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「自身の”不滅の金字塔”を打ち立てる会」  実行委員会(非公式)のブログ

獅子吼とは師弟不二

2004年05月27日 | 師弟
 「獅子吼」とは、「師」とは師匠、「子」とは弟子。師とともに叫びきっていくという師弟不二です。これが本来の折伏です。
 私は「戸田先生は末法の折伏の師匠である。私はその弟子である。ならば折伏ができないはずがない」と決めた。
 その一念で、だれ人にもまさる弘教をなしとげたのです。

「75万の大願業」の第1号
◆証言(鵜野花子さん=当時、蒲田支部)

 昭和22年、焼け残った大森の自宅に、疎開先から戻りました。私は、そこで、イモをふかし、コッペパンを焼いて、それをヤミで売って生活を立てていました。
 先生が近所の「青葉荘」に引っ越して来られたのは、25年のことでした。食べるものがなかった時代でした。先生は、来られると、ジャムをちょっとぬったようなコッペパンを買っていかれました。
 26年の4月末のことです。「今夜、うちで話があるからいらっしゃいませんか」。先生に言われてアパートでの会合に行きました。
 当時はまだ占領下で、私は二人の子どもをかかえ、大変な苦労をしていました。
 先生も、穴の開いた靴を履かれていたので、水たまりを避けながら歩かれていました。先生の部屋には、水道もガスもタンスもありませんでした。しかし、本棚二つに、ぎっしりと本が詰まっていました。
 「幸せになるいい教えなんですよ。一緒にやりませんか」と、先生は言われました。
 「幸せ」という確信ある言葉。先生の声は大きいんです。その確信の声に心を動かされ、私は「ハイ」といいました。他に「幸せ」なんていう言葉がなかった時代でした。
 先生の配慮で、5月3日の戸田先生の会長就任式に出させていただき、その場で御本尊を頂きました。
 その日は、戸田先生が「75万世帯の折伏の大願業」を宣言した日でした。戸田先生の心を知っていたのは、池田先生ただお一人だったのです。だから先生は、75万の第1号の折伏を自らされたのです。

戸田先生は偉大な指導者
◆証言(宮林義一さん=当時、文京支部)

 池田先生が折伏される場合は、まず相手の話を聞かれました。「お生まれは?」「お仕事は?」「ご家族は?」。そして先生ご自身の体験を語られました。必ず戸田先生の偉大さを語られました。「戸田先生は、地球上から悲惨の二字をなくそうとされている偉大な指導者なんです」。その声は今も耳に残っています。
 折伏が佳境に入ると、テーブルから身を乗り出し、ある時はテーブルを横にどけて近寄られ、手を握って、また両手を肩において「幸せになりましょう」と。