジャー氏とも、日本と米国で対談した。
 さらに、中米のキューバへ飛んで、カストロ国家評議会議長と膝を交えて語
り合い、文化交流の扉を開いたことも懐かしい。
 この間、使命を同じくする若き優秀な通訳の皆さん方に巡りあい、最大に支
えていただいたことを、私は一生涯、忘れることはない。
 一、トインビー博士との語らいの席上、博士は朗らかに言われた。
 「やりましょう! 21世紀の人類のために、語り継ぎましょう! 」
 その声が、今も私の耳朶(じだ)に響いている。
 私も、いよいよ、これからが"対話の人生"の総仕上げである。
 さらにまた、一段と「対話の旋風」を巻き起こしてまいりたい。
 人類の前途を覆(おお)う暗雲を敢然と打ち払い、21世紀の地平に、赫々
(かっかく)たる「人間主義の太陽」を昇らせゆくために!
 そのための創価学会である。広宣流布である。
 皆さんも、広々とした大きな心で、勇敢に、朗らかに、私の後に続いていっ
ていただきたい。私たちの「一対一の対話」こそが、人間を変え、社会を変え、
世界を変え、平和と幸福の社会を築いていく「王道」なのである。
 皆さん、よろしく頼みます! (大拍手)

                       (〔下〕に続く)

創立75周年記念代表者会議での名誉会長のスピーチ 2005.9.11

2005年09月11日 | 代表者会議
2005.9.11SP 

◆◆◆ 栄光の山頂(ゴール)へ! 勝利の舞を!
── さわやかに祈り さわやかに勝て! ──
◆◆◆ 嵐に揺るがぬ「人間王者」に
◆◆ 皆が幸福に! 大満足の人生を 広布に生き抜く福徳は無量


【名誉会長のスピーチ】
 学会創立75周年を記念する代表者会議が2日、山梨研修道場で行われ、池
田名誉会長がスピーチした。
                 ◇
 一、きょうは、お忙しいなか、本当にご苦労さま!
 他の人々が休んでいる時も、わが学会の同志は、友のため、広布のために懸
命に働いておられるそれが、どれほど尊いことか。
 戸田先生は語っておられた。
 「我々仏弟子は、他の者が寝ている時、遊んでいる時、一生懸命に仏の使い
をしているゆえに、宿命を打破することができ、福運も積んでいけるのだ」
 皆さまの功徳は計り知れない。諸天善神が、皆さまを守らないわけがない。
そのことを、深く確信していただきたい(大拍手)。

◆ 富士のごとく悠然と戦え!
 一、かつて戸田先生は、富士山を見つめながら、こう言われたことがある。
 「学会は、宗教界の王者である。いな、世界平和に戦う王者なのだ。
 君たちよ、心を尽くして、立派に使命を果たすのだ。断じて負けるな! 最高
の王であり、最高の智慧者である富士を仰ぎながら、語りゆくのだ」
 戸田先生は、堂々たる富士の山が大好きであった。
 1955年6月、戸田先生が「水滸会」の最後の野外訓練を行ったのも、富
士山を仰ぐ天地(河口湖・山中湖畔)であった。
 「富士山が、きれいだな」「きれいだな」と、何度も語っておられた。
 戸田先生は、水滸会の中から、次の学会を担う青年を育てようとされていた。
 まだまだ人材が足りない。大切なのは、青年の連帯である。団結である ──
そういう思いで、青年を訓練してくださった。
 富士のごとくあれ!
 富士のごとく、堂々と生きよ! 悠然と戦え!
 烈風を打ち破って、そびえ立つ雄々しき人間になれ!
 これが、戸田先生の叫びであった。
 先生は、水滸会の訓練を通して、師弟の深い歴史をつくってくださった。忘
れ得ぬ黄金の思い出である。
 一、先生は、いつも私をそばに置いて、訓練しようとされた。そのお心にお
応えしょうと、私は懸命に戦った。
 大変だと思う時もあった。しかし、真剣に、また徹して戸田先生に仕えたか
らこそ、今の私がある。だからこそ、師弟の精神の深さ、尊さがわかる。
 ともあれ、リーダーの皆さま方は、学会のため、同志のため、広宣流布のた
めに、尽くしていっていただきたい。
 その行動にこそ、「師弟」の精神が脈打つ。日蓮大聖人が仰せの通りの強き
信心が脈動するのである。

◆ 生命の大長者に
 一、富士山といえば、徳川家康は江戸城をはじめ、生涯の大半にわたって、
富士の見える場所に城を構えた。
 作家の吉川英治氏は、小説『宮本武蔵』で、「あれになろう、これに成ろう
と焦心(あせ)るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあ
げろ」と綴っている。
 私はかつて、東京・青梅(おうめ)市にある吉川英治記念館を訪れ、吉川氏
の夫人と語り合う機会を得た。<1987年5月>
 この記念館訪問の感慨を胸に「富士のごとくに」と題する詩を詠み、夫人に
贈呈したことを、懐かしく思い出す。
 戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布の闘士は、人間の大王である。この気概と誇りを持ち続けるのだ」
 広布のために生き抜く人生ほど、崇高なものはない。学会とともに、広宣流
布へと進んでいくならば、富士のような、大王のような偉大な境涯を築くこと
ができる。不動の幸福、不動の勝利が約束されている。
 生々世々にわたり、生命の大長者として、輝いていくことができるのである。
 御聖訓には、「王」の意義について、「須弥山(しゅみせん)という山が、
大地を貫き通して傾かないようなものです。天・地・人を貫いて少しも傾かな
いのを王と名づけたのです」(御書1422ページ、通解)と仰せである。
 どのような難が来ても動じない。退(しりぞ)かない。
 烈風をはね返す、いな、烈風の中でこそ、堂々たる輝きを放つ存在となって
いただきたい(大拍手)。
 
◆ 指導者は「民衆のために」学べ
 一、「議会政治の父」と呼ばれた尾崎咢堂は、「人間は如何なるえらい人と
雖(いえど)も、始終学ばなければ愚人になる」と喝破した(尾崎咢堂全集第
6巻』公論社)。
 そう訴えた尾崎咢堂自身が、一生涯、勉強し続けた人であった。
 たとえ、立派な地位を築いたとしても、名声を得たとしても、そこで慢心を
起こして、学ぶ姿勢を捨てれば、愚かな人間になってしまう。
 人間の評価は、過去ではなく、現在の姿勢で決まる。ゆえに、表面的な権威
や立場にだまされてはならない。
 特に指導者に対しては、その人物が「民衆のため」に生きているのかどうか
を、正しく見定めていかねばならない。
 日蓮大聖人の仏法は、常に変化し続ける現実のなかで、賢明に生き、永遠の
幸福を確立するための生命論であり、哲学である。
 いわば、生命の本質、人間の真実を極める"最高の学問"であるといえよう。
 妙法の求道心をますます燃やして、「生涯勉強」「生涯前進」の人生を見事
に飾っていただきたい(大拍手)。

◆ 政治には「人間性の探求」が必要!
 一、統一ドイツの初代大統領、ヴァイツゼッカー氏とは、1991年6月に
お会いした。「物質主義」をどのように克服するかをはじめ、教育、国連改革
の課題など、多岐にわたって語り合った。
 氏は、来日した折に、沖縄の青年に語りかけた。
 「国の政治を政治家や古い制度に任せず、若者が積極的にかかわっていくこ
とが大切だ」(毎日新聞1999年5月7日付)
 青年をこよなく愛し、若い力を信じるヴァイツゼッカー氏の一言である。
 政治家のなかには、議員になると、"自分が一番、偉い"と錯覚する者が出
てくる。卑しい"政治屋"に堕落する者もいる。自分を支えてきてくれた恩人
を裏切る者さえいる。
 そうした腐敗をただして、改革していくには、青年の参加こそ重要なのであ
る。
 また、アメリカの社会活動家エレノア・ルーズベルト女史は主張する。
 「政治を理解しようと努める市民にとってだいじなことの一つは、人間性を
研究することである」(佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳『生きる姿勢について』大
和書房)
 どうすれば、本当に平和な社会になるか。皆が幸福な社会を築けるか。
 この課題に真剣に向き合えば、どうしても「人間性」を深く探求していかざ
るをえない。
 「自分自身」を磨かない政治家は、お金に目がくらみ、利権に流されてしま
う。まさに権力は魔性である。
 ゆえに、日々、人間性を鍛えゆく民衆が、真剣に、厳しい目で政治に関わっ
て、リードしていかねばならない。

◆ 「信」ある言論を
 一、オーストリアの作家ツヴァイクは綴った。
 「生命をかけて自己の言葉を保証しないならば、その人の言論は煙にひとし
い」(河原忠彦著『シュテファン・ツヴァイク』中央公論社から)
 戸田先生も、「信なき言論、煙のごとし」との烈々たる信念であられた。こ
れが、わが学会の言論戦の根本である。
 嫉妬ゆえのデマ、売らんがための悪口雑言は、吹けば消え去る煙のごとき、
はかないものだ。
 一度、世に出したにもかかわらず、自分の言葉に責任を持てない。そのよう
ないい加減な言論に惑わされては、あまりにも愚かである。断じて打ち破らね
ばならない。
 私たちの広宣流布の戦いは、大聖人の御遺命であり、大いなる理想に燃える
言論戦である。
 何よりも力強い「信」の柱がある言論だ。
 どうか自信をもって、勢いよく、大誠実の言論、破折の言論を、これからも、
勇敢に貫いていっていただきたい。


◆◆≪戸田先生≫ リーダーは生き生きと! 皆を讃えよ! 笑顔を忘れるな

◆ 「もう一息だ! 」と友に励ましを
 一、戸田先生は語っておられた。
 「指導者は、どんなにつらかろうが、人前では、生き生きとしていなければ
ならない。その姿に同志は安心し、ついてくる」
 広宣流布の戦いは、闘争の連続である。
 「大変だ」「疲れたな」と思う時もあるかもしれない。
 しかし、そういう時こそリーダーは、生き生きと、笑顔で、皆に接していく
ことだ。友を讃え、励ましていくことだ。
 そうすれば、不思議と自分自身も元気になる。組織も、生き生きとしてくる
ものだ。
 反対に、中心者が疲れて、つらそうな顔をしていては、皆も元気がなくなっ
てしまう。いやになってしまう。
 リーダーは自分から、「さあ、頑張りましょう! 」「もう一息ですよ!」「一
緒に勝ちましょう! 」と笑顔で、声をかけていってほしい。
 そこから、壁を破りゆく前進への力が生まれる。

◆ 最後まで悔いなく走り抜け!
 一、特に青年は、さわやかに、心晴れ晴れと戦い抜いてほしい。
 「さわやかに」題目をあげ、「さわやかに」学会の組織について、多くの同
志とともに、広布のため、自身のために活動してもらいたい。
 組織というと、固いイメージを持つ人がいるかもしれない。
 しかし、人間の体も「組織」だ。
 さまざまな機能から成り立つ建築物も、いわば「組織体」である。
 大宇宙もまた、妙(たえ)なる法則に則(のっと)って運行する「組織」と
いえよう。
 どんな団体や存在も、組織があるからこそ、十分に活動を行うことができる。
目的に向かって、正しい軌道を進んでいくことができるのである。
 学会は、広宣流布のための組織である。何よりも大切な妙法の組織だ。
 この学会とともに進む限り、不幸になることは絶対にない。
 皆、偉大なる使命をもった「地涌の菩薩」である。
 「最高に幸せだった! 」「満足した! 」と言い切れる人生を歩んでいける
のである。
 私は、全同志の大勝利と健康を毎日、真剣に祈っている。
 栄光の山頂は、目前である。どうか、最後のゴールまで悔いなく走り抜いて
いただきたい。
 きょうは、本当にありがとう!
 創立75周年の大闘争を完勝で飾り、元気な姿で、またお会いしましよう!
(大拍手)
20050902

方面代表者会議での名誉会長のスピーチ 2005.9.6

2005年09月06日 | 代表者会議
2005.9.6SP 
◆◆◆ 難所を越えよ! それが勝利の直道
◆◆◆ 目標を持つ人生は強い 同志と歩む人生は愉快

【名誉会長のスピーチ】
 長野、新潟の代表らによる方面代表者会議が8月22日、長野研修道場で行
われ、池田名誉会長がスピーチした。
                ◇
◆ 花の舞台でエースよ走れ
 一、「難所」を、いかに制するか。
 人生においても、組織においても、この一点が急所となる。
 毎年、正月の恒例となっている「箱根駅伝」。
 本年は、わが創価大学生が、関東学連選抜のメンバーとして出場した。
 この箱根駅伝のコースには、「権太坂(ごんたざか)」という名高い難所が
ある。
 江戸時代には、江戸から京へ向かう際、「東海道」における有名な難所であ
った。現在の横浜市保土ケ谷区(ほどがやく)に、当時の面影が残っている。
 権太坂を含む箱根駅伝の往路の区間は、「花の2区」と呼ばれる。
 長距離であり、厳しい坂道が続く。レース全体にも大きな影響を与える。
 ゆえに、各チームから実力のあるエース級の選手が選ばれ、一秒でも早く、
一歩でも前にと、しのぎを削るのである。
 インドの大詩人タゴールは「きびしい闘いは闘われなければならない。それ
が人生に価値を与える」と綴った(芝山幹郎訳「自由の流れ」、『タゴール著
作集第6巻』所収、第三文明社)。
 人生には、思いもよらぬ「難所」が立ちはだかるものだ。
 その時こそ、もう一歩で希望が見える。未来が開ける。必ず勝利の旭日(あ
さひ)は昇る。そう心に決めて、ひたぶるに祈り抜き、前へ!前へ! と進むこ
とだ。
 大変であればあるほど勝利の価値は大きい。

◆ わが忘れ得ぬ四国の同志!
 一、私は戸田先生から、あの「大阪の戦い」をはじめ、激戦の使命を受ける
たびに、「素晴らしい鍛えの場をいただいた」と、歓喜に燃えた。
 断じて、師の期待に応えてみせる!
 自分が勝って、広宣流布の大構想の突破口となるのだ!
 そう決意し、戦ってきた。
 いわば、難所の連続であった。その折々に、ともに戦った同志の姿は、永遠
に脳裏に焼き付いている。
 第3代会長を辞任した翌年には、香川、高知、愛媛、徳島の懐かしき四国の
友が、私のいる神奈川の地を目指し、はるばると大船に乗って駆けつけてくだ
さった。
 あの出会い、あの光景を、私は生涯、忘れることはできない。
 ともあれ、目の前のカベを一つ、また一つと着実に乗り越えることこそ、す
べての勝利の直道である。
 日蓮大聖人は、「釈迦如来のためには、提婆達多(だいばだった)こそ第一
の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵
が人をよく成長させるのである」(御書917ページ、通解)と仰せである。
 「あの強敵が、私を強くしてくれる! 」「これでまた成長できる! 」とと
らえて、朗らかに勝ち進みたい(大拍手)。

◆ 新たな出発!
 一、ある懇談の折に、次のような悩みをうかがった。
 仕事で定年を迎えた壮年の方が、目標を見失い、やる気を無くしてしまった。
なんとかして励ましたい ── と。
 定年に限らず、今までの環境が激しく変化した時、心の張りを失って、落ち
込んでしまうことがある。
 しかし、「妙とは蘇生の義なり」(同947ページ)とあるように、信心を
根本にした人生は、どんな場所からでも、必ず「新たなる出発」をきっていけ
る。
 信心とは、生涯にわたる、挑戦と成長である。
 学会には「広宣流布」という、世界のため、未来のための壮大な目標がある。
 「目標を持つ人生」は強い。
 「同志と歩む人生」は愉快である。
 一度、元気を無くした人も、広布の戦いを通して、偉大なる地涌の菩薩とし
ての使命を自覚し、再び立ち上がることができる。
 苦しかった体験も、すべて生かすことができる。仏法には一切、無駄はない
のである。

◆ 一遍の題目にも無量の大功徳
 一、また、仕事が多忙で、なかなか唱題する時間がとれない人もいる。さま
ざまな理由で、思うように唱題できない場合もある。
 大聖人は、「南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるは
なし」(同1573ページ)等と仰せである。
 たとえ一遍の題目でも、無量無辺の大福徳がある。
 何か悩みがあったら、まず御本尊にぶつかっていく。なにがあっても唱題根
本で進む。
 その「心」を持っている人が勝つ。すべての労苦が、宝の思い出となる。幸
福の確かな軌道に、悠々と乗っていけるのである。
 一、歴史学者トインビー博士は、私との対談のなかで、力強く、こう語られ
た。
 「われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。そ
こでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、優れた宗
教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです」
 これが、20世紀量高峰の知性の結論であった。
 戦乱と暴力の流転であった人類史を、いかに転換するか。博士は明確に主張
された。
 「真の永続的平和には、宗教革命が欠くべからざるものだと、私は確信しま
す」(『未来を生きる』毎日新聞社)
 その宗教革命の希望として、博士は、大乗仏教、なかんずく現代に生きる日
蓮大聖人の仏法に注目されたのである。

◆ 虚偽を打ち砕け
 一、どのようにして、宗教が社会に貢献していくか。このことを考えるとき、
若き日に読んだ思想家・内村鑑三(うちむらかんぞう)の言葉もまた、忘れる
ことができない。
 「西洋に在りて人は政治を最大のものとは認めません、宗教は政治以上の者
であると信ぜられます」(『内村鑑三著作集第4巻』岩波書店)
 正しき信仰に生きる人は、いかなる権力者よりも強い。
 彼は、こうも述べている。
 「宗教は信ずべき者であって利用すべき者でありません」
 「国民は宗教を信ずるを可とし、政治家は之を信ずるの必要なしと云う理由
は少しもありません」(同、現代表記に改めた)
 まったくの正論だと思う。
 この内村鑑三は、私の青春時代の読書サークルの友人たちが、尊敬していた
思想家でもあった。関東ゆかりの偉人である。
 「世は誠実を以てのみ勝つことが出来ます。世に虚偽多しと雖(いえど)も、
虚偽を以て之に勝つことは出来ません。正義はやはり最後の勝利者であります」
(同8巻、同)
 今も、深く心に残っている彼の言葉である。
 誠実は、必ず勝つ。虚偽には断じて負けない。
 正義は、絶対に勝利する。いな、断固として勝利しなければならない。
 これは、戸田先生の弟子として、この58年間の大法戦を戦い続けてきた、
私の信念でもある。

◆ 自身の勝利へ! 勇気の師子吼を
 一、近代看護の母ナイチンゲールは訴えた。
 「どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶことができるのは現場においてのみ
である」(湯槙ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第2巻』現
代社)
 戦場で、命がけで看護を続けた彼女の言葉だから、重みがある。
 広布の戦いも同じだ。
 現場にこそ、勝利のカギがある。リーダーは、「最前線」に飛び込み、激闘
に次ぐ激闘の中で、自身を鍛えていっていただきたい。
 イギリスの女性作家であるシャーロット・ブロンテは、「人間は能力の及ぶ
かぎり正しいことをなすべきです」と手紙に綴っている(エリザベス・ギャス
ケル著、中岡洋訳「シャーロット・ブロンテの生涯」、『ブロンテ全集12』
所収、みすず書房)。
 自分一人が努力してもわずかなものだ、などという考え方はよくない。ベス
トを尽くそう! ── そういう信条であった。
 一、大聖人は、熱原の法難に際して、「彼等は野干(やかん=キツネの類)
のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190沢、)と励
まされた。
 私たちの「広布の声」「勇気の声」は、何ものにも負けない力を持つ。
 戦った分、自分の福運になる。また、家族の福運、子孫末代までの福運とな
っていく。
 どんなに社会的な力を持った人も、仏法の功徳を受ける人には、かなわない。
真実の幸福を築いていく人には、かなわない。
 私たちは、師子の大音声(だいおんじょう)を放ち、卑劣な中傷など、はじ
き飛ばして、「自身の勝利」「地域の勝利」「広布の勝利」へ、猛然と走り抜
こう!(大拍手)
20050822

聖教新聞社代表者会議

2005年06月27日 | 代表者会議
仏法の根本は「知恩」「報恩」である。日蓮大聖人は「知恩をもて最とし報恩を
もて前とす」(御書491㌻)とまで断言されている。
 また狐や亀が恩を報じる故事を引かれて「畜生すらかくのごとしいわうや人倫を
や」
(同293㌻)と厳しく仰せである。不知恩、忘恩の輩は、まさに畜生以下である。


末路を見よ!

 仏法者は、不知恩の畜生を絶対に許してはならない。忘恩の輩を放置することは
「知恩」「報恩」という、仏法の根本を破壊してしまうからである。徹底して戦い、

弾し、厳しく追撃していかなければならない。
 竹入、竜、藤原、大橋など、これまで支持者を裏切った忘恩の元議員どもは、
みな、揃いも揃って、よく似ている。
 大ウソつき。見栄っ張り。慢心。妬み。誰からも信用がない。守銭奴。
遊び人。女狂い。賛沢三昧。女房が悪人。一家、一族だけで固まる。
 うなるほど金を貯め込んでいるくせに、ドの字がつくケチ。女房ともども、自分た
ちの
遊びや飲み食いに金は惜しまないが、大事な広宣流布には財を惜しむ。
 恩知らずの元議員は、どいつもこいつもウリ二つである。
 また、その末路も、同様に厳しい。
 竹入は学歴詐称の正体が暴かれた。竜は半身不随で、ぶっ倒れたまま。
藤原も大橋も、一歩も社会の表に出られない。惨めに、卑しく、息を殺したまま
である。
 戸田先生は「学会を裏切った者は、不思議と落ちぶれ果てた姿を見せにくる」
と断言された。その通りの無様な骸を、無残に晒け出している。
 これも学会が、忘恩の悪党どもと一歩も退かずに戦い、正体を暴き、断固とし
て追撃したからである。

破邪顕正で進め

 日蓮仏法は、どこまでいっても「破折」である。
「破邪顕正」である。邪悪を攻め破れば、正義の太陽が昇る。輝く。
 創価学会もまた、悪の根を断ち切り、打ち破るごとに発展してきた。
 あの極悪ペテン師・山崎正友の追放しかり、日顕の糾弾しかりである。
 極悪と対決し、退治することこそ、広宣流布前進の方程式である。
 なかんずく、支持者を裏切った元議員の罪は、あまりにも重い。
 学会と党の乗っ取りを企み、仕かけ、今なお鳴りをひそめた格好で、反逆の機
会をジッと狙っているやつもいる。そうした輩が、もし暴れ出したならば、断じて許

さぬ!
 我々は未来永劫にわたって追撃する。
 それが公明党の元議員、OB、それらの家族に対して「無間地獄の道をふさぎ
ぬ」(報恩抄、同329㌻)との、慈悲の行動ともなるからだ。
(6月27日、聖教新聞社代表者会議から)

目黒代表者会議

2005年06月27日 | 代表者会議
005-06-27 SP

最大の敵とは「師子身中の虫」
破和合僧の悪党は断じて追放

 広宣流布の前進にとって、最も恐ろしい敵とは、何か。
 日蓮大聖人は"それは師子身中の虫である"と喝破された。
 釈尊もまた「仏法は外部から破壊することはできない。内部の敵によっ
てこそ破壊される」(趣意)と断言した。
 実際に、釈尊の時代は提婆達多、大聖人の時代は三位房や大田親昌ら、
日興上人の時代は五老僧等の反逆者が出た。
 学会にあっても、軍部権力によって牧口先生が投獄されるや、多くの最
高幹部が卑怯にも裏切った。戸田先生が事業に失敗した時にも多数の退転
者が出た。「師子身中の虫の師子を食む」「城者として城を破る」。これ
が仏法破壊、破和合僧の定理である。

忘恩は畜生以下

 大聖人は、退転者の本質を「よく(欲)ふかく・心をくびやうに・愚
癡」(御書1539㌻)と厳しく指摘された。すなわち、強欲である。名聞
名利に狂う。臆病である。
 そして愚癡、つまり畜生の根性である。「人間の道」を知らぬ、卑し
く、下劣な生命の輩こそ裏切る、と仰せである。
 三位房も「京なめり(=訛)」と仰せのように、世法に流され、名聞
名利に狂って信心を失った。
 五老僧の民部日向も、鎌倉の「軟風」におかされた。師の恩を忘れ、日
興上人につくことができず、大聖人滅後の身延を完全に破壊した。
 今なお、退転者の本質は、大聖人の御聖訓と寸分も違わない。
 あの竹入や、竜、藤原、大橋など、忘恩の元議員どもを見れば、一目
瞭然である。
 食うや食わずの貧乏暮らしの中から拾っていただき、何十年も議員をや
らせていただいたのは、誰のおかげか。
 すべて、支持団体である創価学会のおかげではないか! どれほどの大
恩か!
 その、最も感謝し、一生涯、御恩を報じていくべき学会を、やつらは卑
劣にも裏切った。まさに犬畜生以下の恩知らずである。

正体を暴け!

 何も竹入たちだけの話ではない。今なお、増上慢、破和合僧、一闡提の
大悪党が見え隠れしている。そういう輩が蠢き出した場合には、我々は徹
底して戦う! 断固として追放する!
 邪悪とは病原菌と同じである。放置すれば、必ず毒が回る。組織を蝕
み、内側から食い破っていく。ゆえに断じて退治しなければならない。
 仏典に「法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべ
し是の人は仏法の中の怨なり」と仰せのごとく、卑劣な化けの皮を剥ぎ、
怪物の正体を暴かねばならない。
 そして我らは、その忘恩と裏切りの果ての大惨敗の姿を、永遠に刻み残
していこうではないか。
(6月26日、東京・目黒総区代表者会議から)